ファチマの聖母マリア

パードレ・ピオの秘密

The Fatima Crusader, Isuue 60: Summer 1999より

ジェームズ・ディマーズ

ニコラス・グルーナー神父とジェームズ・ディマーズとの間の会話

ジェームズ・W. ディマーズによる序言

パードレ・ピオは彼の手と足と脇腹にある傷のゆえに「生きている十字架像」と呼ばれてきた。しかしパードレ・ピオであったキリストのまねびはもちろん、それが彼の手、足そして脇腹においてそうであった以前にまず何よりも彼の心と霊魂と精神のうちにあった。

トマス・ア・ケンピスに帰せられるキリストのまねびという霊的古典が彼自身のロザリオと同様にパードレ・ピオによく知られていたということを想像することは容易である。パードレ・ピオの性格をそのように反映しているのがキリストのまねびの4つの巻の忠告であるので、言葉をパードレ・ピオの容貌から分離することは困難である。人はこれらの言葉、時に燦然とした、時に打ち解けた、しかし常に常識に浸された言葉をため息混じりに言う彼をほとんど聴くことができる。彼は告解室に入る準備をしているとき、あるいは告解をする人々に忠告を与えているとき、あるいはミサを捧げるための祭服を着けているときにそれらの言葉を発したであろう。人は、ミサの犠牲の間に彼が完全に感覚的世界の影響を受けないでいたとき、彼の霊魂の純粋さの中で光の羽のように踊っている有益な合図や示唆を容易に想像することができる。

自らをパードレ・ピオの霊的子どもだと考える人々は、再三再四彼の名前が苦境の時に呼ばれるときいかに彼が即座に彼らの側にいるか、彼の即時性についてコメントしている。キリストのまねびにおいてその即時性は検証され、きらきらと輝く色彩をもって通り過ぎる。パードレ・ピオはまさにその言葉をあなたに声を出して読んでくれるかもしれない。あるいはもっとよいことに、あなたの心の最も深部に届くようにそっと読んでくれるかもしれない。

この「生きている十字架像」への接近

あなたは、すでにこの論考を手にして、ここまで読んでこられたのであるから、そのことはあなたがすでに開かれた心を持っておられるということを意味している。それがパードレ・ピオに近づくためにあなたが必要とするすべてである。

もしあなたが彼の生涯の伝記的な詳細を知っていたならば、助けになるかも知れないが、ここにそのことを見出さないであろう。この人間のゆえに成長した出版業の無数の巻においてそれは十分に論じられている。

あなたはまた彼の人間性、彼の霊的な上昇、彼の教会、司祭職そして彼の仲間の人間への奉仕についての最大級の言葉で圧倒されることもないであろう。パードレ・ピオは最大級の言葉に身震いした。そして単なる死すべき者たちに言及するときには滅多にそのような言葉は使わなかった。

パードレ・ピオの秘密はむしろカトリックであることに関係があった。誤った修辞法のこの時代に、エキュメニズムを装って政治的な行動予定表が救世主の脇腹の傷から流れ出た宝の何らかの類似からキリスト教を歪めているとき、パードレ・ピオがカトリック、ローマ・カトリック以外の何物かであることを狂気と考えたであろうということを思い起こすことは重要である。

この論考はまた政治的な意味においてカトリックであることについてのものでもない。それは教会についてのものでさえない。それは個人的なカトリックの霊魂についてのものである。それはパードレ・ピオである避けられない磁気作用の源である。彼の不滅の霊魂はその中で天国を勝ち取るための戦いが行われる劇場である。彼の不滅のメッセージはその戦いに勝利する以外に重要なことは何もないとうことである。彼はその勝利を純粋にカトリック的な武器でもって勝ち取った。それら[の武器]はここであなたに、単にトマス・ア・ケンピスによるキリストのまねびの抜粋からばかりでなく、パードレ・ピオ自身の著作から認められるものとなるであろう。

パードレ・ピオの言葉が徹頭徹尾カトリック的であるということは、彼の言葉、文言、文章、時には短い節が、文脈から外されて受け取られるときでさえ、これっぽちの明確さ、意味あるいはニュアンスを加える以前あるいは以後に何らかの言及を必要とせずに、まったく完全に意味をなすということに人が気づくとき、明らかとなる。このことは、再び彼を彼らの生活の一部と見る人々によってしばしば言及される彼の性格の直接性の証明である。

