ファチマの聖母マリア

パードレ・ピオの秘密 第Ⅱ部

The Fatima Crusader, Isuue 60: Summer 1999からの続き

The Fatima Crusader, Isuue 63: Spring 2000より

ジェームズ・ディマーズ

パードレ・ピオは20世紀の偉大な奇跡の働き手である。世俗主義と広範な不信の時代において、パードレ・ピオは良心を読むことができ、また同時に異なる場所にいることができた。この聖人は50年間手、足そして脇腹にイエズスの傷を帯びていた。それらの傷は彼の死後まで決して癒えなかった。パードレ・ピオは長年の間、御聖体以外には食べなかった。彼は毎日コップ1杯の血を流した。それは彼が食べたものより多かった。にもかかわらず、彼は何ら体重を失うことはなかった。これらの奇跡のすべてはキリストの十字架、十字架の上でのキリストの犠牲を指し示している。パードレ・ピオがミサの犠牲のそのように深い愛を持っていたということは理由のないことではない。古い典礼から新しい典礼への変化のずっと前に、祝せられたパードレ・ピオは古いミサの1965年改革:ラテン語を英語へ、人々に対面する[形式]、支柱なしで立っている祭壇、ひどく省略された祈りを徹底的に嫌った。ピオ12世によって20世紀の教会博士と呼ばれたディートリッヒ・フォン・ヒルデブラント(Dietrich von Hildebrandt)は次のように言っているパードレ・ピオを引用している:「少なくとも彼らはキリストをミサ聖祭の中に残した。」それから典礼改革で幸せでなかった聖人は免除されるよう頼んだ。謙遜なカプチン僧は新しいミサを見るまで生きながらえることはなかった。にもかかわらず、1969年改革の前でさえ、彼はいつまでもの変わらないミサへの彼の愛着のために迫害された。パードレ・ピオは、彼の不思議や奇跡の真正性に関する疑いのゆえにピオ11世の下でヴァチカンによって沈黙させられ、孤立させられた。迫害は「パードレ・ピオは一日中何をしているのか?」とかつて尋ねられたピオ12世の下で止んだ。祝せられた修道士の大司教の答は「彼は世の罪を取り除いています」。迫害はヨハネ23世の下で再び始まった。パードレ・ピオと同じように、グルーナー神父は奇跡(ファチマ)への、そして聖なるカプチン僧によって捧げられるミサへの彼の愛着のために、沈黙させられ、孤立させられた。われわれは今、ニコラス・グルーナー神父とジェームズ・ディマーズの間の会話の第Ⅱ部を続ける。

ジェームズ・ディマーズ:パードレ・ピオはラテン語ミサを捧げる権利を持ち続けておられたのですか? 

グルーナー神父:彼は常にラテン語ミサを捧げていました。実際、彼は汚れなき御宿りのミサ、12月8日の聖母のミサを捧げる特別の許可を得ていました。彼は毎日そのミサを捧げていました。

ジェームズ・ディマーズ:パウロ6世が教皇として選ばれたとき、彼がした最初の事柄はパードレ・ピオにより多くの自由を与えながら、彼に課せられた諸々の制限を廃止することでした。このことを詳述した書物の中で、著者はパードレ・ピオとパウロ6世を友人であるものとして言及しました。

彼らの関係が何であったか、彼らがお互いにどのようによく知っていたかを私は知りません。しかしパードレ・ピオに対する制限を解いた教皇が非常に混乱させるものである二つの事柄をしたということは皮肉なことと思われます。

第一に:パウロ6世は1965年、公会議の終幕のときに、すべての司教たちが列席して、汚れなき御心に世界を奉献したと思われます。彼は実際に奉献したのでしょうか? 

