ファチマの聖母マリア

帝国の再生:ソビエト連邦で実際起こっていること

The Fatima Crusader Issue 38, Fall 1991より

Donald S. McAlvany

The McAlvany Intelligence Advisor(MIA)Sept./Oct. 1991 issue

これは私がこれまでに書いた最も重要な(確かに最も議論の余地のあるそして最も長い)報告であろう。ソビエト連邦における諸々の出来事は目をくらます速さで動いてきた(すなわち、MIA がしばしば言及する「加速要因」)。世界は最近ソビエト帝国における諸々の出来事について以前よりも多くの情報(筆者の意見では--たいていは偽情報)を受けさせられてきた。実際に起こっていることに関する混乱は聡明な保守派の人々やソビエト研究者たちそして生涯続く反共産主義的自由の闘士たちの間でさえ非常に行き渡っている。この混乱はソビエトの台本作家たちのもくろみによるものである。

この報告はソビエト連邦における最近の出来事に関して一つのまったく反対の(contrarian)分析--アメリカ人がテレビで聴き、新聞で読み、合衆国およびソビエトの指導者たちから聴いている、そして彼らが自分たちは自分自身の眼で見ていると信じていることとほとんどまったく矛盾対立する分析--を提供するであろう。筆者は読者にこの報告を読んでいる間開かれた精神を保ち、それを数回読み直すことを、そしてそこで彼らが一つの事柄を言い、そしてそれと反対のことをした過去のソビエトの諸々の欺瞞を、思い起こすことを勧める。もし報告があなたにとって意味をなすなら、そしてあなたが一般的に分析と結論に同意するなら、それをコピーしてできるかぎり広範に--特に軍隊、諜報機関、NATOにいる人々、他の出版物に、そして自分自身で考えることができる政治家たち(彼らの大部分を除外するが)に配ることを勧める。

警告:この報告を読む大多数の人はそれに同意しないであろう--ある人々は強く。筆者は「冷戦から取り残された偏執狂の変わり者」そしてもっと悪いものと呼ばれることを覚悟している。この報告を読む何人かの読者は頭脳がロックされた状態になるであろう。なぜなら、それは過去6年間あなたが告げられてきたすべてのことにまったく反対のことだからである。しかしそれを研究しそしてそれについて考えなさい。この報告がソビエト連邦において何が真実の事態であるかについてそしてアメリカがわれわれ自身の軍縮ならびに新しいソビエト連邦への援助を加速させるべきかどうかについて何らかの論争を起こせればよいというのが筆者の希望と祈りである。これを書くにあたっては何ら論争はない--世界は単純にソビエトの説明を額面通りに受け入れている。

序論

ルディヤード・キプリング(Rudyard Kipling)は1898年にロシア皇帝ニコラス2世による巧妙な欺瞞キャンペーンの後間もなく「人間のように歩く熊」という標題の一つの寓喩を書いた。キプリングは、その男が狩りをした一匹の熊があたかも哀願するかのように立ち上がったとき、傷を受けそして盲目となった一人の男について書いた。そしてその狩人は「憐れみと驚きで感動させられて」彼の射撃を思いとどまった。彼はただ「鋼鉄の靴をはいた足」によって彼の顔を引き裂かせただけであった。キプリングが書いたように:

それ[熊]が人間畜生の見せかけで揺れながら嘆願するものとして立ち上がるとき

それが憎しみとその豚のような眼の狡猾さを隠すとき、それが祈りの時の両手のような[前]足で捜し求めている方角として示すとき、それは危険の時である--熊の休戦の時である」。

われわれは熊の休戦の時のうちにいる。われわれは共産主義は死んだ、冷戦は終わった、ソビエト連邦の共産党は非常に恐れられたKGBと共に終わったと告げられている。われわれはソビエト帝国は崩壊した、その場所に自由、民主主義、統一と自由市場が1千本の花のように咲き誇っていると告げられている。われわれは平和が来た、そして東と西の共通の利益が--最初にヨーロッパに、そして次に新世界秩序を通じて世界中に--統合され、合流され得ると告げられている。

しかし筆者はこの筋書きは何か狂っていると思う。ソビエト共産主義のような悪が、悪の帝国が消え失せたと思われるように急速には消え失せない。特に、その悪の帝国が世界の歴史において最大の軍事力を支配しているときには消え失せない。1930年代後半にわれわれは平和が来た--ヒットラーの意図は高潔である、--彼は友情と一致を求めていると告げられた。(この「平和の愛好者」は非常に信用できるのでタイム・マガジンは1938年に彼を「その年の最もすぐれた人物」に指名した。)戦争がその後に続いた!

ソビエトの人々は欺瞞における達人、われわれにあるものをない、ないものをあると信じさせることができるチェス競技者たちの優勝者である。

ソビエトの人々を理解する際の一つのよい規則は、現実があなたが見ているものの反対であると常に考えることである。

われわれは1921年以来グラスノスチ/ペレストロイカの第6期を現在経験している。--先行する5つのグラスノスチのそれぞれは今回のグラスノスチと同様に、共産主義者たちは本当に変化している、民主主義、多党制、自由選挙等々へと変わると約束していた--最初の5回のそれぞれで、われわれは欺かれた。しかしわれわれが目覚めてソビエトの熊の憎しみと狡猾さをもう一度見る前に、われわれは大きな譲歩をし、大きな援助を与え、あるいは大きな軍縮をした。

グラスノスチ/ペレストロイカの現在の時期はミハイル・ゴルバチョフ(ユーリ・アンドロポフの被後見人)を含む--ソビエト連邦の共産党中央委員会によって1981年に書かれた一つのうまくお膳立てされた脚本(それらすべてのうちの最も壮大なもの)である。このグラスノスチ/ペレストロイカの諸目標は共産主義は死んだと宣言すると同時にソビエト帝国を再組織し、再構成すること、アメリカとヨーロッパをそそのかしてNATOを徐々に廃止させることそして「共産主義の脅威が徐々に薄れている」ので大規模な軍縮を行わせること、西側の援助において数千万ドルを「できたばかりの民主主義の」USSRに投入させること、そして最終的には西ヨーロッパと東ヨーロッパを合併し、新しいソビエト連邦を一つの「共通のヨーロッパの家」へと合併することである。

最新のペレストロイカにおいては、ソビエト連邦の全般的な戦略は対決とばらばらの陣営への世界の分割から協力、統合、融合、そして吸収合併へと移った。「新しい思考」は言う:われわれはわれわれのイデオロギーの上での諸々の相違、われわれを分けている諸々の葛藤を忘れなければならない。そして戦争、核の大惨事、飢餓、テロ、環境悪化等々に対して一緒に戦うためにわれわれの努力を結合しなければならない。

しかしUSSRにおける現在の諸展開の背後に一つの大きなもくろみがあるのか? われわれは一つの自然に起こっている解体を見ているのか、それとも一つのよく計画され、画策され、企てられたジェスチャーゲーム--せいぜいロシア劇--を見ているのか? MIA(McAlvany Intelligence Advisor)のこの号はこれらの問いに答えるよう試みるであろう。それはゴルバチョフ、エリツィン、シュワルナゼ--すべて徹底的に「改革者/リベラル派」そして共産主義者--のマルクス・レーニン主義的な悪い性向を検討するであろう。それはクーデタ/反クーデタとなぜそれが偽物であるか--1981年に動き始めた長期の戦略的欺瞞におけるもう一つのひねり--を分析するであろう。

この報告はソビエトの人々が西側を混乱させ操作するためにどのように偽情報を用いるかを検討するであろう。それはなぜソビエト帝国が崩壊しているのではなくて、共産主義体制内部で再編成され、再組織されているのか、その理由を明らかにするであろう。なぜ共産党とKGBは廃止されているのではなくて、単に改名され、彼らの能率を改善するために再組織化されているのか、そして新しいソビエト連邦がどのようにUSSRの大きさ、範囲そして影響力において巨大な増大であるか--拡大であって--縮小ではない--を明らかにするであろう。

この報告はまた不吉な進行中のソビエト軍事的増強--起こりつつある明白な諸変化のすべてにもかかわらず--をも分析するであろう。

ソビエトの偽情報はあなたが聴きたいすべてのこと、そしてそれをあなたに信じさせるすべてのことをあなたに告げるために計画されている。この報告はあなたが聴くことを望まないすべてのこと、そしてそれについてあなたに考えさせるすべてのことをあなたに告げるために計画されている。

もしあなたが読み続けるならば、あなたは警告されたのだ!

I:欺瞞の大家たち

「すべての闘争は欺瞞に基づいている。」孫子、B.C.500.

なぜなら、人類の大多数は、あたかもそれらが実在であるかのように、見せかけに満足し、...そしてしばしば現にある事柄よりもそう見える事柄によってより影響されているからである。」マキアヴェリ

序論

われわれは欺瞞、混乱、危険そして諸々の世界的出来事の目をくらます加速化の時代に生きている。われわれは、共産主義は死んだ、冷戦は終わった、ソビエト帝国はその終末期にある、そして平和、一致、兄弟愛の新しい時代--一つの新世界秩序--の夜明けを迎えつつあると告げられている。そのまったく反対のことが実際には起こりつつある。しかし西側の1万人のうちの1人しかわれわれの前に展開されているマキアヴェリ的な欺瞞の戦略を理解していない。

常に明白なものに疑いを抱け!ソビエト連邦は今日解体しているのではない--それはこの10年間の後半の一つの主要な拡張主義的推進への再編成、再調整、再組織の準備である。ソビエト連邦の共産党は廃止されているのではない--それは単にその名前を(おそらく--レーニンの下での最初の名前--社会民主党に)変えているにすぎない。それは再組織し、再編成しているのであり、その構造(おそらく官僚の何十万人、おそらく数百万人)から官僚的無用の人材の大部分を取り除き、そのマルクス・レーニン主義の基礎に戻って行ったのである。KGBは廃止されているのではない--それは改名されているのであり、1917年以来すでに6度起こったように再編成されているのである。ソビエト軍は徐々に廃止されているのではない--それは劇的に拡張されている。ソビエト帝国はまったく解体されているのではない--それはたぶん古い諸共和国の大部分を保持し、以前にはソビエト帝国の一部ではなかった他の諸国を結局は吸収するであろう一つの緩やかに編成された連邦あるいは連合へと再組織されている。ゴルバチョフは3,4年前に、現在の時代遅れの、古めかしい、能率の悪い帝国は解体され、より柔軟で膨張可能な連邦あるいは連合と置き換えられると主張しながら、この[古い帝国の]解消について話し始めた。この新しい連邦は最終的には拡張され、そしてソビエト軍事力とKGBによって結合されるであろう。

筆者は8月クーデタは最もみごとなソビエト劇--ゴルバチョフとエリツィン、および共産党の「改革派」の立場を強化するために仕組まれ、ゴルバチョフに対するソビエト大衆からの支持を引き出すために仕組まれ、そしてソビエト連邦への合衆国(および西欧)の援助における大量増加ならびにアメリカ(および西欧)の軍縮の急速な加速化を引き起こすために仕組まれた一つの偽クーデタ--であったと信じている。

A:ソビエトの欺瞞の戦略

「問題は、共産主義者の目標は固定され、変化がないということです。--それは世界支配という彼らの目的をみじんも変えるものでは決してありません。しかしもし私たちが、彼らが進んでいると見える方向によってのみ判断するならば、私たちは欺かれるでしょう。」エレイナ・ボンナー(Eleina Bonner)、サハロフ(Sakharov)未亡人

元NATO軍最高司令官であなたの編集者の友人であるサー・ウォルター・ウォーカー(Sir Walter Walker)将軍は最近こう書いた:「西側はゴルバチョフとこの悪人の諸々の意図について余りにも無知である。過去10年間の真実の物語は何か次のようなものとして進行している:ゴルバチョフの台頭はレオニード・ブレジネフ(Leonid Brezhnev)の耄碌の間の1980年代初頭に起こったKGBの「クーデタ」の結果である。

「このクーデタは--(ソビエト連邦の共産党中央委員会の命令の下で)KGB議長である--ユーリ・アンドロポフ(Yuri Andropov)によって行われた。ペレストロイカの混乱は国の経済的な弱さを勝利を得させる立場に変えるよう西側と膝詰め談判をするためにKGB内の頭の良い人間たちによってなされた一つの試みである。ソビエト連邦の現在の弱さと第三世界の経済状態に集中させられたわれわれの注意とともに、われわれはわれわれの警戒を緩め、ロシアの狼をヨーロッパの家の中に入らせるであろう。」

1:グラスノスチ/ペレストロイカ#1−6

1989年と1990年に筆者は「熊に催眠術をかけられて:ソビエトの大きな欺瞞」(第Ⅰ部および第Ⅱ部)と題するMIAの2つの号を書いた。それはソビエトの人々がアメリカおよび西欧に対して1981年に始めた巨大な戦略的欺瞞あるいは偽情報キャンペーンを分析したものである。(The Fatima Crusader31-2 & 33において利用可能)これらの報告はグラスノスチ/ペレストロイカの最初の5つを分析したものである:

#1はレーニンの下で1921年から1929年まで
#2はスターリンの下で1936年から1937年まで

#3はスターリンの下で1941年から1945年まで
#4はクルシチョフの下で1956年から1959年まで
#5はブレジネフの下で1970年から1975年までであった。

そして最後に#6はゴルバチョフの下で1985年から現在まで

グラスノスチ/ペレストロイカのこれらの時期の各々は共産主義を断念し、資本主義、民主主義、自由選挙、自由市場、等々へ動いているというソビエトの見せかけを含んでいた。簡単に言えば、それぞれの時期に、ソビエトの人間たちは西側に西側が聴きたいと望んでいることを告げ、そして西側の大量の財政援助および/あるいは西側の大規模軍縮を引き出すためにその方向への表面的動きをした。グラスノスチ/ペレストロイカの最初の5つの時期の各々の後に続いたのは厳重な取締り、残酷な追放そしてソビエトの海外での隠れたそして革命的な諸活動の再開であった。

グラスノスチのこれらの時期はマルクス・レーニン主義的弁証法:2歩前進1歩後退という弁証法が活躍した時期であった。各々の後退の間に、西側の援助が[ソビエトに]流れ込んだ。そして#4,5,6のグラスノスチの間に西側の軍縮措置が加速した。しかし元NATO連合軍最高司令官バーナード・W. ロジャーズ(Bernard W. Rogers)はこう言った:「ソビエトの目標は世界支配である。」そしてウラディーミル・レーニンが言ったように、「われわれは後退によって前進する。

2:グラスノスチ/ペレストロイカ#6のための戦略的欺瞞の脚本

1981年にソビエトKGB要人アナトーリ・ゴリツィン(Anatoliy Golitsyn)は離反して西側に逃亡した。そして古い嘘に代わる新しい嘘 New Lies for Old という標題の書物を書いた--これは1984年に出版された(The Fatima Crusaderから入手可能)。その書物の中でゴリツィンは1985年にゴルバチョフが実行し始めたグラスノスチ/ペレストロイカ#6のためのKGBの脚本を展開した。この脚本はグラスノスチ/ペレストロイカの脚本の中でも最も入念な脚本であろう。そしてソビエトを彼らの世界支配の目標へと、世紀の変わり目に、あるいはそれ以前に、連れて行くように計画されていた。

ソビエト連邦における最近の激動、クーデタと反クーデタ(筆者はそれをでっち上げだと信じている)、KGBの終り、共産党の死、ソビエト帝国の崩壊、等々はグラスノスチ/ペレストロイカ#6のための入念なKGBの脚本のすべての部分--その最善の状態でのソビエトの高等劇--である。ゴルバチョフ、エリツィン、シュワルナゼは皆ソビエト連邦共産党中央委員会とKGBによって雇われたキャスト--俳優たちの一部である。

ソビエト帝国における最近の展開を分析する前に、1981年にゴリツィンによって書かれ、そして1985年以来ゴルバチョフと彼の仲間の俳優たちによって非常に忠実に履行されたKGBの脚本を論評しておくことは有益であろう。

a)申し立てられたソビエトの諸々の譲歩

1.東ヨーロッパの「名目的」支配を明け渡す。

2.東ヨーロッパとソビエト連邦における民主主義諸運動を「表面的に」奨励する。

3.鉄のカーテン開放/ベルリンの壁の破壊。

4.東西ドイツの再統一を許す。

5.共産主義は死んだ、冷戦は終わった、そしてソビエト連邦および東欧の共産党は死んだか、あるいは時代遅れのものであるかのいずれかだと宣言する。

ソビエトの人間たちが東ヨーロッパ中で用いてきた欺瞞のパターンそしてその大部分が今日のソビエト連邦で従われているパターンは:

1)古い警備(強硬路線の)共産党員を追放し、改革者と呼ばれるあまりよく知られていない共産党員あるいは共産党協力者を持ち込む(KGBはこれらの追放に責任を持っていた)。

2)その特定の国の共産主義は死ぬはずであると宣言する一方で共産党の名称を変える。

3)実際には秘密共産主義者たちとKGBによって統制されている新しい「民主的な反対派諸組織」を産み出す。

4)実際には共産主義者たちによって操作され統制されているいわゆる「自由選挙」を維持する。

5)実際には秘密工作員を再び移し替え、再任命し、組織を非常に活発にさせるが、しかし異なった形で、そして異なった名称(あるいは諸々の名称)でそうする一方で、秘密警察の終結と解体を告知する。

6)西側における現在の多幸症、混乱そして混沌の時期を利用して西側の中に数万人あるいは数十万人の秘密共産党員を潜入させる。

このパターンは東ヨーロッパにおいては国ごとに少しずつ異なっていた。それはルーマニアとポーランドにおいて最も念入りに従われた。ルーマニアにおいては共産主義者たちは古い共産党を新救国前線(New Salvation Front)で置き換えた。彼らは強硬路線派のチャウセスク(Ceausescu)を年老いたナンバー・スリーの共産主義者(比較的知られていない)イオン・イリエスク(Ion Illiescu)と取り替えた。彼らは秘密警察(The Securitate)を改名し再び移し替えたが、しかしその5万人の署員の95%を無傷のまま残した。

