ファチマの聖母マリア

「大きな記憶喪失」

The Fatima Crusader, Issue 60, Summer 1999より

フランシス・アルバンおよびクリストファー・A. フェララ

『ファチマの司祭』(Fatima Priest)の第3版がたった今発売された。新しい章の一つは今日多くの人々が罹っている大きな記憶喪失について述べている。この霊的な健忘症の根源がこの章で検討されている。

以下はフランシス・アルバンおよびクリストファー・A. フェララによる『ファチマの司祭』最新版から取られたものである。

人間の歴史を通じてずっと革命家たちは常に過去を葬ろうと努めてきた。なぜなら、その過去を忘れる人々はその現在あるいはその未来についてのいかなる概念も持たない人々だからである。革命の犠牲者たちは、記憶喪失に罹った人々と同じように、彼らが自身の選択ではない新しい現在や新しい未来を受け入れることを強いられる。彼らがどこから来たのかの記憶を喪失した彼らはそれ以外に何をすることができるであろうか?

人間的かつ神的社会である教会が革命から生まれた記憶喪失に罹り得たということがあり得るであろうか? 教会が誤謬を教えることができないということは確かに世の終りまでその神的な援助というわれらの主の御約束によって保証されている。しかしわれらの主は御自分の教会の人間的な成員たちが、ただ歴史における短い時間だけだとしても彼らが記憶しそして伝えるように託されたものを忘却しないであろうとは決して約束なさらなかった。そのような忘却からペトロの疑いとキリストに対する背信、リベリウス教皇在位期間における教会のいたるところでのアリウス派の異端の広まり、そして教会史における他の大小の危機が起こったのである。

カトリック教会の博士たちの中でも最も偉大な聖トマス・アクィナスはその『神学大全』の中で、救済史を通じてずっと神はその民に忘却の時代には、「新しい教義を与えるためではなく、信徒に彼らが霊魂を救うためにしなければらないことを思い起こさせるために」預言者たちを遣わされた、と教えた。注1)この理由で聖パウロはわれわれに忠告したのである:「預言を軽蔑するな。すべてを確かめてよいものを選べ」注2)と。そしてそのようにして、1917年に 神はその祝せられた御母を、忘れっぽい「近代人」に霊魂を救うためにしなければならないことを思い起こさせるためにファチマにお遣わしになったのである:

「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。...最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう...」注3)

ロシアの奉献は[教会]位階によってなされなかってとしても、しばらくの間信徒は耳を傾けた。マリアの汚れなき御心に対する信心は教会史の中でも以前には決してなかったほどに盛んになった。そして改宗者たちの実りもまた--1960年のあの決定的な年までは--増大した。

1960年にカトリック世界全体がファチマの第三の秘密の開示を待っていた。しかしその年の2月に教皇ヨハネ23世は自分の教皇職には無関係であるとして私的に退けて秘密のテキストを教皇住居にある鍵のかかった机の引きだしの中へ預けられた。ファチマ(教皇は公式にはそれについてほとんど何も言われなかった)から顔を背けて、ヨハネ教皇は誰一人教皇が召集されるとは期待していなかった公会議の初日のために聖ペトロ大聖堂の大ホール aula に集まった司教たちの大きな聴衆を見られた。そしてそのとき大きな記憶喪失が始まったのである。

公会議終了の4年後、教皇パウロ6世は人を仰天させる発表をされた:使徒たち自身から伝えられてきた、そして1900年以上もの間あらゆる教皇によってきわめて神聖なものと考えられてきたローマ儀式の古代ラテン典礼は6人のプロテスタント牧師の忠告を懇願した一つの委員会によって仕組まれた自国語によるミサの新しい儀式に道を開くためにせいぜい数週間のうちに廃棄された。注4)1969年11月26日のその前例のない公式謁見の演説において、パウロ教皇は、いかなる教皇も以前には語ったことがないように語られながら、教会が文字通り自分自身の典礼的過去を忘れるということを強調された:

ミサの新しい儀式を:十数世紀にわたって続けられてきた尊敬すべき伝統における一つの変化。これは触れることができないものそして決定されたものであるという特権を享受していると思われたわれわれの世襲の宗教的遺産に影響を及ぼす何物かである...もはやラテン語ではなくて、口語がミサの主要言語となるであろう...われわれはキリスト教的諸世紀の言語を手放しつつある;われわれは聖なる話し方の文語的な保護区における異端的侵入者のような者になりつつある...あの天使たちの言語の場所にわれわれは何を置くことができようか? われわれは値踏みのできない価値のある何物かを放棄しつつあるのだ...注5)