第二に:彼は古いミサを非カトリックの忠告者たちの助けで変えました。

グルーナー神父:実際、パウロ6世がこの出来事の祝賀としてファチマに金のバラを、そしてもう一つの金のバラをグアダルーペ聖堂の聖母に送ったのは1964年11月21日でした。彼は世界を奉献しました。彼は司教たちに彼に加わるように頼みませんでした。彼らはそこにいて、世界の奉献のための祈りをしている教皇に耳を傾けていました。しかしそれは「世界」の奉献であって、「ロシア」の奉献ではありませんでした。このように、ファチマの聖母の御要求を果たすものではありませんでした。彼はまたマリアに関する回勅を書き、折に触れてロザリオを奨励しました。

第二に:私は、パウロ6世がパードレ・ピオの死の1年前、1969年にミサを変えたということは興味のあることだと思います。

一人の研究者によれば、北イタリアのある教区司祭(私は彼に1976年に会いました)は彼の生涯のほとんどをパードレ・ピオの研究と著作に費やしました。パードレ・ピオは次のように言ったと言われています。「私は両肩に二つの重いものを持っています。一つは全教会マイナス聖職者です。そしてもう一つは聖職者です。そして聖職者の重さは教会の他の残りよりも遙かに重いのです。」

外的なものから判断すれば、パードレ・ピオは最も偉大な聖痕保持者です。数世紀にわたって聖痕を身に帯びた数百人の平信徒、司祭あるいは修道者たちがいました。しかし彼らすべてのうちでパードレ・ピオは最も多くの賜物と最も異常な生活を持っていました。このことはアッシジの聖フランシスコから何かを取り上げるものではありません。パードレ・ピオは謙遜のうちに、彼自身その聖人の息子であると考えていました。なぜなら、彼はフランシスコ会の修道士、カプチン僧だったからです。

あるとき、ある人が彼に言いました、「あなたは茨の冠もまた持っていますか?」パードレ・ピオは言いました。「あなたはそれを見ないのですか?」そうすると、その人はパードレ・ピオの頭の上に茨の冠を見ました。パードレ・ピオはそれから彼の頭を前方へ傾け、彼の前にいたその人に茨の棘の一つで触れました。その棘はその人の額をひっかきました。そしてそのひっかき傷が癒えるまでに数週間かかりました。

ジェームズ・ディマーズ:それは驚嘆すべきことです。私は以前にそのことを聴いたことがありませんでした。それはキリストのまねびの第Ⅱ部黙想12を反響させています:「もしあなたがあなたの十字架をしぶしぶ負うならば、それはあなたの重荷となり、なおさら自分を苦しめるばかりであるが、それでもあなたはそれを負わなければならぬのである。そして一つの十字架を投げ捨てても、あなたはかならずほかの十字架、しかもいっそう重いのを見出すだろう。」

パードレ・ピオは言いました:「『なぜ? 』と尋ねる習慣が世界を荒廃させた。」

彼は、なぜ自分がこの種の肉体的生活を持ったのかを決して尋ねなかったと思われます。彼は何の躊躇もなしにそれを受け入れました。一人の医者が彼に言いましった。「これらの傷はなぜあなたの手と足に現れるのか?」すると彼は言いました。「そうですね、他のどこにそれは現れるでしょうかね?」

彼は自分が「生きている十字架像」として見られるという事実について非常に実際的でした。そして「なぜか?」とは決して尋ねませんでした。

「なぜか? と尋ねること」が世界を荒廃させたということはわれわれを、ファチマに、そしてそのようにしばしば尋ねられる問い:「汚れなき御心であることはロシアの奉献にとってなぜ必要なのか?」にわれわれを連れ戻します。

グルーナー神父:他のすべてのことと同じように、もしそれが神の御意志であるならば、そのことが十分な理由です。そのことのほかにも、神はこのことついて多くのしかるべき理由を持っておられます。まず第一に、なぜロシアの奉献なのか? そしてなぜマリアの汚れなき御心に、なのか? 第一に、私たちは「なぜ」ロシアなのかを論じましょう。