あなたの守護の天使を使いにやる

パードレ・ピオを自分の生活の一部と見出すことはそのようにわずかの努力しか要らないので、彼の霊的子どもたちが地上のあらゆる種族、そして地球の仲間に出会うのはなんらふしぎなことではない。あなたは彼を捕まえるために単純にあなたの守護の天使を送るのである。そうすると彼はただちに来る。それはそのように単純である。

それは、キリストのまねびからの抜粋とパードレ・ピオからの引用との間にページ毎に自分自身の言葉を敢えて含めて考えるという小さな飛躍を必要としない。しかし、パードレ・ピオが日々彼自身の霊魂の善のために彼の生活の「愛」に敢えて服従したのと同じように、彼はまた彼の友人たちそして彼の告解に達するために絶え間なく数千人もの列を作った告解をする人々に、彼らもまた全霊でもって霊魂の「不滅の愛する御者」を捜し求めるように要求した。

そしてそのようにわれわれは敢えてページをくり、まったくカトリック的な、まったく個人的な、そして最も意気地のない人にとってさえまったく近づきやすい世界に入る。

パードレ・ピオの秘密

第1部:有益な注意

(今年の始めジェームズ・ディマーズは5月2日ローマでのパードレ・ピオの列聖式のためにグルーナー神父が出発する前にグルーナー神父と話をした。)

ジェームズ・ディマーズ:あなたはパードレ・ピオを知っておられた。あなたは彼に会われ、そして6ヶ月間サン・ジョヴァンニ・ロトンドで生活され、彼と一緒に働かれた。

グルーナー神父:私が最初にパードレ・ピオに会ったのは1965年でした。私は前年にマッギル(McGill)大学を卒業し、1964年11月以来ヨーロッパにいました。1965年5月にはイタリアにいました。そしてアッシジにいたときにフランシスコ会の何人かの修道女たちからパードレ・ピオのことについて聴きました。それで私は行って彼に会う決心をしました。私は彼のミサが3時間の長さだと聴いていましたし、私自身私の友人たちが証言することができるように、朝早く起きられるか知らなかったので、彼のミサの始まりにそこに居られるかどうか知りませんでした。しかし、ミサの中間には居る決心をしました。

私はそこに7時半ころに着きました。しかし彼のミサはずっと後まで続きました。彼はいつも5時にはミサを捧げます。1965年まで彼はミサを30分で捧げるという従順[の誓い]の下に置かれていました。

私はイタリア語を多く話しませんでしたが、しかし私が長い道のりを来たということを聴いたある人が私を階段の後ろの方へ連れて行ってくれ、私を彼に紹介してくれました。彼は私の頭を軽く叩きました(是認あるいは愛情の一つのしるし)。それが私の最初のパードレ・ピオとの出会いでした。3年後に私は戻りました。

ジェームズ・ディマーズ:彼はその時にはすでに奇跡を行う人であるという評判がありましたか? そしてバイロケーション[同時に異なる場所にいること]で評判がありましたか? 

グルーナー神父:ええ、そうです。彼は確かに奇跡、バイロケーション、預言評判を持っていました。最も異常な出来事です。私はそれらのうちのあるものを目撃しました。そしてそれらのことを目撃した人々に話をしました。

彼は、1915年に見えない仕方で受けた聖痕の賜物が1918年9月20日に見えるものとなったその1918年にはすでにこれらの賜物を持っていました。その聖痕は彼の残りの生涯の間見えるものとしてずっと続きました。

私は、数千人の他の巡礼者たちと一緒に、1968年9月22日に彼の最後のミサに与りました。あなたが彼の傷を見ることができる唯一の時は彼がミサを捧げるときです。なぜなら、ミサを捧げるために彼はその半分[掌の部分が隠れる]手袋を外したからです。私は前の席に近い柱の側に立っていて、傷の一つ、彼の左手に見える傷を見ることができました。

ジェームズ・ディマーズ:聖痕があなたに見えたという事実のほかに、何かもっとありましたか? あなたが特別なある人の現前に立ち会っているという感情がありましたか? 

