ファチマの聖母マリア

平和かそれとも戦争か、それはあなたたちにかかっている

The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003より

ニコラウス・グルーナー神父 B.Comm., S.T.L.,S.T.D.(Cand.)

 平和への唯一の道はファチマの要求に対する従順によってです。その要求とは:教皇と世界のカトリック司教すべてが、同時に、マリアの汚れなき御心へロシアを特殊的に奉献することです。

 悪魔はこのことが地上における彼の支配の終焉であることを知っており、彼の人間の奉仕者を通じて、またロシアの奉献は為されたということについての嘘を広めることへと欺かれている善意の人々の騙され易さを通じてそれを止めることができるあらゆることをしています。

 これらの嘘に答えるために、私たちは聖母自身の言葉を用いながら、聖母が世界における真の平和を約束なさったファチマの緊急の要求がまだ果たされてこなかったということを、ずっと論証してきました。

 ファチマ・センターでの私たちの使命は、真実を公衆から隠すためにファチマの敵によって用いられる誤りや戦略の仮面をはがしてきましたし、今もはがし続けています。公衆はただこのロシアの奉献を通じてのみ真の世界平和が訪れるということに気づく必要があります。広く公表され、信じられているこの真実は最終的にファチマの聖母を沈黙させようとする最後の試みを終わりにさせるでしょう。『悪魔の最後の戦い』という書物において論証されているように、その試みはバチカンの最高の部局から出てきています。バチカンそのものからファチマを過去へと葬り去り、あなたたちにファチマの緊急の警告は終わったと考えるように励まそうとする虚偽と歪曲が出て来ています。

真理はあなたたちを自由にするであろう

 私たちは、神が7万人の目撃者たちの前で太陽の大奇跡でもってファチマのメッセージを誤りのない仕方で信頼できるものと保証なさったこと、そしてそれゆえに、それが真理であることを知っています。私たちは、ファチマのメッセージから、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害という懲罰が起こらないようにするためには、神が力説なさっている二つの特殊的な要求があるということを知っています。もし私たちが間に合うように答えないならば、これらの懲罰はすべての国々の絶滅と神なき人々への世界の奴隷化を含みます。

 ここに1917年7月13日の秘密の第二部から取られた聖母の実際の言葉があります:。

 「あなたたちは哀れな罪人たちの霊魂が行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます。もし私があなたたちに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、そして平和が訪れるでしょう。戦争は終わりに近づいています。しかし、もし人々が神に背くことを止めないならば、もっと悪い戦争がピオ十一世の在位の間に始まるでしょう。あなたたちが未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが、戦争、飢饉、教会の迫害と教皇の迫害によって、世界をその罪のために罰しようとなさっている、神によってあなたたちに与えられる大きなしるしであると知りなさい。

 このことが起こらないようにするために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初金曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が心に留められるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和が訪れるでしょう。もしそうでないならば、ロシアは諸々の戦争と教会の迫害を引き起こしながら、世界中にその誤謬を広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しむでしょう。さまざまの国が絶滅させられるでしょう。最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

 神がなぜこれら二つの要求を力説なさるかという理由は、神は世界の中にマリアの汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられるからであり、これら二つの要求が教会によって満たされるときにはこの信心を確立なさるからです。

 ある人々は、単にこれらの要求を満たすことによって、全人類にとって平和のうちに暮らすなどということは一つの単純化のし過ぎであると考えます。彼らは、教皇と4500人の司教がある一日、同じ時間に、ロシアの国と人々とをマリアの汚れなき御心に奉献する一つの祈りを宣言し、一方、同時に、初金曜日にマリアの汚れなき御心に対する償いの聖体拝領の信心を促進することを約束する祈りを宣言するというただその理由で、私たちは確かに世界平和を手にすることはないであろうと心の中で言います。