ポーランドにおいては、彼らは共産党の名前をポーランド統一労働者党から無害な響きのする社会民主党に変えた。連帯はほぼ間違いなく1980年にソビエトの人間たちによって始められた。--それは100万人の共産党員を抱えている。1989年における共産主義者たちとポーランド議会の議員の65%は共産党員である。ポーランド大統領であり連帯の指導者であるレク・ワレサ(Lech Walesa)--アメリカにいるポーランド亡命者たちによって1980年以来共産主義協力者であったと広く信じられている--はゴルバチョフとソビエト人たちに対して非常に友好的である。5万のソビエト軍隊がポーランドの土地に残っている。(アメリカにいるポーランド亡命者たちはその数は30万人以上であり得ると信じている。)チェコスロヴァキアと東ドイツにおいては秘密警察はソビエトKGBの命令構造の下に移された。そしてそこでこっそりと働き続けている。

チャモロ(Chamorro)政府が単純にサンディニスタ戦線であるニカラグアにおいてもそのパターンは同じである。共産主義的サンディニスタたちは軍隊、秘密警察そして教育制度を支配し続け、反共産主義的な元コントラの指導者たちを暗殺し続けている。ヴィオレッタ・チャモロ(Violetta Chamorro)(彼女自身元サンディニスタ)はそこでは単に名目上の指導者としてのみ機能し続けている--実際的な権力はダニエル・オルテガおよびフンベルト・オルテガ(Daneel and Humberto Ortega)によって指導された共産主義者たたちによって主宰された「非共産主義的、民主的ニカラグア」にある。

共産主義者たちが彼ら自身の反対を創り出し支配することにおける主人公であるということは注目されるべきである。--それは表に現れ政権を握ることからの反対を排除するためである。そのような共産主義者たちが創り出した反対のいくつかの例は、ルーマニアにおける新救国前線とイリエスク、ポーランドにおける連帯とワレサ、ニカラグアにおけるヴィオレッタ・チャモロそしてソビエト連邦におけるボリス・エリツィンとエドゥアルト・シュワルナゼを含んでいる。

1981年にゴリツィンによって記述されたように、グラスノスチ/ペレストロイカ#6のためのソビエトの脚本に戻ると:

b. 西側の(見返りの=quid pro quo)諸々の譲歩

1.アメリカと西側はUSSRの東ヨーロッパ財政的負担を1年間に400億ドルから500億ドル引き受けるであろう。

2.再統一されたドイツは中立国となり、経済的にはソビエト連邦の方へ傾くであろう。

3.アメリカ軍は西ヨーロッパから撤退するであろう。

4.西ヨーロッパは中立へと動き、NATOはつぶれるであろう。

5.アメリカと西側は大規模にソビエト経済を金を出して財政的困難から救い出し、動かなくなったソビエト経済に融資するであろう。

6.西ヨーロッパと東ヨーロッパ(USSRを含む)は一つの経済ブロックに融合するであろう。

7.アメリカと西側は「共産主義後/冷戦後の時期」において大規模に軍備を縮小するであろう。

8.アメリカは世界中の反共産主義諸運動(例えば、コントラ、ムジャヒディン、ウニタ)のための援助を止めるであろう。

9.アメリカ軍は韓国とフィリピンから撤退するであろう。

KGB脚本のこれら9つの要素は完成のさまざまの段階にある(すなわち、30%から90%)。[MIA編集者注:すなわち、ブッシュ政権はフィリピンにあるクラーク空軍基地を閉鎖した。そして9/10/91に、共産主義は死んだ、そして冷戦はもはや脅威ではないので、アメリカはまたわれわれのスービック湾海軍基地をも閉鎖している、そしてフィリピンから完全に撤退するであろうと告知した。フィリピン人たちは合衆国軍隊撤退の2年以内にソビエトに支援された共産主義的反乱、新人民軍の手に落ちることになりそうである。]1995年あるいは1996年までに9つすべての要素は実際に既成事実となるであろう。グラスノスチ/ペレストロイカ#6の彼らの脚本を実行するに際してのソビエトの人間たちの二枚舌、欺瞞そして不誠実の証拠は:

1)アンゴラ、キューバ、アフガニスタン、フィリピン、イラク、シリア、モザンビク、等々への大量の武器発送--総計1年間に250億ドルから300億ドル。

2)スリランカ、フィリピン、ウルグアイ、エルサルヴァドル、南アフリカの政府転覆に向けてソビエトに支援されたゲリラが彼らの努力を強化している(1991年2月にはソビエト/リビアに支援されたゲリラがチャドを乗っ取ったばかりである)。

3)アメリカとヨーロッパにおけるソビエトスパイはグラスノスチ#6とゴルバチョフ政権が始まって以来4倍になった。

4)ソビエト軍事力はグラスノスチ#6が始まって以来35%から40%増大した。そして主要な武器部門において急速に増大しつつある。

5)ソビエト軍とKGBはゴルバチョフの下で大幅に強化された。そそて強硬派、鷹派/マルクス・レーニン主義者たちがゴルバチョフによってすべての重要部門に移動させられた。

6)共産主義者たち(あるいは秘密共産主義者たち)はたいていの東ヨーロッパの国々において最も重要な地位を保持した。そして、共産主義的軍隊および秘密警察(改名されているけれども)は無傷のまま残っている。

B. ヨーロッパを支配するソビエトの戦略

現在のソビエトの世界的戦略の鍵になる要素は、ソビエトの人間たちが公然と「共通のヨーロッパの家」と呼んでいるものにおいてヨーロッパ(東そして西)を支配することである。ソビエトの人間たちは、彼らの帝国が弱まっているように「見える」ちょうどそのときに、ヨーロッパのすべてを支配するための一つのマキアヴェリ的な戦略(そして必ずしも、あるいは排他的に軍事的な征服によってではなく)を持っている。ヨーロッパのこの支配は彼らの世界支配の長期の戦略への一つの鍵となる踏み石である。

全ヨーロッパ統合(そしてゆくゆくはソビエト支配)はただ西ヨーロッパの政治体制と東ヨーロッパの政治体制の両方ともにおけるラディカルな変化が起こるときに初めて可能である。その変化はヨーロッパ合衆国が出現するとき、1992年に西ヨーロッパにおいて起こっている。ヨーロッパと英国の人々には一つの大きな自由市場の冒険として売り出されているけれども、事実は西ヨーロッパの人々がブリュッセルにある、社会主義的左翼世界主義的、そしてユーロ共産主義的権力志向者たちによって支配された、そしてKGBによって激しく潜入されたヨーロッパ超国家へと彼らの政治的主権と独立をまさに移そうとしているということである。新しいソビエト連邦(計画中の)を西ヨーロッパ合衆国と合併させることは新しいソビエト連邦を12の分離した国民国家と統合することよりは遙かに容易であろう--それらの国々の多くは個別的にはソビエトから彼らの主権を守ることを望むことに傾くであろう。

ソビエトの人間たちにとって一つの統合された「共通のヨーロッパの家」を支配するための6つの主要な前提条件がある。

1.一つの統一された西ヨーロッパ--1992年に既成事実。

2.軍事的にNATOとヨーロッパからのアメリカの排除。

3.東ヨーロッパのソビエト支配。

4.再編され、再組織されたソビエト主権諸共和国連邦のソビエト支配。

5.西ヨーロッパの人々によって「民主的」と見られるソビエト連邦。

6.大西洋からウラルまで(あるいはゴルバチョフが修正したように、大西洋からウラディオストック(太平洋)まで)の全地域に対するソビエトの軍事的支配(「大きな杖」)。

これらの前提条件を簡単に検討してみよう。

第1に、一つのヨーロッパ超国家(方向において社会主義的な)はソビエト超国家(方向において社会主義的な--しかし民主的であるふりをしている)と統合あるいは融合することは、真に独立した東西ヨーロッパ諸国の10数カ国と融合或いは統合するよりも遙かに容易であろう。

第2に、ソビエトの人間たちはアメリカをヨーロッパから軍事的に(そしてできる限り経済的にも)追い出すために策略を巡らしまた操作している。INF[intermediate-range nuclear forces=中距離核戦力]条約はアメリカの中距離弾道核ミサイル(すなわち、巡航[ミサイル]とパーシングIIミサイル)をヨーロッパから取り除いた。ヨーロッパ条約および砂漠の嵐作戦における在来型軍事力はアメリカを在来型地上軍事力(兵員、戦車、飛行機、物資、等々)の大部分の撤退へと追い込んだ。合衆国は現在西ヨーロッパにおける79の軍事基地を撤退あるいは閉鎖しつつある。「申し立てられた」共産主義の死、冷戦の終結そしてソビエト帝国の崩壊のゆえに、ブッシュとアメリカ支配層はアメリカ軍をここ2,3年でヨーロッパからほとんど完全に引き上げる計画をしている。

その間にソビエトの人間たちはドイツ、フランス、イタリア、ギリシャおよびスペイン(全部で6つの条約)との一連の条約に調印することによってNATOに対するアメリカの責任を掘り崩そうと努めている。それらの条約は上述の国々に危機の場合にはNATOへのコミットを妥協させるものである。フランスはヨーロッパ共同体、GATT[General Agreement on Tariffs and Trade=関税・貿易に関する一般協定]、IMF[International Monetary Fund=国際通貨基金]、世界銀行、そしてNATO内部でのソビエトの利害を代理することに同意した。イタリアの条約はイタリアのNATOに対する責任に矛盾対立する。ドイツの条約はドイツにソビエト連邦内部にバルチック諸国を保持することを助けるよう約束させた。

タス通信はこの7月にこう報じた:「ギリシャとの友好協力条約は...共通のヨーロッパの家の建設におけるなおもう一つの要素として役立つ。その条約はソビエト連邦とイタリア、スペイン、フランス、ドイツとの間に締結された似たような国際文書と同じカテゴリーの中に置かれ得る。

ソビエトの人間たちは今やヨーロッパ共同体とNATO内部に足がかりを得た。そしてアメリカとそのヨーロッパのNATOパートナーたちとの間にくさびを打ち込む過程にある。筆者は2年から5年の間にアメリカが軍事的にNATOとヨーロッパから退くであろう、そしてNATO(あるいは少なくともヨーロッパを防衛するというその軍事的使命)は崩壊するであろうと予告する。ヨーロッパはそのときまでにほとんど全面的に中立的となるであろう。そしてフィンランド化されたものとなる(第2次世界大戦の終結以来フィンランドがそうであったように、ソビエトの人間たちによって支配される)であろう。

第3に、上で論じたように、ソビエトの人間たちはヨーロッパの完全な支配をこれまで一度も断念したことはなかった。彼らは今なおそこに50万人の(あるいはそれ以上の)軍隊を駐留させている。東ヨーロッパでは多くの重要な地位には目立たない共産主義者たち(あるいは共産主義協力者)がいる。そして共産主義者の秘密警察や軍事組織は今なお大部分無傷のままである。さらに、ソビエトの人間たちは最近東ヨーロッパ諸国と一連の条約を締結し、それらは彼らにこれらの国での増大する足がかりを与えている。

第4に、そして第5に、西ヨーロッパをそそのかして一つの(東/西)ヨーロッパの家へと統合するためには、ヨーロッパ人たちにUSSRが民主的になった、そして新しいソビエト連邦(10年間計画中であった)は自由で独立的で同様にまた民主的であるということを確信させなければならない。現在の帝国の解体は偶然的あるいは自然に起こったものではない。それは、ソビエト帝国の現在の形が旧式で非生産的なものであり、帝国の構造の深い再組織化が不可避であるということを知っているゴルバチョフとクレムリンの指導者たちによって数年にわたってよく計画され、考え出されたものである。新しい連邦は自由、独立そして民主的であると見えなければならない(しかし実際はそれはソビエト軍事力によって支配されるであろう)。ちょうど、フィンランドが自由であると見えるが、しかし実際にはソビエト軍の銃が頭に突きつけられているがゆえにソビエトの命令がそうしているのと同じように。

第6に、東ヨーロッパおよび西ヨーロッパに対するソビエトの軍事的優位はすでに現在の現実である。西側の軍縮の数年間以上とソビエトの軍備増強(以下の第Ⅳ部を見よ)そして全ヨーロッパに対するソビエトの軍事的ヘゲモニー(すなわち、東西ヨーロッパのフィンランド化)は一つの既成事実であろう。

西ヨーロッパを吸収しようとするソビエトのマキアヴェリ的戦略のもう一つの局面は「防衛」の概念、「安全保障」の概念に取って代わったペレストロイカ的宣伝である。「安全保障」はそれが「集団的」である場合のみ現実的なものであると提案されてきた。ヨーロッパとアメリカは「集団的安全保障」(すなわち、東と西の間の警察強制行動の共同事業)がテロリズム、サダム・フセイン、あるいはマヌエル・ノリエガ、環境危機、等々のような「ヒットラー的独裁者たち」に対して世界を安全にする唯一の方法であると確信させられてきた。

それゆえに、最近の中東紛争の間に、アメリカは、その歴史において初めて、戦争を遂行するため--中東の「集団安全保障」の準備をするため--にその許可をUSSRに求めざるを得ないと感じた。「集団安全保障」から「世界的安全保障」(すなわち、テロリズム、薬物、環境汚染、危険な第三世界の独裁者たちに対する)の概念が成長する。そして「世界的安全保障」はただ一つの世界的警察力、一つの世界的裁判制度、一つの世界的法律、一つの世界的金融制度、等々によってのみ準備され得る--そのようなものがブッシュとゴルバチョフの新世界秩序によって構想されたものである。「世界的警察力」は合衆国、ソビエト、ヨーロッパおよび第三世界の軍隊から構成された一つの国連警察軍であろう。

ヨーロッパにとっての「集団安全保障」は(クレムリンの伝道師によれば)西ヨーロッパ、東ヨーロッパそして新しいソビエト連邦の間の一つの安全保障調整共同事業を意味する。その共同安全保障調整を誰が支配するだろうか? 言い当ててみよ。675万の兵隊、3万発のミサイル弾頭、7万5千台の戦車、そして世界の歴史の中でも最大の軍備を持つ国--ソビエト連邦。

ヨーロッパが1930年代後半に狡猾、欺瞞、操作、偽情報そして最後に圧倒的な軍事的圧力を通じてナチス第三帝国によって呑み込まれたと同じように確実に、1990年代のヨーロッパはもっと欺瞞的、マキアヴェリ的でさえあるロシアの熊によって呑み込まれることへと自らを曝しているのである。

C.ゴルバチョフ-シュワルナゼ-エリツィン-同じ赤い壺の中の三つの豆

ロシア人たちは彼ら自身の反対を西側に創り出し、支配しそして売り込むことにおいて達人である。たいていの人間的努力に対する反対は早晩起こるであろうが、しかしもしあなたがそれを所有しているならば、それは決してあなたの事業にとって真の脅威にはならないであろう。--そしてそれは正当な反対を抑えることはできないであろう。ソビエト帝国においては本当に何事も偶然に、たまたま、あるいは運命の巡り合わせでは起こらない。USSRにおいては最も重要な諸々の出来事の背後にはよく決定された計画と目的がある。現在のソビエトの諸々の展開は、もしソビエト連邦が一つの巨大な劇場として見られるならば、そして現在の激動が劇における場あるいは幕として見られるならば遙かにもっと容易に理解される。第一流の俳優たちは以下に論じられる。

ミハイル・ゴルバチョフ1985年にたまたま舞台に登場したのではない。彼は彼の助言者、新聞記事の見出しに出るようなKGBの長、ユーリ・アンドロポフによって1970年代からその地位につけるように準備されていた。KGBの秘密諜報部員として、またアンドロポフの被後見人として、この筋金入りのマルクス・レーニン主義者はクレムリンの指揮によって1983年と1984年における相対的に無名な人間から世界の舞台へと躍り出た。そしてソビエトのプロパガンダ/偽情報専門家たちによって偉大な民主主義者、自由の愛好家、改革者、そして小さき人々の友としての肖像画を描かれた。(アンドロポフは同じように、それより数年前に、ソビエトの宣伝者たちによって「西欧型の秘密のリベラル派」として描写された。)

これは1984年12月11日にプラウダにおいて次のように言った同じミハイル・ゴルバチョフである。「平和と社会的進歩のための闘争において、ソビエト連邦の共産党はあらゆる可能な方法で国際共産主義および労働階級の運動の諸力を結集する一つの一貫した政策を追求している。われわれはマルクス・レーニン主義の偉大な理想の歴史的正当性を確認する。そして人類のすべての革命的、平和愛好諸勢力と共にすべての民族のための社会的進歩、平和そして安全のために公然と戦う。これはわれわれのプロパガンダの断固たる性質を決定すべきものである。

エドゥアルト・シュワルナゼ80年代半ばにクレムリンはもう一人の俳優エドゥアルト・シュワルナゼを中央舞台に登らせ始めた。この終生筋金入りのマルクス・レーニン主義者は1968年から1972年まで--秘密警察、国境警備隊そしてすべての国内安全保障諸勢力(すなわち、グルジアKGBの指令の下にあった)に君臨する--グルジア共和国の内務大臣であった。1972年に彼はグルジア共産党中央委員会第一書記へと上げられ、1985年までその地位にとどまった。その年、1985年に彼は--アンドレ・グロムイコ(Andre Gromyko)に代わって--ソビエト連邦の外務大臣へと上げられた。

シュワルナゼ(彼はジョージ・ブッシュの親密な友人となった。そして特に国務長官ジェームズ・ベイカー(James Baker)とは親しかった。)は「強硬路線派による独裁制」へのUSSRの動きに抗議して、1990年12月に外務大臣としての彼の地位を辞めた。彼はソビエトおよび合衆国のメディアから、改革者、リベラル派、信頼に足る民主主義者、そして自由の愛好者として描写されている--しかし今なおゴルバチョフの友人たちのうちで親密な友人の一人である。彼は1991年前半に調達されたソビエト基金でアメリカへ派遣された。--そしてUSSRのための西側の財政援助において(手始めに)900億ドルを要求する--アメリカの自由東方施設(America's liberal eastern establishment)によってアメリカ中を繰り返し行き来した。