グルーナー神父:パードレ・ピオは香りの賜物を持っていました。すなわち、彼はあなたに一つのかぐわしい香りを送ることができました。例えば、私たちはこのラジオ・スタジオにいます。ここには花はありません。そして扉は閉ざされています。誰かがわれわれに悪ふざけをしようと思って、ドアの下の隙間を通していたずらとして何かあるものを噴霧器で散布しない限り、この部屋の中へあるかぐわしい香りを漂わせることができる方法はありません。あなたはパードレ・ピオについて考えることさえ、大きなお世話だと考えることができるでしょう。そして突然、あなたはこのかぐわしい香りの気配を感じることになるのです。まわりには花はありません。香水をつけた人は誰も側を歩きません。あなたは自分自身で皆その香りを得るのです。

私は、パードレ・ピオが彼の生涯の最後の50年以上をそこで過ごしたサン・ジョヴァンニに居たときのことを思い起こします。私はかなり貧しい一人のアイルランド人と一緒でした。私はそれほど豊かではありませんでしたが、彼が持っていたお金より多くのお金を持っていました。それで私は外で夕食をするために彼を招待しました。彼はぶどう酒を注文しました。私は注文しませんでした。そして彼は私のグラスに少し注ごうとしました。私は断りました。そのとき、私は1週間の間ぶどう酒を取らない約束をしていました。

彼は二三度私にぶどう酒を申し出ましたが、私はいいえ、要りませんと言いました。

それで、彼は言いました。「私がそれでもなおあなたのグラスに注いだら、あなたは飲みますか?」

私は言いました。「いいえ、飲みません。」

その瞬間に私はこの香水の一吹き、バラのかぐわしい香りを受けました。それはパードレ・ピオのよりよく知られたかぐわしい香りの一つでした。彼は200以上の香りを持っていましたが、しかし5つの香りは最も一般に知られた香りでした。彼がバラの香りを送ったとき、彼はあなたがしていることを是認したのだということが理解されます。

アッシジの聖フランシスコは目に見える聖痕を持っていました。シエナの聖カタリナは目に見えない聖痕を持っていました。パードレ・ピオはバイロケーションの賜物を持っていました。他の聖人たちはバイロケーションの賜物を持っていました。彼[パードレ・ピオ]は[他人の]心を読む賜物を持っていました。彼は、たとえ彼らが彼からそれらを隠そうと試みたとしても、かれらの罪が何であるかをある人に告げることができました。彼は奇跡の賜物を持っていました。彼はその生涯のうちに多くの奇跡を行いました。

ある盲人が彼のところに来ました。パードレ・ピオは彼に言いました:「私はあなたを癒すことができるでしょう。しかしもし私があなたを癒したならば、あなたはあなたの目で罪を犯し、地獄に行くことに終わるでしょう。それでもなおあなたは癒してほしいかね?」彼は言いました。「いいえ。」

合衆国にタイヤの破裂によって両眼とも盲目になった人がいます。彼はまた嗅覚をも失いました。パードレ・ピオは彼の嗅覚を回復させました。神経は今日まで今もなお切断されています。にもかかわらず、彼は他の人が嗅ぐことができるものは何でも嗅ぐことができます。それは一つの奇跡です。なぜなら、神経はつながっていないからです。それは自然的な方法によってではありません。しかし彼は嗅ぐことができるのです。

シチリア島の一人の少女は両眼の瞳孔なしに生まれました。そして彼女の母親が彼女が4歳か5歳のときにパードレ・ピオのところへ彼女を連れて行きました。パードレ・ピオは彼女のために祈りました。そして彼女は見ることができました。それは十分に奇跡的なことです。しかし事実は、彼女が今なお瞳孔を持っていないということです。彼女は単に癒されただけでなく、瞳孔の助けなしに見ることができるのです。

私は、彼らがすべての答を持っていると信じ、科学、人間の科学的知識が最高の力であると信じるわれわれの高慢な時代をまごつかせるために、神はこのような仕方で奇跡を行われるのだと思います。そうです、神は明らかに科学よりも遙かにもっと強力な御方です--聖人たちの科学はより高い知識であり、より強力なものです。これらは彼の多くの奇跡のうちのほんのわずかなものです。パードレ・ピオについての書物は数百冊もあります。それらの多くは英語で書かれています。英語のもののうちで最も有名な書物の一つは1940年代のランブル(Rumble)神父およびカーティ(Carty)神父によって書かれた「聖痕の持ち主パードレ・ピオ」です。それは300ページの書物ですが、彼の生涯における諸々の出来事や異なった事柄の説明であり、そのうちの多くは名前、日付そして場所が与えられている奇跡です。