パウロ教皇が意識的な革命家であったと言うことはできない。地上の誰一人ローマ教皇の内的性行を判断することは許されない。しかし教皇自身の言葉は、その主観的意図がどのようなものであったとしても、革命的な目標を客観的に宣言した。信徒が、十数世紀を通じてずっと[続けてきた]彼らの神の礼拝のまさにその形を放棄せよというパウロ教皇の説明できない命令の数年以内に忘却とう疫病が全教会を襲うであろう。1972年6月にパウロ教皇はその荒廃ぶりを調査し、その有名な嘆きの声を発された:「ある所あるいは他の所からサタンの煙が神の宮の中に入った...」注6)ある所あるは他の所。

パウロ教皇が1978年に亡くなられる時までに、一つの可視的な制度としての教会の偉大さを構成していたものの多くがすでに「第2ヴァチカン公会議の刷新」として知られるあの信じられない記憶の穴の中へと消えて行った。教皇自身によって送られて驚嘆するほどに向こう見ずな人々がわれわれが眠っている間に神の家に入り、そしてほとんどすべての家財道具を運び去り、時代を経た神的な世襲財産を彼ら自身の粗雑な急造品と置き換えた。そしてわれわれが目覚めて何が起こったかを見出したとき、われわれはあらゆる貴重な財産を失ったことを喜び、われわれの家の「刷新」を祝わなければならないと告げられたのだ。

1996年11月の使徒職の第3回ファチマ会議に参加したカトリック教徒は、公会議後の「改革」--それはごく最近神の祭壇で手伝いをする豚のしっぽをつけた少女たちのぞっとするような見せ物を吐き出した--の今なお渦巻いている旋風の縁で(少なくとも自分たち自身で)一線をを引くようになった。ユークリッド広場に集まった信徒たちの間に、人は「ファチマではない、いいえ、ファチマではない」という一つの共通の考えの絶えざる囁きをほとんど感じることができた。彼らはその全力でもってファチマの聖母の記憶にすがりつくために、記憶の穴への消え去ることからまた聖母を守るために、ローマにやって来たのである。

結局、世界の歴史の中で決して見られなかったような一つのけたはずれの公的奇跡によってその真正性が保証されたわれわれの時代のための神的メッセージを与えるためにコヴァ・ダ・イリアで聖母が御出現になったのはほんの80年前のことであった。太陽の奇跡はカトリック古代の何か敬虔な伝説だったのではなく、ハリウッドでさえある大衆的な映画において認めざるを得なかった20世紀の一つの輝かしい歴史的事実なのである。ファチマでの出来事はさらに第2ヴァチカン公会議に出席したほとんどすべての司教の生きていた間に起こった。

ファチマのメッセージは、キリストがその汚れなき御母の取り次ぎによって地獄の火から霊魂たちを救うためにその教会をお建てになったのだということを、霊魂に対する前例のない危機の時代に、世界に思い起こさせるために一つの奇跡によって伝えられ、そしてその真正性が認められたのである。しかし今日、ヴァチカンは、第2ヴァチカン公会議が進行中であったたった45年前に、聖母がファチマで話されたように、話す話し方をもはや記憶していないように思われる。単に信仰の伝統的な外見なものばかりでなく、それによって信仰が表現されている言葉が忘却されてしまった。ファチマで聖母が話された単純なカトリック的な言葉--「地獄」、「哀れな罪人たちの霊魂」、「汚れなき」、「彼らを救う」、「霊魂たちが救われるでしょう」--は公会議後のヴァチカンの宣言のテキストから消え去ってしまった。それらの場所に奇妙な新しい言葉が取って替わった。すなわち、「エキュメニズム」、「対話」、「司教の共同」。1960年以前の教会においては完全に知られていなかったこれらの新しい言葉は一世代も経たないうちに、それらが何を意味するのかを誰も実際正確に知らないという事実にもかかわらず、公会議後の考え方の支配的な概念となった。

グルーナー神父は公会議後の教会の言語における恐ろしく欠けている何かに注目した何百万人のカトリック者の唯一の人である。すなわち、教会は死、審判、天国、地獄、煉獄についてもはや世界に話をしない。公会議以前ほとんど2000年間にわたって教会の福音宣教と教理教育のまさに中核をなしてきたは四終は公会議後の教会人一般によってもはや言及されない。今日四終についての説教はほとんど完全に、第2ヴァチカン公会議以前に発行された、そしてグルーナー神父によって主宰されているような少数の私的なカトリック使徒職によって配布されている霊的書物のページに見出される。

1994年にイタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・メッソーリ(Vittorio Messori)は教皇ヨハネ・パウロ2世に一連の書面での質問を出し、教皇はそれに書面での回答を用意された。その結果の「インタビュー」は教皇の名前の下に希望の敷居を横切ってと題されたベスト・セラーとして出版された。教皇に対するメッソーリの質問の一つは四終についての公会議後の教会のこの不可解なそして無類の沈黙に関係していた:

最近教会において、言葉が増加してきた。教会のあらゆるレベルで、先行する2000年の間に産み出されたよりも多くの「文書」が最近20年間で産み出されたと思われる。しかし、この非常に饒舌な教会が最も本質的であるもの:すなわち、永遠の生命について沈黙しているように見える。なぜ非常に多くの教会人が果てしなく時事問題に論評を加えるが、しかし永遠について、信仰が教えるように、人間の使命、人間の運命、そして究極の目的である神とのあの究極的な一致についてなぜほとんどいつも語らないのか? 注7)

一つの質問の形でのこの重大な告発に答えるのに、教皇はむしろ四終に関する教会の公会議以前の教えを物思いに沈むような仕方で思い出を語られた。教皇聖下は、あたかも教会の教えのこの最も基礎的な要素が失われてしまった、そして教皇によってさえ取り戻すことができなくなったある種の先祖伝来の家財であるかのように、過去形において書かれた:

黙想会あるいは宣教集会において四終--死、審判、天国、地獄、煉獄--は常に黙想プログラムの標準的な部分であった、そして説教師たちは効果的で感情を呼び起こす仕方でいかに話すかその仕方を知っていたということを思い起こそう。いかに多くの人々が四終についてのこれらの説教によって回心と告解へと引き寄せられたことか!

さらに、われわれはこの司牧のスタイルが非常に個人的であったことを認識しなければならない。「最後にあなたはあなたの全生涯を携えて神の前であなた自身のすべての行為に対して責任を問われるでしょう。あなたは単にあなたの行為についてばかりでなく、またあなたの思い、最も秘密の思いさえ、について審判を受けるでしょう。」...これらの説教--それは旧約聖書と新約聖書における啓示の内容に完全に一致している--は人間の内的世界のまさに核心へと入って行ったと言うことができるであろう。これらの説教は彼の良心を揺り動かし、彼を跪かせ、彼を告解室の格子窓へ導いた。それらは全てそれら自身一つの深い救いの効果を持っていた。

四終に関する伝統的な教えが多くの霊魂たちを回心させたという自明的であるこに注目して、教皇はメッソーリに「人はもはや福音宣教において、要理教育において、そして説教においてこれらの事柄を話さない...」と認められた。そのことはすなわち、教会がそれらについてもはや全然話さないということである。しかし、教皇はこの驚くべき展開の中に教会にとってのある種の緊急事態を認めておられるようには見えなかった。ただ教会の「司牧のスタイル」の変化だけを見ておられるようである。

しかしもし教会の「司牧のスタイル」がもはや「まったく個人的」でないならば、もし2000年後に教会が各々の個人に死、審判、天国、地獄、煉獄の真実であることについて突然話すことを止めるならば、そのとき教会は彼らが自分たちの霊魂を救うために、今日彼らに何を教えるのであろうか? メッソーリに対する教皇の所見は、人を心配させるものであると同様に謎めいたものである:

最近まで(すなわち、教会史の最初の1962年の間)教会の要理教育と説教は一つの個人的な終末論--そのことについて言えば、神の啓示に深く根付いた終末論--を中心にしていた。しかしながら、公会議によって提示されたビジョンは教会と世界の終末論のビジョンであった。注9)

信徒はこのことから何を利用すべきなのか? もし四終に関する教えが「神の啓示に深く根付いている」のならば、そのときなぜそれは突然「公会議によって提示されたビジョン」によって取って替わられるのか? あるいはそれは取って替わられたのか? 公会議の「教会と世界の終末論」注10)は四終に関する伝統的な教えを排除するのか? もしそうでないのならば、それではなぜ教皇は、四終に関する教えが公会議後の教会からなぜ消えたかをメッソーリに説明するために公会議の「ビジョン」を引き合いに出されるのか?

そしてこの「教会と世界の終末論」は個人的人間--救われるために大罪から遠ざかり、超自然的信仰生活を送らなければならない--にとって実際何を意味するのか? 公会議の終末論的ビジョンは霊魂たちの危険を司牧者たちに無視させるようになる一つの人を迷わせる抽象以上の何かあるものなのか? 教皇がメッソーリに認められたように、それはまさにそれがある通りのものである:

 われわれは、人間が、彼の個人的生命、彼の責任、彼の運命、彼の個人的終末論的未来、彼の天国と地獄を持つ人間が、この宇宙論的次元の中で迷っているのではないかどうかを自問することができる。あなたの質問へと導いたしかるべき理由を認めて、そうだと正直に答える必要がある。ある程度まで人間は道に迷っているのだ。そのようにまた、説教者たち、要理教授者たち、教師たち、も道に迷っているのだ。そしてその結果として、彼らはもはや地獄の脅しを説教する勇気を持たないのだ..(強調は筆者)注11)