シスター・ルチアは私たちに、祝せられたおとめが何度も彼女自身に、そしていとこのフランシスコとヤチンタに、ロシアは、私たちがあの可哀想な国の回心を手にしていないならば、全世界を(その罪のために、と理解されています)罰するために神によって選ばれた懲罰の道具ですと告げられたのだと語りました。

神は御自分の正義と憐れみにおいて栄光を受けようとしておられます。自らを神に反して戦うように定めている政権でさえ、なお神の目的に仕えます。神の目的に奉仕しないものは被造物のうちには何もありません。一人の罪人でさえ神の目的に奉仕します。一つの罪深い政権でさえ神の目的に奉仕します。

共産主義的/レーニン主義的政権はモスクワにおいて王座に着きました。そしてキリストとキリストの教会に戦いを宣言しました。神はそのことを許されました。

神はそれを単に許されただけではありません。神はその背後に一つの目的を持っておられます。その目的が何であるかということは、ファチマのメッセージに従えば、[神の]正義において、世界をその罪のために罰することです。それにもかかわらず、神は、私たちに対するその愛において、その御憐れみを非常に小さな条件で示そうと望んでおられるのです。その非常に小さな条件とは:教皇と司教たちが同じ日に、そして同じ時間に、汚れなき御心に、特殊的にロシアを奉献するということです。

もし彼らがそのことをなすならば、神はこう言われます:「従順のこの小さな行為のために、償いのこの小さな行為のために、公的な認知のこの小さな行為のために、世界中で私に反対して戦うために私の被造物を使い、そして私の民を使っているこの成り上がりの政権によって侮辱されてきた神である私は、これらの状況の下で、私の権力を明らかにするであろう、私はロシアをカトリック信仰へと回心させ、全世界に平和を与えるであろう。」

神が人類に提供なさっている条件は非常に美しくそして非常に価値のあるものです。もし誰かがあなたにこう言うとします。「もしあなたが1度この通りを横切り、1ポンドの荷物を持って歩いてくれるならば、あなたの生涯の残りの間毎日1000万ドルをあげます。」[神の条件は]このことよりなおいっそう価値のあることです。私たちはその種の申し出を持っているのです。ファチマの約束に比較すると非常に小さなものですが、しかしあなたはあなたの報酬を得るためには、少なくとも荷物を持って通りを横切って歩かなければなりません。

それがあなたがすることを要求されているすべてです。それは非常に多くのことではありません。あなたは汗を流す必要がないし、他の何かをする必要がないのです。あなたは車が止められるまで待つことができます。あなたは安全に横切ることができます。しかしそれを次の少しの間にしなさい。あるいはそのことをしないならば、とてつもない悪い結果があなたに起こることになるでしょう。

神によって定められたロシアの奉献のための諸条件は無限小に小さなことです。しかし神はあなたは少なくとも善意を示さなければならないと言っておられるのです。あなたは少なくとも何かをしなければなりません。

なぜ「ロシア」なのか? なぜ全世界ではないのか? シスター・ルチアが言うように、「ロシアは非常に輪郭のはっきりした領土です。」言葉を換えて言えば、われわれはみな国境がどこにあるかを知っています。そして誰でもロシア人たちがどこにいるかを知っています。それゆえ、ロシアが、特殊的に、奉献されるとき、そのときロシア人とロシアの諸制度は彼らの神の憎しみから離れて回心します。(私はあらゆるロシア人が神を憎んでいるとは言っていません。)しかし、彼らの制度と彼らの政権は無神論や神に反対する世俗主義、あるいはあなたがそう呼びたい何であれを促進することを公的に彼らの目的としています。全共産主義体制と政権がそこでそのことを促進しています。

教皇と司教たちがあの国を奉献することによって、あの民は集団的に神と戦う彼らの目的から離れて神に栄光を帰し、神の愛を促進し、神の目的を促進する目的へと回心するでしょう。

ロシアのこの回心は来るべき諸世紀にとって人類の歴史における主要な転回点となるでしょう。特殊的にロシアの奇跡的、突然の、完全な回心はそのように印象的で劇的でしょうから、人々は容易にそれをもたらすことができた唯一の事柄はファチマの聖母の要求に対する教皇と司教たちの信仰と従順の行為であるということを見るでしょう。

