The Fatima Crusader, Isuue 77, Summer 2004, p. 8
ニコラス・グルーナー神父、S.T.L., S.T.D.(Cand.)
近代主義に反対する誓願を立て、ピオ十二世が教皇であった時代に勉学し、ポルトガルのようなカトリックの国において成長した一人のカトリック司祭が今や--50年後に--異教的な偶像、異教的な神々の礼拝を促進する大胆さを持っているということは信じられないことである。にもかかわらず、不忠実のこの行為はファチマ聖堂主任司祭モンシニョール・ルチアーノ・ゲッラが、2004年5月5日にファチマ聖堂においてヒンドゥー教の儀式を許可し、奨励したときに、まさに為したことである。
ヒンドゥー教は諸々の偶像を礼拝する宗教である。おそらくあなたたちはインドあるいは他の異教の諸国には一度も行かれたことはないであろう。かつてインドにいたとき、私はタクシーに乗った。そのタクシーの運転手は自分の車のダッシュボードの上に一つの異教の偶像を取り付けていた。この彫刻された像は聖人あるいは家族の誰かを表しているのではなく、偽りの神を表していた。私は運転手に尋ねた。「あなたはこれが神である、あなたが礼拝するある種の強力な像、あなたが称賛し、あなた自身やあなたの家族よりももっと大切だと考える像であると信じているのですか。あなたはこの小さな土くれの一片が神であると信じているのですか?」
そのヒンドゥー教徒の運転手は「その通りだ」と言った。
われらの主は旧約聖書の中で一片の木、あるいは一片の粘土、あるいは黄金の像を、それが彼らの「神」を表すもの、あるいは何か聖なるものを表すものではなくて、それが「聖なる神それ自体」であると信じて、礼拝する人々を厳しく咎められた。
にもかかわらずゲッラ主任司祭はそのような異教的な礼拝をファチマで許した。ほとんど50年の司祭職の後、ファチマで数百万のカトリック教徒たちの信心を見、シスター・ルチアと話し、偉大な太陽の奇跡の証人たちと話す特権を持った後に、これは、ゲッラ主任司祭が零落することを自らに許した非カトリック的な状態である。
彼が受けたすべての恵み、すべての機会、すべての訓練を身に帯びている知的な人物がそのように無信仰、そしてまさに、そのゆおうに愚かしくさえあり得るということを信じることもまた困難である。しかし、それは一つの事実である。
ゲッラ主任司祭の盲目さと恩寵からの堕落がわれわれ皆のための一つの教訓でなければならない。
かつてある恐ろしい犯罪のゆえに処刑されるべく絞首台に導かれた一人の犯罪者を見た聖フィリッポ・ネリの賢明な、謙遜な例を思い起こそう。聖フィリッポ・ネリは実に次のように自らに言ったのである。「もし神の恩寵がなければ、わたしはあそこに行く」と。
われわれは各々恐れなければならない。われわれは各々、ちょうどゲッラ主任司祭が、聖母が6回の異なった時にファチマにおいて御出現になったまさにその場所で、カトリックの祭壇でのこれらのヒンドゥー教徒たちの出席と礼拝の儀式を招待し、歓迎しそして承認することによって、神の恩寵を見下し、神御自身を見下したように、神の恩寵がなければ、われわれも同じことをなし得るということを理解しなければならない。
そしてゲッラ主任司祭にとってなおもっと悪いことに、彼は単にわれわれのカトリックの聖域をヒンドゥー教徒に貸し出すことを認可しただけではない。彼はまた彼のやり方の最も重大な誤謬、彼がその背教のゆえに地獄に行く危険に陥っているということ、を彼に指摘しようとした人々を攻撃している。ゲッラ主任司祭は75歳を越えている。そしておそらく彼が、悪魔どもの礼拝、諸々の偶像の異教的礼拝をひどく嫌われる正しい審判者、われらの主イエズス・キリストに会いに行く前にそれほど多くの時間は残されていないであろう。人は死に近づいている人間がそのようなことを決してしないと考えるであろう。にもかかわらず、霊的盲目で打たれた一人の人間--司祭であれ、あるいは平信徒であれ--はそのようなことをしようとする。しかし、聖フィリッポ・ネリが自らに言い聞かせたように、われわれもまたこう言うことができるであろう。「神の恩寵がなければ、そこへ私は行く」と。
それゆえ、まず何よりもわれわれ自身のために、われわれが自分たち自身自己足的である、われわれはわれわれ自身の力によってそのようなことを決してしないだろう、と考えないために謙遜さを持つように祈ろう。神は、われわれ皆に彼の悪い例に倣わないように一つの教訓としてゲッラ主任司祭の盲目さが役立つことを許された。
歴史的重要性
同時に、われわれにとってこの歴史的出来事を熟考することもまた重要である。この罪の重大さはいくら強調しても強調しすぎることはない。
まず第一に、それは神の第一戒「汝、わが前に異教の神々を持つべからず」に反する。しかし、ゲッラ主任司祭はこれらの異教の神々をカトリック聖堂と祭壇に置くことを承認しているのである!