これらの爆発的に人を困惑させる承認にもかかわらず、教皇は明らかに公会議の「ビジョン」をよいものとして見ておられる。しかしそれはよいものであるのか? あるいは、個人的霊魂の永遠の運命に関するこの前例のない焦点の喪失がファチマの第三の秘密において予告されたまさにその災難であるということが可能であるのか? シスター・ルチアは公会議後の教会における「悪魔的な方向感覚喪失」について話した。注12)聖なる司牧者たちにとって死、審判、天国、地獄、煉獄を見失うことよりももっと大きな悪魔的方向感覚喪失があり得るであろうか?

教皇に対するメッソーリの質問は「第2ヴァチカン公会議の偉大な刷新」の彩色された建物正面の背後の影の中に見ることができる一つの大きなそして恐るべき真実にほんのわずか触れただけである。公会議前の教会の状態を忘却していなかったもっと多くのカトリック教徒が存在する。グルーナー神父のように、彼らは満員の神学校や修道院を記憶している。威厳のある典礼、毎日曜日限界まで人を詰め込んだ小教区の教会を記憶している。否、彼らはその中で教会のあらゆる成員が聖人の熱意を持っていた教会の天国を記憶していない。しかし彼らは教会が全体として活力を持っていたということを記憶している。彼らは、教会の説教者たちが「地獄の脅しを説教する勇気」を持っていたこと、教会の信徒が地獄を信じ、ただ地獄の恐れから生まれる不完全な痛悔をもってしてであるとしても、道徳法を守ったとうことを記憶している。そして彼らはこのかつて活力のあった教会が多くの改宗者を作ったことを記憶している。1960年までは[そうだった]。ファチマの第三の秘密が、シスター・ルチアの上長が彼女にそうなるでしょうと約束したように、信徒に明らかにされる代わりに、ヨハネ教皇の机の引き出しに鍵をかけてしまわれるまでは[そうだった]。

たったの38年前に教会が何であったかを記憶しているカトリック教徒は公会議以前の全過去を、公会議の漠然とした新しいビジョンに対する同意と教会のかつての「司牧的スタイル」の甘い回想とをもって、記憶の穴に委ねる準備はできていない。公会議前に教会があったもので教会は再びあらねばならない。まだ記憶しているカトリック教徒はその記憶を彼らの子どもたちに伝えた。そして彼らの子どもたちは彼ら自身の子どもたちを持つまでに成長した。この地上の表にいる3世代のカトリック教徒が今なお、今日自らをカトリックと呼んでいる人々のうちのごく少数者を構成するとしても、自分たちの記憶を持っている。

ニコラス・グルーナー神父を含む、今なお記憶を持っている人々はメッソーリが教皇に訊ねた同じ疑問--何人かのヴァチカン当局者たちが耐えられないほどに人をまごつかせるとみる疑問--をする。彼らは、地獄から霊魂たちを救うことを神から委ねられた教会がもはや地獄に言及しないということがどのようにして起こったのかを知りたいと願っている。彼らはまったく単純に、教会がなぜ、ファチマの聖母が語られたように語る仕方を忘れたのかを知りたいと思っている。

聖なるカトリック教会の永遠の観点からはいかなる「現代性」も語るものとしては何もない。その中で教会が、人間は教会が学ばなければならないそしてその教えの中に同化しなければならない人間についての真に新しい何かあるものが存在する点にまで最終的に「進歩した」と認めざるを得なくなったいかなる時代もない。人間は、教会が人間の本性について常に知っていたことを越えてほんの少しでも進歩することは決してできない。なぜなら、人間本性は変化しないからであり、そして教会が人間について知っていることは神によって教会に啓示されたからである。神が粘土のかたまりから創り出された被造物がその構成について何か新しいことを神に告げることができるだろうか?

人間の増長した「現代性」の主張に対する大昔からの教会の態度は単に神の永遠の態度の反映に過ぎない。救済の歴史を通じて、人間たちは彼らの偉業の認知をずうずうしく要求した彼らのバベルの塔を彼らの創造主に示し、そして神の怒りの一撃の下にそれが崩れ落ちるのを見た。それゆえ、その他に何が新しいのか?