だからこそそれは一つの特殊的な国でなければならないのです。そしてだからこそそれはあの特殊的な国なのです。私たちは私たちの祈りと私たちの努力によってロシアの回心そしてそのようにしてあの可哀想な国の回心を手にすることができるか、それともそれがわれわれ自身を含む全世界の懲罰の道具となるかのいずれかなのです。それが「ロシア」である理由です。

第二の事柄は、なぜマリアの汚れなき御心か? ということです。私たちは聖ベルナルドと聖アルフォンソの両者の教えを持っています。(マリアの栄光において私たちはこう告げられています)もし私たちが神によって私たちの献げ物を受け入れて貰うことを望むならば、私たちは祝せられたおとめの手を通してそれを捧げるよう確信しなければなりません。私たち自身の心の中、私たちの贈り物においては不完全であるものがたくさんあります。もし私たちがそれを自分たち自身で捧げるならば、神はすべての不完全さをごらんになります。神は汚れなき御宿りのうちには不完全さを見出されません。聖母の中にはいかなる不完全もありません。そしてそれがただ聖母から来るがゆえに、神はそれを受け入れられるでしょう。神はロシアについて、私はあなたがこの国を私の奉仕へと再び献呈し直すことを、しかしそれをマリアの汚れなき御心を通して再献呈することを、望んでいるのだ、と言っておられるのです。

聖母はまた、それを神にどのように捧げるかをご存じです。それゆえ聖母は不完全さを取り除き、私たちが自分たち自身でそれを捧げるよりは、はるかにもっと受け入れ易い仕方でそれを神にお捧げになります。

なぜ神が汚れなき御心へのこの奉献を望んでおられるのか、ファチマのメッセージ自体の中で与えられた他の理由は、神が聖母にロシアの回心と世界平和の手柄を得させたいと望んでおられるからなのです。

20世紀は最も罪深い時代の一つです。それ以前には中絶の罪、犯罪はそのような大きなスケールで促進され、正当化されたことは一度もありませんでした。教皇ピオ12世は1951年に「世界は今日[ノアの]大洪水の前よりも悪い」と教えられました。私たちは世界平和の賜物に値しません。しかし神は私たちに対するその愛において世界平和を私たちに与えたいと望んでおられます。

聖アウグスティヌスは、神が私たちに与えたいと望んでおられるいくつかの好意、いつくかの恵みがある、しかし神は私たちがそれらに値しないことを知っておられる、と私たちに告げています。神はそれでもなおそれらを私たちに与えたいと望まれます。それで、言ってみれば、神はジレンマを持たれるのです:「私は彼らがそれらに値しないことを知っているときに、どのようにしてこれらの贈り物を人類に与えることができるだろうか? 彼らは高慢になろうとしている。彼らは自分たちが幾分この平和の賜物に値したのだと考えようとしている。」

聖アウグスティヌスは、神がこのジレンマをめぐる一つの道を見出されたと教えています。神はこれらの特別の恵みを私たちに与えられるでしょう、しかし、ただ諸聖人の功績と取り次ぎを通じてだけそうなさるでしょう。そのようにして、神はこれらの恵みを私たちに与えることがおできになります。そしてわれわれは、それはわれわれがそれらに値するからではなくて、恵みが与えられたのはただ諸聖人の偉大な功績と取り次ぎのゆえにのみであるということを理解することができます。

ファチマのメッセージにおいて、私たちは神が世界平和の恵みをもっぱらマリアの汚れなき御心に委ねられた、神は私たちにこのことを理解するよう望んでおられる、ということを告げられています。

それゆえ、神は条件を設定なさいました。いいえ、あなたたちは、祝せられたおとめなしには、平和を持つことにはならない、あなたたちはロシアの回心を手にすることはないでしょう。このことが起こるようになるのは聖母の功績と聖母の祈りに基づいてです。私はそれをあなたたちに与えよう、私はそれをあなたたちに与えたい、しかし私はそれをただ祝せられたおとめマリアの功績と取り次ぎを通じてのみすることにしよう。