神は、旧約聖書において、唯一の真なる神との契約をした人々による偽りの神々の礼拝を厳しくそして公然と罰された。神にのみ仕えることを神と同意した古い契約の民、そして後に偽りの神々の礼拝に従事した人々を[罰された]。
ピンハスの有名な事例がある(荒野の書25:6-13)。ピンハスは偽りの神を礼拝している間に、二人の人--その一人はイスラエル人であった--を殺した。神は偽りの神の礼拝に参加していたイスラエル人を殺したことでピンハスに満足された。この偽りの礼拝のためにすべての人々の上に疫病が襲いかかっていた。しかしピンハスが偽りの礼拝をしているその男を殺したとき、その疫病は止んだ。
聖書はわれわれに、ピンハスの記憶が偶像崇拝の促進者や実行者を処刑するこの行為のために時の終わりまで祝福のうちに保たれるということを、告げている。
われわれが誤解されないために、われわれは偽りの神々を礼拝する人々に対する暴力を主張しているのではないということが言われなければならない。われわれはただ、この物語が、唯一の真の神がどのようにそのような異教的な礼拝を<ひどく嫌っておられるかを例示しているがゆえに、それを告げているにすぎない。
聖書の中には他の多くの事例がある。教会史でさえ背教徒ユリアヌスの物語を持っている。ユリアヌスはローマ帝国がカトリック信仰に回心した後にローマ帝国の支配者であった。ユリアヌスは背教した。そして国家の権力をもって、偽りの神々、諸偶像の礼拝を促進した。人々は異教の神々を礼拝するように強制された。ユリアヌスは神御自身によって打たれて死んだ。そして彼の最後の言葉はこうであった。「おお、ナザレ人よ、汝は勝利した。」
一世紀の殉教者たちはただ一つの理由のために殉教した。すなわち、彼らは異教徒の神々を礼拝することを拒否したのだ。ローマの殉教は流刑、拷問、手足切断、投獄そして処刑を一つの理由、そしてただ一つの理由--彼らが異教の偶像を礼拝することを拒否したがゆえに--のために苦しんだ数千のカトリック聖人の例を持っている。
聖人たち、宣教師たちは、教会史を通じて、異教徒たちを彼らの偽りの宗教の闇から救い出すために言うに言われぬ苦しみを受け残酷な死を蒙った。例えば、われわれ自身の北アメリカの殉教者聖アイザック・ジョーグスは彼の異教の捕獲者たちが彼の宣教の努力を意気阻喪させ、そして止めさせるためにいつも用いていた拷問の一部として彼の人差し指を両方とも切断させた。にもかかわらず、かれが彼らを地獄から救おうと欲したがゆえに、彼は--彼が彼らから逃れたけれども--彼らのところへ戻ることに固執した。彼は福音を説教している間に--異教主義に反対して説教している間に--殉教した。ところで、ゲッラ主任司祭やファチマ司教のようないわゆる「カトリックの」指導者たちはこれらの異教の諸宗教や儀式をカトリック教会の中へと歓迎している。
異教の神々の礼拝がただカトリック教徒にのみ禁止されているのではないということに注目すべきである。そうではない。天主の第一戒は人類のすべてに偽りの神々を礼拝することを禁止しているのである。ヒンドゥー教徒はこのようにして、たとえ彼らがどのようによい意向を持っていようとも、第一戒の重大な違反のうちに彼らの生活を送っているのである。
前例のないこと!