1864年、フランス革命のたった75年後にバベルの塔の現代版がすでに世界の中に起こり始めていた。「現代の人間」はいたるところで、カトリック諸国においてさえ、神とその教会からの最終的な解放を告知していた。それに応えて福者ピオ11世教皇はその諸々の誤謬の概要Syllabus fo Errors を公布された。それは「われわれの宗教の最も冷酷な敵が全世界に普及させた悪疫のような書物、パンフレット、新聞によって...人々を欺き、悪意をもって嘘をつきながら広めた、人間の永遠の救いに反対する、すべての異端や誤謬を明らかにし、断罪する」という意図を宣言しながら、公布されたものである。教皇聖下は「現代文明」のまさに土台石--偽りの諸宗派に対する「礼拝の自由」から「良心の自由」、「報道の自由」、この世の事柄に対する教会の間接的な力の廃止に至るあらゆる事柄--である誤った命題の完全なリストを断罪された。注13)

Syllabusの#80においてピオ教皇は「教皇は進歩、自由主義および現代文明を甘受しそれと折り合う<ことができるし、またそうすべきである」という命題を誤謬としてはっきりと断罪された。このことにおいて教皇は単にその先行の教皇たちのすべての声を繰り返されたに過ぎない。なぜなら、神が遅かれ早かれそれを<瓦礫の山に返されるときに、キリストの代理者がなぜバベルの塔の最新版に賛辞を送るべきであるのか?

「現代文明」の諸々の主張に対する教会の永遠の軽蔑のうちには仕事における単なる人間的傲慢はない。現代性の短命さは常に教会には明白であった。あらゆる時代に教会はまさに同じ事柄:すなわち、地獄の火の危険にある堕落した人々に満ちた世界、を見るためにそれらを通して眺める。聖母は20世紀の曙にファチマで同じことを言われた:「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」

しかし1960年にファチマの第三の秘密は教皇の机の引き出しの中に鍵をかけてしまわれていた。そして次に第2ヴァチカン公会議がやって来た。

公会議文書喜びと希望 Gaudium et spes は「現代世界における教会に関する司牧憲章」という人を困惑させる副題を持っている。教会史において初めて一つの公会議がある特定の時代を人間の歴史のすべての先行の時代と区別して現代と見なすことを敢えてした。「現代世界における教会」というまさにその文言は「現代人」がついに成年に達した、そして教会は彼を、彼の「諸権利」をそして彼の「現代世界」を一つの新しい尊敬をもって見るよう義務づけられるということを主張した20世紀時代精神 Zeitgeist に対する盲目的な譲歩であった。ラッツィンガー枢機卿もこれが喜びと希望 Gaudium et spes のまさに方向であったということを認めるであろう:

「今、少なくとも世界があるべきであった、あり得た、変化した、改善された、そして人間化されたという感情--この感情は抵抗されるべきではない仕方で彼ら(公会議教父たち)をまったく明らかに捕らえた...そこでは直ちに幸福感と失望の感情が支配した。幸福感というのは、十数世紀にわたって深く根付いてきた態度と断絶する力を持ったこの公会議にとって何物も不可能ではないと思われたからである。失望というのは、これまでに為されてきたすべてのことが人類にとって重要ではなかった、そしてただ自由に対する熱望、公開性に対する熱望、まったく異なったものに対する熱望を増大させただけだからである。注14)

そこで、「十数世紀にわたって深く根付いてきた態度と断絶する」公会議は「まったく異なった」何かあるものに対する「現代人の」欲望を満足させることを切望しながら、人間と彼の諸々の偉業を祝賀し、彼の工業技術と彼の最近発見された「諸権利」を賞讃することに決定したのだ。公会議は「人間は彼の人格のより完全な発展、彼自身の諸権利の増大する弁護への途上にある」注15)と宣言するであろう。人間のこの「新しい時代」は共産主義と中絶を含む、神の法に反するその嫌悪感を催す罪のゆえに断罪されるべきではなく、むしろ賞讃されるべきであった:「われわれは人間の歴史における一つの新しい時代について語ることができる...われわれはその中で人間がまず第一に彼の兄弟たちに対する、そして歴史に対する彼の責任によって定義される一つの新しいヒューマニズムの誕生の証人である。」注16)公会議はほとんど眩暈を起こしそうな不正確な表現を採用しながら、「人類は実在のやや静的な概念からより動的なそして進化論的な概念へと移行した」注17)とさえ宣言するであろう。

これら[の文言]は聖ペトロ大聖堂の大広間の外部で荒れ狂っている今世紀の諸々のおぞましい事柄の点から見れば驚くほどに素朴な意見である。ファチマのメッセージは「現代世界」は、世界的な懲罰が避けられるように、教会に耳を傾け、赦しを求め、その類いまれな諸々の罪のための償いをしなけれければならないというメッセージである。しかしGaudium et spesのメッセージは教会は「現代世界」に耳を傾けなければならない、そしてその諸欲求に対してそのように長い間鈍感であったことを埋め合わせなければならないというものである。その目的のために文書は司祭や司教たちは「世界との対話そして異なる意見を持つあらゆる人々との対話を確立することにおいて彼らの役割を果たすように適応して行くべきである」注18)と宣言する。そして「世界との対話を確立すること」によって何が正確には意味されていたのか? キリストの花嫁[教会]はそれ以前の2000年間唖者であったのか? 教会はたった今、第2ヴァチカン公会議で人間にどのように話すか[その話し方]を学んだのか?