だからこそ、イエズスは、シスター・ルチアがわれらの主に「なぜあなたは奉献なしにロシアを回心させられないのですか?」と尋ねるとき、言われるのです。

われらの主はこう言っておられます:「なぜなら、私は私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、そのことによって後に私の御母の汚れなき御心への信心が私の聖心への信心の側に置かれるようになることを望んでいるからだ。」

だからこそ、神はロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されることを命令されたのです。

パードレ・ピオがよく言っておられように、もし神がそれを望まれるならば、私にとってはそれが十分な理由です。

この命令のもう一つの理由は、神が、教皇と司教たちの権威と威信はそれがある通りのものとして認められることを望んでおられるということです。神は御昇天の木曜日に彼らに権威をお与えになりました。「天と地におけるすべての権威は私に与えられた。行って、すべての民に教えなさい。」

神は彼らに、彼らが現にそうであるゆえにではなくて、神が世界中に彼らが認められるようにお与えになった権威を望まれているがゆえに、威信を得させることを望んでおられるのです。だからこそ、神は世界平和を、一つの国を神の名において、そしてこのことをなすように神が彼らにお与えになった権威をもって、奉献する彼らの権威を行使する教皇と司教たちに保留しておられるのです。このようにして、神は教皇と司教たちに栄光を帰そうと望んでおられます。そのようにして世界はすべての恵みが、イエズス・キリストの聖なる人間性を通じて、祝せられたおとめを通じて、それからカトリック教会を通じて人類に、神から来るということを認めるでしょう。

教皇ボニファティウス8世は1302年にその教皇教書Unam Sanctamにおいて、二つの権威、この世の権威と霊的な権威があると指摘しました。霊的な権威はこの世の権威よりも高いのです。世界平和というこの世の善でさえ--神はあの霊的な権威を通じて来るのだと指摘することを望んでおられるのです。

私はこのことに関して私の書物World Enslavement or Peaceの中でもう少し詳しく書きました。

ジェームズ・ディマーズ:あなたは、今日の教会位階のあるメンバーにとってロシアの奉献に抵抗することの何らかの正当化について考えることができますか? 

グルーナー神父:私は何らかの真の正当化について考えることはできません。また、司教、司祭、神学者あるいは他の誰かがこれまでに奉献をしないことに対して一つの重大な理由さえ提供してきませんでした。私は位階のメンバーの何人かが欺かれているということを理解できます。私はここで彼らを裁くつもりはありません。あなたの質問に答えるために簡単に言えば、ファチマ・メッセージにおいて特殊化されたものとしてのロシアの奉献を要求なさっている全能の神の命令と明白な御意志に抵抗するいかなる真の理由も存在し得ません。私は、この神の御命令に対するどのような抵抗をも取り去るために、みなさんに祈り、働き、犠牲を捧げ、そしてあらゆる善い努力をするようにただ説得することができるだけです。私たちはそれを知らせ、理解させ、評価させそして従わせるように働かなければなりません。

内的慰め

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねびの第Ⅲ部、内的慰めについて、黙想54はこう言っています:本性は悪賢くて多くの人を引きつける。

本性は彼らをまるめこんでだまそうとし、つねに自分というものを目的としている。しかし恩恵はその行なうところ単純で、悪と見えることはことごとくこれをさけ、決してごまかそうとせず、何事をもただひたすら神のためにし、またこれを最後の目的として、そのうちに安んずるのである。光明社版「キリストに倣いて」pp.395-396による翻訳]

パードレ・ピオはこう言われた:「世界におけるあらゆるセクトはカトリック教会からその栄養を取って生きているということを覚えておきなさい。聖なるカトリック教会は一つの大きなそして大変貴重なまだ磨かれていないダイヤモンドのようなものである。そこから誰かがそのようにしばしば一つのかけらを取り出して、大きな磨かれていないダイヤモンドの部分よりももっと美しく輝き始めるようにと、悪魔の助けを借りてそれを磨くのである。」

ロシア正教会の世界には、ローマは、いくらか、彼らから歩み去る者であり、また彼らは磨かれたダイヤモンドであるという考えがずっとありました。

ルチアがロシアの回心は正教会の信仰を通じて来るでしょうと言っているという報告がありました。それには何らかの真実がありますか? 