われわれは前例のない歴史の一時期に生きている。以前には決して--われわれの時代以前には決して--カトリック当局者が異教徒たちを彼らの偽りの神々を礼拝するためにカトリック教会や聖堂へ熟慮の上で招いたことはなかった。われわれの時代以前の教会史の中で最悪の信仰の危機であった四世紀のアーリア派の異端の間でさえ、十六世紀におけるプロテスタント革命の間でさえ、キリスト教会が異教的な偶像礼拝のために引き渡されたことはなかった。この荒廃の忌むべきものの悲しむべき証人であることはカトリック教徒にとってわれわれの時代のために取って置かれている。
聖書は、世界的にカトリック教徒を迫害するであろう罪の人、彼の許しなしに全世界において誰にでも売り買いすることを許さない、反キリスト、すべての聖なる事柄を超えて、神御自身をさえ超えて、自らを高くする反キリスト、の到来について告げている。彼は滅びの子と呼ばれている。彼は人類の全歴史において存在する最悪の人間--スターリン、ヒットラー、レーニン、よりももっと悪い、現在生きている、あるいは過去に生きた、あなたの考え得るどの人間よりももっと悪い--である。
そして反キリストの到来に先行するのが背教である。
反キリストは聖なる場所における異教の礼拝、荒廃させる忌むべきもの、を打ち建てるであろう。すなわち、それは悪魔自身の礼拝である。明らかにこの荒廃させる忌むべきものに先行するのは偶像崇拝の確立である。そしてこのことは聖なる場所において為されるのである。
われわれはこのようにして最も恐るべき歴史的瞬間にいるのである。われわれはわれわれ自身の目の前でこの背教を見始めている。われわれはそれがゲッラ主任司祭のようなカトリックの司祭たちによって、ファチマ司教のようなカトリックの司教たちによって、そしてポルトガルの他の司教たちの沈黙そして/あるいは黙認によって促進されているのを見ているのである。それはまた弱い、悪いあるいは誤り導かれた司教たち、大司教たち、そして枢機卿たちの沈黙、黙認そして促進のゆえに、バチカンそのものの高官たちによって、起こり続けているのである。
5月5日に、それが起こった同じ日に、ポルトガル国民に放送されたこの大きなスキャンダル以来2ヶ月以上が過ぎ去った。にもかかわらず、今日まで教皇も、枢機卿たちも、司教たちも、司祭たちもそれに反対して声を上げてこなかった。
彼らはゲッラを免職させなかった。ファチマの司教を免職させなかった。公的な償いをせず、神と祝せられたおとめマリアに対する大きな侮辱のために信徒に祈りと罪の贖いを求めなかった。
偉大なフレデリック・フェイバー神父は言った。「異端に対する憎しみのないところには聖なることは存在しない」と。しかし、ファチマにおいて起こったことは異端よりももっと悪い。それは背教である。そして教会の最高の階級にいる人々はそれを妨げるために何もしないか、それとも実際に彼ら自身それを奨励しているかのいずれかである。彼らは異端への憎しみを持たない。彼らは背教への憎しみを持たない。
このことは教会が深刻な危機の中にあるということを示している。ファチマにおけるこのスキャンダル、そしてそれが教会における最高の役職によって許されているという事実は、チアッピ枢機卿がわれわれに告げたことの真理を証明している。彼はこう言った。「第三の秘密において、他のこともいろいろあるが、教会における大きな背教が頂点において始まるであろうということが予告されている。」ある人が背教と言う時、彼は聖書の中で聖霊によって予告された背教に言及しているのである。
われわれはこの背教が今やわれわれの上にあるということを知っている:
われわれはわれわれの研究から、第三の秘密は一つの預言であるということを知っている。われわれはこのことを1955年のオッタヴィアーニ枢機卿から、そして1984年のラッツィンガー枢機卿、その他の人々から知っている。