これはまったく明らかである:Gaudium et spes公布後、常にmater et magistra--母そして教師--として知られてきた教会は突然そして不可解にも、世界がそれに耳を傾けなければならない、神によって建てられた制度の権威をもって世界に話すことを止めるであろう。今や、教会は「現代人」が教会に告げるべく持っている非常に重要な諸々の事柄の全てに最も注意深く耳を傾けるであろう。

おそらく、世界の足下に坐り、[世界に]聴こうという公会議の乗り気の最も際だった例はGaudium et spesにおける次の見解である:すなわち、「司牧的な配慮において、信徒が信仰のより適切なそして成熟した生活へともたらされるように、単に神学的諸原理ばかりでなく、また世俗の諸科学、特に心理学と社会学の諸発見の十分な活用がなされなければなrない。」注19)より適切なそして成熟した? 20世紀もの間のカトリック教徒の信仰--7つの秘蹟、諸聖人の祈り、そして殉教者たちの血によって養われた信仰--はそれが心理学と社会学の助けでもってあり得たよりも適切なそして成熟したものではなかったということが本当に公会議の教えであったのか? 信徒は、神御自身によって建てられた教会が、人間を不死の霊魂あるいは永遠の運命をも持たない一個の主体として見る最近発明された偽りの科学の専門家たちに今や相談する必要があると信じることを本当に期待されているのか? ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)やマーガレット・ミード(Margaret Mead)のような人物が信仰の生活についてキリストの花嫁に何か言うべきことを持っていたのか? そして心理学や社会学の多くの対立する学派のうちのどれを公会議は聖なる司牧者たちに彼らの霊魂たちの配慮において助言を求めさせようとするのだろうか? 公会議はいかなる明確な忠告も与えなかった。また公会議はそうするほんのわずかの能力も持っていなかった。なぜなら、われらの主は心理学者たちや社会学者たちのための照会ネットワークという任務を教会にお与えにならなかったからである。神がお与えになった任務は福音を述べ伝え、神が人間たちに、彼らの傷ついた霊魂のための唯一の真に効果的なバルサム[香油]としてお与えになった秘蹟を執行することである。

公会議は「現代世界」の「諸問題」を、その想定された進歩を賞讃する途中で、認めるであろう。しかしGaudium et spesはそれらの諸問題のうちの最も重大なものについては:すなわち、この文書が公布されていたまさにその時に、その熟練者どもがカトリック教徒を殺し、苦しめ、投獄していた世界共産主義については何も言わないであろう。ヴァチカン-モスクワ協定は「現代世界」の状態を述べるとされた公会議がばかげたことに世界の生き残りにとって最大の脅威を断罪することあるいは言及することさえ無視するであろうことを保証した。

概して言えば、ラッツィンガー枢機卿が述べたように、Gaudium et spesにおいては「現代世界の上にそれらの刻印を残した諸勢力に対する批判的留保の態度は彼らの運動と折り合う決心によって取って替わられなければならない。」注20)しかし、教会が「進歩、自由主義そして現代文明と折り合いをつける」べきであるというまさにその考え方を断罪したピオ9世のシラバスの#80はどうなのか? ローマ典礼そして四終に関する教えと同様に、シラバスは大いなる記憶喪失において忘れられるであろう。ラッツィンガー枢機卿が説明しているように:

もし全体としてテキストの分析を提示することが望ましいならば、われわれは(宗教的自由および世界諸宗教に関するテキストに関連して)それ(Gaudium et spes)がピオ9世のシラバスの一つの改訂版、一種のカウンター・シラバス[反シラバス]であると言ってもよいだろう...ここでは、そのテキストは一つのカウンター・シラバスとして役立つ、そしてそのようなものとして、教会の側で、1789 年に始まった新しい時代との一つの公式の和解における一つの試みを表していると言うことで満足しよう...注21)

それゆえ、ピオ9世が誤謬として荘厳に断罪されたものはGaudium et spesの「カウンター・シラバス」(!)によって公式に受容されたのである。教皇は公会議と対抗させられた。そして教皇の教えは教会を「1789年に始まった新しい時代」--ロベスピエールとマラーが、フランス革命において数百万のカトリック教徒を虐殺する途中で、司祭たちと修道女たち、母親たちと子どもたちで異何隻もの平底荷船をいっぱいにしてそれらをロワール河に沈めたときに始まった時代--に和解させるために「改訂され」たのである。

