ファチマの聖母マリア

2000年6月26日:
第三の秘密は明らかにされたが、しかしそれは
秘密のすべてではない!

The Fatima Crusader Issue 64, Summer 2000より

ポール・クレイマー神父、M. Div.


 5月13日、ファチマで教皇ヨハネ・パウロ2世によって捧げられたミサの終わりに、国務長官アンジェロ・ソダノ枢機卿はこう宣言した。「教皇聖下はファチマ訪問の厳粛な機会にあなたがたに一つの布告をするように私に命令されました。」それから、枢機卿は短い談話の後で1917年13日にファチマの幻視者たちに明らかにされた秘密の第三部を間もなく明らかにすると公表した。「信徒がファチマの聖母のメッセージをもっとよく受け取るために、教皇は信仰教義聖省に、一つの適切な注解の準備の後に、秘密の第三部を公表することを求められた。」

 記者会見が行われるまでにほとんど一ヵ月半が経過した。その記者会見において、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿とタルシジオ・ベルトーネ大司教は『ファチマのメッセージ』という表題のついた42ページの小冊子を提出した。その小冊子の中ではラッツィンガー枢機卿自身によって、第三の秘密のテキストが「ここにその全体が公表され」ていると述べられている。しかしながら、第三の秘密の一部分だけが公表されたということについての多くの証拠がある。

I. 秘密の第一部および第二部

 最初に考察すべきことは一つの全体としての秘密の性格である。すなわち、それは聖母の話された言葉、他の事柄の幻視と並んで、聖母の目に見える御出現から成っている。

 秘密の第一部は地獄の幻視にあり、聖母の言葉で終わっている。

 「あなたがたは哀れな罪人たちの霊魂が行く地獄を見ました。」

 秘密の第二部は聖母の次の言葉から成っている。

 「彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争(第一次世界大戦)は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。

 「未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。

 「もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。

 「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。

秘密の第三部

 秘密の第三部は次の言葉で始まっている。「ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう。等々....」シスター・ルシアによってその帳面に書かれた象徴的な幻視は秘密の本質に属している。秘密の第三部は聖母の次の言葉で終わっている。「このすべてのことを誰にも言ってはいけません。フランシスコには、言ってもよいです。」シスター・ルシアの(帳面の中に)彼女の言葉による第三の秘密の幻視を記述しているテキストは6月26日に公表されたものである。第三の秘密のテキスト、すなわち、三人の子どもたちに託された聖母の言葉はこれまで決して明らかにされなかった。ただ第三の秘密の始まりの句と終わりの言葉だけがシスター・ルシアの第四手記の中で漏らされたのであり、一方その間にある第三の秘密の言葉の実質は省かれてきた。そしてラテン語の省略語であるetc.--et cetera--によって示されている。これは文字通りには「そしてその他」あるいは「また、....など」を意味する。etc.によって示された聖母の言葉はダ・シルヴァ司教に宛てたシスター・ルシアの手紙においてたった1枚の紙に書かれ、封筒の中に封印されていた。

 次に考察すべきことは、二つの草稿が存在するということを明白に論証している外的な証拠である一つは秘密の第三部の象徴的な幻視を記述している帳面を含むものであり、そして二つ手紙であり、それは聖母がジャシンタとルシアに話された秘密の第三部の言葉を含むものである。(フランシスコは言葉を聴くことができなかった。しかし、ただ幻視を見ることができた。それゆえ、聖母はフランシスコが秘密を話してもらうべきだということを教えられた。)

 ピオ12世によって秘密の使命を託されたシュヴァイグル神父は1952年9月2日にコインブラのカルメル会でシスター・ルシアに質問した。ローマにあるルッシクムに帰ったときに、シュヴァイグル神父は次のように語った。「第三の秘密に関して私がファチマで学んだことは何も明らかにすることはできない。しかし、それが二つの部分を持っていると言うことはできる。すなわち、一つは教皇に関係がある。もう一つは、論理的に言って--私は何も言ってはならないけれども--『ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう。』という言葉に続くものでなければならないであろう。」注1

 第三の秘密の二つの草稿の存在を論証する一つの優れた研究がこの号の別の個所(4ページを見よ)に載っている。このように、このことについての詳細はここで論じる必要は無い。注2


1981年5月13日は第三の秘密の預言的幻視の成就 ではない 。その日には、教皇は傷を負わされたのであって、殺されたのではない。彼はひとりの銃を持った男に撃たれたのであって、兵士たちによって撃たれたのではない。他の誰も、司教たちも、司祭たちも、修道者たちもあるいは平信徒たちもその日には殺されなかったし、あるいは撃たれることさえなかった。

欠点のある解釈

 秘密についてのバチカンの解釈はファチマの預言の実現を過去に置く一つの試みであると思われる。ベルトーネ司教の説明は「二十世紀は『地上における優しいキリスト』の暗殺未遂を頂点とする悲劇的で残酷な事件を伴う人間の歴史の中でも最も残酷な世紀であった」と述べている。