ハンサム、温厚、そして外見において洗練されたシュワルナゼはニューヨーク・タイムズロンドン・エコノミストのような体制派の刊行物によって国連の次期事務総長--ハビエル・ペレス・デ・クエヤル(Javier Perez de Cuellar)の後継者となる--として勧められてきた。最近のクーデタ/反クーデタ劇以来、クレムリンの指導者たちはシュワルナゼを中央舞台に戻し始めた--そこでは、もし彼らが(テレビのメロドラマにおけるように)脚本からゴルバチョフを消す決心をしたならば、彼らはシュワルナゼをトップの地位へと移すことができるであろう。

シュワルナゼは西側の指導者たちおよび公衆に対して彼のクレムリンのPR(偽情報)取扱人たちによって民主主義者および平和愛好家としてうまく紹介されてきた。われわれは彼の愛読書は、彼がそれからしばしば引用するThe Federalist Papersであると告げられる。彼は、もし共産党指導部が彼をトップに据えようと決心したならば、「改革/民主主義/共産主義の終焉」クーデタに対する大きな信頼感をもたらすであろう。しかし、彼は今なおソビエト世界支配に献身した筋金入りの終生のマルクス・レーニン主義者である。

ボリス・エリツィンはソビエト劇場のステージに登るクレムリンの最新の主演登場者である。また終生の筋金入りマルクス・レーニン主義者(ゴルバチョフやシュワルナゼと同様に)であるエリツィンは信頼に足る反共産主義者、民主主義者、自由愛好家--忌まわしい強硬路線派の共産主義的怪物--ゴリアテ--に対して立ち上がることによって彼の生命と経歴を喜んで危険に曝そうとするロシアのダビデ--としてその肖像画を描かれてきた。アメリカ人は勇敢な負け犬を愛する。そしてエリツィンの性格はクレムリンの脚本作家たちによってアメリカ、ヨーロッパ、その他の中流階層から大きな賞讃と尊敬を引き出すために仕立て上げられた。西側における「普通の人々」はこの雄々しい、厳しく告発する、大酒飲みの、歯に衣を着せぬ「民主主義のチャンピオン」--ロシアの「ジョン・ウェイン・タイプ」--に共鳴することができる。

しかし、ボリス・エリツィンの実体はいくぶん違っている。1961年に30歳でエリツィンは共産党に入党した。1968年に彼はシベリアのスヴェルドルフスク(Sverdlovsk)共産党における専任党活動家となった。彼は続いて党書記となり、そして1976年には地域委員会の第一書記となった。このポストで腕利きのエリツィンはモスクワにおける共産党指導者たちによって注目された。1985年4月に彼は共産党中央委員会建設部門の長に上げられた。そして1985年12月には120万人の党員を抱えるモスクワ市党委員会(全ソビエト連邦における最大の共産主義組織)の長に指名された。

ゴルバチョフやシュワルナゼの場合にそうであったと同じように、CPSU中央委員会およびKGBにおける影響力のある人物たちはエリツィンをトップへの速い進路--その人間のマルクス・レーニン主義者としての信用証明が申し分のないものでなければソビエト連邦では決して起こらない何かあるもの--の上に載せた。モスクワ共産党の強力な長としてのエリツィンの立場は彼にとってソ連政治局(彼はゴルバチョフとの「喧嘩」において1987年に解任されたけれども)に据えられる扉を開いた。

1991年6月にエリツィンは(「偉大な民主主義と市場経済を確立するために速やかに動く」と約束して)ロシア共和国大統領に選ばれた(最初のそのような選挙において)--ソビエト連邦の2億8千万人のうち1億5千万人の得票数を得た--。(彼はそれ以来ほぼ独裁的な権力をわがものにした。)その選挙に引き続いて西側の報道機関は熱狂的にエリツィンを「実物よりも大きい--ロシア人民は彼を愛する」と描写した。

彼のイメージ、信用そして西側における地位は、彼が最近の8月クーデタ/反クーデタ劇の間に強硬派の「8人のギャング」クーデタ犯人に対して「隙間に立つ」ために現われたとき、軌道に乗ったのである。(以下の第Ⅱ部--ソビエト偽クーデタ)

彼が全ソビエト軍とKGBをほとんど独力で撃退するために「現れた」とき、西側のメディアと世論はミサイルとなった(went ballistic)。アメリカ人は「正義の男:エリツィンはロビン・フッド、モーゼ、チャーチルの列に加わる」というような典型的な見出しをつけた記事で攻め立てられた。8月にはほとんど1週間にわたってエリツィンは世界の大統領として受け入れられたであろう--もしそのような地位が存在したらという話ではあるが--。

エリツィンの「考え」は第26回および第27回CPSUの党会議で彼が行った演説のうちに反映されている。そこでは彼は同じようにCPSUのすさまじい努力をソビエト連邦の不滅の前進と偉大な成功として大いに賞讃した。彼がその党会議の最初に言ったように:「今日、われわれは、われわれの社会が所有する大きな生産力と足かせを取り除かれた社会主義によってソビエト人民に供給された富を見出す。そしてこのすべては共産党、その中央委員会そして政治局の賢明な集団的頭脳、巨人的な働き、破ることのできない意志、そしてうち勝つことができない組織的才能の結果である...

「中央委員会の指導の下にわれわれの党と国家は帝国主義(すなわち、アメリカ)の攻撃的策謀の困難な反証において実際に指導し続けてきた。共産主義者たちとスヴェルドルフスク中央委員会(1985年4月までエリツィンが委員長をしていた)の全労働者は代議員たちとレーニンの中央委員会に、彼らが全革命的熱意をもって戦い、そして共産党の運動に対して揺るぎない献身を捧げるであろうということを保証する。」

1990年7月に、クレムリンの脚本はエリツィンに共産党から退く(シュワルナゼとゴルバチョフが現在そうしたように)ように求めた。そしてエリツィンは今や「共産党員ではない改革者」として言及されている。そうだ、しかし彼は今なお筋金入りのマルクス・レーニン主義的革命家--一つの重要な栄誉--である。この論考を書いている時点で彼はロシア共和国(その1億5千万人の人口を持つ)に君臨するほとんど全般的独裁者となった。

エリツィンは、ゴルバチョフ、シュワルナゼそして共産党の改革(リベラル)派と同じように、ペレストロイカ(上から下までの共産党とソビエト連邦の再編成と再組織)に完全に身を捧げている(以下の項を見よ)。エリツィンは数十万人(あるいは数百万人)の官僚、aparatchiks、そしてノーメンクラトゥーラ(特権階級の人々)の追放に賛成しているが--それは共産主義を終わらせるためではなくて、世界の新しい支配へ向かってその推進力を加速するためである。彼はゴルバチョフよりも遠くそして速くさえ進むであろう--それゆえに二人の間には「申し立てられた」敵対関係があるのである。

エリツィンはゴルバチョフに反対ではないし、また共産主義に反対ではない。彼は、彼とゴルバチョフが利己的で慢心した、そして世界革命のための共産主義の予定表を遅らせていると信じている堅牢な官僚主義(とそれが産み出した停滞)に反対しているのである。

エリツィンとゴルバチョフがソビエト連邦における多党制について話し合うとき、彼らは共産主義体制内部ですべて機能する複合的な諸共産党について話しているのである。それゆえに、共産主義者たちの「左に」一つの新しい党を設立するというエリツィンの決定があるのである。それは反-自由企業、反-資本主義的、そして筋金入りのマルクス・レーニン主義的であろうが、しかし自由市場、民主主義、等々のすべての用語を用いるであろう。

編集者注:ロシアの政治と劇場においては「嘘つき」と「嘘つきの援助者」の概念がある。ゴルバチョフは嘘つきであり--エリツィンは「嘘つきの援助者」である。]

結論--ゴルバチョフ、シュワルナゼ、そしてエリツィンはすべて(ハムレットあるいはリヤ王のような)一つの劇的舞台演劇における俳優たちである。ソビエトの人間たちは彼らの政治を、時には主人公の死あるいは永久の退場を含む十分考えられたシナリオに従って編成する。それは劇の筋を理解するのを助けるし、俳優たちの間の立場や関係、同様にまた観衆--世界--に対する意図された影響あるいは衝撃を理解する助けになる。ソビエト連邦における何物も偶然的ではない:言葉、舞台、バイオリン、あるいは筋。

上に述べた三人の俳優たちは皆、筋書き、その歩調、そして筋における各自の新しいひねりを組み合わせながらCPSU、KGBそしてソビエト軍の中央委員会における彼らの指導者達と(どちらかと言えば同じ)改革精神をもった、リベラルなマルクス・レーニン主義者たちである。(すなわち、[劇の筋とは]最近のでっち上げのクーデタ/ 反クーデタ、ソビエト連邦の共産党、KGBおよびUSSRそれ自体の終結--実際は改名である。)ちょうど西側の観衆がテレビの「ダラス」の次のエピソードによって魅惑されるのと同じように、クレムリンの指導者たちはソビエト政治劇場の次の演目で西側に催眠術をかけ、彼らを操作することを計画するのである。

そして最終的な目標:西側に共産主義はUSSRにおいて崩壊した、民主主義がやって来た、大量の合衆国(西側)援助と軍縮がその後に続くべきである、そして東と西の統合(ヨーロッパに始まる)が--1990年代半ばから後半までに--起こるべきであるということを確信させること。

編集者注:上に述べた3大俳優には他の者たちが加わるであろう。他の新進のスターに注目せよ--アレクサンデル・ヤコヴレフ(Alexander Yakovlev)--ゴルバチョフとシュワルナゼのごく近い腹心。]

D. ソビエトの偽情報

「真理を告げることはブルジョワの偏見である。他方において、欺瞞は目標によってしばしば正当化される。」

ウラディーミル・レーニン(1921)

「われわれが弱いとき、強さを自慢せよ...われわれが強いとき、弱さを装え。」

ウラディーミル・レーニン(1921)

現在のソビエトの指導者たちは西側を不安定にし、それを体系的な欺瞞を通じて敗北させる歴史の中でも最も包括的そしてマキアヴェリ的計画を展開してきた。ソビエトの人間たちは、アメリカ人民が非常に短い注意期間を持っている、メディアが産み出す幻想によって容易に誘惑される、--行為が言葉に矛盾するときでさえ--行為よりは言葉(「真摯さ」をもって断言されるとき)を信じる方が容易であると思う、そしてカムフラージュと欺瞞を見抜くことを困難であると思う、ということを学んできた。ソビエトの指導者たちは現在、平和、共産主義の死、帝国の崩壊、ソビエト連邦の非武装化、USSRにおける民主主義、西側との友好関係(そしておそらく経済的崩壊さえ)の幻想を--まさにその反対を計画し、しでかしている一方で--創り出している。

欺瞞のこの戦略を促進するために、ソビエトの指導者たちは(主としてKGBを通じて)偽情報--非共産主義の世界から強く望んでいる反応を引き出すための共産主義的世界の真の状況と実践の意図的な偽りの描写--を利用している。共産主義世界内部の真の弱さと危機の時期においては、注意深く念入りに作られたイメージは攻撃的な強さと拡張のイメージである。そしてすべての共産主義的実践はそのイメージを創り出すように適合させられる。共産主義指導部内部の実際の強さと連帯の時期には、体制は弱い、もがいている、過渡的である、そして西側諸国家の一団との協力に対して開かれているものとして描かれる。

西側に対するイデオロギー戦争を遂行するために、ソビエトの偽情報/プロパガンダの専門家たちは2種類の研究に努力を集中する。一つは西側の人々と彼らの心理学の研究である。もう一つの研究はイデオロギー、政治そして経済の分野における勝利達成のための気づかれない、潜在意識に印象づけるプロパガンダの作業方法を発展させることから成り立っている。ソビエトの人間たちはアメリカ人に彼らが聴きたいと望んでいることを告げる、そしてそれを信じることができるものとする技術をマスターした。

1.偽情報ネットワーク

ソビエトの人間たちは世界のメディアにおいて偽情報とプロパガンダに特に専念する数万人のKGBエージェントを持っている。ジェームズ・タイソン(James Tyson)はTarget Americaの中で、アメリカにおける数万人のKGBエージェントのうち、およそ2千人が合衆国のメディア内部で働いていると見積もっている。ソビエトの公式ニュース(偽情報)機関であるタスは126の国々に--ほとんど独占的にKGBによって職員が配置されている--支局を持っている。

ノーヴォスチ(Novosti)通信社は世界中に3千人の従業員(ほとんどKGB)を持っている。それは世界中の4千の情報サービスに情報と報告を配信している。ノーヴォスチは数千冊の書物と世界中の(インドだけで12)外国に24の挿し絵入り雑誌を(45カ国語で)出版している。ノーヴォスチは32の異なったアフリカ諸国で雑誌と新聞を発行し(リビアで印刷された)、ヨーロッパと北アメリカで数百万部の書物、新聞および雑誌を配っている。

ソビエトの人間たちはプロパガンダの最善の普及は西側のメディア代理店へ適切に編集されたテレビニュース・リールおよび新聞ゲラ刷りを供給することにあるということを知っている。西側の人々は彼らの側で、グラスノスチがこのことを「許している」ということに感動し、そのデータ--そのほとんどはKGBによって準備されている--の妥当性に関しては何の考えあるいは疑問もなしにすべてのものを熱心に伝達あるいは公表するのである。

タス通信社は全世界がソビエト連邦についてのその情報をそれに依存しているはけ口である。タスは数万件のコミュニケ、雑誌と新聞の記事、毎年のプログラムと解説を産み出している。それらは偏っていなくて客観的であるように見えるが、しかし実際は現在のソビエトの考え、戦略あるいは巧みな操作を押し進める巧妙な、詭弁で惑わせる偽情報あるいはプロパガンダである。これらは今度は数万の西側および第三世界のメディア出口へと情報として与えられ、そして世界中の数百万の疑っていない人々が見ることになるのである。

この偽情報は実際に常に西側(特にアメリカ)の聴衆が聴きたいことなのである。目下のところ、それはソビエト経済の崩壊、共産党の解消、東ヨーロッパにおける大混乱、共産主義体制の終焉、ソビエト帝国の解消、等々を詳しく書いている。ソビエト軍隊に関するいかなる情報もほとんど完全にないということは注目すべきことである。これは偶然にそうだということではない!

2.ソビエトの人間たちが彼らの経済を実際より少なく述べるのは彼らの「弱さだと見せかけよ/西側の援助を得よ」という偽情報キャンペーンの一部としてであるか?

筆者は最近、多くの分野におけるソビエトと合衆国の生産を比較している世界統計の1988年ソビエト出版物からの統計を見た。これらの統計は多くの分野における驚くべきソビエト経済の強さ、USSRがまったくの経済的両手両足切断者であるというすべての見せかけとは完全に正反対を走っている強さを示している。

ソビエトの生産の数字対アメリカの生産の数字のいくつかの例は熟考に値する:生産量全体はアメリカのそれの80%である。原油生産量--アメリカのそれの140%、天然ガス生産量--アメリカのそれの139%、鋳鉄--アメリカの286%、鉄鋼--アメリカの214%、鉄鉱石--アメリカの504%、無機肥料--162%、トラクター一式--463%、セメント--168%、綿織物--515%、毛織物--515%、砂糖--149%、鉄道貨物輸送--273%、大学および短大生--83%、物理学者数--218%、病院ベッド数--369%。

筆者は1990年のソビエト穀物生産の統計を見たが、そのことは彼らが彼らの真の生産量を大幅に少なく言ったのではないかと筆者に疑念を抱かせる。われわれはソビエトの人間たちは技術的/産業的/財政的道化師であると信じる気にさせられた。しかし世界の技術者たちのうちの半分以上がソビエト連邦において生活しているのである。平均的なソビエトの大学卒業生は平均的な今日のアメリカの大学卒業生よりも遙かによく教育されている、このことはたいていのアメリカ人が認めることを望まない何かあるものである。ソビエトの人間たちはアメリカ人よりも1年間に世界特許を2倍半から3倍多く産み出している。彼らはすでに、「プラズマ」(血ではない)に基づく発電所--太陽のような自己生成する発電所--を持っている。

ソビエトの人間たちは、最初の核発電所を建設した。チェルノブイリはわれわれの核発電所よりはずっと古かったので起こったのだ。ソビエトの人間たちは1950年代に世界で最初の核発電の砕氷船を建造した。彼らは、アメリカが建造しないことを選んだスター・ウォーズ型の宇宙基地防衛システムを現在配備している。彼らは--軍事目的のために--大気圏外空間における作戦宇宙ステーションを持っている。アメリカは一つを打ち上げる余裕を持つこともできない。

彼らは、アメリカが打ち上げることができる32トン最大限ロケット弾頭(打ち上げ能力において3対1の強さ)に対するに100トンの弾頭を大気圏外空間へ打ち上げる作戦ロケットを持っている。彼らは、アメリカのC5Aギャラクシーよりも遙かに大きい世界最大の軍事輸送機を建造した。彼らはアメリカのお気に入りのビデオ・ゲーム--Nintendo--をさえ開発した。彼らは30億ドルの値段の原子力潜水艦を6週間ごとに1隻建造しているが、それはアメリカが建造することができるのと同じくらいよいものである。彼らの軍事産業はわれわれ自身のサイズよりも5倍から10倍であり、多くの場合われわれのものと同じくらいに洗練された、そしてわれわれ自身の量の5倍から6倍の量の兵器を生産している。彼らが技術的にアメリカに遅れている分野においては、かれらは必要としているものを懇願し、借用し、盗みあるいは西側によって与えられている。

財政的に、彼らは、彼らが大きな商取引における価格に関して常にわれわれを包囲する[原文はbestであるがbesetの誤りか? =訳者]--彼らは実際には非常に洗練された市場管理者(あるいは操作者)である--という点において、われわれが彼らがそうであると気づいている、無能力者ではないであろう。彼らは、金(世界第3位の大きな生産者として)を売るとき、彼らの利益を最大限にまで強めて売る。ソビエト経済は実際は、われわれ自身よりも、西側における来るべき不況に対しては弱点が少ない。なぜなら、彼らは、われわれが持っているような、崩壊させるような巨大な国内負債ピラミッドを持っていないからである。(アメリカのそれは15兆ドルであり、そして上昇している。)ソビエトのほとんどの負債は国際的な負債である--西側に負っている!--

さらに、ソビエト連邦における主要なデフレ経済(あるいは価格)崩壊は、政府があらゆるものを所有しており、そしてすべての価格を支配しているがゆえに、ありそうにない。人々は流動資産を得るために財産あるいは投下資本を外国市場へ投げ売りしないであろう。--彼らは何も所有していない!--ソビエトの人間たちは主要な輸出者ではない--彼らは自分たちの生産物のほとんどを消費する。しかし彼らは主要な輸入者である。そして輸入価格は不況においてはひどく下がるであろう。ソビエト経済は西側の世界不況からは相対的に隔離されるであろう。

要点は何か? 中国の軍事戦略家の孫子(ソビエトの指導者たちが偶像化している)は「あなたの強さの頂点にあるときには弱さと見せかけよ」と言った。ソビエトの人間たちは彼らの経済的強さの頂点にはいないであろう(彼らはこれまでそうであったことはない)が、しかし彼らは経済的両手両足切断者でもないし、あるいはソビエトの偽情報が彼らをそうであると描くような技術的/産業的/財政的無能力者でもない。上述の諸事実のいくつかが示したように、彼らは、われわれが信じるように導かれてきたよりは経済的、産業的、技術的に遙かに強力であろう。

筆者が知っている一人の非常に評判の高いソビエト生まれのソビエト学者は、大幅な西側財政援助を求めるソビエトの背後の主要な動機は、われわれの資源を過度に乱用することによって、脆弱な合衆国および西側の経済を破壊する欲求と同じ程度には、窮乏ではないとさえ信じている。突然債務不履行となったUSSRへの1千億ドルあるいはそれ以上の借款がまた西側における財政的崩壊を早める助けをすることもまたできるであろう。

しかしながら、ソビエトは彼らの軍事的頂点にある(彼らの現在の「みかけの」政治的混乱にもかかわらず)。そして西側の強さに対しての強さは日々増大している(以下の第Ⅳ部を見よ)。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArhur)将軍はかつて「あなたの敵を過小評価することは最も危険である」と言った。ソビエトの偽情報とUSSRにおける真の状態についての西側の騙され易さがソビエトの軍事的、産業的そして技術的な強さを危険にも過小評価し、われわれ自身の強さを過大評価するようにさせているのではないか? ソビエトの人々は注意深く「道化者」イメージを創り出しているのか? 彼らは本当に「狐のように口がきけない」のか?