 しかしながら、世界平和は、もしこれら二つの条件が満たされるならば、まさに神が約束なさるところのものなのです。そして私たちはまたイエズスとマリアによって、もしこれらの要求が早晩果たされないならば、従わないために恐るべき懲罰が確かに下されると告げられているのです。聖母自身、こう言われました。「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献し、ロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」しかしもしそのことが早晩なされないならば、そのとき、「さまざまの国が絶滅させられるでしょう。」

最も厳粛な要求

 1929年6月13日に、スペインのトゥイで聖母はすべての歴史の始め以来起こったすべてのマリア御出現の中でも最も荘厳な御出現において、いとも聖なる三位一体が現前されるなかで、御出現になりました。父なる神、子なる神そして聖霊なる神はこの荘厳な幻視の中で目に見える形で区別され、姿をお現しになりました。

 聖母は十字架にかかられた御子の傍に立っておられました。そして父なる神が子なる神の頭上に御出現になりました。そして聖霊が御父と御子の間に御出現になりました。神の御名において荘厳に語りながら、そしていとも聖なる三位一体の可視的現前の中で、こう言われたのは聖母でした:「神が教皇に、彼と一致して、そして同じ時間に、世界の全司教が、この手段によってロシアを救うと約束しながら、私の汚れなき御心にロシアを奉献するように、させ、また命令することをお求めになる時が来ました...」

 明らかに、この奉献という荘厳な行為は、それによってロシアが回心する道具、手段です。そして世界が平和を手にするのはこの回心を通じてです。

 シスター・ルチアは、当時の教皇、ピオ十一世がロシアを奉献するよう7年間試みた後、われらの主に、奉献のその行為なしに、なぜ主がロシアを回心させられないのかと尋ねました。

 イエズスはこうお答えになりました:「なぜなら、私はその奉献の行為をマリアの汚れなき御心の勝利として私の教会が認めることを望んでいるからだ。その結果、教会は後にこの汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の傍に置くように、この信心を広めるであろう。」

 ロシアの奉献のためにわれらの主と聖母によって定められた条件が果たされなかったということは明らかです。ロシアを特殊的に奉献するのは教皇と世界の全カトリック司教たちが一緒にでなければなりません。1982年、1984年、1991年そして2000年の教皇ヨハネ・パウロ二世の行為は「ロシア」をそれらの奉献の特殊的な対象には決してしませんでした。

 教皇パウロ六世は、1964年に、マリアの汚れなき御心への世界の荘厳な奉献において彼と共に出席していた世界の全司教を持っていた唯一の教皇ですが、しかし、司教たちはその行為に参加しませんでした。また、教皇は「ロシア」の名を挙げませんでした。

 教皇ピオ十二世は1942年に、10月31日と12月8日に2回奉献を試みましたが、どちらも「ロシア」には言及しませんでした。

 教皇ピオ十二世は1952年7月7日にもう一つの奉献の試みを行いました。この時には教皇は「ロシア」に言及しました。しかしそれは、要求されたように、世界のすべてのカトリック司教と一緒にではありませんでした。

 これは私たちを1984年3月25日へと連れて行きます。そこでもうひとつ別の奉献の試みが教皇ヨハネ・パウロ二世によってなされました。ふたたび、「ロシア」の国は名指されませんでした。事実、ある枢機卿はInside The Vatican(2000年11月号)という雑誌に対して与えたある声明の中で、彼が教皇にロシアに言及しないように告げたということを認めました。

 もし誰かが、この1984年の奉献の試みがファチマの聖母の明白で特殊的な要求を満たしたのだと暗示するならば、そうではないということはまったく明らかであり、自明的なことです。

 聖母が要求なさった奉献は果たされませんでした。なぜなら、聖母が特に指定なさった二つの条件のどちらか、あるいは両方が現在までになされたすべての奉献の試みから意図的に除外されてきたからです。

[1]「ロシアを奉献しなさい」

 教皇は、上述したように、直接的にもあるいは間接的にも、ロシアに言及しませんでした。もし教皇がその奉献の行為において彼がそうする意図があるということを明らかにしなかったのであれば、どのようにして彼はロシアという特殊的な国を荘厳にそして公的に奉献する(聖なる目的を除外して)ことができたでしょうか?

