湯布院のキリシタン

濱名志松著:「九州キリシタン新風土記」(葦書房刊)より

湯布院のキリシタン

由布院を支配していた豪族四人のうち勢力が強かったのは大友氏の一族で、戸次氏の出である奴留湯(ぬるゆ)氏であった。その当主は「主水正」(もんどのかみ)と名乗っていた。...由布院の聖ミゲル教会が完成したのは1585年(天正14年)頃には新たに500人余の受洗者を出し、由布院のキリシタン信者は2000人を突破するまでになった。しかし、その翌年島津軍の由布院乱入によって教会堂は破壊され、宣教師は避難しなければならなかった。聖ミゲル教会は、完成後1年もたっていなかった。その後、宗麟の死、その子大友義統の廃教、弾圧、大友氏の没落による由布院大身の奴留湯一族の離散と続き、由布院のキリシタンも、他の豊後地方と同様に壊滅的な打撃を受けた。禁教時代に入ってから、宣教師に代って洗礼を授け、キリシタンの世話をしていた「ジョウチン」も、義統のさし向けたその家臣によって殺害されて殉教した。

その後、由布院は、細川家の重臣杵築城代松井康之の支配を受けたが、禁教時代になっても、島原・天草にみられるような苛酷な弾圧はなかったようである。

並柳のキリシタン墓碑

湯布院で最もキリシタン墓碑が集中して残っているのは並柳区にある。ここは元は並柳村であった。...車で5,6分の町の中央から北東の山の麓にある。温泉街からあがる湯煙は、清澄そのもので、早春の高原の盆地はすがすがしい。...並柳墓地は山の斜面が墓地になっており、旧い苔に覆われた墓石が、ずっと斜面に続いている。一帯は古木が生い茂り、鬱蒼として光線が弱く、写真もフラッシュが必要なほどである。十字を刻んだキリシタン墓碑は、仏式墓碑の間のあちこちに散在して、確認された墓碑には番号を書いた小さな標木が建てられているので、はじめて行った者にも容易に識別できるようにしてある。...並柳・峯先共同墓地で発見された十字章のある墓碑の総数は49基で、そのうち28基がキリシタン墓群として大分県の文化財指定になっている。

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由布の山里

作製年月日:2004/02/26

最終更新日:2004/02/27

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