ソビエトの偽情報を考察するときのソビエト・ウォッチャーの一つのよい原則はほとんどすべてのことはそれがそうであると見えるものの反対であると考えることである。記憶しておくべきもう一つの規則は、もしあなたが銃を所有しているならば、あなたはなお国を所有するということである。

II.ソビエトの偽クーデタ -- その最善の状態でのソビエト劇

8月19日月曜日に、ミハイル・ゴルバチョフは彼のグラスノスチ/ペレストロイカ改革プログラムの諸結果に満足しなかった軍隊、KGB、そして共産党「強硬路線派」によるクーデタにおいて明示的に転覆させられた。三日以内に、そのクーデタはばらばらに崩壊した。8人のクーデタ指導者たちが逮捕された。そしてゴルバチョフは権力へと回復された。共産党の、そして世界の報道機関ならびにブッシュや他の西側指導者たちがクーデタと反クーデタの真正さを大声で吹聴したのだけれども、筆者をこのクーデタは演じられたのだと結論させるいくつかの非常に奇妙な局面がその出来事全体には存在した:

1)合衆国と世界の報道機関が8月19日にいたるまでの数日間来るべきクーデタについて警告した。世界の報道機関がそのような出来事について前もって通達を与えられることはほとんどない。西側の諜報機関の情報源は先立つ数ヶ月前にクーデタについて知っていた。したがって、クーデタのあらかじめの周知にもかかわらず、ゴルバチョフはそれに対処する、あるいはそれを回避する何の動きもしなかったとという事実は奇妙であった。

2)8人のクーデタ指導者たちはすべてゴルバチョフに任命された者そして腹心であった。

3)クーデタ指導者ゲンナディ・ヤナーエフ(Gennady Yanayev)は自らについて「代理大統領」としてのみ言及し、「彼[ゴルバチョフ]の病気」から回復した後権力に復帰するゴルバチョフについて語った。

4)クーデタ指導者たちは国内あるいは国際通信回線を切断しなかった--クーデタあるいは革命的激動においては常になされるあること--。

5)クーデタ指導者たちは報道機関を--ソビエトの報道機関もロシアに支局を持つ外国報道機関もどちらも--統制する何らの試みもしなかった--それらはクーデタの間中国際電話回線への完全な接続を持っていた。

6)エリツィンのような反クーデタ指導者たちはクーデタの間中国際電話回線そしてオペレーターへの接続を持っていた。

7)ただ最小限の人数の軍隊のみがクーデタを通じてずっと用いられたにすぎない。そしてエリツィンに忠実な軍隊は議会の建物にいるエリツィンの周りに派遣された。

8)空港はすべて開かれたままであった。

9)議会の建物における水道、電気そして電話回線は一度も切られなかった。

10)筋の通ったクーデタにおいては、KGBはエリツィン、ゴルバチョフそして他の改革派の指導者たちを殺したであろう。エリツィンを逮捕する何らの試みはなされさえしなかった。しかしクーデタ首謀者たちはゴルバチョフの有名な敵であるゴディヤン(Godiyan)を逮捕した。

ソビエト人民の62%はクーデタが偽物であったと信じている

ソビエト・グルジアの大統領はクーデタの後間もなく出て来て、背後で操ったとしてゴルバチョフを非難した。そしてソビエト人民の62%(私的な世論調査に従えば)はクーデタが偽物であったと信じている。エドゥアルト・シュワルナゼ(ゴルバチョフの元外務大臣)でさえ、ゴルビーがクーデタの背後にいたであろうと言った。ゴルバチョフとソビエト指導部は確かに偽の、あるいは演じられたクーデタから多く得るところがあったのである:

1)もしゴルバチョフが反動主義者たちから国家の支配を取り上げ、憲法の権威を回復する者として見られることができるならば、彼の人気と正当性は人民の間で上昇するであろう。

2)クーデタと反クーデタは度し難いソビエト人民を--彼らの生活状態の改善への希望を約束しながら--静めるであろうと期待された。

3)クーデタと反クーデタは--もっと多くの財政およびハイ・テク援助のための水門を開きながら--西側の目にソビエトの改革/民主主義/グラスノスチ/ペレストロイカ運動の信用度を上昇させるであろう。世界のブッシュたちはこう言うことができた:「見よ、われわれのよき友人ゴルバチョフとソビエトの民主主義勢力は「強硬路線派の弾丸」から身をかわしたばかりである。--今やわれわれは、民主主義と改革が成功しそして生き残るのを見ることを望むならば、彼らを助けなければならない」と。

4)クーデタはゴルビーが本当に何とすばらしいかということを西側に思い起こさせなければならなかった。彼は彼の巨大な軍事的増強、彼のバルト諸国における人民の殺戮、等々のために信用を失っていた。クーデタの後、彼はこれらすべての不謹慎な行為を「強硬路線派」に対して非難することができた。

5)ソビエト連邦への「民主主義の復活」そして「強硬路線派の消滅」は今やその軍縮を加速するための西側に対する一つの口実である。そして新世界秩序への吸収を加速するためのアメリカ、ヨーロッパ、そしてソビエト連邦における世界主義者たちに対する口実である。

6)クーデタと反クーデタは数十万人の無能な共産党、KGBあるいは政府の官僚たち--彼らのうち数万人は射殺され、あるいは投獄された--の期限の切れた追放を始めるための一つの口実である。党のこの追放(あるいは浄化)は1917年以来定期的に行われてきた。それはそれをもっと強くするためにブドウの木あるいはバラの茂みを刈り込むことに似ている。一つの巨大な共産党パージはソビエト連邦において今進行中である。

7)クーデタと反クーデタはソビエト連邦の共産党、KGBそしてUSSRそれ自身を再組織し、改名するための口実であろう。ソビエト連邦を上から下まで再編成し、再組織しそして合理化するというこの戦略はここ数年間計画の段階にあった。クーデタと反クーデタの衝撃(あるいは煙幕)の下でこの再組織は今や巨大な飛躍においてなされるであろう。

8)クーデタと反クーデタのもう一つの目標はボリス・エリツィンを「スーパースターの地位」に上げ、その結果、もし人民がゴルバチョフの周りに馳せ参じなかったならば、彼が指導部へ割り込むことができるようにすることであった。ソビエト劇場は、即座に舞台に立てる準備のできているスターのための一人の代役を常に持っている。

クーデタの8人の指導者たち(クリュチコフ(Kryuchkov)、ヤゾフ(Yazov)、パブロフ(Pavlov)、プゴ(Pugo)、ヤナエフ(Yanayev)、バクラノフ(Baklanov)、スタロドゥブツェフ(Starodubtsev)そしてティジャコフ(Tisyakov))はクーデタを仕組むことへとおびき寄せられた。(彼らがそう信じたことは本当であった。)彼らははめられ、罠にかけられ、そして次に裏切られた。プゴは自殺したと言われているが、しかし殺された方がもっとありそうなことであった。残りの7人は裁判にかけられ、投獄されあるいは銃殺されるであろう。裏切ることそして彼ら自身の最高の指導権を粛正すること--これが共産主義者のやり方である。彼らはトロツキー(Trotsky)を打倒し、(メキシコで)殺害した。彼らはブハーリン(Bukharin)(レーニンの最も近い仲間であり、「革命の英雄」)を追放しそして1936年に処刑した。なぜなら、彼は1936年および1937年におけるスターリンのペレストロイカを支持しようとしなかったからである。そして彼らは1956年にベリア(Beria)(NKVDの長)を処刑した。クリュチコフと友人たちは党の長期の善のために犠牲とされる似たような運命をおそらく経験するであろう。そしてクリュチコフ、ヤゾフ、プゴ、パブロフ、等々(明らかに罠の中に歩いて入った)の犠牲はクーデタと反クーデタの計画全体に巨大な信用を与える。

歴史的前例--1917年以来ソビエトの歴史には追放、二枚舌、裏切りそして残忍な処刑のための多数の前例がある。しかしまた、猛烈イヴァン(Ivan)がロシア皇帝であった1546年にロシアの歴史における偽クーデタの前例がある。イヴァンはロシアを彼のイメージに作り変えるができないことに対して狂ったようになった。支配階級(年老いた近衛兵)は事あるごとに彼を妨げようとした。イヴァンはまた支配階級が彼の妻アナスタシア(Anastasia)を殺した(毒殺した)と信じた。それゆえ、彼は、あたかも休暇に出かけるかのように荷造りをし、そしていったん自分の目的地に到着すると、自分は王位を棄てたと支配階級のエリートに伝言した。

このことは支配階級中に恐怖の衝撃波を送った。農民たちが反乱を起こすであろう。そして彼らはイヴァンの商人階級の追随者たちから何らの援助も得られないであろう。それゆえ、彼らはイヴァンに伝言した。「どうか戻ってください!」彼は答えた。「戻ろう、しかし私の条件でだ。」彼らはそれについて考えた。そしてそれから、それは悪のうちの小さい方だと決断した。イヴァンは王位に戻り、支配階級からの抵抗もそれほどなしに彼の改革の努力を再び始めた。

ソビエトの人々はジェスチャーゲームを看破した

一つの事が偽のクーデタ/反クーデタではうまく行かなかった。ソビエトの人々はゴルバチョフの周りに参集すると想定されていた。彼らはそうではなかった!多くの人々がジェスチャーゲームを看破した。そしてたいていの人は彼の6年間の独裁支配を簡単に赦さなかった。それゆえ、エリツィンおよび/あるいはシュワルナゼを中央舞台に移すことが有利となり得た。しかし思い起こそう、両者ともゴルバチョフと同じ布から切り出された筋金入りのマルクス・レーニン主義者であることを。フランスの諺が言っているように、「それが変われば変わるほど、それはそれだけますます同じものにとどまる」のである。

III.ソビエト帝国の再編成と再組織化

もちろん、われわれはソビエト権力を変えようとしているのではない、あるいはその基本的な原理を放棄しようとしているのではない。しかし、われわれは社会主義を強化するであろう諸々の変化の必要性を認めている

M. ゴルバチョフ --ペレストロイカ

西側のメディアはここ1ヶ月の間、ソビエト帝国は崩壊しつつある、共産主義と社会主義は放棄され、そしてついに死んだ、ソビエト連邦の共産党とKGBは徐々に廃止され、解散させられ、そして「歴史のゴミ箱」にゆだねられた、という見出しで満たされてきた。確かに「8人のギャング」の終焉、エリツィンの権力への上昇、CPSUおよびKGBの公式的断罪、そしてソビエト諸共和国の多くのものの独立は皆、「悪しき帝国」の終末を合図するように見えるであろう。しかし見かけは欺瞞的である得る。そしてマルクス・レーニン主義の弁証法もまた欺瞞的であり得るのだ。

ソビエト帝国は西側報道機関や指導者たちがわれわれに告げ続けているようには崩壊しつつあるのではない。それは再構築、再調整、再編成、合理化しつつあるのであり、無用な人材を追放しつつありそして次の5年から10年の間の世界支配のためのその最終的な攻撃への準備の再武装をしつつあるのである。ゴルバチョフが1989年に言ったように:「再構築(ペレストロイカ)を通じてわれわれは社会主義に第2の風を与えたい。このことを達成するために、ソビエト連邦の共産党はボルシェビキ革命の諸々の源泉と原理、新しい社会の建設についてのレーニン主義の理想へと戻るのだ。」そして1987 年にはゴルバチョフはこう言った」「1917年10月にわれわれは古い世界をきっぱりと拒絶してそれを手放した。われわれは一つの新しい世界、共産主義の世界へ向かって動いている。われわれは決して横道には入らない。

これは共産主義の死を統轄している一人の男のように響くであろうか? ゴルバチョフが崇拝しているレーニンは孫子を引用しながらこう言った:「われわれは後退を通じて前進する...われわれが弱いとき、われわれは強さを誇る。そしてわれわれが強いとき、われわれは弱さのふりをするのだ。」あなたの敵を混乱させるために2歩前進して1歩後退するという古い弁証法的レーニン主義的教説は今日、彼の弟子であるゴルバチョフによって確かに適用されている。それは信徒たちによって「科学的社会主義」と呼ばれている。そしてもちろん、ゴルバチョフは自分は社会主義を放棄することを望むのでなく、それを更新し、再構築し、強化することを望んでいると言った。ソビエト連邦における現在のすべての変化は社会主義の枠内にあるということは記憶されるべきである。

A.ソビエト共産党とKGBを廃止すること

ソビエトの人間たちはCPSUあるいはKGBを廃止しているのではない。彼らはそれらを改名しているのであり、それらを再編成しているのであり、それらから役立たずの人材を追放しているのであり、彼らの使命を拡大しているのである。

1.KGBは1917 年以来6つの名前を持って来た。1)CHEKA、2)OGPU、3)GPU、4)NKVD、5)MVD、そして6)KGB。これらの名称変更のすべては追放(そこでは頂点にいる数千人の長たちが除名された)に、再構築あるいは再編成に、秘密警察の役割の拡大に、そして秘密警察は廃止されたという公的な宣言に伴うものであった。1950年代に、NKVDの残忍で悪名高い長であったベリアは追放され、そして処刑された。ウラディーミル・クリュチコフ(最近の偽のクーデタと反クーデタまでKGBの長)は同じように解任され、そしておそらくクーデタ/反クーデタをより本物らしく見せるために銃殺刑に処せられるであろう。

KGBは世界中におよそ150万人の職員を持っており、隠退した約5万人が合衆国にいる。KGB軍事部隊は今やソビエト軍司令官の下に移されるであろう。(新しいKGBはソビエト軍隊の命令下に入るであろう。)そして数万人の無能なKGB官僚たちは解雇されるであろう(あるいはもっと悪いことが)。これはKGBを破壊するためではなくて、それをもっと強いもの、もっと能率のよいもの、痩せたそして卑劣なもの、等々にするためになされるのである。それは肥満した、馬鹿な、怠けたそして太鼓腹であると見られてきた。ちょうどルーマニア秘密警察、セクリターテ(チャウセスクの下で5万人の強力なものであった)が申し立てによれば非共産主義的であるルーマニア--しかし今なお共産主義者たちによって支配されている--において働き続けているのと同じように、KGBはUSSR--それは申し立てによれば非共産主義的であろうが--しかし今なお共産主義者たちによって支配されている--において機能し続けている。

2.ソビエト連邦の共産党の再構築と改名--CPSUは2千万人の党員を持っている。そして別の4千万人の党員がレーニン青年組織コムソモールに属している。(コムソモールは赤軍、KGB,海軍、空軍そして青年工場労働者の大多数からのメンバーをもつ若い成人組織である。)CPSUは頭でっかちになり、重荷となる官僚的な人物によって能率の悪いものとなった。それはその能率を増大するために今や再編成され、再構築され、規模を縮小され(あるいは追放され)、そして改名されるべき時である。それは、ゴルバチョフ、ブッシュ、そしてソビエトおよび西側報道機関がわれわれに告げ続けているように廃止されようとしているのではない。

ソビエト連邦の共産党が名称において多くの変態(metamorphoses)を経験してきたということは覚えておくべきことである:その発端では、それはロシア社会民主労働者党と呼ばれた。1912年に党内の確執に続いてそれはボルシェヴィキとメンシェヴィキ(「大きい方」と「小さい方」)に分裂する。大きい方が小さい方を食った。名称はそこで1918年にボルシェヴィキのロシア社会民主労働者党となった。1925年に名称はふたたび全ソビエト共産党(ボルシェヴィキ)へと変えられた。1952年にそれはソビエト連邦共産党(the Communist Party of the Soviet Union=CPSU)となり、現在まで続いた。それは今やふたたび改名されようとしている(おそらく社会民主党へ)。

これらの名称変更の各々にはいつも主要なファンファーレ「共産主義者たちは完全に変わったという絶対的証拠」、そしてすべての政治的、経済的、そして抑圧的な諸悪が先行の党によって犯されてきた--しかし新しい党は慈悲深く、民主的で、自由愛好的、等々であろうという宣言を伴っていた。実際には、古い諸悪のすべては新しい改訂された党の下で続いた--何一つ変わらなかった!現在の名称変更はソビエト連邦共産党の諸々の原理と目標のどれをも変更しないであろう。