 第三の秘密の幻視についてのソダノ枢機卿の歪められた説明は幻視についての問題をはらむ解釈を引き入れている--すなわち、それは教皇ヨハネ・パウロ2世の生命に対する1981年の暗殺未遂に言及しているという解釈である。5月13日の声明の中でソダノ枢機卿はこう述べた。「すべての信徒のために祈っている『白い衣服をまとった司教』は教皇である。殉教した人々(司教、司祭、男女の修道者、そして多くの信徒)の死体の中を十字架の方へ向かって非常に難儀しながら進んでいるときに、彼もまた地に倒れ、見たところ、死んでいた....」それに反して、実際のテキストは兵士たちによる教皇の殺害を記述している。すなわち、「教皇は半ば廃墟となった大きな都市を通り過ぎられました。そしておぼつかない足取りで半ば震え、痛みと悲しみで苦しんで、途中で会った死体の霊魂のために祈られました。山の頂上に着かれたとき、大きな十字架の下でひざまづいて、弾丸と矢を放った一群の兵士たちによって殺されました....」テキストの中で記述された幻視は教皇が兵士たちによって撃ち殺され、そして次に司教、司祭たち、そしてその他の人々が皆、半ば廃墟となった都市を通り過ぎた後で一人ずつ同じように殺される情景である。これは明らかに、アリ・アグカによって撃ち殺されたのではない教皇ヨハネ・パウロ2世とは何の関係もない。

 ベルトーネ大司教は、次の二つの陳述を単に並置することによって、シスター・ルシアもまた第三の秘密の幻視を1981年の暗殺未遂を記述するものと解釈したのだと思わせるように試みたと思われる。すなわち、1)「白い衣服を着た司教、すなわち教皇についての節に関して、子どもたちが『幻視』の間に直ちに理解したように--彼は打ち殺され、地に倒れた....」および2)シスター・ルシアは「弾丸の通り道を導いたのは御母の手であった。そして死の苦しみの中で教皇は死の境界にとどまった」注3 シスター・ルシアが完全に同意することはただ、祝せられたおとめが弾道を導かれたということだけである。しかし、二つの事柄のうちには何ら論理的なつながりはない。シスター・ルシアはまったく明快に、自分は幻視において撃ち殺される者として描写された教皇が誰であるかを知らないと述べた。ベルトーネ大司教自身、この点に関してシスター・ルシアを引用している。「私たちは教皇の名前を知りませんでした。聖母は教皇の名前を私たちに告げられませんでした。私たちはそれが、ベネディクト15世なのか、それともピオ12世なのか、それともパウロ6世なのか、それともヨハネ・パウロ2世なのか、知りませんでした。それは苦しんでおられる教皇でした。そしてそのことはまた私たちをも苦しませました。」

ファチマの予言は終わったのか?

ソダノ枢機卿が5月13日に「ファチマの『秘密』の第三部が言及している諸々の出来事は今や過去の部分と思われる....」と述べたように、バチカンはファチマの諸々の予言の実現を過去に置こうと努めている。ベルトーネ大司教は「ファチマの『秘密』の第三部を公表させる教皇聖下ヨハネ・パウロ2世の決定は権力と悪に対する悲劇的な人間の欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる」という途方もない主張をするところまでも進んでいる。しかし、ファチマのメッセージのテキストと第三の秘密の象徴的な幻視から、戦争、飢饉そして教会と教皇の迫害を通しての世界の懲罰がただ人類の回心と痛悔、そしてマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の荘厳な司教全体による行為によってのみ回避することができるということは非常に明らかである。現実から完全に離れていないすべての人にとって、「権力と悪に対する悲劇的な人間の欲望によって特徴づけられた歴史の一時期」が現在もなお非常に烈しく継続しているということもまた明らかである。

 1982年5月12日(教皇の生命に対する暗殺未遂の1年後)づけの教皇ヨハネ・パウロ2世宛の手紙の中で、シスター・ルシアは次のように書いた。「もしそうでなければ、[ロシアは]戦争と教会の迫害を引き起こしながら世界中にその誤りを拡げるでしょう。善人は殉教し、教皇は大いに苦しむでしょう。多くの民族が絶滅させられるでしょう。」注4

 「秘密の第三部はメッセージそのものが私たちに要求していること、すなわち、『もし、私の要求が顧みられるならば、ロシアは改心し、平和が来るでしょう。もし、そうでなければ、ロシアは世界中にその誤りを拡げるでしょう、等々』を私たちが受け入れるか、それとも受け入れないかということに条件づけられたメッセージのこの部分に言及する一つの象徴的な啓示である....

 「私たちは、メッセージのこの訴えに気を留めなかったので、それが実現されたということを見ています。ロシアはその誤りによって世界を侵略しました。そしてもし私たちがこの預言の最後の部分の完全な実現をまだ見ていなかったとするならば、私たちは大股でそれに少しずつ近づいているのです。もし私たちが罪、憎しみ、復讐、不正、人間人格の諸権利の侵害そして暴力、等々という道を拒絶しないならば....」

聖母の言葉

 シスター・ルシアの言葉を非常に注意深く考察してみよう。(聖母の言葉は引用符で示されている。)

 1)秘密の第三部は一つの象徴的な啓示である....--これらの言葉は6月26日にバチカンによって公表されたシスター・ルシアの帳面の中に記述された幻視に言及している。

 2)....メッセージのこの部分に言及しながら....すなわち、秘密の第二部における次の句に言及しながら:すなわち、「もしそうでないならば、[ロシアは]戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。

 3)....メッセージそのものが私たちに要求していることを私たちが受け入れるか、それとも受け入れないかということに条件づけられた.... そこには二つの可能性がある。第一の可能性:私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう....もし彼らが私の要求に耳を傾けるならば、ロシアは回心し、世界は平和を持つでしょう。第二の可能性:もしそうでなければ、ロシアは戦争と教会に対する迫害をあおりながら世界中にその誤りを拡げるでしょう。善人は殉教し、教皇は大いに苦しむでしょう。多くの民族が絶滅させられるでしょう。