グルーナー神父:私はロシアの回心が正教会を通じてではなく、カトリックのウクライナを通じて来るだろうと言っているのを聴いたことがあります。1985年4月26日にチェルノブイリの爆発が起こりました。1年後聖母がウクライナのフルシウ(Hrushiw)に御出現になりました。聖母の御出現は村全体をカトリック信仰に回心させました。聖母は教えを実践しているユダヤ教徒、ロシア正教会の信徒、権力のさまざまの段階の委員、共産党員、等々を回心させられました。

フルシウで聖母は、教会が聖母の求めておられることに従わないならば、ロシアは世界を破滅させるでしょうと言われました。それはファチマへの一つの明白な論及です。私はウクライナからの一人のカトリックの司教と、私のテレビ番組FATIMA:その時が来たにおいて話をしました。そして彼に尋ねました。「ウクライナのカトリック司教様方はどう考えておられますか?」彼は司教たちはフルシウに非常に共感していると言われました。確かに、私はロシアの回心がウクライナ典礼を通じて来るということを見ることができます。なぜなら、まず何よりも彼らがカトリックであること、そして第二に、彼らの典礼、彼らの礼拝の形式は正教会が行っていることに近いからです。それゆえ、彼らが、ときにUniate 典礼として知られている東方カトリック典礼に与えられている形式において教えを実践するカトリック教徒となることは、論理的に言って、容易だと見出すであろうということは私にとって十分に意味のあることでしょう。

ジェームズ・ディマーズ:もしロシアの回心が正教会の、ローマ・カトリックへの帰還を意味するならば、そのとき確かに、奉献が正しくなされていない、また回心が起こっていないという証拠は数のうちにあります。ロシア連邦への現在の教皇代表であるジョン・ブコフスキー(John Bukovsky)大司教は今月National Catholic Register に、ロシアそのものにおいて、かつての全ソビエト諸国連合ではなくて、ロシアそのものに残されたものにおいて、10万人以下の教えを実践しているカトリック教徒しかいない、そして全国でわずか10人のロシア生まれのローマ・カトリック司祭しかいないと報告されました。

グルーナー神父:ええ、それは驚くべきことです。

ジェームズ・ディマーズ:その数はまったく寒々としたものです。

グルーナー神父:1917年にはロシアには500,000人のカトリック教徒がいました。私がこれまでに見た最高の数は300,000人です。私はそれが正確であるとは言っていません。私は、それは誰かが敢えてそう言うほどに高い数であると言っているのです。もしあなたが他の、連合諸国を数えないならば、140,000,000人のロシア人がいます。そして300,000人はその1%以下を表します。私たちはこの国がカトリック信仰に回心したとはとうてい言うことはできません。

聖母が1531年にメキシコ・シティに近いグアダルーペでフアン・ディエゴ(Juan Diego)に御出現になったことを思い出してください。9年のうちに、聖母は9,000,000人の人々をカトリック信仰に回心させられました。それは当時のアステカの国全体です。