レーニンとスターリンの下での主たる共産党名称変更の各々には、組織を簡素化し、それを恐るべき規律の下にもたらすための大量追放(「党の若返らせ」と呼ばれた)を伴っていた。数百万のロシア共産党員たちがこれらの追放において壁[銃殺のことか? =訳者]あるいはグーラーグ[強制収容所]へ行った。今日のCPSUは肥満で、馬鹿で、怠慢で、不注意で、無関心でそして消極的なものとなった。そして第二次世界大戦の間よりも10倍も大きくなった。それはその目標を見失った。それは希釈されたものとなった。そしておそらく百万ほどの党員たちによって刈り込まれるであろう。これは党の廃止ではない--それは党の再編成、再構築そして強化である。

共産党員たちはアメリカ人は騙され易いと信じている

共産党員たちはアメリカ人そしてほとんどの西側の人々が浅薄で、表面的で、騙され易い、そしてメディアによって産み出された諸々の幻想によって容易に魅惑されると信じている。それゆえ、もし彼らが彼らの諸々の戦線あるいは党の一つの名前を変えるならば、そして古い組織は死んだと宣言するならば、たいていの西側の人々はそれを信じるであろう。数十年にわたって彼らはこのやり方で彼らの共産主義戦線組織の名称を規定通りに変えてきた。彼らはイタリア共産党を改名したばかりである。今はそれを民主党と呼んでいる。ポーランドでは彼らは共産党(それはポーランド連合労働者党と呼ばれていた)を社会民主党と改名した。ルーマニアでは彼らは新しい党を新救国戦線と呼びながら、古いルーマニア共産党を改名した。これらの事例の(あるいは他の事例の)どれ一つにおいても彼らはその共産党を廃止したのではない。彼らは単純に党を改名し、再編成し、再構築したのだ。それなのに、騙され易い、素朴な西側の人々はジェスチャーゲームを信じたのだ。「バラは、他のいかなる名前によっても、やはりバラである」と言われてきた。CPSUを社会民主党(あるいは何かそのような名前)と呼ぶことはそれが一つの新しい名前と何らかの新しい顔をもつ同じ古いCPSUであるとう事実を変えないであろう。

今日、ソビエト連邦共産党は選挙で選ばれた代議員たち、政治局、そして中央委員会を通じて作動している。CPSUの中央委員会(300人から450人の委員から構成されている)はUSSRにおいて真の権力を行使している。そしておよそ100人の委員の内密のサークルが実際に采配を振るっている。これらの中央委員会委員たちは軍隊とKGBならびにゴルバチョフ、エリツィン、シュワルナゼそしてさまざまの内閣諸大臣のような「可視的な」政治家たちを支配している。ゴルバチョフは単に一人の俳優、被雇用者であって、彼は彼ら(そしてKGB)がグラスノスチ/ペレストロイカ#6のための脚本を書いた1980年代初頭以来中央委員会によって施行されている政策を実行しているのである。

ふたたび見栄えよくされ、改名された共産党は1986年および1990年におけるCPSU第25および第26党大会で十分に論議された。ゴルバチョフは「新しい党」を「社会主義的選択共産主義的展望の党...偏狭な愛国主義、国家主義、人種主義、そして反動的イデオロギーそして反啓蒙主義のいかなる出現にも我慢できない...全人類に共通の人道主義的諸理想を支持する党...諸連邦共和国の共産党の独立を承認する党...さまざまの国の共産党員、社会民主党員そして社会党員との接触、共同行動に開かれた党」として記述した。

CPSUの指導部によって考えられた「新しい党」のプロフィールを読めば、「古い党」と「新しい党」との間の唯一の相違が新しい党のプロフィールの、世界中のすべての革命的運動の幅広い受容にあるということは明らかである。

「共産主義」の代わりに用いられるべき「社会主義」

「概念、主要観念はペレストロイカを通じてわれわれが社会主義に対して一つの新しい借地契約を与えたいと望み社会主義の組織の可能性を明らかにしたいと望んでいるとう事実に存する。」ミハイル・ゴルバチョフ、1989年10月

今日われわれはペレストロイカ、それに第二の息を与え、組織の中にあるすべてのよいものを明らかにする社会主義の救済を持っている。」ミハイル・ゴルバチョフ、1989年12月

「社会主義」という言葉は「共産主義」の代わりに用いられるであろう。そして後者は共産主義者の語彙からほとんど完全に追放されるであろう。レーニンからゴルバチョフまで共産主義者たちは二つの言葉を交互に用いてきた。共産党宣言においてカール・マルクスによって定義されたように、社会主義はUSSR、中国、キューバ、等々の人民に対して課せられてきたものである。共産主義の最終的なユートピア的目標への踏み石として、社会主義は私有財産の廃止、人民に対するドラコン的な政治的、財政的な規制および支配、巨大な官僚主義、累進的な所得税、遺産相続の終結、独占的中央銀行、教育の中央統制、そして家族、子ども、宗教の国家統制、等々を含んでいる。(それは少しばかり1991年におけるアメリカを思わせる、そうではないか? )

新世界秩序

ジョージ・ブッシュ、ヘルムート・コール(Hermut Kohl)、ジョン・メジャー(John Major)、たいていの西側指導者たち、ミハイル・ゴルバチョフ、ボリス・エリツィン、そしてエドゥアルト・シュワルナゼは皆何を共通に持っているか? 彼らは皆社会主義者、世俗的人道主義者そして世界主義者--ブッシュとゴルバチョフによって「新世界秩序」と呼ばれた--共通の社会主義的世界政府のために働く--たちである。

数年前に歴史の「収斂説」が現れた。それはアメリカと西側が政治的左翼へ、ソビエトが政治的右翼へ動くであろう、そしてわれわれは皆社会主義者あるいは社会民主主義者として中間で出会いそして融合するであろう、と主張した。歴史の「収斂説」は正しいものであるように見える。社会主義的ロシア、社会主義的東ヨーロッパそして社会主義的西ヨーロッパは皆、次の5年かそこらで、一つの巨大な中央集権制連合国家へと融合する方向へ動いている。西ヨーロッパの大規模なソビエトによる転覆と併呑がその後に続くであろう

C.上から下までのUSSRの再編成

中央委員会、政治局、KGBそしてソビエト科学アカデミーにおける指導者たちは10年前にUSSRの莫大な自然的および人的資源にもかかわらず、国がそれらの資源を最も「野蛮な仕方で」用いていると断定し始めた。彼らは過去10年間、ソビエト産業が西側にひどく遅れを取っている、特に資源とエネルギーならびに人的資源の浪費を統制することにおいて遅れていると結論した。ソビエト産業は西欧諸国が使うよりも、生産単位当たり2倍から2倍半の物的資源、そして1倍から1倍半のエネルギーを使っている。

ゴルバチョフとソビエト指導者たちはそれゆえに上から下までの、しかし社会主義の枠内でのソビエト社会の再編成を求めた。「新しい経済政策」は「自由市場」と呼ばれ、西側から用語を多く借用している。しかし、ゴルバチョフとソビエト指導部にとって「自由市場」は国有財産および集団的に所有された財産、今なお国家が運営し、国家が統制する諸事業を意味し、事業利益あるいは投資利益は今なお非合法である、等々。ソビエトの人間たちにとって、「自由市場」は単に彼らがわれわれと貿易をするであろうということを意味するにすぎない。それなのに、西側の人々は、ソビエトの人間たちがその用語を使うとき、USSRが資本主義への変わり目にあるのだと考える。

言葉/概念操作のもう一つの例は「解放神学」である。ソビエトの人間たちはおよそ15年前に「解放神学」の陰謀を企んだ。それはキリスト教的/聖書的な用語、教説、等々のうちにくるまれたマルクス・レーニン主義的教説の悪魔的、誘惑的な用法である。解放神学は中央およびラテン・アメリカ、南アフリカ、そしてフィリピンにおける共産主義者たちにとって猛烈な成功であった。今や彼らはマルクス主義的および社会主義的諸概念を受け入れ、それらを--騙され易い西側の政治および経済指導者たちを誘惑するために--自由市場用語、概念、等々のうちにくるんでいる。

ゴルバチョフが景気停滞、産業の電子化、市場経済への国の開放、社会の民主化等々について語るとき、彼は労働者たちの代わりにソビエト連邦を今運営している堕落した、給料貰いすぎの、能率の悪い官僚たちを取り除くことを本当に話している。太鼓腹の官僚は今にも切り離されようとしている。「なぜなら、それはその革命的な熱情を失ったからである。」

ゴルバチョフが第25回CPSU党大会で言ったように、「われわれが今日見ていることはソビエト連邦を動かしている労働者階級ではなくて、官僚制度--柔らかいそして利益のあがる地位を占領することに満足しているが、しかし革命的諸運動、他の世界の政治的堀り崩し、あるいは共産主義の軍事的拡張にほとんど関心を示さない--である。これは明らかに停滞である。」

D.新しいソビエトのアプローチ:ビロードの手袋対装甲された拳

1917年以来、共産主義者たちは国家主義と民族主義者--共産主義者たちによって求められた国際的秩序に反対する者として強い国家的諸実在のために戦う--を憎んできた。社会主義的/共産主義的イデオロギーに従えば、国家主義は社会主義そして結局は共産主義の発展を妨げ、そして反国際主義的である。1960年代から1980年代までバルト3国、白ロシアそしてウクライナにおける民族主義者たちは共産主義者たちによる絶えざる攻撃の下にあった。しかし、グラスノスチ/ペレストロイカと共に、状況は見たところでは変化した。国旗や他のもののような民族的象徴物が突然許容された。文字通り一夜にして、人々は、あたかも彼らが民族的な生き残りのための戦いに勝利したかのように、共産主義者たちの面前で行列しながら古い民族的紋章に戻った。バルト諸国および他の諸共和国における民族主義者たちは身分を明かし、彼らが誰であるかについて疑いを残さなかった。この潜在的な敵を表面に浮かび上がらせることがおそらくCPSUの主たる目標であった。過去数年間にわたってソビエトの人間たちは民族主義的反対が現れることを許してきた。そして次に向きを変えて、それに潜入し、融資した。そしてその多くに協力(あるいはそれを接収)した。

ソビエトの人間たちは彼ら自身の反対を創り出すことにおいてもあるいは接収することにおいてもいずれもその主人公である

ソビエトの人間たちは彼ら自身の反対を創り出すことにおいてもあるいは接収することにおいてもいずれもその主人公である。彼らはこのことをポーランドにおいて連帯と共に、ルーマニアにおいて新救国戦線と共に、そしてUSSRにおいてシュワルナゼとエリツィンと共に行った。彼らの反対を破壊するよりも遙かに有利なのは、彼らがそれを彼ら自身の諸目的のために使うことができるように、それを創り出すこと、あるいはそれに新委員を推挙することである。

われわれは「強硬派」対「改革派」、あるいは「保守派」対「リベラル派」について多く聞く。ブッシュのような西側指導者たち、そして西側のメディアは「強硬派」(あるいは「保守派」)を悔い改めない「共産主義の鷹派」(すなわち、「8人のギャング」のような)として、そして「改革派」(あるいは「リベラル派」)を自由、民主主義、自由市場の愛好者(ゴルバチョフ、シュワルナゼそしてエリツィンのような)として描写する。

実際は、両方のグループは、ソビエトの世界支配あるいは征服を堅く決意している筋金入りのマルクス・レーニン主義的共産主義者である。彼らはただ単にわれわれの滅亡のための最も有利な手段に関してだけ意見が違うにすぎない。「強硬派」は装甲した拳でわれわれを死ぬまでぶちのめすであろうし、「改革派」はビロードの手袋でわれわれを絞め殺すであろう。結果--われわれの滅亡--は同じである。いわゆる「保守派」と「リベラル派」の間の喧嘩は方法論を巡るものであって、--結果あるいは最終的な成果に関することではない。改革派はあなたが酢でよりも蜂蜜でやった方がもっと多くのハエを捕まえることができると考えているのである。

ゴルバチョフは広く、改革者、リベラル派の一人、民主主義の愛好者だと見られ、描写されている。にもかかわらず、1989年12月に彼はこう言った:「私は共産主義者、確信を持った共産主義者である。ある人にとってはそのことは一つの幻想であろう。しかし、私にとって、それは私の主たる目標である。」1987年11月にゴルバチョフは言った:「われわれの仕事と気苦労において、われわれは社会主義の新しいそして幸せな世界のために戦うために70年前にロシアの労働者たちを動員したあのレーニン主義の諸々の理想と高貴な努力や目標によって動機づけられているのである。ペレストロイカは10月革命の継続である。」

西側に民主主義と平和の愛好者として描写されているその同じゴルバチョフは1987年11月にこう言った:「われわれは一つの新しい世界、共産主義の世界へ向かって動いている。われわれはその道を決して外れないであろう。」そして1990年6月に、「改革派」であるゴルバチョフは言った:「私は、いつもそうであったように、今も確信を持った共産主義者である。社会思想および全体としての現代文明に対するマルクス、エンゲルスそしてレーニンの巨大なそして独自の貢献を否定することは無益である。」

ゴルバチョフ、シュワルナゼ、エリツィンそしてCPSUの改革派はひたむきな共産主義者たちである。彼らはアメリカの、そして他の西側の「帝国主義者たち」を憎んでいる。そして彼らは今なお世界の共産主義的征服の不可避性を信じている。しかし彼らは異なった戦略が現在のところ成功のために必要であると考えている。彼らは対決、分割して征服せよ、敵を作ること、等々の古い「強硬派の」戦略を放棄し、代わりに、協力、西側を抱き込むこと、西側を社会主義的世界に友好的にすることという戦略を採用することを望んでいる。そして最終的には彼らは(二枚舌、欺瞞、潜入、転覆、そして操作を通じて)西側を「吸収する」ことを望んでいる。(西ヨーロッパは吸収されるべき最初のものであろう。)

「改革派」は彼らの「新しい考え方」を、最終的に世界政治を支配するために世界の思考過程へと組み入れたいと望んでいる。彼らは世界経済がソビエト連邦の経済と統合されることを望んでいる。彼らは、エイズウィルスが身体を襲う--徐々に、微妙に、内密に(免疫系を破壊することによって)--仕方で世界を襲う。

西側にとってゴルバチョフ、シュワルナゼ、そしてエリツィン(「改革派」)が「8人のギャング」と同じようにわれわれの生き残りにとって危険な敵であるということを理解することは重要である。事実、これらの改革派はもっと危険である。なぜなら、彼らは西側をしてその脅威の知覚を低める--その警戒感を低める--ようにさせる原因となったからである。(あなたが見ることができ、それに対して防御することができる敵の方が--ブルータスが彼を刺殺する前にジュリアス・シーザーに対してしたように)--友としてあなたのところにやって来る敵よりもよい。)「改革者派」はあなたが聞きたいと望んでいることをわれわれに告げる--彼らは民主主義、自由選挙、自由市場、多党制、自由、独立、等々について話すであろう--これらの言葉に彼ら自身のマルクス・レーニン主義的ひねりあるいは意味を与えているのに--もしあなたがビロードの手袋をした手で首を絞められるならば(装甲された拳で打ち殺される代わりに)あなたは静かに死んでいるのだ!

新しいソビエトの連邦制度

われわれはソビエト社会主義共和国連邦(the Union of Soviet Socialist Republics=USSR)は崩壊していると告げられている。それは実際は真実ではない。それは、the Union of Soviet Sovereign Republics(ソビエト君主共和国連邦)と呼ばれるべき一つの新しい連邦制度の利益となるようにソビエト指導部によって自発的に解散させられているのである。USSR(帝国)のこの再構築(それがソビエトの偽情報と西側のメディアによって描かれているような崩壊ではなく)ゴルバチョフが権力の座に着く前から(実際は1970年代後半の時期まで遡る)計画に上がっていた。

その当時のソビエト連邦の指導者たちはソビエト帝国の現在の形は古くさく、効率が悪く、さらなる世界的拡張にとって非生産的である--USSRに隣接していない世界の僻遠の地域(すなわち、アフリカ、ニカラグア)において以外には--であるということを理解し始めた。ある意味において、1950年代における西側の「封じ込め」政策とNATOの出現は東ヨーロッパおよびソビエト諸共和国を超えるUSSRのヨーロッパへの拡張を制限することにおいてかなりの成功であった。ちょうど古いアメリカ南部における奴隷制が合衆国の市民戦争の前に無駄な、生産的でない、そして不経済なものとなったのと同じように、ソビエト帝国は10年前からその帝国の構造において重大な改革を必要とすると見られていた。

レーニンの忠告を思い起こしなさい。「われわれは後退によって前進する。」ソビエト帝国の「見かけの」終焉はNATOの解体を加速するであろう。西ヨーロッパとアメリカの軍事構造は新しい「平和の時代、共産主義の死、冷戦の終結そして悪しき帝国の崩壊」において分断されるであろう。そして彼らの西の側面の中立化というUSSRの長期の目標--西ヨーロッパの吸収(政治的、経済的そして軍事的に)への準備--は達成されたことになるであろう。

新しい連邦制度が古い連邦(union)に取って代わるときに、新しいものが、民主主義的に方向づけられた、多党制の政治組織と自由市場経済を伴った主権独立諸国家から構成されていると思われることは不可欠のことである。そのことは知覚(今日ポーランド、ルーマニア、ニカラグア、等々においてそうであるように)であろう。しかしそれは現実ではないであろう。特別な効果を狙った言語表現=rhetoricは「自由市場」と「民主的」(それが今日のソビエト連邦においてそうであるように)であろう。しかし現実はソビエト軍隊とKGB(その新しい名前にかかわらず)が、いわゆる「主権独立諸国家」の潜入と転覆を伴った一連の条約を通じて、そしてそれらの国々に対する経済的圧力を通じて、それらの共和国の支配を維持しつづけるであろうということである。

評判の高いソビエト学研究者、パリ、ソルボンヌ大学の教授のフランソワーズ・トム(Francoise Thom)教授が最近言ったように、「われわれはモスクワの新しい帝国政策の背後にある大きな計画を見損なっている。この失敗はソビエトのヨーロッパ政策の誤解へと導く。なぜなら、ペレストロイカ開始以来モスクワのヨーロッパ政策はモスクワの大きな帝国計画の継続となったからである。」