 4)もし私たちがこの預言の最後の部分の完全な実現をまだ見なかったとするならば、私たちは大股でそれに少しずつ近づいているのです。

 聖母が求めておられる一般的な要求は、人々が神に敵対するのをやめなければならないということである。シスター・ルシアは教皇ヨハネ・パウロ2世宛の手紙の中で、「私たちはメッセージのこの訴えに気を留めませんでした」と述べた。ロザリオ、茶色のスカプラリオ、初土曜日の信心、犠牲をすること、そして償いをすることはこのことをもたらすことを助けることができる手段のいくつかである。聖母の特殊的な要求は、ロシアの奉献である。これはロシアの回心とマリアの汚れなき御心の勝利をもたらすであろう。「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」ロシアの回心、世界平和そしてマリアの汚れなき御心の勝利をもたらすために、ファチマの聖母によって要求された仕方で奉献のこの行為を遂行するのは教皇の責任である。ロシアの奉献は、シスター・ルシアが述べたように(以下を見よ)、まだ行われていない。

ロシアの奉献はまだ果たされていない

 ファチマのメッセージに関するバチカンの文書は、聖母によって要求されたロシアの奉献がすでになされたという立場を支持するのに、シスター・ルシアの署名があるとされている1通のコンピューターによって作られた手紙よりも強力な証拠を何も提供していない。2000年4月27日のシスター・ルシアとの会合の中で、ベルトーネ大司教はシスター・ルシアに、奉献が正しく行われたかどうかを尋ねることを怠った。そして彼はそれが実際に彼女の手紙であるかどうかを尋ねることを怠った。(しかし、彼は彼女が手書きで書いた他の文書の真正性を彼女から確認した。)その怪しい手紙は、奉献がすでになされたという主張を支持するために持ち出された唯一の証拠である。

 私は具体的に言うと、ファチマの聖母に要求されたロシアの奉献という主題に関して12の論文を書いた。『ファチマ・クルーセーダー』誌の2000年春号(no.63)で公表された私の最近の論文で、私はファチマの聖母によって要求された奉献はまだ果たされていないということを簡単に再び論証した。すなわち:

 「ここにシスター・ルシアが1984年3月25日、世界の奉献の後で実際に述べたことがある。シスター・ルシアは直ぐ後に公表されたインタビューの中でエンリコ・ロメロに、ファチマの聖母によって要求されたロシアの奉献はまだなされていないと述べた。『ソル・デ・ファチマ』誌の1985年9月号に載ったインタビューの中で、シスター・ルシアは、教皇が1984年3月25日に世界を奉献したとき、トゥイで聖母によってなされた要求を教皇は果たしたのかどうかと尋ねられた。シスター・ルシアはこう答えた。『すべての司教の参加がありませんでした。またロシアについて何ら言及されませんでした。』インタビューをする人はそこで尋ねた。『では、奉献は聖母によって要求されたようにはなされなかったのですか? 』シスター・ルシアは答えた。『ええ、なされませんでした。多くの司教はこの行為を何ら重要視しませんでした。』これらの陳述は、シスター・ルシアが1983年3月19日の彼女の公式声明の中で、教皇使節サンテ・ポルタルピ大司教に述べた条件に正確に一致している

ロシアの奉献は聖母が要求なさったようにはなされませんでした。』彼女は次にトゥイでの聖母の要求に従ったロシアの奉献を有効に成し遂げるために満たす必要のある条件を述べた:1)ロシアは奉献の対象として明確に示されなければならない。そして2)各々の司教は自分自身の司教座聖堂において公式のまた荘厳な儀式を行わなければならない。

 「世界の司教たちの公式のそして荘厳な参加の重要性は『世界のすべての司教たちと一致して』という言葉の適切な意味を考察するとき把握され得る。この句によって意味されていることはシスター・ルシアによって書かれたものにおいて述べられた聖母の言葉の並行した節において明らかにされている」:すなわち、

 「神が教皇に、彼と、また同時に世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき心にロシアの奉献をするように、命じるようお求めになる時が来ました....」注5

 「この明白なそして正確な証拠を見れば、ロシアの奉献が果たされたというシスター・ルシアの証拠なしになされている主張の真正性に対しては真面目に疑問を呈さざるを得ない。」注6

 今までのところ、私が提出した証拠や論議を反駁しようと試みた人は誰もいない。私はまたその論文の中で、シスター・ルシアが書き、署名し、私に送ったとされるコンピューターが作った論考はその直ぐ後に、法廷によって正式に認可された法廷科学者によって検討されたということに言及した。彼は書面で、その手紙に署名した人物はシスター・ルシアの手記において文書に署名した同じ個人ではなかったと明言した。ベルトーネ大司教によって言及された手紙は同じ時期の日付になっており、またシスター・ルシアが私に送ったとされるでっちあげの手紙と同じような外観のものである。そして私は繰り返すが、それは彼がロシアの奉献が聖母の要求に従って果たされたという立場を支持して作り出している唯一の証拠である。

ラッツィンガー枢機卿の解釈は論拠薄弱

 ラッツィンガー枢機卿の秘密を解釈する試みはベルトーネ大司教の解釈と同じように等しく欠陥があると思われる。ラッツィンガーは秘密の実現を過去に置くのであろう。ラッツィンガーは次のように問う。「全体としての(その三つの部分における)ファチマの秘密の意味は何であるか? それは私たちに何を言っているのか?」彼の答え:「まず第一に、われわれはソダノ枢機卿と共にこう主張しなければならない。すなわち、....ファチマの秘密の第三部が言及している諸々の出来事は今や過去の一部と思われる。」枢機卿はこの点に関して断固としており、絶対的である。「個々の出来事に関するかぎり、それらは過去に属する。」