われわれはその預言が1960年に公然と実現されはじめたということを知っている。(このことをわれわれはシスター・ルチアから、そしてフレール・ミッシェルから知っている。シスター・ルチアは、聖母が第三の秘密を遅くとも1960年までには明らかするようにお望みになった、と言った。なぜなら、そのときにはそれはより明瞭になっているであろうから、と。フレール・ミッシェルは預言というものはそれが実現され始めるとき、いっそうあきらかになると指摘した。それゆえ、彼はその預言が1960年に公然と実現され始めたと正しく推論した。)
われわれは、われわれが1960年と預言の終り--教皇が最終的に、ファチマの聖母によって特殊化されたものとしてのマリアの汚れなき御心にロシアを奉献する時に起こるであろう--との間の時期を生きているということを知っている。(われわれはこのことを、第三の秘密が「最後に私の汚れなき御心が勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が人類に与えられるでしょう」という言葉でもって終わっているがゆえに、知っている。)
第三の秘密の預言はわれわれに、教会における背教が頂点において始まると告げている。バチカンからの背教の黙認や実際的な促進ではないとしても、少なくともその沈黙のゆえに拡がり始めた、そして拡がり続けている背教をわれわれは切り抜けているのである。その背教は、われわれが秘密のうちにあると知っている二つのことがらによって、バチカン自身から推進されてきた。
教皇ヨハネ・パウロ二世の親密な一友人から、ファチマ・クルーセイダーは、聖母が第三の秘密の中で、聖なる典礼、特にミサの聖なる犠牲を変えることに対して警告なさっているということを学び知った。そして聖母はまた起こるであろう(そしてわれわれが今や起こったと知っている、第二バチカン公会議)悪しき公会議に対して警告なさった。
われわれは第二バチカン公会議がその悪しき公会議であるということを知っている。なぜなら、カトリック聖堂における異教の礼拝が今や「第二バチカン公会議の諸宗教間の精神」において奨励されているからである。ゲッラ主任司祭がファチマにおける異教の礼拝を促進し、承認し、擁護するために依存しているのは第二バチカン公会議の新しい方向づけである。
公会議の結果はすべての人々にとって明白である。ゲッラが解任されなかった、ゲッラが公会議の言葉によって自己弁護をしており、バチカン高官たち--教皇を含みさえする--の現在の行政と諸活動によって自己弁護しているという事実は、宗教の二つの観念、二つの宗教があなたたちの霊魂の獲得のために戦っているということを示している:
1)カトリック信仰/教会、真のカトリック教会 -- それはあなたたちを天国へ導くであろう。
2)公会議宗教、公会議教会、偽りのカトリック教会 -- それはあなたたちを地獄へ導くであろう。
真のカトリック宗教はイエズス・キリストの教えにすがりつき(黙示録 12:17)、偽りの諸宗教を見下し、拒否しながら、そして特に異教主義とその偽りの神々や諸偶像を拒否しながら、ただ神のみをもっぱら礼拝することにおいて使徒たちの教え、使徒や聖人たちの模範にすがりつく。
偽りの宗教はカトリックであると見せかける。その実践者たちは多くの役職、建物、衣服、衣装、名前そして称号、カトリックであると無頓着な観察者に見せかけるすべを持っている。しかし彼らは信仰を失ってしまった。客観的に、彼らは一つあるいは二つの否定をもたらす異端の罪があるだけではなくて、背教の罪がある。彼らは悪魔の礼拝を促進している。聖書は不可謬的にこう教えている。「異邦人の神々は悪魔である」(詩編 95:5)と。
彼らは悪魔に奉仕するために働いている。註1)意図的にか、あるいは知らずにか、彼らはフリーメーソンのために働いている。彼らのうちのある者は悪魔を礼拝するフリーメーソンの礼拝を行ってきた。フリーメーソンは一つの異教的宗教である。フリーメーソンは裁判の中で、それが、それ自身一つの宗教であることを認めてきた。フリーメーソンについて次のように言われたのは教皇ピオ八世であった。「彼らの神は悪魔である」註2)。彼らの宗教は基本的に同一であり、フリーメーソンと同じように同じ偽りの神々を持っていた異教的カナアン人たちと同様の偽りの宗教である。