「われわれにとってこの戦略を理解することは不可欠である。モスクワにとって、帝国の維持はますます国際的共同体の支配に依存している。ヨーロッパに対するクレムリンの影響力、あるいはヘゲモニーさえが、完全に確立されるとき、バルト諸国の独立への要求は無関係と思われるであろう。」

トム教授はUSSRにおける政治的エリートが10年も前から最高権力を持つ帝国(imperial empire)を再構築し、再編成する必要を見ていた、しかしソビエト権力機構の不活発さが今までその作業を遅らせたと指摘している。これは改革派(リベラル派)と強硬派(保守派)との間の真の闘争を説明している。前者は変化の必要性に関してより啓発されている。彼らは単に共産党とソビエト体制を、それを救いそして強化するために、追放し、再編成し、再構築するよう努力しているだけでなく、また帝国全体をもそうしようとしている。このことはまた西ヨーロッパを新しい「民主的な」ソビエト連邦との統合と合併へと誘惑するためにも不可欠である。

遠回りの欺瞞戦略

ソビエトの現在の信じられないほどの遠回しの欺瞞戦略をもっとよく理解するために、筆者は読者がビデオ・ショップに行ってスティングのフィルムを借りることを勧める。凝った、込み入ったペテンあるいは騙しがいつもずっと出て来る。最も正直な人々は簡単に彼らを理解しない。そして人々が彼らを一緒にするほどに十分に欺瞞的である、あるいは抜け目がないとは信じることができない。しかし、覚えておきなさい、ソビエトの人間たちは世界チェスチャンピオンたちであり、そして彼らは常に嘘をつく(そうすることが彼らに有利となるときには)とうことを。後者[嘘をつくこと]は彼らのマルクス・レーニン主義的教説の一部である。

トム教授が続けたように:「ソビエト帝国における現在の激動は現在のソビエト指導部を加速された全ヨーロッパ統合を求めることへと導いた。」編集者注:すなわち、1985年に権力の座について以来CPSU党大会においてゴルバチョフが語ってきた「共通のヨーロッパの家]。これはただ西ヨーロッパと東ヨーロッパの両政治体制の根本的な変化と共にのみ可能である。全ヨーロッパの統合はただ東と西の政治的構造の均質化が起こった場合のみ考え得るものである。」われわれが見ているものは最初に一つのヨーロッパの状況における「収斂あるいは合併理論」であり、次に世界的に--合衆国を含む--。トム教授が言及している西ヨーロッパ政治体制における根本的変化は西ヨーロッパの合衆国--それによってヨーロッパ諸国が彼らの主権をヨーロッパ超国家に与えるブリュッセルにおけるヨーロッパ社会主義者たちの下での1992年のヨーロッパの政治的合併--である。「東ヨーロッパ政治体制における根本的な変化」は--この論考において分析された--CPSU、KGB、帝国それ自体の上から下までのUSSRの再構築/再編成である。

トムは続けてこう言った:「ヨーロッパにおける政治的諸過程に対するヘゲモニーを達成するために、ソビエト帝国の一つの新しい、見かけの上では民主的な正当化選挙で選ばれた議会による新しい連邦条約の批准)が達成されなければならないであろう。ソビエト帝国のこの「民主的な正当化」なしには「ヨーロッパの家」の建設は考えられない。」

新しいソビエト連邦(帝国)の形と実体

もし第26、第27、そして第25回ソビエト連邦共産党大会(1981年、1986年および1990年における)ゴルバチョフ、エリツィンそして他のクレムリン指導者たちの議事録および演説を研究するならば、彼らが1981年以来新しい連邦のための計画立案について話していたとうことが分かるであろう。

[編集者注:ユーラシア研究グループ(2460 South University Blvd., Denver, CO 80210)はこれらの演説および議事録、ならびに一連のPantaloguesにおいて過去数年間にわたる書物、出版物および他の資料を翻訳し分析し出版した。それらはUSSRにおける現在の展開に関してさらなる研究をしたいと望んでいる自由世界中の研究グループに利用可能である。購読料は12号について年間100ドル。筆者はこれはすぐれた情報--ソビエト出版社から直接出された--であると思う。

新しい連邦の諸要素--存在している諸共和国にとって

新しい連邦あるいは連合は現在の15のソビエト共和国に関して次の諸要素を含んでいる:

1)われわれが知っているものとしてのソビエト連合は解消されるであろう。そして一つの新しい連合あるいは連邦が設立されるであろう--ソビエト主権諸共和国の連合(the Union of Soviet Sovereign Republics)と呼ばれるべき--

2)新しい連合の下で、各共和国は文化的および経済的レベルでより大きな独立性を持つであろう、政治的レベルにおいては独立した多党制民主主義であると「見える」であろう、そして軍事的レベルではまだなおソビエト連合の軍事的影響力あるいは支配権の下にあるであろう。(「主権」諸共和国はそれらが実際そうであるよりはより自由でより独立したものと「見える」であろう。)

3)巨大なロシア共和国(今エリツィンの下にある)は新しい機構においてより大きな権力を持つであろう。そして第2次世界大戦中のドイツにより似たものと見えるであろう。ロシア共和国は新しいソビエト連邦(Federation)を支配するであろう。(新しいソビエト連邦の初期の段階においてはロシア共和国は他の諸共和国と同等なものとして描写されるであろう。このことは西側と諸共和国を騙すためのジェスチャーゲームの一部であろう。)

4)15の共和国の各々は国連において1票を持つであろう(国連の始まり以来ただUSSR、ウクライナおよび白ロシアだけが投票権を持っていたのに対して)。もしこれらの共和国のいくつか、あるいは大部分がUSSRに対する彼らの忠誠を保持するならば、それは潜在的に国連においてアメリカに反対する12以上の票であろう。

5)諸共和国は独立国家、主権国家と見えるようにされるであろう、より自由な市場経済、多党制度、そして経済的自由について話をし、そして実際にそれらの方へ動くであろう。しかし隠れた共産主義者たちによって、そして実際にはソビエト連邦共産党、KGB、そしてソビエト軍(それらの新しい名称がどんなものになろうとも)によって支配され続けるであろう。

6)USSRとこれらの共和国の多くの間の条約(彼らを戻してソビエトへと縛りつける)がこれを書いている時点で調印される。レーニンは言った。「条約は強さを獲得するための一つの手段である。」(すなわち、ウクライナ共産党指導部はつい最近独立を宣言した。そして次に向きを変え、そしてロシアとの軍事的、経済的協力条約に調印した。彼らは新しい連邦へとまっすぐに戻って来たのである。問い:「主権」が実際には「主権」ではないのはいつか? 答え:それが偽物であるとき。)

あるドイツの出版物反ボルシェヴィキ・ネットワークが実際は共産主義者たちを支持している詐欺師たちのグループであるとしてウクライナ議会「改革派」を攻撃するものとしてパット・ブキャナン(Pat Buchanan)によって引用された。この状況は同様に他の諸共和国の大部分ではないとしても多くの共和国において見出されるであろう。

7)「独立諸共和国」の大部分は経済的両手両足切断者である。彼らは西側から同情と自由市場のレトリックを得るであろうが、しかし経済援助あるいは貿易の仕方では非常にわずかしか得ないであろう。(不幸なことに、彼らは信用貸しをするに値しない、彼らの手形を支払うことができない、そして実際自由企業を理解していない。)それゆえ、彼らは事実上ロシア共和国とUSSRに経済的に依存し続けるであろう。彼らはUSSRから彼らの諸産業のための原料を得、彼らの完成した産物をUSSRに売り戻すであろう。

[編集者注:この状況は南アフリカにおいて一つの最近の歴史的な対応物を持っている。南アフリカでは4つの部族保留地が10年ほど前に独立国となった。しかし経済的には南アフリカ(彼らのかつての母国であり、保留地に比較して一つの経済大国)に依存したままである。これらの国々は軍隊を持つことを許された(小さく、弱く、貧弱な装備の防衛軍であろうとも)、しかしこれらの軍隊は小さくて、相対的に巨大な南アフリカ防衛軍によって容易に支配され得るであろう。これらの国々はおそらく予見し得る未来に再び新しい南アフリカの中へ統合されるであろう--それはおそらく次の年あるいは2年後には共産主義的なANCの支配下に落ちると思われる。

8)「主権、独立」諸共和国は軍隊を持つことを許されるであろう。しかしこれらはガルガンチュア的ロシア軍事力に比較して--地方民兵あるいはアメリカのさまざまの州における州兵により似た働きをしながら--非常に小さなものであるだろう。

9)主権諸共和国においては「多党制民主主義」について多く話されるであろう。しかしこれらの党の大部分はマルクス・レーニン主義的(顕在的にか、あるいは隠された仕方でかのいずれかで)であり、そして/あるいは(今日の東ヨーロッパの多くの国においてそうであるように)KGBによって支配され、操作されるであろう。

10)主権諸共和国はより自由であろう。しかしなおソビエト監獄の壁の内部にいるであろう。ソビエトの人間たちにとって、「主権」という言葉は実際に記号論の問題である。それは彼らにとっては、それがわれわれに意味するものを意味しないのである。彼らにとってそれは完全な独立を意味しない--ただ部分的な独立を意味するだけである。

バルト諸国と他の新しく独立したいくつかの共和国は新しい連邦あるいは連合にしばらくの間(あるいはおそらくずっと)参加しないことを選ぶかもしれない。しかし参加しない国々は参加するようにという信じられないほどの明示的そして暗黙の圧力の下に置かれるであろう、そして結局は諸共和国の大部分はおそらく参加するであろう。諸共和国内部での共産主義の潜入と転覆はまた経済的圧力と同様に、ここで一つの役割を果たすであろう。

拡張されたソビエト連邦の諸要素--古い国境を越えて--

USSRの現在存在する国境を越える、新しいソビエト連邦のための拡張の、クレムリン指導者たちの計画はより大きな重要性を持つものである。

1)新しいはソビエト連邦は一連の経済的および軍事的条約を通じて東ヨーロッパを連邦の中へと併呑するよう構想されている。かつての東ヨーロッパ衛星諸国におけるソビエトの影響力は今なお非常に強い。例えば、ルーマニア--人口2400万人の国--を考えてみよう。大雑把に言って、400万人が共産党員である。800万人はコムソモールのメンバーである。800万人は子どもたちである(そして政治的には数に入らない)。そのことは総計2400万人のうち400万人の非共産党員の成人が残るということである。大統領(イリエスク)は共産党員である。支配的政党(新救国戦線)は共産党である。秘密警察(49,000人の職員)は共産党員である。今日ルーマニアを支配しているのは誰か?

2)新しいソビエト連邦はゆくゆくは、東ヨーロッパ、USSR、アフガニスタン、カンボジア(カンプチア)、ヴェトナム、ラオス、モンゴル、連合した韓国、そして中華人民共和国を包含するよう構想されている。言葉を換えて言えば、ソビエト戦略家たちの壮大な計画は、現在の古ぼけた、沈滞した帝国と時代遅れの、役立たずのワルシャワ条約を放棄することによって15億の人口を包含する一つのより大きな自発的マルクス・レーニン主義者の支配する連邦をまとめ上げることである。(レーニンが「われわれは後退によって前進する」と言ったことを思い起こしなさい。)

3)(インド洋海岸地域における)国々の第2のグループは少し後で新しいソビエト連邦の中へ連れ込まれるであろう。これらの国々は:イラク、イラン、シリア、レバノン、インド、スリランカ、フィリピンそしてインドネシアを含む。(最後の3つの国は共産主義者の反乱がまだ始まっていないが、しかし彼らによって目標を定められている。)

4)新しい連邦の最も重要な部分は連邦に加わる他の社会主義諸国を獲得することである。目標は共産主義(あるいはマルクス・レーニン主義あるいはもし「共産主義」という言葉が廃止されるならば、社会民主主義)の下での「自発的な」メンバーシップである。最終的に新しい連邦の煉瓦をばらばらにならないようくっつけるモルタルは経済学と社会主義イデオロギーである。しかしソビエト軍事力もまた「統一の擁護者」と同様に一つの主要な役割を演じるであろう。

ソビエトの人間たちは決して予定表を設定しない。しかしそこで世界の諸々の出来事が今起こっているその速度と共に、新しい連邦の内的再構築の多くが1年から3年以内に一つの既成事実となるであろう。新しい連邦の外的拡張は5年から10年以内にうまく進展させられるであろう。

結論

ソビエトの定義によれば、平和、民主主義そして社会進歩は資本主義を正確に表さない。他方において、世界共産主義(あるいはわれわれはそれを社会民主主義と呼ぶべきであろう)はその基本的な諸理想のうちに平和、民主主義そして社会進歩の諸前提を含んでいる。[注:平和は彼らにとって世界的な共産主義的抑圧であり、またすべてのレジスタンスの終焉である。それゆえに、現在のソビエトの諸々の展開は厳密に、それのために拡張のよりよい機会を達成するための国の再編成と一致しているのである。将来には、社会民主主義者や民族的民主主義者を含む、共産主義あるいは社会主義の傾きを持った世界におけるすべての政治団体が一つの共通の世界運動のためにCPSUとのパートナーとなるであろう。

1990年第25回党大会が述べたように、「USSRは一つの単一国家から諸国家の友好関係への移行期にある」。この諸国家の友好関係は現在はソビエト連邦のうちにいない数億人の人民と今はUSSRのうちにいない大多数の諸国家を含むであろう。われわれは今日、現在のソビエト連邦よりは遙かに大きいであろう一つの新しい社会主義的-共産主義的集合体の誕生を目撃しているのである。専制君主によって支配されている国々において、王が死ぬとき、叫びが上がる:「王が死んだ--王様万歳」(新しい王を意味する)。現在の場合には、こう言われ得る。「帝国は死んだ--帝国万歳」(新しい拡張された帝国を意味する)。

ソビエトの人間たちはチェスの天才である(世界において最善)。彼らは東と西の間の連続する競争を巨人のチェス競技と見ている。試合の最終目標は王--それはアメリカである--を取る、あるいは詰むことである。しかし中間目標は女王(それは西ヨーロッパである)を取ることである。ひとたび女王、そしておそらく彼女の司教たち、ルークたち、あるいは騎士たち(すなわち;南アフリカ、フィリピン、おそらく韓国、等々)が倒れたならば、王(すなわち;アメリカ)は攻撃され易くなる。それは彼が倒れるまで単に時間の問題にしか過ぎないであろう。しばらくの間は、たとえソビエトのチェス名人たちが彼らのポーンたち、ルークたち、あるいは騎士たち(すなわち、バルト諸国、少数の東ヨーロッパの国々、そしてソビエト諸共和国のいくつかの国)を犠牲にしなければならないとしても、彼女の敵たちの女王(すなわち、西ヨーロッパ)を取るというより大きな利益にとって、現在の犠牲はそれに値するものである。しかしながら、このチェスの試合においてソビエトのチェス名人たちは彼らのポーン、ルーク、司教そして騎士のすべてあるいは大部分を取り戻したいと望んでいる。

IV.ソビエトの軍事的増強

「START[Strategic Arms Reduction Talks=戦略兵器削減交渉]条約をもってしてさえ、あなたがた(ソビエトの人間たち)は30分で合衆国を破壊する能力を持つであろう。」

コリン・パウエル将軍

「われわれの外交政策の効力はわれわれの国の力--その構成部分はわれわれの軍隊である--によって確保されている。」

ミハイル・ゴルバチョフ

ソビエト連邦において起こっている信じられないくらいの政治的大改革にもかかわらず、ガルガンチュア的なソビエト軍事機構は無傷のままであり、実際に変化していない。KGBはソビエト軍の指揮下に移るであろう。そのことはいずれの組織の役割の縮小をも意味しない。ソビエト軍は今なお500万人の軍人、25万人のSpetznaz特殊部隊、そして150万人のKGB兵士そして/あるいは職員を持っている。彼らは今もなお、通常兵器ではアメリカの5倍、戦略核弾頭ではアメリカの5倍から6倍の軍備を持っている。彼らは今なおアメリカをターゲットにした2万発の核弾頭を保有している。もし「強硬派」のクーデタが本物であったとしたら、ソビエト軍はこれらの核ミサイルをアメリカに対して発射することができたであろう。そしてわれわれは彼らに対して無防備である。われわれは、担当している者--「強硬派」あるいは「改革派」--にかかわらず、それらの一つでさえ止めることはできない。

A.ソビエトの軍事教育と教え込み

ロシア革命以来、ソビエト連邦は軍隊を社会主義の利益を守るための最も重要な力だと考えてきた。ソビエト軍隊は「科学的共産主義」の最近の諸理論に一致して教育されており、彼らの装備は一番最近の諸科学の発展に従って更新されている。西側諸国の兵士とは違って、ソビエトの兵士は彼の祖国にまず第一に奉仕するのではなくて、ソビエト連邦の共産党に彼の第一の忠誠を誓い、その義務を負うのである。このことはニカラグアのサンダニスタ軍における共産主義者サンダニスタたちについても同じように真である。

統制し、共産主義のイデオロギーを教えるために共産党統制委員と政治指導者たちが各軍隊単位に配属されている。すべてのソビエトの人間たちは軍隊での訓練を経験し、軍隊で奉仕する。戦争技術、戦略そして異なった種類の装備の操作は別にして、訓練は大量の政治的および愛国的教育を含んでいる。

大愛国戦争(第2次世界大戦)の間、すべての教育とプロパガンダはナチスに反対して教えられていた。しかしナチスの死と共に、ソビエトの人間たちは彼らの視界をドイツのナチズムと日本の軍国主義からアメリカの帝国主義へと再訓練した。不幸なことに、現在の破廉恥な偽情報にもかかわらず、われわれアメリカ人は相変わらず第一級の敵である。そしてソビエト兵士の基礎的教育はアメリカ兵士に対する彼の優越を証明することに向けられている。