彼はミサで泣いたものでした。そしてなぜかと聴かれて彼はこう答えました:

「神がわれわれのためにその生命を捨てられ、十字架の上で死なれたことに比較して私が流した涙はどれほど少なかったか?」

彼の涙はハンカチの上で乾かされたとき、スミレのような香りを発したものでした。多くの人々にとってスミレはパードレ・ピオの涙を象徴しています。

コールタール性の香りは心地よいものでした。しかし彼はあなたに告解の秘蹟を受けなさいと告げていたのです。彼はまた新しく切ったタバコの香りを持っていました。それは彼の現前を示す贈り物でした。

不可知論者のアイルランド出身の一人の紳士が教会に行きました。そして彼に聖性の香りのうちに死んだ彼の叔父のことを思い起こさせる一つの香りに彼は気づきました。彼はこの香りは彼にパードレ・ピオによって送られたのだと理解しました。彼は目に見える仕方ではそこにいないパードレ・ピオに尋ねました。「あなたはどれくらいの数の香りを持っているのですか?」次の30分以上にわたって彼は次々と200以上の香りを数えました。彼は最後に数が分からなくなりました。そして香りはやって来るのを止めました。

私は、イタリアで働いていた間、1週間に2日から5日パードレ・ピオの町で過ごしました。私は1968年に一人のアメリカの飛行士に会ったことを覚えています。彼は一人のバプテスト派の信徒、あるいは何人かのプロテスタントのグループと議論になりました。そして彼らは彼に煉獄は存在しないということを証明しました。彼はこれは信仰に反することであるということを知っていました。それで彼はパードレ・ピオのところへ行きました。彼はこのことに対する一つの解答を必要としていました。しかし彼は彼に香りを送るパードレ・ピオの経験を欲しませんでした。私は数ヶ月後に彼に再び会いました。そして彼はそのときまでに煉獄を信じることに問題を持っていませんでした。彼は私に、ある日彼が滞在していたペンションに独りでいたとき香水の香りを受けたと言いました。その前の日に彼はもしこのことが彼に起こったら異常な精神状態になるであろうと考えました。しかし彼はあきらかにその経験を切り抜けて明らかに生き残りました。パードレ・ピオは彼に彼が望まなかった仕方で彼の答を与えたのです。パードレ・ピオはあなたが言及したように、ユーモアのセンスを持っていました。

メアリ・パイルはアメリカ婦人です。彼女は私が会った2か月後、4月に亡くなりました。彼女は1920年以来サン・ジョヴァンニにいました。彼女はまったく裕福でした。彼女はパードレ・ピオの近くにいるためにサン・ジョヴァンニに家を建てました。彼女は一人の召使いを持っていました。そして他のこともいろいろありますが、彼女の心の良さから貧しい人々に食事を与えていました。彼女は時を選ばずいつでも貧しい人に奉仕するのでした。そして彼女の料理人は不満を言いました。メアリ・パイルは、料理人は貧しい人の愛のために喜んでいるべきだ、時を選ばずいつでも彼らに喜んで奉仕するべきであると考えました。料理人はメアリ・パイルは道理をわきまえていないと考えました。彼らはパードレ・ピオに訴えました。そして彼は料理人に味方して裁決しました。彼は彼女[料理人]にいつも仕事をさせることは公正ではない、彼女は休息を必要とすると言いました。彼女[メアリ・パイル]はまた、彼女の料理人が菓子を焼いていたある時、パードレ・ピオがバイロケーションによって部屋に入って来て、あなたが最初に卵を入れたなら、もっと善いであろうと言ったと言いました。料理人は順序を逆にしていました。そしてそれは功を奏しました。それはもっと善かったのです。

メアリ・パイルはパードレ・ピオの父母が死ぬためにサン・ジョヴァンニに来た時、ホストとして行動しました。彼女の一つの願いは彼女がパードレ・ピオの前に死ぬことでした。

イタリア語を一語も話さないメアリ・パイルの妹が第二次世界大戦の間にサン・ジョヴァンニにいました。そして告解のためにパードレ・ピオのところへ行きました。パードレ・ピオは英語を話しませんでした。にもかかわらず、彼らは両者とも彼ら自身の言語で話したのに、お互いに理解しました。