 ラッツィンガー枢機卿は彼の解釈を誤謬に満ちた陳述で始めている。

 「事実のずっと後で、そして教皇の決定によって、その全体においてここで公表されるファチマの『秘密』のいわゆる第三部のテキストを注意深く読めば、おそらくそれが巻き起こしたすべての憶測の後に失望あるいは驚きを証明するであろう。大きな神秘が明らかにされるのでもなく、未来のヴェールが剥がれるのでもない。われわれは過ぎ去ったばかりの世紀の殉教者たちの教会が象徴的で暗号解読が容易でない言語で記述されている一つの情景を見る。」

 第一に、「ファチマのいわゆる第三の秘密のテキスト」が「ここでその全体において公表」されたという主張は、上述の考察から明らかであるばかりでなく、また私が後に論証するように、ラッツィンガー枢機卿自身の以前に公表された言葉からも見ることができるように、正確ではない。第二に、「大きな神秘が明らかにされるのではない。」もし枢機卿が1984年11月の雑誌『イエズス』への自分自身の言葉を思い起こすならば、こう言うことはできないであろう。また彼は言うことができなかった(第三)。「未来のヴェールが剥がされるのでもない」(第四)「われわれは過ぎ去ったばかりの世紀の殉教者たちの教会が象徴的で暗号解読が容易でない言語で記述されている一つの情景を見る。」軍人たちによって遂行される一教皇の暴力的な死は、2000年12月31日が終わるまでは過ぎ去らないであろうこの二十世紀には起こらなかった。それゆえ、ラッツィンガー枢機卿が「これ(過ぎ去ったばかりの世紀の殉教者たち)は主の御母が大きな困難と悲しみの時期にキリスト教社会と人類に伝えようと望まれたことか?」と問うとき、その明らかな答は完全な否!である。

 聖母がキリスト教社会と人類に伝えようと望まれたことは、もし人類が痛悔し、神に背くことをやめないならば、幻視において明瞭に描写された、戦争、飢饉、教会の迫害、教皇の迫害による世界の懲罰、「信仰とキリスト者の生命、そしてそれゆえに世界の生命への危険」である。

 同様に、もし教会の司牧者たち、そして「最高の羊飼い」がマリアの汚れなき御心にロシアを荘厳に奉献するようにという天の命令の遂行を遅らせ続けるならば、そのとき彼らは第三の秘密の幻視が描写しているまさにそのことを経験するであろう。

「彼らは彼に従って不幸に陥ることになる」

 1931年8月にリアンジョでシスター・ルシアにこのことを明らかにされたのは、われらの主イエズス・キリストであった。このときイエズスはこう明言なさった。「私の代理者たちに、もし彼らが私の要求の実行を遅らせることにおいてフランス王の例に従うならば、彼らが彼に従って不幸に陥ることになるということを知らせなさい。」われらの主はフリーメーソンの革命家たちによるルイ16世王の残虐な処刑に言及しておられた。ルイ16世は王位を剥奪され、投獄された後まで、イエズスの聖心へのフランスの奉献を遅らせた。そしてその荘厳な行為を遂行することができる地位にはもはやいなかった。不運なことに、彼は主の要求に応えようと試みた。しかし、そうすることはできなかった。そしてそれゆえに、彼は悲劇的な結果をこうむった。教会の司牧者たちは、ただ教皇と彼の高位聖職者たちの虐殺が起こった後に初めて、ロシアの奉献に対する聖母の要求を信じ、真剣に受け取るようになると思われる。無神論者の暴力によって滅びるであろう人々にとっては、それは遅すぎるであろう。しかし、神の無原罪の御母の執りなしを通じて介入し、世界を絶滅から救うために、天にとってはそれは遅すぎないであろう。このように、われらの主は、1929年6月13日に、スペイン、トゥイのドロテア会修練院でシスター・ルシアに言われたのである。すなわち、

 「フランス王のように、彼らは痛悔し、それをするであろう。しかし、それは遅いであろう。ロシアはすでに、戦争と教会に対する迫害を引き起こしながら、世界中にその誤りを拡げるているであろう。教皇は多く苦しまなければならないであろう。」  それゆえ、半ば破壊された都市は人間文明を表している。何世紀もの古いイギリスの墓碑の預言が予告しているように、人類の半数が懲罰の中で滅びるであろう。すなわち:

 「絵が自由な動きで生きているように見えるとき(テレビ、映画)、魚のような船が海面下を泳ぐとき(潜水艦)、人々が小鳥たちを追い越しながら、空を滑空するとき(飛行機)、そのとき世界の半分は血の中に深く浸されて、死ぬであろう。

 しかし、それでもなお遅すぎることはないであろう。なぜなら、われらの主がリアンジョで言われたように、「イエズスとマリアに寄り頼むために決して遅すぎるということはないであろう」からである。

 ファチマの諸々の預言の実現を過去に追いやった後で、40ページでラッツィンガー枢機卿は第三の秘密において脅威を与えている懲罰がなお未来にも起こるであろうと指摘している!

 「神の御母の左側の燃える剣をもった天使」を枢機卿はこう説明する。「これは世界にのしかかっている審判の脅威を象徴している。今日、世界が火の海によって灰燼に帰するであろうという見込みはもはやまったくの幻想とは思われない。」これは、枢機卿が過去に行った「第三の秘密」についての陳述にいっそう一致すると思われる。1984年11月11日にイタリアの雑誌『イエズス』はラッツィンガー枢機卿が「第三の秘密」の内容について話したインタビューを公表した。インタビューワーのヴィットリオ・メッソーリに、ラッツィンガー枢機卿が秘密を読んだかどうか尋ねられて、閣下は答えた。「ええ、読みました。」それがなぜ公に明らかにされなかったと考えているか、その理由を説明する間に、ラッツィンガーは秘密が扱っている主題に言及した。すなわち、それは「信仰と教会の生命、そしてそれゆえに、世界の生命を脅かしている諸々の危険」である。そして次に、「最後の事柄」の重要性である。「....この『第三の秘密』に含まれている事柄は聖書に告知されてきたこと、そして他の多くのマリアの御出現の中で繰り返し言われてきたことに一致する....