第2次世界大戦以来過去46年にわたって、ソビエトの人間たちは政治的教え込みの信じがたいほど洗練された、包括的なそして徹底的な体系を発展させてきた。それは5歳の子どもたちから始まり、若い成人になるまでずっと(学校の内外で)続けられる。この教え込みの二つの主要な組織はコムソモール(青年共産主義同盟)とDOSAAF(陸海空軍との協力のための自発的協会)である。コムソモールが政治的教え込みにおいて手段的なものであるのに対して、DOSAAFはソビエト青少年を戦争のために準備することにおいて最も重要な組織である。DOSAAFはCPSU中央委員会軍事部門およびUSSR国防省の下で働いている。そして16歳から18歳の間のすべての青年男女の義務的前軍事訓練を行っている。ソビエト連邦の青年人口の大部分はDOSAAFにおける彼らの会員身分を持ち続けている。1988年にはDOSAAFの会員は1億700万人を超えた。

ソビエト連邦においては、全人口の政治的教育、しかし特に軍隊そして徴兵年齢あるいは徴兵年齢前の青年の政治教育は最も重要なものである。ただ政治的に教え込まれた兵士だけが社会主義国家の防衛において戦い、そして英雄的に行動する準備ができているのだとうことが強く信じられている。USSRのすべての青少年が5歳から20歳までに受けるその種の反アメリカ政治的教え込みでよく見かけるタイプは、ドゥルジニン(M. I. Druzhinin)将軍(DOSAAF教育における指導者)による若者は隊列において男になるという書物からの次の章句である。

「合衆国の帝国主義は前代未聞の軍備競争を引き起こしてきた。それは最も野蛮な大量破壊兵器でもって生意気にもガラガラ音を立てている。それはその力でもって解放運動と平和のための人民の闘争を踏みつぶそうと渇望している。それは人類を核戦争の破壊的突発へ引きずり込もうと脅迫している。それはわれわれの惑星の全文明を燃やして灰にする能力を持っている。」

「ソビエト軍が単にわれわれの母国の試験済みの見張りであるばかりでなく、また地球上の平和の保証人でもあるということは無益なことではない。もしわれわれの陸軍や海軍が彼らと同じように強力でなかったならば、もしわれわれが高度の技術、軍事的熟練、不屈の道徳的精神の完全な混合を自分たち自身において示しているそのような戦闘能力を所有していなかったならば、反動的な帝国主義者のグループ、特にアメリカ合衆国は、ずっと以前に、彼らの黒い夢想--政治組織としての社会主義の滅亡--を実現するために、ソビエト連邦および他の社会主義諸国に対する攻撃を行おうと試みたであろう。」

「ごく最近のアメリカの大統領たちがわれわれの祖国に対する核攻撃の計画を承認した、そしてそれもただ1度や2度ではない、ということは今では周知の事実である。これらの計画はコード名、『トロイア人』、『ドロップショット』、等々を持っていた。ただソビエト兵士の強力な報復能力と攻撃者の打撃に一つの破壊的な打撃でもって答える準備態勢だけが彼らの狂信的な計画を粉々にしたのだ。」

[編集者注:」これはソビエト指導部がアメリカの友人でありパートナーである振りをしているときでさえ、ソビエトの青少年がそれでもって教え込まれているこの主の反アメリカ・プロパガンダのほんの小さなサンプルである。

最近、軍隊の中により政治的なイデオロギーを注入する傾向はより強くさえなった。与えられる理由は二つの社会体系--帝国主義と社会主義--の間の鋭い敵対関係の極端に複雑な諸条件の具体化である。オレグ・A. ベルコフ(Oleg A. Bel'kov)が祖国防衛の準備完了という書物において書いたように、「未来の歴史家たちは、勝利の好機を保証するために責任ある諸個人が機関銃の数や大砲の台数よりも、もっと勤勉に軍隊における現在の共産主義者たちの数を数えていたことを見出して驚くであろう。」言葉を換えて言えば、政治的教え込みは武器よりももっと重要なのである。

ソビエト軍指導部はアメリカ帝国主義者たちとの戦争が不可避であると信じている。彼らの書き物において、彼らは絶えず「不可避の来るべき戦争」に言及する。「彼らはただソビエト連邦だけが、その軍隊をもって世界を救うことができる。」ドゥルジニン将軍がソビエトの見解を説明しているように:

「帝国主義がその反人間的、反動的そして軍国主義的本質と共に存在するかぎり、われわれの祖国に対する軍事攻撃の危険は依然として一つの事実のままである。近年、そのような攻撃の危険は特に増大した。われわれはまず確実である攻撃をかわし、国家の安全を信頼に満ちて保証することができるように十分に軍備を整えなければならない。経験は、この問題をうまく切り抜けるために準備があらかじめ始められなければならないということを示している。われわれは一撃を与えるために雷を待つことはできない。われわれはすべての年齢の青少年に頼りながら始めなければならない。われわれは時間を無駄にすることはできない。そのような損失は代わりのないものである。そして戦争の間には大量の血を犠牲にする。用心せよ、友人たちよ、そしてあなたたち自身の結論を出しなさい。」

[編集者注:西側にいるわれわれはわれわれ自身の結論を出さなければならない。

ソビエト軍事教育および教え込みにおけるもう一つの不吉な展開は18世紀ロシアの傑出した将軍、軍事的天才そして戦略家である陸軍元帥アレクサンダー・スヴォロフ(Alexander Suvorov)の書き物、戦略および戦術の復活である。スヴォロフの戦略および戦術に関する著作(彼のライフワークである征服するための科学においてスヴォロフによって最初に出版された)が最近再出版され、書き直された。そして数十万部がソビエト軍と政治家階層に広く配布されている。スヴォロフの迅速性、機動性、大胆な攻撃、等々の上出来の戦術は、孫子の戦術が数十年にわたってソビエト軍とKGBにとってのバイブルであったのと同じように、USSRにおいて広く研究されている。USSRにおけるスヴォロフの復活は一つの新しいそして遙かにもっと攻撃的なソビエト軍の戦略を特徴づけることができるであろう。

B.ソビエトの武器獲得

ソビエトの国内における財政的および政治的諸問題のすべてにもかかわらず、次の分野の軍拡と戦争準備は遅れることなく続いている:

1)この3年間(1988年から1990年)に、8つの主要武器カテゴリーにおいてソビエトはその生産高がわれわれを上回った。

2)ゴルバチョフが権力の座にあった最初の6年間、ソビエトは9つの別々の武器カテゴリーにおいてアメリカの生産高を上回った。

3)ゴルバチョフはKGBとソビエト軍の予算をそれぞれ20%および37%次の12ヶ月のために増やしたばかりである。USSRは(タイムズ・マガジンによれば)そのGNP[国民総生産]の50%をその軍事/産業複合体に対して費やしている。アメリカは6%(およそ4.5%そして次に3.5%下落)費やしている。

4)ゴルバチョフはUSSRの600の軍事工場の消費財工場への大量転換を約束した。ただ6つだけが転換した。

5)ソビエトは東ドイツに戦術核兵器および化学兵器を置いていた。そして今もなおそれらを維持している。東ドイツには、彼らはまた38万人の軍隊を今なお駐留させている。彼らはその地域の想定された独立にもかかわらず、東ヨーロッパに50万人の軍隊を今なお持っている。

6)ソビエトは大西洋からウラル地方までの地帯に今なお60から70の現役師団そして30の動員師団を持っている。

7)ソビエトは今やモスクワの周囲に75の深層地下市民防衛構造を完成させた。--その構造の各々はペンタゴンの大きさである。なぜか? 彼らはわれわれが第一撃を始めたくないことを知っている。しかしわれわれはSLBM搭載の潜水艦から報復するであろう。

8)クレムリンは18基の新しい軌道可動型第一撃SS-24ミサイルを配備したばかりである。そしてそれらを列車に乗せた1100ヤードの長さの発射台に据えた。彼らは現在3000マイルの射程距離のあるSS-20ミサイルをキューバへ移動させている。

9)軍ジャーナル(1991年8月)は、大量の道路および軌道で動かせる核ミサイル、潜水艦搭載、地上および空中発射核ミサイルを含む、ソビエトが今充足している多くの新しい通常核および戦略の展開と配置のリストを上げている。

10)ソビエト政府は最近、500万人の徴兵年齢の学生たちのための兵役免除を撤廃した。これらの学生の多くあるいはすべては今やソビエト軍の兵役につかせられ得るであろう。--ソビエト軍は500万人から1000万へと倍になることができるであろう。

ソビエト「改革派」が平和、協力そしてパートナーシップを語っている間に、彼らの軍隊は全力を挙げての拡張と近代化計画を続け、戦争の準備をしている。彼らは平和を語っている。そして国として戦争体制へと動いている。

C.アメリカに対するソビエトの核戦争計画

合衆国に対するソビエトの全般的核戦争計画(ペンタゴンによってRISOPと呼ばれている。Red Integrated Strategic Operations Planから)は2500の標的をカバーすると信じられている。おおよその優先順位におけるそれらのうちの主たるものは:

1)1000のミニットマンとMX ICBMサイロ、それらのサイロのための100のICBM発射コントロール・センターそして別の50の命令およびコントロール施設、そして核兵器貯蔵所。少なくとも1150の「強化された」--すなわち、要塞化した--兵器施設標的の総計となる。これらは少なくとも2発そしておそらく3発のソビエトの弾頭によってそれぞれ命中させられるであろう。

2)別の54の核爆撃機と爆撃機発進基地そしてミサイル発射潜水艦を修理する少なくとも3つの海軍基地。これらは割合に「地味な」"soft"標的であるけれども、暴走したものやミサイルが無力化されることを確実にするよう多様な攻撃のために標的とされるであろう。

3)およそ475の他の海軍基地、飛行場、港、ターミナルビル、基地、貯蔵所、そして通常軍事力ならびに核軍事力に関連した他の軍事基地。

4)軍事機器において年間100万ドルあるいはそれ以上の国防省契約を持つおよそ150の産業施設。

5)国の電力の70%を産み出している325の発電所。

6)国の石油製品の70%を造り出しているおよそ150の精油所。

7)およそ200の「地味な」経済的通信、輸送、化学および市民的指導層の標的。

最後のこれら4つのカテゴリーにおいて、多くの標的は十分に近接して一緒のところに位置しているので、それらを破壊するのにただ1発の核兵器だけが必要とされるであろう。

D.ただ強者だけが生き残る

以下の論考は筆者のよき友人、前NATO軍最高司令官サー・ウォルター・ウォーカー将軍から自由世界の人々への一つの警告である。彼は英国軍の英雄であり、世界の最も偉大な地勢戦略の専門家である。彼はソビエトの戦略と戦術に関する何冊かのすぐれた書物を書いた人であるが、インドネシアのボルネオ侵略やソビエトのアフガニスタン侵略をあらかじめ警告した。筆者と同じように、ウォーカー将軍はソビエト熊が戦争の準備をしていると見ている。

私は、前NATO軍最高司令官として、あなたたちに行く手にある非常に危険な脅威について告げることは私の義務であると考える。それは、われわれが今最大の戦略的欺瞞の一時期にいることは確かだと私は知っているからである。おそらく全歴史の中で私が、次の10年のうちに行く手にある未来についてあなたたちに警告することなしにこの機会を見送ることを許すべきでないと感じている時期なのである。

私は冷戦はまだ終わっていないのであって、ただ一時的な鎮静の状態にあるに過ぎないということを最も強調して言う。例を挙げよう:多数のソビエト市民が今なお食物を求めて列を作っているにもかかわらず、ソビエト連邦は単にイラクだけでなく、アフガニスタンにおける共産主義体制やキューバやリビアのようなソビエトの衛星諸国に武器を供給し続けている。そうしているときに同時に、ますます多くの金が、彼らが自分たち自身の軍隊のために切った大きさのケーキの中へ注ぎ込まれている。

モスクワとの取引において、危険はますます不安にするようなものであり、はるかに大きいものであろう。普通の人は、ソビエト連邦が今なお西側に脅威となり得る軍事機構を維持するためにその資源のうちの莫大な比率を割いているということを告げられて来なかった。

一例として挙げれば、彼らの海軍は現在主要な再建計画に忙しくしている。海軍は65000トンのティビリシ--最初の主要空母--を進水させた。[西側の]一般大衆はゴルバチョフが6週毎に1隻の新しい原子力潜水艦を進水させていることに気づいていない。この海軍増強の目標はアメリカとヨーロッパとの間の戦略的結びつきを切断し、ペルシャ湾海域とアフリカ・ホーン岬周辺のシーレーンを支配することである。海の支配なしのNATOは無意味である。

「彼のすべての困難のただ中でゴルバチョフは今や将軍たちやKGBの主人たちの執拗な要求でソビエト軍事予算を37%も増加させた。これはこの国のGNPの40%に相当する。彼がこの増加を行った同じ日に、われわれの国防総省長官は全イギリス陸軍の4分の1に当たる4万人のイギリス軍が削減されるであろうと告知した。これは自殺的な決定である。さらに、西側の軍縮と工業技術移転はゴルバチョフと彼の強硬派の軍指導者たちが視野に入れていることである。彼と何らかの大きな取引をするということは単に愚かなことであるばかりでなく、大きなペテンである。

「ソビエトの軍事的脅威は消失したのでは「ない」。NATOの中立化は長い間ソビエトの最も重要なグラスノスチ欺瞞の目標の一つであってきた。戦車の生産は古い戦車に取って替わるものとして弱まっていない。そして彼らはまたいくつかの新しいヘリコプター、1機の巨大な輸送機、他のヘリコプターを撃墜するよう設計された戦闘機そして高性能対戦車ヘリコプターをも導入した。

「ソビエト経済の崩壊にもかかわらず、--クレムリンは--軍からの圧力の下で--軍事予算を実際に420億ドルから1600億ドル以上にまで増加している。それとは対照的に、わずか75億ドルが教育のために、そしてわずか45億ドルが保健のために取って置かれている。しかし、GNPの40%以上を消費していてさえ、この額は軍のエリートを満足させるには十分ではないであろう。もしソビエト連邦における経済的破局があるとするならば、そのとき確かに西側はバターが銃の前に来なければならないと主張すべきである。西側からのいかなる援助も厳格な条件を設けなければならない。真っ先の条件はソビエト連邦およびバルカン諸国における自由と独立である。

1990年11月19日のヨーロッパ通常軍(Conventional Forces in Europe=CFE)条約の調印にもかかわらず、ソビエトはすでにおよそ17000台の戦車とそれにプラスそれ以上に多くの装備[すなわち、総計7万の装置]をウラル山脈の反対側--条約の地理的区域を超えて--移動させてた。そしてハンガリーからの数機のソビエト航空機がソビエトの海軍の色に塗り替えられた。これもまた条約の外側である。

「最近、NATOのニュールックについて多くのおしゃべりがあった。人はそれらの言葉を読み続けている--私は『今、冷戦が終わったからには』を引用する:私があなたに告げていることに照らして、私は最も強調的に、冷戦はまだ終わっていないのであって、ただ鎮静の状態にあるにすぎない、と言う。厳然たる真実は恐怖に駆られたKGBが強化され、拡張されているということである。昨年、アメリカのFBIは30人の外国スパイを逮捕したが、そのうちの28人がKGBであった。これは新記録である。今日、KGBは150万人の人々と600万人の情報提供者を雇用している。そしてソビエト経済の危機にもかかわらず、KGBはその最近の予算において20%の増加を受けた。

「私は、もしわれわれがしっかりと立ち、危機を防がないならば、証明できる真実はクレムリンの利己的な卑下のポーズとは反対に、ソビエト連邦は崩壊に瀕しているのではないのだという赤裸々な事実をあなたに残す。他方において、西側の防衛力は崩壊に瀕しているのだ。

E.アメリカ人は軍縮へと駆り立てられている

「見せかけの」ソビエト帝国の解体、共産主義の死、冷戦の終結そして「自由な改革者たち」の再起(すなわち、USSRにおける「民主主義の諸勢力」)は合衆国およびヨーロッパの政治的および軍事的指導者たちをして彼らの軍縮計画を加速せしめる原因となっている。ブッシュは合衆国核ミサイルをヨーロッパから撤収した。ヨーロッパから合衆国の戦車、飛行機そして軍隊を撤退させている。実際、われわれの戦車、潜水艦そしてF-16の生産ラインを操業停止している。43箇所の合衆国国内基地、79箇所のヨーロッパにあるアメリカ軍基地を閉鎖している、そして合衆国の非ヨーロッパ軍事施設の535を閉鎖、フィリピンにあるわれわれの巨大な空軍基地(クラーク・フィールド)を閉鎖した。合衆国陸軍部隊を35万人、合衆国海軍を50%削減、これから先5カ年にわたって合衆国軍隊の全体の大きさを25%削減する、そしてアメリカの91の重要な戦争物資の戦略的備蓄品を40%削減する計画をしている。

合衆国軍隊の消費傾向は1996年で国防にGNPの3,6%しか費やさないであろうというほどのものである。(第2次世界大戦--アメリカが非常に軍縮をし、防衛力不足、そして真珠湾攻撃をされたそのとき--以来、最低のレベルである。)その一方で、ソビエトはその軍事費にGNPの40−50%を費やしている。

ブッシュとゴルバチョフは、合衆国とソビエトが核兵器工場を30%まで削減すると想定されているSTART条約に調印したばかりである。しかし、ソビエトは1962年の核実験禁止条約、1972年のABM条約、1987年のSALT I、SALT IIに関する条約、INF条約、1991年のヨーロッパにおける通常兵力条約で不正をして騙した。そして彼らは同じように新しいSTART条約でも不正をして騙すであろう。それは合衆国にとっては一方的な軍縮に等しい。なぜなら、われわれは条約を固守するであろうから。そしてソビエトはそうしないであろうということをわれわれは知っているからである。

一方で、合衆国軍縮折衝者リチャード・バート(Richard Burt)によれば、ソビエトは現在5つの新しい戦略核体系を開発し、配置している。STARTの下でソビエトは「うわべは」彼らの大型ミサイルを半分に削減するであろう--しかし軍事専門家たちは残されるものはより致命的なものであろうと報告している。なぜなら、SS-18はより大きな精密度と破壊力をもって近代化されてきたからであり、1基あたり10発よりもむしろ14発の弾頭を装着することができるからである。われわれはそのような強力な第一撃ミサイルを持っていない。

