ファチマの聖母マリア

非カトリック的「カトリック」報道機関に異議を申し立てる

コラリー・グレアム

The Fatima Crusader, Isuue 77, Summer 2004, p.24

背教がなぜそのように深くカトリック教会の中へと浸透することができたか、その理由は自らを「カトリック」報道機関の一部と呼んでいる人々の無知、沈黙あるいは黙認の故である。

もしすべてのカトリック報道機関の人々が彼らの仕事をしていたのであれば、彼らは起こっている重大な諸問題を報道したであろう、そしてカトリック教説を変造し、ねじ曲げそして異端的、背教的な活動に従事している現在の出来事、観念、運動、人物の危険性に対して信徒に警告を発したであろう。

各人の生活における最も重要な優先事項は彼らの霊魂を救うことであり、そしてこのことを果たすためにわれわれは信仰にまるごと、全体的にすがりつかなければならない。それはわれわれ自身および神に対するわれわれの第一の個人的義務である。

われわれの第二の義務は、単にわれわれの信仰によってばかりでなく、われわれの仕事とわれわれの活動によって、神を愛することである。

われわれは全心をもって、全精神をもって、そして全力をもって神を愛さなければならない。われわれは、われわれが神がわれわれに教え給うことを信じる時、そしていつでも、神がわれわれの精神を使うことをわれわれに望み給うことでわれわれの精神をわれわれが満たす時、神を愛するのである。

われわれはまた、神が指定された仕方で神を礼拝することによって神を愛さなければならない。そして偽りの礼拝の儀式、特に異教的な偽りの神々の礼拝の儀式を忌み嫌い、拒否しなければならない。

2004年5月5日にポルトガルのファチマ聖堂において、文字通り聖母が御出現になったまさに神聖とされた場所で、一つの冒涜的なそして異端的な異教の礼拝儀式が挙行された。そして二重に冒涜的に(もしそれが可能であったとしたら)ミサの聖なる犠牲が捧げられる聖なる祭壇の石の上で偽りの偶像の礼拝が行われたのである。

信じられないことであるが、ファチマの地方司教、主任司祭、この聖域のいわゆるカトリック管理者からはいかなる抗議のほとばしりも、償いを求めるいかなる声も起こらなかった。むしろ、彼らは聖堂をヒンドゥー教徒に利用させ、聖なる構内内部に彼らを招き、偽りの神々に対する彼らの異教の儀式を挙行することを許し、なんら彼らを正すことなく、ヒンドゥー教徒にファチマの聖母について彼らの神々の一人として公的に話させるところまで行った。そしてそれが終わったとき、彼らはこの冒涜とそのことにおける彼ら自身の役割を満足げに語った。そしてこの無法な冒涜を拍手喝采さえしたのである。

今日、ほとんど三ヶ月の後に、司教と主任司祭は聖なるカトリックの聖域において偽りの偶像礼拝を許すという彼らの罪深い行為を未だに後悔していない。彼らはイエズスとマリアをひどく侮辱した。彼らは進んで全能の神に対する大罪を許した。このようにして彼らはいとも聖なる三位一体を傷つけたが、にもかかわらず後悔しなかった。そして彼らは今なお「カトリック」と自称している。

事態をもっと悪化させることには、今日に至るまで「カトリック」報道機関の主流はそれを無視した。ただ The Fatima Crusader, Catholic Family News, The Remnant, The Angelus, Catholic, Christian Order のような信仰に忠実なジャーナル、そして非常に少数の他の真のカトリック・ジャーナルだけがカトリック者に警告を発した。

「カトリック」メディアの主流からは -- 沈黙。そしてこのことからわれわれは何を学ぶことができるか?

あなたのカトリックの[新聞・雑誌・書物の]読み物とカトリック[メディア]の視聴を注意深く選びなさい。実際は敵に奉仕しているいわゆるカトリック報道機関に従うことによってあなた自身とあなたの愛する者たちを霊的破滅へと導かないようにしなさい。信仰を擁護することを恐れず、あなたが知る必要のある霊魂を救う真理をあなたにもたらすためにあらゆる形式において勇敢に反対しようとしているジャーナルを支持しなさい。健全なカトリックの諸論考を読み、それによって影響を受けるようにしなさい。他の人々に真のカトリックジャーナルについて告げなさい。

あなたは羊の衣をつけたすべての狼たちに対して用心するためにあなたの信仰を知る必要がある。そしてそのことはメディアにとどまらない。それは司祭たちや高位聖職者たちをさえ含む。

だからこそあなたにとって、個人的なレベルで、カトリック信仰について正しい情報を得ることがそのように重要なのである。健全なカトリックの書物を読み、理解の恵みを増すために常に読書を祈りと結びつけなさい。

われわれのカトリック信仰の諸々の規範を学びなさい。その知識は祈りと共に、誰に従い、誰を避けるべきかを確認する助けとなるであろう。間違った人に従い、間違ったいわゆるカトリックメディアを読む賭は恐るべきものである。-- それは、あなたが信仰から離れるように導かれ、知らないうちに地獄への道へと落とされる危険である。

健全なカトリックの知識の道にとどまるようあなたを助けるためにファチマ・センターはあなたが必要としている重要な情報をあなたに提供することをわれわれの関心事としてきた:

それゆえに、われわれの信仰についての知識そしてそれを擁護することにおける忍耐は神と隣人への真の愛徳の実践と共に、われわれを、そして他の人々の霊魂を地獄へ滑り落ちることから守ってくれるであろう。--しかしただマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のみが今日人類に広まっている異端と罪とを効果的に滅ぼすであろう。

一方において、ここにあなたがすることができるいくつかの事柄がある:

上述の提案を用い、カトリック信仰とファチマのメッセージを生きかつ実践することによってイエズスとマリアの使節でありなさい。模範でありなさい。神の栄光と利益、そしてすべてのあなたの同胞のカトリック者の栄光と利益のために神があなたに与え給うた小さな、あるいは大きな才能が何であれそれを使いなさい。

最後の警告:「しかしあなたは隣人を愛し、彼らを尊敬しなければならない」という策略に捕まらないようにしなさい。あなたはこのことをただ神の法の内部でのみすることができるのであって、神の法に反し、「私はあなたの神である主である。あなたは私の前に偽りの神々を持ってはならない」という第一戒に対して罪を犯すことによって、そうすることはできないのである。

「霊を消すことなかれ、予言を軽んずることなかれ、何ごとをもためして良きものを守れ。一切の悪の類より遠ざかれ。願わくは、平安の神御自ら汝らを全く聖ならしめ給いて、ことごとく汝らの精神、霊魂、身体を守り、わが主イエズス・キリストの再臨の時、とがむべきところなからしめ給わんことを。
(テサロニケ前 5:19-23)

2004/09/26 三上 茂 試訳

作成日:2004/09/26

最終更新日:2004/12/29

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