秋田の御出現

 今、「他の多くのマリアの御出現の中で繰り返し言われてきた」ことを検討してみよう。

 日本の秋田での、教会によって承認された御出現において、聖母はこう明らかにされた。

 「もし人々が痛悔し、生活を改めないならば、御父は全人類の上に恐ろしい懲罰を課そうとなさっています。それは大洪水よりももっと重大な懲罰でしょう....火が天から降りかかり、人類の大部分を絶滅するでしょう....」

ラ・サレットの御出現

1846年9月19日ラ・サレットでの教会によって承認されたもう一つの御出現において、聖母はメラニーにこう明らかにされた。

 「神はこれまでになかったような仕方でお打ちになるでしょう。地上の住人に禍あれ!神は彼らの上にその怒りを注ぎ尽くされるでしょう。そして誰も一緒にやってくるそのように多くの難儀を逃れることはできないでしょう....私の御子の代理者は大いに苦しむでしょう。なぜなら、しばらくの間教会は一つの大きな迫害、暗闇の時に引き渡されるからです。

そして教会は恐るべき危機を目撃するでしょう。」

好結果の聖母

 1634年2月2日に起こった、教会によって承認された好結果の聖母の御出現において、神の御母はマザー・マリアンナ・デ・ヘスス・トーレスにこう明らかにされた。

 「....19世紀の終わりに、そして20世紀の大部分の間、さまざまの

異端が地上で全盛であるでしょう....信仰の貴重な光はほとんど全体的な道徳的堕落のゆえに魂たちのうちで消え去るでしょう。

この時期には私的にも、公的にも大きな物質的および道徳的な災難があるでしょう。

 「信仰を保ち、徳を実行している少数の霊魂たちは残酷で口では言い表せない苦しみを受けるでしょう。彼らの長い、延々と引き延ばされた殉教を通じて、彼らのうちの多くの者はその苦しみの暴力のゆえに死に至るでしょう。そして教会のため、あるいは国のために命を捧げた殉教者と見なすでしょう。」

 「これらの異端によって奴隷化されることから免れることは意志の強さ、忠実、勇気、そして神への大きな信頼を必要とするでしょう。このすべては御子が再興の仕事のために選ばれた人々に対する神である我が子の憐れみに満ちた愛の賜物です....あらゆるものが失われ、麻痺したと思われる瞬間が来るでしょう。そしてちょうどそのとき、完全な再興の幸せな始まりが来るのです。」

 「....すべての社会階級の支配権を獲得して、諸分派は大きな力量を発揮して子どもたちをさえ破壊するために家庭の中核にまで入り込むことへと進むでしょう。」

 「....幼年時代の無邪気さはほとんど消え失せるでしょう。このようにして、司祭職は失われ、真の災難があるでしょう。司祭たちは聖なる義務を放棄し、神によって彼らのために境界線を引かれた道から離れるでしょう。

そのとき教会は暗い夜を経験するでしょう

--愛、優しさ、強さ、賢慮でもって教会を見守る高位聖職者や神父の欠如のために--そして多くの司祭はこのようにして彼らの霊魂を大きな危険にさらしながら、神の精神を失うでしょう。

「....そして教会の自由の輝かしい曙を遮るこれらの黒い雲を追い散らすために、司祭や修道者たちの血が流れる恐ろしい戦争が起こるでしょう....その夜は非常に恐ろしいので、邪悪が勝利を収めたと思われるでしょう。

それから、私の時が来るでしょう。驚くべき仕方で私はサタンを私の足の下に投げ飛ばし、地獄の深みの中に鎖でつなぎ止め、サタンの残忍な専制支配から最後に教会と国を自由にしながら、サタンの高慢をうち砕くでしょう。


83年前にファチマの聖母が3人の子どもたちに御出現になったまさにその場所で祈りを捧げる教皇に600,000人以上の巡礼者たちが加わった。われわれの祈りと犠牲の引き続きの支援によって、教皇が間もなく聖母の御要求の成就を もたらされますように。

シスター・エレナ・アイエロ

その預言によって非常に有名であったシスター・エレナ・アイエロ(1961没)は聖母によってこう告げられた。

 「私の心は今にも起ころうとしている廃墟の世界におけるそのように多くの苦しみのゆえに悲しんでいます....神の怒りは近くにあります。間もなく世界は大きな災難、血の革命、恐ろしいハリケーンそして川と海の氾濫で苦しむでしょう....世界は一つの新しいそしてもっと恐ろしい戦争において倒されるでしょう。非常に正確な武器が人々と諸民族を破壊するでしょう。地球の独裁者たち、地獄の者どもが諸教会を破壊し、御聖体を冒涜するでしょう。そして最も貴重な事物を破壊するでしょう。この神を敬わない戦争において、人間の手によって建てられてきたものから多くのものが破壊されるでしょう。」

 「空の火の輝く閃光を伴う雲と火の嵐が世界の上に落ちて来るでしょう。人類の歴史の中で以前には決して見られなかったこの恐るべき懲罰は70時間続くでしょう。神を信じない人々は押しつぶされ、拭い去られるでしょう。多くの人々は失われるでしょう。なぜなら、彼らはその罪の頑固さにとどまるからです。それから、暗闇の力の上に光の力が見られるでしょう。」