カナアン人の宗教は人間の犠牲、特に幼児の犠牲を要求した。これが今日われわれが中絶を持っている理由であり、それはわれわれの諸政府におけるフリーメーソン的な影響のゆえである。
多くの枢機卿や司教たちが所属しているのはそのフリーメーソンにである。彼らは背教したのである。彼らはカトリックの高位聖職者であるよう見えるが、しかし彼らは悪魔に仕えているのである。カスパー枢機卿、その他の者のような高位聖職者たちが仕えているのはフリーメーソンおよび/あるいはフリーメーソン的な諸理想である。たとえゲッラ主任司祭がフリーメーソンではないとしても、彼はそれでもなお宗教に対するその融和的なアプローチにうよってフリーメーソン的な諸理想に仕えているのである。ローマ・カトリックの名前を要求しているのはこの新しい公会議的宗教であるが、しかしそれはまったくローマ・カトリックではない。それは、カトリックであるためにわれわれは異教徒たちにわれわれのカトリックの聖域内において礼拝することを許さなければならない、カトリックであるためにわれわれは「カトリック教会の外にはいかなる救いもない」という教義に固執してはならない、と言っている一つの偽りの宗教である。
背教者たちは真のカトリック教徒を話さないよう沈黙させることを望む一方で自分たちはカトリックであると主張している。彼らはカトリック教会の従順な息子たちであると主張している。彼らは忠実なカトリック者であると主張している。彼らは彼らが奪い取った役職の尊厳を主張している。彼らに質問する者、彼らの背教を指摘する者、彼らのカトリック教義の否定を問題にする者を誰であれ、彼らは、これらの正当な疑問に答えるよりはむしろ、個人的に攻撃する。それにもかかわらず、われわれはわれわれの抵抗を続けなければならない。信仰を擁護し、諸々の霊魂を擁護するために、われわれは、彼らがカトリックの教義を否定する一方で、自分たちはカトリックであると主張するとき、彼らの善意を問題にし、彼らの偽善を指摘しなければならない。
われわれは、フォックス神父の例を持っている。彼は第二バチカン公会議によって事実的に促進された偽りの宗教の近代主義的擁護者となった。彼はまた、その中で彼が、オーソドックスは「オーソドックス教会」に属することによってキリストへと回心しているという考えを促進している、エキュメニズムの偽りの理想をも擁護している。フォックスのこの考えは異端に基づいている。註3)
1951年に教皇ピオ十二世はシスター・ルチアと話をさせるためにシュヴァイグル神父を遣わした。ここでシュヴァイグル神父は第三の秘密の基本的内容を学び知り、そしてそれを持って帰って諸教皇に報告した。教皇ピオ十二世はこの時点で、第三の秘密が悪しき公会議に対して警告しているということを学び知ったがゆえに、それ以後常に、エキュメニカルな(普遍的な)教会会議を開くようにという提案を拒絶された。
歴史からの教訓
公会議というものは誤り得ないものあるいは悪いものではあり得ないと考えるカトリック教徒は、悲しむべきことに、彼らの教会史の知識の欠如を証明している。第二コンスタンティノープル公会議--553年に開催された--は似たような種類の公会議であった。註4)1934年にカトリックの歴史家、フリップ・ヒューズはそれを「すべての公会議の中で最も奇妙なもの」と呼んだ。
第二コンスタンティノープル公会議が第二バチカン公会議ほどに悪くなかった一方で、それは、カトリック教義が何であるかに関して曖昧であり、人々を混乱させた。それゆえ、604 AD に亡くなった教皇大グレゴリウスは、第二コンスタンティノープル公会議とその曖昧な教えを無視するよう司教たちに勧めた。「それが決して起こらなかったかのように見せかけなさい」というのが教皇の忠告であった。
それはカトリック者が第二バチカン公会議に関して為すべきことである。