[2]「世界のすべてのカトリック司教と一致して」

 奉献は一つの荘厳で公的な行為でなければならなかったでしょう。さもなければ、司教たちは同じ時にその行為において教皇に加わることができなかったでしょう。1984年3月25日に生きていた誰にとっても、教皇と一緒に世界のすべての司教によるそのような一つの公的で荘厳な行為が起こらなかったということは明らかです。事実、そのことは一度も行われませんでした。当時生きていた4000人の司教たちがそうしなかっただけではなく、100人の司教たちでさえ、教皇に加わらなかったようです。なぜなら、教皇は単に自分に加わるように彼らを招いただけであって、それが義務的であるとは告げなかったからです。また、司教たちにはこの行為の意味あるいはその緊急性は説明もされませんでした。

 歴史は、教皇と司教たちがそれをしなかったという事実を確証しています。教皇ヨハネ・パウロ二世自身、同じ日に、聖ペトロ大聖堂前の広場において25万人の巡礼者を前にして、聖母が要求なさったようには奉献をしなかったということを公に認めました。そして教皇は1984年3月25日の午後、聖ペトロ大聖堂内に集まった1万人の人々の前で、ふたたび、まさにその点を繰り返しました。このことはまた1984年3月26日のバチカンの公式新聞オッセルヴァトーレ・ロマーノ L'Osservatore Romanoおよびイタリア司教団の新聞にも公表されました。注1

 さらに、その奉献がなされなかったということは私たちの論考、書物、テレビ番組、ラジオ番組そしてウエッブ・サイトにおいて繰り返し十分に論証されてきました。もし、何らかの聡明で筋の通った事実に基づく回答が19年後の今日までにあったならば、教皇に属するいわゆる賢人たちすべて、そして反ファチマ党の人々は私たちの論証と証拠書類提出に答えることができたでしょう。

 そのすべてに対して、単に沈黙と、論争それ自体を扱うことなく真理を指摘した人々の名声に泥を塗ることがありました。しかしながら、もしそれが誰かにとって明白でないならば、もしある人がその奉献がなされなかったということを疑うならば、そのとき、単純にこう尋ねましょう:もしこの奉献が為されたのならば、聖母が約束なさったロシアの回心はどこにあるのですか? もしこの奉献がなされたのであれば、人類に約束された平和の時期はどこにあるのですか?

 聖母がそれについて私たちに告げに来られたロシアの回心はもちろん一つの宗教的な回心です。聖母は御自分の御子が十字架の上で死なれることを認められました。そして人類の救いという目的のためにそこに悲しみに満ちて立たれました。その目的は、神なき共産主義体制を一つの政治的変化のためにもう一つの別の神なき体制へと変えることではありませんでした。

 聖母はロシアの回心について話されました。聖母は宗教的な意味でのロシアの回心のことを言っておられたのです。共産主義、無神論から離れて、そしてロシア正教という誤った宗教から離れてイエズス・キリストによって建てられた唯一の真の教会、すなわちカトリック教会への、ロシアの回心です。

 この回心がカトリック教会のビザンチン典礼において現わされるということはまったく考えられることです。しかし、それはカトリック教会であって、ロシア正教の何らかの形ではないでしょう。ロシアの回心は1984年3月25日の奉献以来の19年間に起こりませんでした。

 首都メキシコ・シティの外側のグアダルーペでのその奇跡的な御出現によって、祝せられたおとめマリアはメキシコのすべての人々、すなわち、当時生きていた900万人のメキシコ人を、1531年から9年の間に回心させられました。