 「....他の民族が完全に消える一方で、ある民族は純化されるでしょう。

 「ロシアはヨーロッパのすべての民族の上に、特にイタリアに進撃し、聖ペトロ大聖堂のドームの上にその旗を掲げるでしょう。イタリアは大きな革命によって厳しく試みられ、そしてローマはその多くの罪によって、特に不純の罪によって清められるでしょう....」

 「もう一つの恐ろしい戦争が東から西へ来るでしょう。ロシアはその秘密の軍隊をもってアメリカを戦い取り、ヨーロッパを蹂躙するでしょう。ライン河は死体と血で溢れるでしょう。イタリアもまた大きな革命によって悩まされ、そして教皇は恐ろしく苦しむでしょう。」

 「大地震が全都市と国々を飲み込むでしょう。そして特に暗闇の息子たちがいるところでは、伝染病、飢饉、恐ろしい破壊をもたらすでしょう。」

 私たちに第三の秘密は他のマリアの御出現のうちに見出されると告げている1984年11月11日に出版されたラッツィンガー枢機卿の陳述から、実際第三の秘密のうちに予告された諸々の異常な出来事があるということは明らかである。絶対に明らかなことは、第三の秘密が罪深い人類の罪と悪行に対する大懲罰、世界の処罰を扱っているということである。

福者アンナ・マリア・タイギ

 福者アンナ・マリア・タイギ(1837没)は次のように言って、来ようとしている懲罰について書いた。「神は二つの罰をお命じになるでしょう。すなわち、一つは戦争、革命、他の諸悪の形で地上で始まるでしょう。もう一つは天から送られるでしょう。三日三晩続く猛烈な暗闇が全地を覆うでしょう....空気は害毒で満たされるでしょう。それは主として、しかし排他的にではないが、宗教の敵を要求するでしょう....」

信仰の危機

 承認されたマリアの御出現と「信仰の危機」へのラッツィンガー枢機卿の言及から等しく明らかなことは、秘密が教会における信仰の危機を扱っているということである。このように、16年間ファチマの公式の記録保管人であったホアキン・アロンゾ神父は「(第三の秘密の)テキストが教会内部の信仰の危機と司牧者たち自身の怠慢」そして「教会のまさに中枢部における内的な闘争と上層部の重大な司牧的怠慢」「に具体的に言及しているということは完全に信じる根拠のあることである」注7と説明した。同様に、優れたマリア学者であるルネ・ローランタンは5月21日に次のように言っているのが引用された。「私は第三の秘密がまた第二バチカン公会議以来の教会内部の危機と分裂について語ったと信じている。」注8

秘密は伏せられたか?

 今や、なぜ枢機卿が第三の秘密を「ラ・レプブリカ」誌との最近のインタービューの中で実際に次のように説明する点までそれを最小限に評価するそのような程度に軽視することを選んだのか、もはや驚くに当たらない。すなわち、「そこには何も新しい驚きはないであろう。その上重要なことには、私は最後には、秘密がその正確な次元にまで縮小されるだろうと信じる....なぜなら、これらの私的啓示から多くが期待され得るということではないからである。」彼の意図は秘密全体を公表することでは決してなくて、秘密の最も重要な部分を伏せることだったと思われる。聖母の言葉は秘密のバチカンの部分的版から伏せられた。そして彼らは秘密を彼ら自身の解釈に適応させるために、聖母の言葉の存在そのものを隠すことさえ試みている!

 もし第三の秘密の中で明らかにされた異常なことが何もなかったならば、もし本当に「どんな新しい驚きも」含まれていなかったならば、なぜそれが50年以上もの間秘密とされてきたのか、なぜ聖母の言葉が今なお秘密にされているのか、われわれはいぶかしく思う。レーゲンスブルクのルードルフ・グラーベル司教はこう書いた。すなわち、「いわゆる『ファチマの秘密』が明らかにされるのを抑えられたとき、人々はどのような期待をもっても1960年を待たなかった。」秘密が明らかにされなかったことに対して1984年のインタビューにおいてラッツィンガー枢機卿によって与えられた理由は秘密の内容についての彼の最近の所見と同じように曖昧である。「なぜそれはいまだに明らかにされていないのか?」と問われて、枢機卿はこう答えた。「なぜなら、教皇たちの判断に従えば、それは黙示録に由来することに関してキリスト者が知っていなければならないことに何も付け加えないからである....」と。

 ところで本当に、秘密がわれわれが既に知っていることとは異なることを何も言っていないというただその理由だけのために明らかにされなかったのだと、われわれは信じるべきだろうか? 新しいものは何もないのか? それが50年間以上鍵をかけられて保管されて来た理由、それの最も意味深い部分が隠されたままである理由だろうか? 秘密の中に本当に何も新しいこと、異常なことがなかったならば、ラッツィンガー枢機卿はなぜまた(1984年のインタビューの中で)秘密は「扇情的題材の追求だと誤解されることから宗教的啓示を守るために明らかにされてこなかったのだ」と言うのか。ところで、もし秘密の中に異常なことが何もなかったならば、彼は扇情的題材に言及しただろうか? 「ラ・レプブリカ」誌とのインタビューの中でさえ、ラッツィンガー枢機卿はこう言った。「扇情的題材、あるいは異常な事柄のことを思い浮かべないために、私はこれらの事柄を正しい言葉で述べることが重要であると思う....」

 もし閣下が秘密全体をその「歴史的準拠枠」において明らかにしたいならば、聖母が秘密の第三部として子どもたちにうち明けられた言葉の存在そのものを隠すすべての故意に曖昧にするやり方や曖昧な言葉はなぜなのか? この状況は教会における危機のまさにもう一つの徴候、そしてホアキン・アロンゾ神父の言葉で言えば、「教会のまさに中枢部での内的闘争、上層部の重大な司牧的怠慢」ではないか?  ファチマの聖母は人に理解できる仕方で語られた唯一の方であると思われる。それゆえ、ローマ教会のたじろぎ、口ごもる司牧者たちに関して力強い注解を作り上げるのは聖母の言葉である。だから彼らは第三の秘密における聖母の言葉を伏せることを選んだのだ。