われわれは第一に、教会がその不可謬の教えを通じ、また諸世紀のその首尾一貫した教えを通じて常に教えてきたものに固着しなければならない。われわれはファチマの秘密に耳を傾け、悪しき教会に対してわれわれ自身を守るために聖母の警告を抱きしめなければならない。実践的な秩序において、われわれはその誤った教えを無視しなければならない。そしていかなる諸決定をも第二バチカン公会議に基づかせず、むしろ、われわれの決定を第二バチカン公会議以前の教会の教えに基づかせなければならない。
それゆえ、もし第二バチカン公会議が、教会が常に教えてきたことを支持するならば、そのときあなたはそれに安全に従うことができる。しかしもし第二バチカン公会議が不明確である事柄を教えるならば、そのとき、それらを単純に無視しなさい。そしてもし第二バチカン公会議が、教会が常に教えてきた事柄に反する事柄を教えるならば、あるいはもし、それが、教会が常に教えまた実践して来たことと異なる新しい方向を始めるならば、そのとき、われわれはそれらの悪しき教えと実践を拒否し、第二バチカン公会議以前に教会が常に教えて来たことを全心を傾けて抱きしめなければならない。
同じことは1958年から現在に至るまでの諸教皇のすべての教えについて妥当する。われわれは、教義に関わる第一バチカン公会議が、教皇ですらカトリックの教えを変更することは許されないということを不可謬的に教えたということを想起しなければならない。註5)
このように、公会議の諸教皇が、教会が常に教えて来たことを教えたときには、そのとき、それらの事柄において教皇に従うことは安全である。すなわち、教皇ヨハネ二十三世、パウロ六世、ヨハネ・パウロ一世、ヨハネ・パウロ二世が教会が常に教えて来たことを教えたとき、そのときわれわれはそれらの教えに従うことにおいて安全である。
しかしながら、もしこれらの教皇が、明瞭でない事柄--過去の教皇の教えに矛盾すると思われる事柄--を教えたならば、そのときわれわれはこれらの教えを無視することがより安全である。もしこれらの教皇の新しい教えが第二バチカン公会議の新しい方向づけに基づいているならば、このことは特に真である。
そして、確かに、もし公会議後の諸教皇が、教会が常に教えて来たことに反することを教えたならば、そのときあなたはそれらの教えを拒否し、教会が、第二バチカン公会議以前に常に教えて来たことを全心をこめて抱きしめなければならない。
それがわれわれの非常に単純なプログラムであり、そしてそれがファチマの聖母がわれわれにそうすることを望まれるであろうことである。これが、バチカンにおける現在の行政当局が、ファチマのメッセージ全体、完全なファチマ第三の秘密を嘘と半分の真理でもって、意図的に隠して来た理由である。
そして今や、われわれはファチマの司教とファチマのゲッラ主任司祭によって促進されている背教のこの行為を持っているのであり、偽りのカトリック者たちの全計画がさらけ出されているのである。枢機卿、司教、大司教そしてバチカン高官の地位を占めているキリストとその教会の敵どもは、人々をエキュメニズム--それは人々を教会から導き出す別の道である--に巻き込むことによって、内部から教会を破壊するために働いている。それはカトリック教徒を教会の教義的な教えから離れる方向へ導き、非カトリック者をカトリック信仰へと回心させることから離れる方向へと導くのである。
彼らの方策はカトリック教徒を彼らのカトリック信仰から逸脱させ、カトリック的に見えるが、しかし全然カトリック的ではないあるものを信じさせる方向へ向かって働く。そしてカトリック教徒は少しずつ、あるいは大股で、それぞれの活動範囲において背教へと導かれているのである。
多くの人々はこの新しい公会議後の宗教が導いて行くところ:すなわち、教会内部における異教の礼拝へ、ということを、あたかもこれが神御自身に望まれていることであったかのように、以前には決して気づくことがなかった。これが、教会が常に教えて来、そして支持してきたことに矛盾することであるということは善意のどのカトリック者にも明らかであろう。そしてそれは非カトリック者にとってさえ、どの人間にも明らかであろう。