最も有名な物語のうちのあるものはパードレ・ピオと兵士たち、特に飛行士についてのものです。彼が撃墜されそして彼の飛行機が落下したので機外に飛び出した一人のイタリアの飛行士は彼の落下傘を開くことができませんでした。彼が知っている次のことは彼が一人の托鉢修道士によってそっと地面に下ろされたということです。彼はその修道士をパードレ・ピオだと認めました。その人は彼の生命を救ってくれたことに対して感謝するためにパードレ・ピオのところへ行きました。

「ただこのことだけかね?」とパードレ・ピオは尋ねました。「あなたの飛行機が山にぶち当たり、そしてあなたがまた安全に救い出された時についてはどうかね? しかし、私に感謝しないでくれ、あなたのお母さんに感謝しなさい、あなたを救ったのは彼女の祈りだった。」その人はパードレ・ピオが最初に彼の生命を救ったということを理解していませんでした。

アメリカ軍が南イタリアを接収した後戦争の終わり頃、彼らはサン・ジョヴァンニからおよそ40kmの空軍基地を接収しました。彼らはその基地をユーゴスラヴィアに対する爆撃飛行任務に使っていました。戦争の始めにパードレ・ピオはサン・ジョヴァンニの人々にサン・ジョヴァンニ・ロトンドの街には爆弾は落ちないと告げました。彼はそのことを彼らに約束しました。

空軍大佐はアメリカ人たちに、爆弾を搭載したまま基地に戻ってはならないと厳格な命令を与えていました。その理由はもし彼らが着陸に失敗して墜落したら、基地を吹き飛ばすからだということでした。彼はこの命令に従わない者は誰でも軍法会議にかけると警告しました。とりわけ一人のパイロットが彼の友人アルフォンス・ドルテガ--私は1968年にサン・ジョヴァンニ・ロトンドで彼に会いました、そして同じ基地で働いていました--にこう告げました。彼が飛行から戻ったとき、彼は基地から10分のところにいて、また爆弾を一つ搭載していました。彼は爆弾を落としに行きましたが、彼がそうすることができる前に、「そうしてはいけない」と言っている英語を話す一人の人間の形をした一つの雲が彼の方へ近づいて来るのを見ました。命令は命令です。雲であろうが雲でなかろうが、英語であろうが、英語でなかろうが、彼は爆弾を落としに行きました。機器が動かなくなり、彼は爆弾を投下することができませんでした。彼は選択の余地がありませんでした。ガソリンがもう切れていました。彼は爆弾を搭載したまま着陸しました。空軍大佐は爆弾を搭載したまま着陸した男のことを聴いたとき、ひどく怒りました。彼は軍法会議にかけることによって彼の不服従を罰しようと望みました。彼は、そのパイロットの説明を聴いたとき、パイロットが余りにも長く飛行していて休息が必要だと感じました。それはその基地でそのように頻繁に起こったので、その話は「おお、それはパードレ・ピオのように思われる」と言った会食者の中の9歳の皿洗いの少年によっても聴かれたほどです。

ドルテガは、少年がこのことを言うのを聴いたとき、この経験をしたのがプロテスタントのパイロットであることを知りました。

彼は何がそこにあるか見に行こうと彼に求めました。彼らは二人で5時のミサ前に教会に行きました。そして以前にはカトリック教会の中に入ったことがなかったそのパイロットは彼が雲の中で見た男を見ました。それはミサのために出て来たパードレ・ピオでした。この話はイタリア人たちと呼ばれる世俗的な書物の中で語られました。パードレ・ピオが行った数百の奇跡があります。これらはもっと劇的なもののうちのほんのいくつかです。

ジェームズ・ディマーズ:また多数のバイロケーションの例もありました。彼はそのこと--一時に多くの場所にいること--がどうして可能なのかと尋ねられました。彼はそれは、われわれがまだ理解できない人格の拡張であると言うことによって、そのことを説明しました。それは彼がそれを説明しようと努めたかぎりでのことでした。

グルーナー神父:明らかに托鉢修道士たちは彼らの間で一つの議論をしていました。彼は部屋にいましたが、しかし議論の中には入っていませんでした。彼らはバイロケーションの中にいる人間が彼が第二の場所に居ることを意識しているか、それともそうでないかを議論していました。半数の人々は彼は自分がどこにいるかを意識していることはできないと言い、他の人々はできると言いました。長い議論の後に、議論に参加していなかったパードレ・ピオが言いました。「彼は知っているよ。」