土台を掘り崩されたファチマ

 ラッツィンガー枢機卿はさらに、秘密の重要性とファチマのメッセージ一般を、これまで時代を通じてさまざまの信心深い人々が受けてきた多数の幻視、内的語らい、メッセージと何ら異ならない単なる「私的啓示」として扱うことによって、最小限に評価している。次のラッツィンガーの定式に従えば、一般的原理は正しい。「もろもろの御出現の問題にはいかなる信仰の教義も存在しない....もちろん、われわれは諸々の御出現を信仰することはできない。私は繰り返すが、われわれは信仰の教義について話しているのではない。」

 第一に、われわれは信仰の同意を伴って信じる義務を神がわれわれに語られるときに、神の声を信じ、それに従う道徳的な義務と混同してはならない。そのメッセージがそれ自体で信仰の遺産に属するのでないことは確かである。しかし、それが、ラッツィンガー枢機卿自身が指摘されたように、聖書に含まれている事柄を明らかにしているから、われわれはまたそれを単純にしりぞけることはできない。そのメッセージが信仰の遺産に属していないという単なる事実は、われわれがだからそれを自由に拒絶してもよいということを意味しない。というのは、たとえわれわれが信仰の同意をもって信じることを要求されていないとしても、神がファチマでご自分の最も聖なる御母を通じて全人類にお伝えになったメッセージを受け入れ、それに従う道徳的な義務があるということが示され得るからである。

 レーゲンスブルクのルドルフ・グレーバー司教は次のように説明された。

 「ああ、そうです。神の偉大な啓示がキリストと使徒たちをもって終わったということはまったく確かです。しかし、このことは神がもはやどこででも、御自身の民であるわれわれに話されないということを意味しません。神からのあらゆる伝達は何か恐るべきものであり、何か聖なるものです--それが旧約聖書の民に向けられていようと、あるいは読み書きのできないわれわれの時代のひとりの農家の少女に向けられていようと--。」

 「さらに、使徒ペトロは最初の聖霊降臨のときの説教の中で、聖霊がすべての人に注がれ、息子や娘たちが預言し、老人が夢を見、しもべやはしためでさえこの霊を受けると宣言しなかったでしょうか[使徒言行録2:17-18参照=訳者]。そしてもしこれらの事柄が過ぎ去るべきでないとするならば、神の言葉のうちにはいななる確実性があることでしょうか。」

 「私的啓示はたんに最初の聖霊降臨からのこの約束の実現の例にすぎません。そしてまた世の終わりまで私たちと共にいるであろうというキリストの約束の実現、『彼らと契約を行い、彼らのためによき事柄をすることを止めないであろう』という預言的な言葉の実現の例です。」

 「ある高名な神学者はさらに、メッセージの受け手にだけ向けられた個人的な啓示とそのメッセージが人類全体のためのものであると宣言される啓示とを慎重に区別すべきであると指摘しました。前者は平静に無視することができます。しかし、後者は深刻なこととして受け取らなければなりません。そしてファチマはこの後者の部類の啓示に属します。」注9

 グルーナー神父もまたこの点を次のように詳しく述べた。

 「『霊の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。』(1テサ5:19-22)ということは確かなことではないでしょうか。そしてファチマ・メッセージは教皇ヨハネ・パウロ2世を含む5人の歴代の教皇たちによって吟味され、良いものであると認められなかったでしょうか。.....それは良いものと認められたのですから、私たちは皆それにしっかりとしがみつかなければならないのではないでしょうか。」

 教皇パウロ6世はその回勅「大いなるしるし」(Signum Magnum)の中で黙示録第12章における「太陽をまとった女」がファチマの聖母であるということを明らかに示唆しておられる。1917年10月13日に起こった太陽の大きな奇蹟はひとつの明らかに黙示録的な出来事である。それゆえ、ジョゼフ・ド・サント・マリー神父S.T.D.は「ファチマは聖書の預言の成就である」と説明したのである。教皇は2000年5月13日に行われた[ジャシンタとフランシスコ=ファチマの幻視者の]列聖式の説教の中で同じことを指摘された。その中で教皇はこう宣言された。「神の御計画に従って、『太陽をまとった女』(黙示録12:1)が御父の特権を受けた子どもたちを訪れるためにこの地上に天から下って来られました。」奇蹟は単に目で見える形で表れたものであるだけではない。膝首までの深さの泥とその日ファチマにいた大群衆の雨ですっかりずぶ濡れになった衣服は短時間の、しかし壮大な太陽の現象の後に乾いてしまった。そのようなとてつもないエネルギーの放出は明らかに奇跡的である。そしてそのようなものとしてそれはメッセージとそれが命じていることが全能の神御自身から来ているということの紛れもない証明である。このように、われわれは神がその御母を通じてファチマで語られたということの道徳的確実性を持っているのであり、そしてそれゆえにわれわれはそれを信じ、それに従う道徳的義務を負っているのである。