そしてそれゆえに、われわれは、反キリストが自分自身が人類の救世主であると主張しながら、彼自身、彼が世界に平和をもたらすであろうと主張しながら、彼がその一つの世界政府、彼の一つの世界宗教--異教徒に異教徒であることを、ヒンドゥー教徒にヒンドゥー教徒であることを、イスラム教徒にイスラム教徒であることを、そしてカトリック者に偽りのカトリック者となることを奨励する--をもった唯一の道であると主張しながら、世界の公の舞台に現れるこの歴史的瞬間に立ち会っているのである。
しかし反キリストはイエズス・キリストと彼の使徒たちによって教えられた真のカトリック宗教--その外にはいかなる救いも存在しない--を許容しないであろう。そのゆえにこそ、彼は反キリストなのであり、反そのものなのである--すなわち、彼はイエズス・キリストが支持するすべてのものに反対なのである。
反キリストと彼の多くの追従者たちは、ただ、イエズス・キリストが御父への唯一の道である、イエズス・キリストが真の神であり、真の人間である、イエズス・キリストは一つの宗教、一つの教会をお建てになった、そしてそしてわれわれはイエズス・キリストがお建てになった教会を通じて以外には神へと行くことができない、と主張する人々だけを許容しないであろう。イエズス・キリストがお建てになった教会は一、聖、公、使徒的教会である。
イエズス・キリストのすべてのものに反対する反キリストはキリストの一なる真の教会を許容しないであろう。
われわれは、祈りによって、ロザリオによって、イエズスの聖心とマリアの汚れなき御心に対する償いによって、ファチマで天使が子供たちに教えた祈りをすることによって、そして特にそしてしばしばロザリオを熱心に祈ることによってわれわれ自身を奮い立たせる必要がある。
われわれは態度を決定しなければならない。われわれは態度をはっきりさせないでいることはできない。われわれは神の側に立つか、それともそうでなければ神に反するか、のいずれかである。シスター・ルチアはこう言った。「これからは、私たちは態度をはっきりさせなければなりません。私たちは神の側に立つか、それとも悪魔の側に立つかのいずれかです。他のいかなる可能性もありません。」われわれはこの問題における指導をバチカン、司教たち、あるいは修道会に頼ってはならない。なぜなら、彼らはバチカンからのこの偽りの「カトリック」らしく見える方向に従うことへと世界的にだまされて来たからである。
シスター・ルチアはこの点に関してこう言った。「私たちは償いをするようにという世界に対するアッピールが教皇様の側でローマから来るのを待つべきではありません。また私たちは教区の司教様方から、あるいは修道会から償いをするようにという呼びかけが来るのを待つべきでもありません。そうではないのです!われらの主はすでに非常にしばしばこれらの手段をお用いになりました。でも世界は注意を払わなかったのです。だからこそ今、私たち一人ひとりが自分で霊的に改革を始めることが必要なのです。各人は自分自身の霊魂を救わなければならないだけではなく、また神が私たちの道に置かれたすべての霊魂たちを助けなければならないのです。」
考察すべき諸点
結論として、われわれは第三の秘密についてわれわれが知っていることからいくつかの重要な結論を要約しよう:
1)われわれは、第三の秘密が悪しき公会議の到来と典礼における変更に対して警告したということをバチカン内部の筋から知っている。
2)われわれはまた、第二バチカン公会議以来のすべての教皇に対する個人的な神学者であるチアッピ枢機卿が次のように言ったことを知っている。「第三の秘密において、他のこともいろいろあるが、教会における大背教が頂点において始まるであろうということが予告されている。」
3)このことはなぜ背教が全教会を通じて広まったかを説明する -- すなわち、それは教会の最高の権威から来ているからである。この背教は、大帝の人々が第二バチカン公会議の非難に値する威信によってだまされているがゆえにそれほどの抵抗を受けていない。