ジェームズ・ディマーズ:彼の手と足の聖痕のゆえに彼は「生きている十字架像」であるという記述が彼についてしばしば用いられます。しかし、彼の伝記はトマス・ア・ケンピスによるキリストのまねびの言葉のうちに容易に見出すことができるとほとんど言うことができます。

キリストのまねびにおける第一の黙想は彼の性格についての扉を実際に開くように思われます。私はこれを読んだとき、彼の非常に近くにいると感じました。ほんの1行に還元される有益な忠告と呼ばれる部分における第一の黙想は次の通りです。

「それが真にそうであるように、堕落したそして束の間のものであると世界を見ること、世界をそれ自身のためにではなく、神のために愛すること、そしてあなたのすべての努力を神の国に達する方向へと向けること、これが最高の知恵である。」

パードレ・ピオが彼の後年に言ったとして引用される事柄の一つは:

「神学者たちは間違いを犯し得る、そして自らを嘲笑にさらすことができる。われわれがそれを退屈だと見るときでさえ、われわれの観念を明らかにするために、教会の厳格さが常に必要である。時間と共に、あなたもまたこのことを理解するであろう。厳格さなしにはただ混沌があるだけであろう。」

私は彼がこのことを第2ヴァチカン公会議に関係づけていたと思います。あなたはこれが今日の教会における状況に関係すると言われるでしょうか?

グルーナー神父:「厳格さなしには」という彼の文言は、たとえ一つの苦痛がそこに含まれているとしても、真理を要求している教会に関係しています。例えば、パードレ・ピオは彼自身の死のおよそ10日前に、教皇パウロ6世によって出された回勅フマネ・ヴィテを支持しました。教皇に宛てて彼が書いた手紙が出版されました。パウロ教皇は確かにパードレ・ピオについて知っておられました。そして回勅についての彼の意見はそれが公表される前に求められました。パードレ・ピオの答はこうでした:

「すぐにそれを公表しなさい、それをそのまま公表しなさい。」

多くの人々はフマネ・ヴィテを厳格だと考えています。しかしパウロ6世がなさっていることはすべてカトリック真理を反復して述べていました。

要点はこうです:もしわれわれが真理によって生きないならば、われわれは、われわれに嘘を告げる誰かの奴隷になるか、それともわれわれ自身の悪徳の奴隷となるかのいずれかです。真理のあの厳格さなしには、もちろんただ混沌があるだけです。

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオのそれに対する再度のコメントはこうでした:

「教会を愛する多くの理由がある。しかし私の意見では、数世紀を通じて今日まで厳格さが存在するという単なる事実はわれわれにとって、少なくとも実質において無傷のままに保たれてきた。神の言葉と御聖体はわれわれに母よりも教会を愛させるに十分であるべきである。」

独特の皮肉の感覚

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオは権威ある人物たちに対する非常に独特の観点を持っていました。これは、あなた、グルーナー神父、が非常によく話すことができる何かです。

キリストのまねびからの第5の黙想はこう言っています。「神はその人の地位を考慮なさらずに多くの仕方でわれわれに話しかけられる。」

パードレ・ピオはこう言っています:

「まったく、まったく、私が若かったとき以来世界はなんと変わってしまったことだろう。あのころは警察は泥棒や強盗の直ぐ後に見出されたが、今では道を清めるために警察はオートバイに乗って彼らの前を走っていますよ。」.

彼がここでしているコメントにおいて、彼は特に政治家たちについて話しています。しかしあなたはまたそれらすべてについて知っています。

ジェームズ・ディマーズ:もちろん、彼は政治家たちに言及していました。北アメリカにおいては警察は中絶主義者たちと殺人者たちを守っています。そのように、世界は確かにパードレ・ピオが成長した時代からは変わったしまいました。そして明らかに、それはよりよい方向に変わったのではありません。

同時に、われらの主は地位のある人々、ファリザイ派やサドカイ派について、彼らがモーセの座についている、そして彼らがあなたにモーセがあなたに教えていることを教えるとき、彼らに従いなさいと言っておられます。しかし、彼らの実際の例に従ってはならない、なぜなら彼らはモーセが彼らに行うように教えたことを行っていないからである、と。