聖母はフアン・ディエゴの外套(彼のティルマ)の上に聖母御自身の奇跡的な像、聖母の自画像を残されました。それは25年後に(1556年に)ばらばらに壊れるべきものであったのに今日までなお存在しています。アステカの人々は巡礼に来て、それについての物語を聴き、それを見に行ったことでしょう。それは非常に貧しい小屋、一つのチャペルにかけられていました。彼らはこの像を見、そしてすぐさま洗礼を受けることを望んだものでした。聖母は、できるだけ早くカトリック司祭たちが彼らに洗礼を授けることができるように、ただ彼らをそこに連れて来られるだけでした。彼らは毎日数百人、あるいは数千人でやって来るのでした。すべての司祭は朝起きて、ミサを捧げ、一日中洗礼を授け、結婚を祝福し、ベッドに戻って、それで彼らの一日が終わるのでした。次の日も同じことでした。彼らはこのことを10年間しました。聖母は、もしもっと多くの司祭がいたならば、このことをもっと早くなさったでしょう。聖母の自画像を見る各々の個人の回心はそれ自体瞬間的なものでした。

そうです。聖母は回心させることがおできになるのです。次に1838年のラティスボン(Ratisbonne)の劇的な回心があります。彼はユダヤ人で、彼の兄が回心してカトリック司祭になったゆえに教会を憎んでいた人物です。敢えて挑戦してみようと、ラティスボンは不思議のメダイを首にかけてみました。2時間以内に聖母は彼に御出現になりました。彼が聖母を見たとき、彼は直ちに信仰を知りました。そしてちょうどアステカの人々がそうであったと同じように、洗礼を望みました。ラティスボンは彼自身カトリック司祭になり、そして一つの修道会を創設しました。

もし聖母が9,000,000人のアステカの人々、国全体を10年のうちに回心させることがおできになるならば、もし奉献が15年前に行われていたならば、確かに聖母は今までに9,000,000人のロシアの人々を回心させることがおできになったでしょう。

ジェームズ・ディマーズ:ロシアへの教皇使節ブコフスキー大司教がピオ11世の統治のときに遡って始められたオスト・ポリティーク[東方政策]に非常に同調していたゆえに指名されたということは興味のあることです。その政策は1940年代に加速されました。そして次にカザロリ枢機卿が国務省長官であったときに彼の政策の一種の代名詞となりました。にもかかわらず、彼が今持っている仕事のために厳選されたブコフスキーは、教会がヴァチカンのロシアに対する現在の政策では決してもう大きくはならないであろうと言っています。モスクワはローマ・カトリック以外の他の宗派からの聖職者のロシアへの入国を許しているのに、ローマ・カトリック教徒は登録することを強いられています。そして彼らは6ヶ月毎に自分たちの国へ戻り、もう一度ヴィザを申請することを強いられているがゆえに、人々と根づくことができないでいます。大司教はこのことをNational Catholic Registerを通じて--非常に興味のある話す場の選択ですが--ローマ自身にこのことを言ったのです。--彼はローマに、決まった場所にある現在の政策をもってしては、教会は成長して行かない、それは現在のままにとどまる、あるいはもっと小さくなる、と言っているのです。そのことは確かに、東方への開放がどのように成功してきたかについてわれわれが聴いているすべての宣伝に真っ向から反しています。

グルーナー神父:私が講演旅行の中で、公に何度も説明してきましたように、非常に単純な事実は、教会が教会の諸々の敵によって最後通牒を提示されているということです。教会の諸々の敵は「われわれはおまえを殺すつもりである、われわれはおまえを葬るつもりである」と言って来ました。

それはマルクス、レーニン、そして彼らの後継者たちの非常に明快なメッセージでした。レーニン主義者であり、そのことを隠さないゴルバチョフは10年前と同じように最近もこう言いました。「宗教に対する戦争は衰えずに続けなければならない。われわれは宗教に反対して戦わないでわれわれの主義に忠実であることはできない。」特に、私はつけ加えたいと思いますが、彼はカトリック教会に対する戦争を意味しているのです。