「あなたは自分自身を地獄に落とした」

 祝せられたおとめが聖ジャンヌ・ダルクに語られたとき、聖女は信仰の同意をもって信じる義務を負っていなかった。しかし彼女が死刑から自分自身を救うために天からのメッセージの神的起源を否定したとき、聖母が彼女に御出現になって、次のように言われた。「あなたは自分自身を地獄に落とした。」それで聖女はメッセージを否認したことを取り消した。そして火刑に処せられた。裁判のときに従順について問われたとき、聖ジャンヌは、もし教皇が彼女にある命令を与え、そして天の声が反対の命令を与えたならば、自分は教皇を無視して、天からの声に従うでしょうと宣言した。(このことは聖ジャンヌ・ダルクの裁判記録の中に見ることができる。)これは列聖された一聖人の例である。彼女の列聖は、神が語られたということが道徳的確実性をもって決定されたときには、神は絶対的に従われなければならないという誤り得ない確実性をわれわれに与えるのである。

 それゆえ、たとえファチマが信仰の教義ではないとしても、われわれはなおメッセージを信じ、聖母の諸要求を通じて神がお命じになったことに従う道徳的義務を負っているのである。それゆえ、教皇は1982年5月13日ファチマにおいて、ファチマのメッセージは全人類に向けられている、そして『ファチマのメッセージは全教会に義務を課している』と宣言されたのである。

ファチマのメッセージはなお緊急のものである

 「ファチマを疑う時は過ぎた」と述べられたのは教皇ピオ12世であった。聖母は、もし彼女の要求が忠実に遂行されないならば、来るべき懲罰においては、全民族が絶滅させられるでしょう、「さまざまの民族が絶滅させられるでしょう」と警告しておられます。メッセージは、ソダノ枢機卿の言葉によれば、「ファチマの秘密の第三の部分が言及している出来事は今や過去の部分であると思われる」と説明して、その秘密をひとつの歴史的枠組みの中に置く試みによっては今のところまだ深刻にゆがめられてはいない。秘密の最初の二つの部分のまさにテキストと文脈そのものが「秘密」の中で予告されていることがまだ実現されなければならないことを明らかにしている。

 「もし彼らが私の要求に注意を払って聞くならば、ロシアは回心し、世界は平和になるでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会に対する迫害を煽りながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しみ、そしてさまざまの民族が絶滅させられるでしょう。最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。

 ロシアが少なくとも、おそらく、西欧の退廃的な諸国家と同じように堕落し、道徳的に破産しているのではないという単なる事実は決してロシアの回心の証拠ではない。われわれが言えることは次のことであろう。すなわち、第三の秘密の出来事が過去に属するのは、ただ聖母の要求が成就され、ロシアが教皇と司教たちによって荘厳に奉献され、それからロシアの回心が起こるとき--そして次に世界が神を否定し、神に対して反逆することをやめるとき、--世界の諸民族がカトリック信仰を信奉し、公的にも私的にも神の律法に従うときである、と。このことが起こったならば、そのとき地上に平和が訪れるであろう。そして世界の諸民族が「神の力強い御手のもとに」(1ペト5:6)服従し、交わりの絆、すなわち、信仰の一致、礼拝の一致そして教会の統治の一致によって結びつけられるときにのみ存在し得る「秩序の静けさ」(聖アウグスティヌス)があるだろう。--そしてそのとき、世界には「一つの群れと一人の羊飼い」(unus grex, unus pastor Jn.10:16)があるだろう。このことが起こったとき--そのときであって、それ以前ではない--

「最後に私の汚れなき御心が勝利するでしょう」

という聖母の言葉が成就するだろう。そして「すべてのひとが一つになるように」(ut omnes unum sint Jn. 17:21)という第四の福音書において表明された神の御意志が成就するであろう。

ソダノ枢機卿が教皇の名において、「信徒がファチマの聖母のメッセージをもっとよく受けることができるために」と述べられたように、教皇は第三の秘密の公開を命じられた。それゆえに、教皇の部下たちにとって秘密の残り、聖母の言葉を含んでいる秘密の部分をもう公開する時--問題をあいまいにすることを直ちにやめ、思いとどまる時、そして素早い、そして謙遜な従順さで教皇の命令を遂行し、秘密全体を公開する時が来ているのである。

 ルネ・ローランタン神父はファチマのメッセージがもっとよく研究され理解されるために第三の秘密の公開が不可欠であると考えている。注10 「信徒がファチマの聖母のメッセージをもっとよく受け取ることができるように」、秘密全体が明らかにされる時がもう来ている。そうすれば、世界中のカトリック神学者や学者たちによってファチマのメッセージの真面目な研究と討論が最終的に起こり得るのである。

脚注

1) Frere Michel de la Sante Trinite, The Whole Truth about Fatima , Vol. III(Immaculate Heart Publications, Ft. Erie, 1990)p.710

2)Andrew M. Cesanek, "Are There Two Original Manuscripts on the Third Secret?", Fatima Crusader, Summer 2000, p.3
3)Pope John Paul II, Meditation from the Policlinico Gemelli to the Italian Bishops, 13, May 1994
4)13-VII-1917

5)Frere Michel de la Sante Trinite, The Whole Truth about Fatima , Vol. II(Immaculate Heart Publications, Ft. Erie, 1989)p.555
6)Father Paul Kramer, "Update on the Plot to silence Our Lady", Fatima Crusader, Feb.-Apr., 1986(#19)
7)Frere Michel de la Sante Trinite, The Whole Truth about Fatima , Vol. II(Immaculate Heart Publications, Ft. Erie, 1989)p.704
8)"Third Secret Raises More Questions", New York Times, May 21, 2000
9)Bishop Rudolf Graber, "Why this Pall of Silence Regarding Fatima", Fatima Crusader, Feb.-Apr., 1986(#19)

10)cf. Publico, May 14, 2000, p. 5

終わり

2001/12/01 三上 茂 試訳

26 June 2000:Third Secret Revealed But Not All Of It!

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作成日:2001/12/01

最終更新日:2004/03/23

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