われわれはまた可動型ミサイルを持っていない。彼らはSTARTの下でそれらの数字を倍増させた。われわれがMXとミニットマンについて話し合った間に、クレムリンは軌道可動型SS-24と道路可動型SS-25を配備した。そしてSTARTの下で次世代[ミサイル]を開発することを許されるであろう。検証は実際上不可能であろう。砂漠の嵐作戦中に、われわれはサダムのスカッド[ミサイル]を発見することができなかった。それゆえ、イラクよりも20倍から30倍も大きなソビエト連邦の一地域にある戦略ミサイルをわれわれが発見できるとどうして考えられようか。

1991年6月7日に、合衆国下院議会は、ソビエトが1989年および1990年に長距離爆撃機において140対1でわれわれよりも過剰に生産したという事実にもかかわらず、注文中の14B-2ステルス爆撃機の完成後に合衆国の爆撃機の生産を終了することを可決した。合衆国[下院]議会はまた(ブッシュ政権の勧告で)--ピースキーパーICBMの最大限生産と配備を50基のミサイルに制限し、そして「信頼性テスト」のためのミサイルをたった12基に制限することを可決した。これらは、ソビエトが1989年および1990年にICBM生産において265対21でわれわれより過剰に建造したという事実にもかかわらず削減しているのである。

下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)ソビエトが1989年および1990年に潜水艦において24対14でわれわれよりも過剰に建造した、そして現在1隻の新しい核潜水艦(1隻30億ドルの値段)を6週ごとに--1年で9隻になる--建造中であるという事実にもかかわらず、合衆国潜水艦生産を1年に1隻へ削減することを可決した。下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)合衆国SLBM(Submarine launched ballistic missile= 潜水艦発射弾道ミサイル)の生産を劇的にわれわれの小型化した潜水艦艦隊に匹敵するところまで削減することを可決した。これは、ソビエトが1985年から1988年までのSLBM生産において375対107の割合で、そして1989年と1990年には165対103の割合でわれわれより過剰に建造したという事実にもかかわらず、のことでである。下院はまた(ブッシュ政権の勧告で)ソビエトが1989年および1990年に1300基のSRBM(short-range ballistic missile=短距離弾道ミサイル)を建造したという事実にもかかわらず、短距離弾道ミサイル生産ゼロを可決した。そしてソビエトのICBM、SLBM、SRBM、潜水艦および爆撃機の連続した非常に高い水準の生産にもかかわらず、下院議会は、--そのような諸々の戦略的兵器に対する保護のための--戦略的国防主導権(Strategic Defence Initiative=SDI)予算を40%引き下げることを可決した。ブッシュ政権は46億ドルを要求した--下院議会は27億ドルを可決した。

下院軍務委員会および下院認可委員会の両方(これらの「産み落として/閉じる」("builddown/shutdown")法案を送付した)において、これらの戦略的兵器体系の生産を終わるあるいは削減する有力な理論的根拠は:気にするな、冷戦は終わったんだ。われわれは勝った。平和が手許にある。われわれはゴルバチョフを信用する。われわれは社会的計画のため(すなわち票を買うため)の平和の配当金を必要とするのだ。不幸なことに、物欲しそうな考え方のこの同じ態度が上院、ホワイトハウス、国務省、体制側のメディア、そして一般大衆の多くにも拡がっている。

弁護士で防衛顧問のジム・ジラード・ジュニア(Jim Girard Jr.)は最近こう書いた:「冷戦が終わった、そしていわゆる平和の配当金は真実であると考えている多くの人々は、彼らが、少なくとも軍備競争の半分--ソビエトという半分--が今なお統制を失って荒れ狂っているということを見失うほどに絶望的である。」

これらの数字のうちに内在している危険を認めることを拒否する人々はジョージ・オーウェルが「恐るべきものを信じない意志」と呼んだものの生きた見本である。この場合における「恐るべき」事柄はもちろん、ソビエト大統領ミハイル・ゴルバチョフが心の内に悪しき目的をもって戦略兵器における巨大な増強を意図的にそして熟慮して追求しているという考えである。

いずれにもせよ、その厳しい数字はUSSRの貧困に打ちひしがれた人々が爪楊枝やトイレットペーパーの便宜も与えられることができない時期の間に、クレムリンはどういうわけか、いわゆる「戦略的三種の神器」--ミサイル、爆撃機そして潜水艦--のすべての部門において合衆国を巨大な差で追い越して多く生産し続けるほどにその欠乏した資源を再構築する(ペレストロイカ)諸々の方法をなお見出したのだ。

ゴルバチョフによるそのような断固とした戦略兵器増強に直面して、われわれとわれわれのNATOそして日本の同盟はUSSRに対する大規模な経済援助を求めるいかなる「大バーゲン」提案をもでたらめに非常識なものとして拒絶すべきである(すなわち、年毎に350億から500億ドルがゴルバチョフによって要求され、これを書いているときに、合衆国の高官たちのグループで真剣に考えられている。)

アメリカは重大な危険の中にいる

結論:

アメリカは重大な危険の中にいる!共産主義は死んでいない、冷戦は終わっていない、平和は来なかった、そしてUSSRにおける最近の政治的激変を通じて、ガルガンチュア的フランスのラブレーの恐ろしい食欲をもった巨人のような]ソビエト軍はどんな仕方でも触れられず、あるいは縮小されなかった。

ソビエト軍は今なお陸軍、空軍、海軍、内務警察、KGB、そしてSpetznazを含む675万人を数える。赤軍と海軍の将校の90%はソビエト連邦共産党、あるいはコムソモール共産主義青年同盟のメンバーである。空軍におけるすべてのパイロットの80%、ミサイル潜水艦のすべての将校の90%以上、対空兵器およびABM防衛におけるすべての将校の95%、そして弾道弾および核戦力部隊100%はCPSUの党員である。

これらの人々のすべては5歳の時から成人にいたるまでに信じられないほど包括的、徹底的な体系の教え込みを受けて来た。西側における通俗の信念とは反対に、ソビエト軍は高度に統制がとれ、非常によく訓練され、非常に愛国的で、マルクス・レーニン主義の革命的教説で大いに教え込まれている。そしてたいていの西側の人々が信じさせられているような月並みなのろま、道化師あるいはとんまではない。

ソビエト軍はアフガニスタンでその人民を訓練しそして兵器、戦場での技術、等々を試験する10年間を過ごした。それは世界でも断然最善の装備を具えた軍隊である(アメリカよりも5倍から6倍よい装備を持っている)。その武器はすぐれており、高性能であり、戦場でよくその機能を果たすものであり、そして多くの場合合衆国の工業技術--盗まれた、売られたあるいは無料で与えられた--に基づいている。

アメリカは今日途方もない心理学的に不利な立場にある。われわれは自らの敵を決して過小評価すべきではない。それにもかかわらず、たいていのアメリカ人は(特に最近の数週間)ソビエトの人間たち、彼らの指導者たち、彼らのKGB、そして彼らの軍隊が無能でへまをやる道化師であると信じさせられてきた。この決まり文句はソビエトの偽情報によって悪化させられてきた。反対に、アメリカ人たちは砂漠の嵐作戦にに引き続いて、われわれが第3あるいは第4等級のソビエトの武器、ケンタッキー州の大きさの国に対面したのであり、そしてソビエトの対空防衛とスカッド攻撃を除けば、サダムの軍隊がわれわれの部隊と一度も交戦しなかったという事実にもかかわらず、われわれは無敵であると、信じているのである。

聖書は言っている:「うぬぼれは没落の前に来る」と。非常にうぬぼれた自信過剰のアメリカは今何物もわれわれに及ぶものはない--「ぶこつ者」のロシア人は確実に及ばない--と信じている。それゆえ、われわれの軍縮への総崩れなのだ。

もし共産党中央委員会あるいはソビエト軍最高司令部が合衆国をやっつける時期が適切であると決定したならば、彼らは直ちにそして全体的に--そしてほとんど合衆国からの第二撃あるいは報復の苦痛なしに--そうすることができるであろう。

アメリカは突入して来るミサイルの1基さえも止めることはできないであろう。われわれはミサイル防衛網そして市民防衛網も持っていない。そしてソビエト軍の指揮官たちは「改革派」ではない--彼らはすべて「強硬派」であるということは記憶されるべきである。そして彼らは過去10年間にわたって--彼らの10年間の「訓練演習」において--アフガニスタンにおける150万人の無辜の男女や子どもたちを殺すことを躊躇しなかった。

1991年におけるアメリカは、1941年12月6日にそうであったように、あるいはヨーロッパが1938年/1939年にそうであったように、あるいはトロイがその城壁内に巨大な木製の馬を持ち込んだ前日にそうであったように、その危険に対して確かに眠っている。トロイはギリシャ人たちとの長い(10年以上にわたる)血なまぐさい戦争をしていた。そのとき突然、ギリシャ人たちは降参した。彼らの方が劣っていること、彼らの不十分さ、そして弱さを認め、敗北と降伏を宣言した。そして彼らの船を出帆させ夕日の中へ去って行った。

しかし最初に彼らは海岸に彼らの尊敬のしるし、一つの贈り物、一つの縁起のよいもの、彼らの「高貴な征服者たち」に対する戦時賠償--一つの巨大な木製の馬--を残した。贈り物と共に、幸運のために、そしてギリシャ人の、「彼らの征服者たち」に対する賛嘆、友情そして尊敬のしるしとして、その大きな馬を彼らの市門の中へ持ち込むようにという指示が残された。

うぬぼれた自信過剰のトロイア人たちは木製の馬を彼らの門の中へ持ち込んだ。その夜、ギリシャ船団は向きを変え、トロイへ戻るために帆走した。そして大きな馬の腹の内部にいた彼らの軍隊はトロイの門を開けた。その夜、トロイは陥落した。--再び立ち上がることは決してなかった--戦略的欺瞞の犠牲者である。孫子とギリシャ人たちが理解したように、「すべての戦争は欺瞞に基づいている」。アメリカと西ヨーロッパは20世紀のトロイであり得るであろうか?

結論:共産主義は死んでいない

筆者は共産主義は死んでいない、冷戦は終わっていない、ソビエト連邦の共産党とKGBは解体されていない、そして地上に平和は来なかったと結論する。われわれは欺瞞の時代に生きている。われわれの指導者たちは、彼らがわれわれを世界政府の中へ、「新世界秩序」の中へ押しいれるときわれわれを欺いている。彼らはアメリカとUSSRの共通の利益の合併、二つの超大国の間のパートナーシップを、国連の下での彼らの世界政府の礎石と見る。

ソビエトの人間たちは、--彼らが戦争のために準備しているときでさえ--平和、兄弟愛、冷戦の終結そして共産主義の死を装うとき、われわれを欺いている。

ソビエトの人間たちは現在、彼らの体制から非能率的な諸々のもの、無用な人々を追放している。彼らはソビエトの体制を拡大するために、上から下までその体制を再編成し、再構築し、そして改名している。彼らは彼らの真の意図に関して偽情報でもって西側を溢れさせている。彼らは「歴史を通じてずっと知られている平和と軍縮の最大の序曲でもって眠らせるためにアメリカと西側の人々をあやして」いるのである。そしてわれわれは軍縮するように駆り立てられている。

今日われわれはわれわれの指導者たちが「われわれの時代には平和があるであろう」とわれわれに告げるのを聞く。しかし聖書は、人間たちが「平和、平和、そして平和はない」と叫ぶとき、注意せよと警告している。そしてテサロニケ人への第一の手紙5:3は言う:「人々が平和である無事であると言うとき、滅びは突如として彼らの上に下る。それは妊婦の生みの苦しみのようである。彼らは逃れることができない。」

われわれは何をなすべきか?

ハワード・フィリップス(Howard Phillips)(保守派幹部会議長)は、筆者が合衆国と西側指導者たちが世界中の共産主義政権を支え、援助する彼らの正気でない政策の代わりに支持すべきであると信じている、共産主義に対する勝利のための10点の計画を公表した。

1.モスクワの勘定書を払うことをやめよ。ポーランド、ルーマニアあるいはUSSRのような今なお共産主義的な政府への外国援助をもうこれ以上するな。彼らにまず彼らの軍隊、彼らのKGBそして彼らの大規模なグーラーグを解体させよ。

2.ソビエト軍を養うことをやめよ。USSRへの数千億ドルの、合衆国納税者によって助成される穀物売却をもうこれ以上するな。産物信用貸法人からの負債取消をこれ以上するな。

3.モスクワに合衆国の進んだ工業技術を与えることをやめよ。ブッシュ大統領が自由化したあるいは廃止した技術移転制限を復活させよ。

4.USSRにおける税金で助成されたヴェンチャービジネスをやめよ。合衆国輸出入銀行信用貸および貸付金保証をこれ以上するな。OPIC--合衆国政府が助成する海外私的投資法人(Overseas Private Investment Corporation)からの共産主義者のビジネスへの保険をやめよ。

5.モスクワとの軍縮条約調印をやめよ。モスクワが嘘を言い、騙し、そして増強している間に、SALT、START、INF、そしてCFEが合衆国の軍事力を縮小している。

6.合衆国軍事力の一方的軍縮をやめよ。ゴルバチョフは彼の戦争機構の45%増強をせっせとやっている。昨年、彼は核潜水艦において3対1、ICBMにおいて11対1でわが国よりも多く建造した。しかしブッシュと議会は実質的な合衆国軍隊の削減に同意した。

7.モスクワに対する合衆国が後援した銀行ローンをやめよ。ブッシュの助けによってモスクワは今GATTに参加し、合衆国によて助成されたIMFおよび世界銀行における会員資格を求めている。--われわれは世銀にさらに120億ドルを出すように求められている。これは止められなければならない。

8.きわめて重要な合衆国国防計画を遅延させることをやめよ。SDI[Stragetic Defense Initiative=戦略防衛構想]は今配備されなければならない。ブッシュはSDI配備を禁じているABM[Anti Ballistic Missile]条約廃棄の6ヶ月告知を即刻行うべきである。

9.反共産主義自由戦士たちを売ることをやめよ。アンゴラからアフガニスタン、モザンビークからカンボジアまでブッシュ政権は勇敢な反共産主義者たちを、共産主義者達を援助することによってか、あるいはわれわれの友人たちのための援助を削減するかのいずれかによって、犠牲にしている。

10.アメリカの人々を騙すことをやめよ。ソビエト連邦の共産党あるいはそのレーニン主義者、ミハイル・ゴルバチョフを救うことはアメリカを助けない。われわれの指導者たちは真実を告げるために勇気ある者であるべきである。

この報告の読者たちはこれをコピーし、もしこの分析が彼らにとって有意義であるならば、できる限り広く配布するようお勧めする。

警告の一言:あなたがこの手紙(あるいはそのコピー)を分け合うたいていの人々はその警告のメッセージを好まないあるいは同意しないであろう。それは一般大衆がわれわれの政治家たちそして体制のメディアによって告げられていることとはまったく反対である。それは「明白な外見」とはまったく反対である。

リベラル派はそれを(そしてその著者を)憎む(あるいは嘲笑する)であろう。なぜなら、彼らの心の奥底では、彼らは常に、ゆくゆくは「共産主義者たちは正常になり、彼らの行為を改めるであろう」と信じているからである。永久の楽天家たち(ポリアンナ[E. Porterの小説の主人公の女の子、底抜けの楽天家]群衆)はこの報告を拒絶するであろう。なぜなら、否定的である、ぎょっとさせるものである、あるいはわれわれの仲間の人間に対して信頼していないものだからである。すなわち、「君たち偏執狂の反共産主義者たちは勝利を宣言することを恐れている--君たちは君たちの存在を正当化して戦うために敵を持たなければならないのだ。」

この報告を読むたいていの人々はそれを理解しないであろう--特にそれが、ソビエトの人間たち、そして平和そして兄弟愛そして一致そして新世界秩序についての、ブッシュの、ダン・ラザー(Dan Rather)の、テッド・コッペル(Ted Coppel)の、そしてテッド・ターナー(Ted Turner)の見解とはまったく異なるから--。

しかし、それを読みそして理解し、そして少なくとも分析と結論の一部に同意する少数の人々が外部に(イギリス、ヨーロッパ、南アフリカ、アメリカ、カナダ、等々)いる。これらの人々は一匹狼たち、思想家たち(今日西側では失われた種類)あらゆる衰退していく文明、危険に曝された文明の残りの者たちである。筆者はこの報告がその種の人々の手に落ちることを希望している。西側のあらゆる国の軍隊、諜報機関、そして政界にはそのような少数の人々がいる。このような一つの小さな報告がわれわれすべてに押し寄せて来る世界的な偽情報の雪崩に打ち勝つことはできない。「しかし暗闇を呪うよりは1本の蝋燭を灯すほうがよい。」

「新世界秩序」徒党、あるいはソビエトの人間たちは1990年代に彼らの世界支配の目標を達成するか? 筆者はそうとは思わない。おそらく歴史のすべての中での善と悪との間の現れて来る最も大きな闘争にもかかわらず、聖書の神、宇宙を創造なさった神は今なお、歴史、諸国そして諸個人の生活を責任をもって預かっておられる。[諺に]言われて来たように、「計画するのは人、成敗をつけられるのは神」なのである。筆者は来るべき混沌のまっただ中のある地点で、神が悪に反対して善の側で介入なさる、そして敵を混乱させてくださると信じている。神のために悪に反対する立場を喜んで取ること--そしてそのもろもろの結果を神の手に委ねることはアメリカ人の義務である。エドマンド・バーク(Edmund Burke)がかつて言ったように、「悪に勝利させるために必要なすべてはよい人々が何もしないことである。」

そしてウィンストン・チャーチルが1938年に(われわれ自身の時代と似ている時代に) 無関心な、ひとりよがりのイギリスの人々を目覚めさせようとしていたとき、言ったように、「全均衡が混乱させられ、西欧民主主義に反対する恐るべき言葉が宣言された。なんじはどちらとも決まらないで計られ、不足を見つけられる。そしてこれが終りだと考えてはならぬ。これは計算の始まりにしかすぎない。これは、道徳的健康と好戦的活力の最高の回復によってわれわれがふたたび立ち上がり、昔のように、抵抗しない限り、年々われわれに差し出されるであろう苦い杯の前もって味わう最初のものでしかない。」

ここに挙げられているすべての編集者注は原典版にあるものである。

2004/02/08 三上 茂 試訳

作成日:2004/02/08

最終更新日:2005/03/22

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