 聖母は1531年から1540年の間に900万人の人々を回心させることが出来ましたし、また確かに回心させられました。たしかに、聖母は、もしご自分の条件が果たされるならば、同じことを今日ロシアにおいてすることがお出来になるでしょう。しかし、私たちは19年後の今日でさえ、カトリック信仰へと回心した900万人のロシア人を手にしていません。100万人の回心さえないのです。今日ロシアには共産主義革命が勃発した1917年当時よりも少数のカトリック教徒しかいません。今日まで全ロシアには200万人のカトリック教徒さえいないのです。カトリック教徒のこの数の少なさはロシアの最も楽天的なカトリック教徒によってさえ認められています。

 ロシアの回心は正教への回心さえ起こりませんでした。正教のロシア人であると主張するであろう人々の96%は、行くとしても、定期的には教会に行っていません。アレクセイ大主教は悪魔主義がロシアにおいて増加していると言っています。確かに、そのような現象はロシアの回心を表すものではありません。

 聖母は悪魔の頭を砕くという神から与えられた役割を持っておられる方です。ロシアにおける悪魔主義の増加はマリアの汚れなき御心の勝利を表すものではありません。決してそうではありません。

 宗教的回心なしにも道徳的回心を持つことはできると考えるほどに世俗化されている人々にとって、1984年以来のロシアにおける変化は、ロシアが回心している(coverting)のではなくて、邪道に陥っている(perverting)ということ、ロシアにおける離婚が増加しているということ、1989年に68歳であったロシア人男性の平均年齢が二つの主要死亡原因、すなわち、アルコール中毒と暴力のために、現在60歳にまで低下しているということを示しています。

 換言すれば、平均的なロシア人男性は、1990年以来、アルコールの飲み過ぎで自殺しているか、あるいは暴力行為によって他の市民から殺されているか、そのいずれかの理由のために寿命が8年短くなっているのです。誰の基準によっても、ロシアにおいて起こっているこれらの事柄は回心を表しているのではなくて、むしろ退歩、悪化を表しているのです。

 世界における児童ポルノの主要な出所は事実ロシアです。なぜなら、ロシア人は、ロシアの当局者たちによれば世界の中で最も寛大な法律を持っているからです。そしてこの犯罪は、ロシアが持っている諸々の法律において人々が有罪と判決され得るとしても、有罪判決を受けたときにさえ、罰せられることはほとんどないのです。

 それゆえ、簡単に言えば、もし奉献がなされたのであれば、ファチマの聖母によって私たちに約束されたロシアの回心はどこにあるのでしょうか?

 私たちに約束された平和はどこにあるのでしょうか?

 もしロシアが奉献されれば私たちが荘厳に約束されたような人類に与えられる平和はありません。この平和の欠如はさしあたり、人類の全歴史を通じて遂行されている世界最大の破壊的な戦争の5千万人の犠牲者を計算に入れていません。すなわち、それは胎児に対する戦争です。毎年、5千万の犠牲者が死んでいます。すなわち、5千万の罪のない赤ん坊がこの仮借ない戦争で死んでいます。そして中絶はいまなお、世界中で、そして特にロシアで進行しています。ロシアでは子どもを持つことができる年齢の女性一人が生涯に平均12回の中絶をすると見積もられています。

 胎児に対する戦争を別にしても、1984年以来世界のさまざまな地域で、アフリカ、例えばルワンダにおける集団虐殺戦争を含む、30もの戦争がありました。1984年以来起こった30以上のこれらの戦争において1千万人もの犠牲者が暴力的な死を迎えました。そしていくつかの戦争は今日もなお続いています。私たちは、人類が平和の一時期を享受していると言うことはほとんどできません。

 そして私たちは皆、戦闘行為において毎日死んでいる聖地のパレスチナ人たちの窮状は言うに及ばず、ニューヨーク市におけるテロ行為ならびにアフガニスタンにおける戦争、中東における戦争の脅威を意識しています。それゆえ、平和はありません。回心はありません。そしてそれは奉献がないからです。