教会はどのようにしてフランスにおけるカトリック教徒の大量殺戮と共に始まった時代、そしてソビエト連邦におけるカトリック教徒の大量殺戮と共に続いていた時代との「公式的な和解」を試みることができたのであろうか? 教会は、その中で教会と国家の間のあらゆる重要なつながりが断たれた文明、そしてカトリック諸国でさえピオ9世がシラバスにおいて断罪したまさにその誤謬を採用した文明と「折り合う決心」をすることができたのであろうか? :「今日では礼拝の他の諸形式を排除して、カトリック宗教が国家の唯一の宗教だと主張されることはもはや当を得たことではない。」注22)

これらの疑問は公会議そのものについての一つの究極的な疑問へと導く:すなわち、もしGaudium et spesシラバスにおける荘厳な断罪を「改訂した」のならば、それは教会がそれ自身の以前の教えと矛盾対立したという事例ではないか? 教会それ自身はそのとき失敗したのか? その答はもちろん、ノーである。なぜなら、公会議それ自身がこう宣言したからである:「現在の公会議の司牧的目的の点から見て、この聖なる教会会議は、それが公にそう宣言するときにのみ信仰と道徳の諸問題を教会に対して拘束力のあるものとして決定する。」注23)第2ヴァチカン公会議はそれ自身の諸文書の重みに対する否認声明文を発する教会史における最初の公会議である。これは、Gaudium et spesや他の公会議文書に行き渡っている奇妙な曖昧さと新奇な態度によって困惑させられた公会議教父たちの多くにとって小さな救援ではなかった。その一人、アイルランドのトマス・モリス(Thomas Morris)司教はその死の少し前に、ある報道記者にこう打ち明けるであろう。「この公会議が教義に関して決定するあるいは最終陳述を与えるということを目的としていないということを聞いて安心した。なぜなら、教義の陳述は非常に注意深く明確に述べられなければならないからである。そして私は公会議文書を仮のものそして改善されることを免れないものとして見なしていた。」注24)

Gaudium et spesのどこにも公会議は信徒を拘束する何らかの教義を決定した、あるいはそれは実際にシラバスを覆したと「公式的に宣言」していない。公会議が敢えてしたことは(ラッツィンガーが述べたように)教会を「1989年に始まった新しい時代」と和解させようとする単なる一つの「試み」であった。一つの試みは一つの教義ではない。そしてGaudium et spesは明らかに一つの教義の宣言ではなくて、社会学を教えることを委ねられていなかった司教たちによる社会学的論評における一つの練習であった。そこで、真正の教導職が常に教えてきたことと公会議がGaudium et spesにおいて「試みた」ものとの間には実際には何の矛盾もない。なぜなら、一つの「試み」は一つの教えではないからである。そして真正の教導職の不変の教えは決してそれ自身に矛盾したことは一度もないのである。いかなるカトリック教徒も一つの「試み」あるいは一つの「試みられた」教えに従う義務はないのである。

それにもかかわらず、現代性に関するこの教義でないexcursisは、この司牧的公会議の他の文書と同じように、それ以前になされたすべての真に教義的な教えの記憶を消しながら、公会議後の記憶喪失において教義の外見をいくぶん達成してきた。ちょうどLumen gentiumの公会議「ビジョン」が四終に関する伝統的な教えを覆い隠したのと同じように、Gaudium et spesはその現代的「諸自由」と共に「現代世界」に対する教会の伝統的な反対を覆い隠した。教皇自身の教義の擁護者、ラッツィンガー枢機卿でさえ、教会史における公会議の重要性に関するこの詐欺的強調に反対して一つの公的な抗議をしなければならないと感じた:

「第2ヴァチカン公会議は教会の生ける伝統全体の部分として取り扱われてきたのではなく、伝統の終結、ゼロからの新しい出発として取り扱われてきた。真実はこの特定に公会議はいかなる教義をも決定しなかったのであり、一つの単に司牧的な公会議として、一つの控えめなレベルにとどまることを選んだということである。にもかかわらず、多くの人々は、それがあたかもそれ自身を他のすべてのことの重要性を取り去る一種の超教義へ変えたかのように、それを取り扱う。」注25)

それゆえ、現代の危機へと導いたのは教義の欠陥ではなくて、公会議が「伝統の終り、ゼロからの新しい出発」と見なされることを引き起こした記憶の喪失なのである。おそらく、ファチマに神の御母にほかならない一人の預言者をもたらしたのはこの展開である。聖母は第2ヴァチカン公会議の司教たちとなるであろう子どもたちの生きている間に教会に起こるはずであったことをご存じになりながら、ファチマに来られたのである。聖母は人々が彼らの霊魂を救うために彼らが世界に何を教えなければならないかという単純な事柄について彼らに思い起こさせるために来られた。なぜなら、第2ヴァチカン公会議が「現代世界」に実際に言う必要があったことは聖母がファチマですでに言われたことではなかったか? 悔い改めなさい。償いをしなさい。償いの聖体拝領をしなさい。犠牲をしなさい。ロシアを奉献し、私の汚れなき御心に対する信心を世界の中に確立しなさい。諸国の絶滅を避けるためにこれらのことを行いなさい。