われわれは偽善的な生活を送っている高い地位にある人々の例に従うべきではありません。しかし同時に、もし彼らが彼らの合法的な権威を行使しているならば、われらの主はわれわれに、彼らに従うことを期待しておられます。

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねびからの黙想14はあなた自身の生活とパードレ・ピオの生活とのある種の交差と私が考える一つの愛すべき黙想です。

「思想と意見の相違は友人たちや隣人たち、修道者たちそして発達した人々の間に必要以上の口論へと導きます。」

これはパードレ・ピオの言葉を反映しています。彼は注目で彼を圧倒したある人々にこう言いました:

「ここにはどのような種類の聖人もいない。だから、行って、どこか別の町であなたが探しているそのような聖人たちを見つけなさい。私はある種の事柄に、特にそれらが公に行われるならば、うんざりさせられている。しかしもしわれわれだけがいるならば、そして私が自由にできる1トンの水を持っているならば、私は、あなたの脳をリフレッシュし、あなたをもっと軽く感じさせるためにそれをあなたの上に消防士の力でもって注ぐだろう。」

パードレ・ピオは人々にこう言おうと努めていたのです。あなたはあなたの注目のすべてでもって私を圧倒している、あなたはあなたの関心とそのようなすべての取るに足りないもので私を圧倒している。とりわけ、私は一個の人間であり、そしてしばらくの間独りでそっとしておいて貰う必要があるのだ、と。

ときどと、グルーナー神父様、あなたは同じように圧倒されると感じられるに違いありません。あなたもまた、会議でいつも、移動でいつも、引っ張りだこです。そしてしばしば多くの異なった関心を持つ人々に直面されています。あなたはそれをどのように処理されているのですか?

グルーナー神父:パードレ・ピオの周りにいた人々と私自身の周りにいる人々には大きな違いがあります。それはパードレ・ピオがかつて言われたように、「あなたが人々に神を与えるとき、彼らはあなたを食い尽くすでしょう」とう意味においてです。

彼は数百万の人々に神を与えました。私の仕事は単に、しかし重要なことなのですが、ファチマの聖母が言われたことを繰り返すことです。不幸なことに、それは十分な人々によって繰り返されてはいません。それが私が今そうであるように需要がある理由だと私は考えています。パードレ・ピオを取り囲んでいた人々に関して言えば、彼らは自分たちが一人の聖人に関わっているのだということを知っていました。あなたを評価する人々を持つことはすばらしいことです。そしてまた、あなたが神に話すことができ、そしてあなた自身をもうすこしよく知らせることができるように時間を持つことはあなた自身にとってすばらしいことです。

内的な生活へ向かって

ジェームズ・ディマーズ:一人のカトリック者としての彼らの役割は教会内部での従順の役割であると信じて成長したカトリック教徒の心の中でまさにこの点を追求して行く多くの葛藤があります。今日われわれは、ファチマに関してヴァチカンから出て来るすべての規則にわれわれが従順であるべきだと要求するあつらえ向きの目録[bill of goods]を売られています。にもかかわらず、誰もが本能的にそれらには何か間違ったものがあると感じています。

人々は、教会内部のファチマ賛成派とファチマ反対派の葛藤の論争全体を非常に注意深く見ながら、要求されていることと後ろへ下がることとを記述するために「偽りの従順」という言葉を用いています。そしてそれらはいわゆる専門家たちによって誤った情報であるものとしてしばしば誤り伝えられています。ファチマに忠実な信徒は多くの個人的な力でファチマの全メッセージを主張しています。それはキリストのまねび第2部の「内的生活へ向かって」と題された黙想3を思い起こさせるものです:

「自分自身との平和のうちにいる人は学問のある誰かある人よりも大きな善をなす。」

パードレ・ピオは本当に美しいものである従順についてコメントしました。

「従順がないところには徳がない。徳がないところには善がない。善がないところには愛がない。愛がないところには神がおられない。そして神がおられないところには天国はない。」

もちろん、それが、私たちが不従順であることを恐れる理由です。それが、われわれが従順に挑戦することを恐れる理由です。不幸なことに、その目的が敬虔な者を打ちのめすこと、敬虔への呼びかけの意味を逆転させることである人々によってわれわれに対してそれが用いられています。われわれが誤りであると知っていることをするようにわれわれに強いるようにローマから一つの圧倒的な不可抗力的なものが向けられていると思われます。