 奉献は1984年になされたと主張している、モンシニョール・ベルトーネのようなバチカンにおける高い地位にある人々やメディアにいる人々は私たちに虚偽を告げているのです。もしあなたがその点 に関してモンシニョール・ベルトーネを信じるならば、あなたはまた、「ファチマの『秘密』の第三部を公開するという教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の決定は権力と悪に対する悲劇的な人間の欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる...」という彼のもう一つの書かれ、公表された虚偽をも信じるのです。

 あなたはたちたしかにそのようなはなはだしい欺瞞を信じるだまされやすい人ではありません。しかし、それはモンシニョール・ベルトーネがあなたたちに信じさせようと望んでいることです。彼は明らかに、汚れなき御心の勝利はいま、ここにあり、そして、誰もが私たちはそのような平和の一時期には生きていないことを知っているという事実にもかかわらず、平和の一時期が人類に与えられたとあなたたちに告げようとしているのです。

事実に対してはいかなる議論も存在しない

 一人のバチカンの高官の宣言でさえ事実を変えることはできません。事実は、ロシアの奉献は行われなかったということです。事実は、バチカンの高い位の中に、それが行われたということをあなたたちに信じさせたい人々がいるということです。

 この虚偽はあなたたちに告げられている多くの嘘よりも悪いものです。なぜなら、それは、全人類に平和をもたらし、数百万の霊魂に救いをもたらすであろう奉献についてのこの真実に私たちが反応することの当然の結果として生じる奉献についての真実だからです。そのことが、遅すぎる前に真実が知られるということがなぜそのように重大で、必要で、緊急であるかということの理由です。

 この問題の真実をあなた自身とあなたの隣人たち、あなたの友人たち、同様にまた教会に知らせる最善の方法は『悪魔の最後の戦い』という書物に彼らの注意を向けることです。

 あなたがする必要のあるまず第一のことはあなた自身それを読むことです。

 第二のことはこの真実が広く知られるように祈ることです。

 第三のことは他の数千人の人々の手にこの書物をもたらすためにあなたの役割を果たすことです。もしあなたが、少なくともそれをあなた自身5人あるいは10人の人にもたらし、彼らに読んでもらうならば、そして彼らがそれを読んだ後に、各々の人に5あるいは10のコピーを5人あるいは10人の人々に与えるように励まし、読んでもらうように頼むことです。

 その真実を知らせることはあなたたちにかかっています。その真実が広く知られるときにだけ、諸々の誤謬とファチマの聖母に反対するキャンペーンは止むでしょう。

 最後に、そのとき、奉献がなされるでしょう。それによって私たちは悪魔の支配から解放されます。そして世界は平和を手にするでしょう。

 脚注:

(1)The Fatima Crusader(www.fatima.orgを見よ)はすでに広範囲にわたって次のことを説明してきました:バチカン自身の新聞L'Osservatore Romanoは教皇の意見、彼の準備されたテキストにはなかったアドリブを公表しました。それは、教皇が世界をマリアの汚れなき御心にすでに奉献した後でファチマの聖母にこう言ったということを明らかに指摘しました。「特に、その奉献と委託をあなたが私たちから待っておられるそれらの人々を照らしてください。」しかし、ファチマの聖母はただロシアの奉献だけを求められました。このテキストはThe Fatima Crusaderの中で三回も写真によって再現されました。このすべての証拠に対して、ファチマの聖母への信心を公言するいくつかの出版社を含む反ファチマ出版社はただ完全な沈黙によってのみ答えています。彼らは奉献はなされたという自分たちのテーゼを維持することができないこと、そして違った仕方で言う者は誰でも教皇に反するということを知っているので、この問題に敢えて関わりませんでした。

 Avvenireにおいて、1984年3月25日に報道されたように、教皇は、ファチマの聖母像の前で世界を奉献した後に、自分はロシアの奉献に対する聖母の要求を満たさなかったことを知っているとふたたび明白に指摘しました。

2003/10/28 三上 茂試訳

Peace or War It's Up to You!へ

マリア様のページへ

トップページへ

作成日:2003/10/28

最終更新日:2005/03/19

inserted by FC2 system