しかし公会議の教父たちはこれらの事柄には言及しなかった。彼らはその代わりに、ファチマの偉大な印を無視し、聖母が予告なさった大きな悪が、ファチマでの聖母の要求が聞き届けられなかったら「現代世界」のいたるところに広まるであろうという[警告を]無視しながら、「時代のしるしを吟味する」ようわれわれに勧める一つの文書を発したのである。

そしてまた、科学と工業技術の目もくらむほどの「現代世界」が教会人をさえ、あたかも20世紀の信仰がポルトガル出身のあの3人の素朴な羊飼いの子どもたちがそうであるとしたほどに実際に単純ではあり得ないかのように振る舞わせるように誘惑していると思われる。確かに、この啓発された心理学と社会学、エキュメニズムと「諸宗教間の対話」の時代においては、救いは「地獄の火」から「可哀想な霊魂たち」を救うためにマリアの汚れなき御心の取り次ぎを求めて単に祈ることよりははるかに複雑である。確かに、人々が彼らの罪を正当化するために最近発見した手の込んだ心理学的な諸々の口実を考慮にいれながら、ひとたび救いの問題に関するすべての最近発達した微妙な差違を熟考した後では、われわれはファチマのメッセージを敬虔な誇張のカテゴリーの中に安全に置くことができる。

「現代世界」は地獄の火の中で永遠に燃える霊魂たちのようなそのような「誇張された」概念を嘲笑する。現代世界は言う:「地獄は人間の諸権利の侵害である。地獄の火の脅しでもってわれわれに信じることを強要するこの神は誰か? われわれは彼の言うことを聞かないであろう。」世界との「対話を確立した」、そしてもはや権威をもって教えない現代的教会人たちは、神が大罪の状態にあるまま死ぬ者を誰でも地獄へと断罪なさるであろうと言うところまで自分たちを持って行くことはもはやできないことを見出すのである。

彼らは、教皇ご自身が容認されるように、「地獄の脅しを説教する勇気を失った」のである。そして教会におけるこの勇気の喪失についてヴァチカンは何をするのであろうか? その答は明瞭ではない。なぜなら、公会議後のヴァチカンそれ自身から地獄についての何らかの話はまだないからである。

(1)St. Thomas Aquinas, Summa Theologica, II, II, Q 174 art. 6. --(2)1 Thess. 5: 20,21. --(3)Fatima in Lucia s Own Words(Sister Lucia's Memoirs)Fatima, 1976 pg. 162. --(4)Davies, Michael. Pope Paul's New Mass. Angelus Press: Kansas City, pg. 585 --(5)Audience address of Pope Paul VI, November 26, 1969. --(6)Speech of June 30, 1972, quoted by Romano Amerio. Iota Unum. Sarto House: Kansas City(1996), pg. 6. --(7)Crossing the Threshold of Hope. Alfred A. Knopf. New York, 1994, pg.178. --(8)Ibid. pgs. 179-180. --(9)Ibid. pg. 180. --(10)Ibid. pg. 181. --(11)Ibid. pg. 183. --(12) The Whole Truth about Fatima , Vol. III The Third Secret, Fre`re Michel de la Sainte Trinite' pg. 755, Buffalo, 1990. --(13)Quanta Cura, nn.1, 6; Syllabus of Errors of Pius IX. --(14)Joseph Cardinal Ratzinger. Principles of Catholic Theology. Ignatius Press: 1987, pg. 380. --(15)Gaudium et spes, n. 41. --(16)Ibid. n. 54. --(17)Ibid. n. 5. --(18)Ibid. n. 18. --(19)Ibid. n. 12. --(20)Ratzinger, op. cit. pg. 380. --(21)Ibid. pg. 382. --(22)Syllabus of Errors of Pius IX, n. 77. --(23)Theological Note to Lumen Gentium, November 16, 1964. --(24)Interview of Bishop Morris by Kieron Wood, Catholic World News, September 27, 1997, at http:\\www.cwnews.com\news\ viewrec.cfm? RefNum= 4091. --(25)Speech in July 1988 in Santiago, Chile, quoted in Latin Mass magazine, Spring 1998, pg. 23. --(26)Gaudium et spes, n. 4.

2004/01/21 三上 茂 試訳

作成日:2004/01/21

最終更新日:2005/03/19

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