ジェームズ・ディマーズ:そのことに対する解答は最初の教皇、聖ペトロの口から出て来ます。彼はこう言っています:「われわれは人間よりもむしろ神に従わなければならない」。

聖ペトロはこのことを、サンヘドリンたちが彼にイエズス・キリストの名において説教してはならないと命令したとき、彼らに言いました。彼は、自分は彼らには従わないであろうと言いました。それで彼らは、聖ヨハネと一緒に、彼を鞭打ちました。

神がペトロとヨハネそして使徒たちにキリストの名において説教せよとお命じになるとき、人間は誰も彼らにそうするなと告げることはできません。われらの主が、ファチマのメッセージの中で、われわれに、「それを私のしもべたちに知らせなさい...」と言っておられます。主は御自分のメッセージを沈黙させる権威を御自分のしもべたちにお与えになっていません。

ファチマは一つの預言です。聖書は、われわれは預言を軽んじてはいけないとわれわれに告げています。1テサ 5:19-22において、聖パウロのペンを通して書きながら、聖霊はこう言っておられます:

「霊を消してはいけない、

預言を軽んじてはいけない。

すべての事柄を吟味し、しっかり保ちなさい、

善いものを。

ファチマの預言的メッセージはカトリック教会によって、位階によって吟味されてきました。そして彼らはそれを善いものであると見出しました。それゆえ、聖書の命令に従って、われわれはそれをしっかりと保たなければなりません。われわれは従わなければなりません。われわれは人間よりもむしろ神に従わなければなりません。それが答です。

ジェームズ・ディマーズ:第2ヴァチカン公会議以来、自分たちを教会の番犬として指名した学者あるいはエリートのこの成層圏があるように思われます。30年間が過ぎて、今彼らは、ただ自分の信仰を実践し、日々自分の生活を送りたいだけである謙遜なカトリック教徒に真っ向から反対してきたと思われます。一方でこれらの自らを指名したエリートたちはわれわれが見てきたもののあらゆる認識からはずれて教会を歪めています。

キリストのまねびにおいて第2部黙想5の一つの美しい行は単純にこう言っています。「自分自身の行動を誠実に検討する人は決して他の人々を性急に判断しないでしょう。」

パードレ・ピオは痛烈なユーモア感覚を、そして修道生活の中でまた何が許されるか、そして何が許されないかの感覚を持っていました。

グルーナー神父様、あなたは評判がよい方です。そして修道生活の外部にいる人々が考えている多くのことが聖職者のあるメンバーたちの側での非常に異常な行動であるということに抵抗してきた人の公共の横顔を持っておられます。確かに、カトリック教会は世界中で聖職者によるスキャンダルと不品行で過去20年間非常に悪い時を持って来ました。あなたは教会の諸々の法律よりも前に自分たち自身を置いて来た人々にとても我慢がならなかった人として知られています。しかし、われわれがもう一つのスキャンダルの高波に直面しているゆえに、以前よりももっと慰めを必要としているカトリック教徒に対して、あなたは今何を言おうとされますか? ローマは人々にとってますます意味を失い始めています。美しいラテン語のミサが国中でだんだん多く戻って来つつあるとしても、都市のゲットー化された地域でラテン語ミサが常に捧げられることを確実にする司教たちの側での絶えざる一致した努力がなお存在しています。われわれが地下教会を構成しているところで、当局者たちは士気喪失の感覚、意気消沈の感覚の種を蒔こうとしています。彼らをどのように拾い上げるかということに関してファチマは何を言うでしょうか?

グルーナー神父:まず何よりも第一に、私たちは聖母の約束を持っています。聖母はこう言っておられます:

「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」最初の行に、「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう..」が来ています。

聖母は私たちに戦闘があるでしょう、そしてそれは厳しい戦闘でしょう、と告げておられます。勝利者はすでに知られています。それは聖母、そして聖母と共に聖母の側に立つ人々でしょう。私たちはその約束、聖母が蛇の頭を砕かれるであろうという約束、を創世記3:15のうちに持っています。

われらの主は言っておられます:

「私は世に勝った。」

続く

2004/03/16 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/16

最終更新日:2004/03/16

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