不倶戴天の敵に直面している者は誰でも選択肢を持っているのと同じように、教会は選択肢を持っています。もしあなたが生きることを欲するならば、あなたは三つの選択肢を持っています:あなたは逃げることができるか、あるいは戦うことができるか、あるいは交渉することができるかのいずれかです。あなたはあなたを殺そうと欲している誰かある者があなたに追いつかないことを願って、逃げ去ることができます。あるいはあなたは勝利することを希望しながら、戦うことができます。あるいはあなたは交渉して、彼の心を変えさせようと努めることができます。教会は聖母が言われたことに反して、交渉することを選びました。聖母はこう言われたのです:「あなたは私があなたに与える武器で戦わなければなりません。他のことは何一つききめがないでしょう。」しかし、ヴァチカンの交渉者たちと国務省長官はこう言いました:「われわれは交渉するつもりである」と。実際に、彼らはファチマのメッセージを用いないために、聖母に耳を傾けないために、そして共産主義の誤謬、ロシアの誤謬について沈黙するために、交渉しました。

秘蹟について

ジェームズ・ディマーズ:キリストのまねび、第Ⅳ部黙想1はこう言っています:「私の神、聖中の聖、人類の創造主、諸天使のあるじである主は、私のすぐそば、この祭壇の上においでになる」[光明社版「キリストに倣いて」pp.444による翻訳]と。

そこには、パードレ・ピオが信仰について明らかにしている一つの心情があります。その言葉遣いはファチマのコヴァ・ダ・イリアに立っている彼を想像することを人に許すものです。「それを所有していないがそれを望む者にとって、われわれの美しい信仰はどこにでも見出すことができる。それは一人の無邪気な子どもの澄んだ目の中にさえ見出すことができる。--神が常に私たちの最も近くに置いてくださっている恵みにあふれるあのカリスにわれわれが目を閉ざさない限り、あたかもそれが何かさもしい本能ででもあるかのようにわれわれが軽蔑と不注意によってわれわれ自身の高貴な向上心、われわれ自身における神の痕跡を明らかにする渇望を追い払わない限り--」--それはほとんど、あたかも彼が同時に信仰とファチマの子どもたちについて語っているかのようです。ファチマに関して彼がどこに立っているかを私たちのためにまとめてくださいますか? 彼の語の選択はそれらがあの地域に澄んでいる非常に貧しい人々の言葉から来たものであり得るように思われます。

グルーナー神父:彼の態度は、ファチマの聖母像のあるところでの祝せられたおとめマリアに対する彼の信心によって証明されるように、聖母に対する愛と尊敬の態度でした。あなたが今引用された彼の言葉は、3人の子どもたちの生涯に起こった一つの出来事を私に思い起こさせます。

太陽の偉大な奇跡が起こるかなり前に子どもたち、ヤチンタ、フランシスコそしてルチアを馬鹿にしていた、ファチマの村で罪のうちに生活していた一人の女がいました。彼女は窓のところに立ち、彼らに呼びかけ、彼らをからかうために、シャッターを開けていました。子どもたちは、疑いもなく、徹底的に切りつけられ、このことによって大いに傷つけられました。しかし彼らは同じように仕返しの返事をしませんでした。その女はシャッターを閉めましたが、出て行きませんでした。彼女はヤチンタが神に嘆願して両手を高く挙げ、この相応しくない意見と不当な当てこすりによってたった今与えられたこの苦痛を神に捧げるのを見ました。ヤチンタはこれを罪人たちの回心のために神へ、聖母へ捧げました。

私は、パードレ・ピオがしたと同じように、この女は文字通り彼女の鼻の下に何かあるものを差し出された、そして非常に感動させられた、と言いましょう。あの祈りそしてあの振る舞いは、ファチマのメッセージ全体の真実について彼女に確信させるに十分でした。彼女はその生活の変化によって同じようにそのことを証明しました。

彼らを通じて神は一つの異常な事柄をなさいました。ヤチンタとフランシスコは列福されることになっています。教皇は今年彼らを列福されるでしょう。一人の子どもの無邪気さ、そして同時にこの十字架を神に捧げる子どもは明らかにこの女には非常に感動させるもの、そしてそれについて読む者、それについて聴く者にも同様に感動的なものでした。

2004/03/17 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/17

最終更新日:2004/03/17

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