4)背教は第二バチカン公会議の新奇な教え、公会議が始めた新奇な実践、そして六人のプロテスタント牧師たちの援助で書かれた新しいミサによって広められている。
5)古いラテン典礼はその内部に異端に対する障壁を含んでいた。新しいミサはこれらの障壁を投げ捨てた。聖省の長、信仰の公的な擁護者であったオッタヴィアーニ枢機卿は次のように嘆いた。新しいミサは「全体として、そしてその細部において、その両方で、トレント公会議のセッションXXIIにおいてそれが定式化されたようなミサについてのカトリック神学からのきわだった逸脱を表している。儀式の「定式文」('Canons')はその時には、神秘の統合に対して向けられたいかなる異端に対しても一つの超えられない障壁を固定させていた。」註6)
新しいミサの実施は古いミサが含んでいた異端に対する「要塞」、信仰を保護していた要塞「を破壊すること」への一つの方法であった。オッタヴィアーニ枢機卿は聖省の長官としてラッツィンガー枢機卿の取って代わられた。『悪魔の最後の戦い』という書物の読者は、現在の進行の「公的な擁護者」ラッツィンガー枢機卿が「要塞を破壊する」諸努力を是認したということを思い起こすであろう。(『悪魔の最後の戦い』p.77を見よ。
このようにして異端は新しいミサの実施を通じて、そして新しい儀式が含んでいる諸欠陥によって、広まることができる。これは、世界中の多くのカトリック司祭や平信徒たちが新しいミサをあげたり、それに参加したり決してしないことを選んだ理由の一つである。
6)公会議が悪いものでは決してあり得ないと信じる人々に対しては、第二コンスタンティノープル公会議の歴史的な例がある。その公会議は混乱の源であった。このように、ある公会議が悪いものであると言うことは信仰に反することではない。実際、神はわれわれのために、この誤りを繰り返さないように、そして、公会議というものが教会にとって混乱の源となることはあり得ないという誤った考えに陥らないように、一つの教訓として第二コンスタンティノープル公会議の完全な失敗をお許しになったと言ってもよいであろう。
第二バチカン公会議が教義上の公会議ではなくて、司牧上の公会議であるということもまた記憶されなければならない。それは何よりもまず教会にとっての一つの新しい方向を設定している。そしてその新しい方向は、カトリック諸聖堂内部で許されている異教の礼拝において頂点に達する、破滅的なものである。
「最後まで堪え忍ぶ者は...」
そこでわれわれは完全にカトリック的である一つの生活の規則に従おう。われわれは聖堂主任司祭ゲッラ師のために祈る。そしてわれわれが同じ罪に陥らないように我々自身のためにも祈る。われわれは現在ファチマで進行中の不法行為に公的に抗議し、たとえわれわれの声が歓迎されているとは見えないとしても、教皇とバチカンにそれらの不法行為を正すように要求する。われわれは、カトリック教会が教義と実践に関して常に教えて来たことに固着し、そして第二バチカン公会議以来カトリック世界に押しつけられて来た新奇なことがらに抵抗する。われわれはこれまでに前例のない仕方で聖母の汚れなき御心に加えられた暴行に対する償いをするためにファチマでの聖母の御要求を充たすことを、以前にもまして、誓う。
脚注::
(1)
(2) Encyclical
(3)Christopher Ferrara の
(4)
(5)第一バチカン公会議が教皇の不可謬性を決定したときこう教えた:「聖霊はペトロの後継者たちに、聖霊の啓示によって彼らが新しい教義を発表するように約束されたのではなく、聖霊の助けによって彼らが使徒たちを通じて伝達された啓示と信仰の遺産を聖なるものとして護り、そしてそれを説明するように、約束されたのである。」(第一バチカン公会議、セッション4,第6章、
(6)1969年9月25日の教皇パウロ六世あたでのバッチ枢機卿およびオッタヴィアーニ枢機卿の書簡から。
2004/09/13 三上 茂 試訳
作成日:2004/09/13
最終更新日:2004/12/29