ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

第 XIV 部

補 遺 I

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

「絶対的に必要なファチマ」

ロバート・W. フェルナンド神父のインタビューの抜粋

1988年2月11日、[雑誌]The Wanderer において公表された。フェルナンド神父はスタンリー・インタランテによってインタビューを受けた。

ロバート・W. フェルナンド神父はファチマを取り扱う諸問題に関する学者である。彼はファチマでの記録文書に広範囲にわたって接近できる特権を与えられた少数の司祭の一人である。

彼は数年間、ポルトガル、ファチマに住んだ。そして1970年から1974年まで世界的な「巡礼のおとめ使徒職」の国際理事であった。彼は多くの人々に彼のペンネーム「ファチマのフェルナンド神父」によって親しみを込めて知られている。

彼はポルトガル語で印刷されたオリジナルの資料から広範囲にわたって研究した。

Q. 「マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献」を求めておられるマリアの要求を巡る多くの論争がありました。この共同的奉献の性格は何ですか?

A. 「共同的」("collegial")という言葉は使徒たちの後継者たちは一つの集まり college あるいは団体として行動したという点を強調するために主として第二バチカン公会議の後に用いられるようになりました。すべての神学者たちはこの考えにまったく同意していません。なぜなら、これは誤解され得るからです。

ある人々は今日、ペトロは単に使徒たちのうちの一人、等しい者たちのうちの最初の者にすぎないと言っています。これはまったく誤りです。これは今日の教会の中に非常に多くの問題を創り出すことを助けた諸々の誤謬の一つです。

キリストは御自分の教会を建てられ、ただペトロだけにこう述べられました:「この岩の上にわたしは私の教会を建てる。」御復活の後、ペトロは一人だけ選び出されました:「ヨハネの[子]シモン、汝は、この人々にまさりてわれを愛するか?」[ヨハネ 21:15]と。一なる神、一なる救い主、一なる教会、教会の一なる頭があります。もちろん使徒たちは共に働きます。しかしただ一人の頭がいます。

確かに一人の善良な人間として教皇は祈り、助言を求めます。しかし最終的な言葉は彼と共にあります。さもなければ教会はそれがあるべきようには進むことができません。

「共同的」"collegial" という言葉は聖母によって使われませんでした。それはまったく使われませんでした。1929年6月13日、スペイン、トゥイの偉大な幻視の後に聖母はこう言われました:「神が教皇に、世界のすべての司教たちと一致して、この手段によってロシアが救われるように、私の汚れなき御心にロシアを奉献することをお望みになる時が来ました。」

それゆえ、このすべての論争があるのはそのことについてです。あなたは「ロシア」という言葉がどのように「世界」という言葉へと変化したか、等々についてまるごと一冊の書物を書くことができます。シスター・ルチア自身が述べたように、神によって求められたような奉献はまだ果たされていないという事実は残っています。そのことは私にはまったく明らかです。

Q. それではあなたは、教皇が祝せられたおとめによって要求されているような奉献をまだしていないという立場をとられるのですか?

A. 誰かある人が取り得る2つあるいは3つの立場というのはありません。ただ一つの立場だけがあります。その立場はそれ[奉献]が、聖母が要求なさったやり方では為されなかったという立場です。このことはまったく明らかです。

Q. 単に私的啓示にすぎない、そしてそれゆえに信仰にとって重要ではない、あるいは不可欠ではないものとしてファチマを退ける人々に対してあなたは何といわれますか?

A. いくらかの神学を知っている司祭たちは完全な理解なしにこのことを述べるでしょう。なぜなら、彼らは神学校を去って以来、おそらく研究を続けなかったからです。神学教科書の多くもまた「私的啓示」という用語を用いるでしょう。

専門的に言えば、キリストは完全な真理を啓示なさいました。そして最後の使徒の生涯の終りにこの真理の体系は固定化され、そして「公的啓示」として言及されています。

神学は、われわれが私的啓示を信じる義務はないと教えました。ところで、私の意見では、それは少々行き過ぎでした。しかしそれは、私が教えられたように、それが教えられた仕方でした。しかしながら、この問題に関してある神学者たちがもっと研究すればするほど、それだけ彼らはその概念を明らかにしています。

私の考えでは、「啓示」という言葉は用いるのに最善の言葉ではありません。「私的啓示」という用語よりはむしろ、おそらく、「啓示への一つの新しい洞察」あるいは「この時期に神によって与えられた特別のメッセージ」と言う方がよいであろうと私は思います。

あなたは、人間に対するこれらの特別のメッセージをあなたが考慮に入れないことができる、あるいはあなたがそれらを信じる必要はない、と言うことはできません。諸教皇御自身が公認の神の啓示をよく心に留めるように人々に促されました。二人の教皇は彼らがそうなさったやり方で、マリアの汚れなき御心に奉献をするために、ファチマに来られました。

いいえ、あなたは他の諸々の啓示に言及するのと同じ仕方でファチマについて語ることはできません。ファチマはわれわれにとって絶対的に必要です。そしてわれわれはすべてそれを心に留め、それに応じなければなりません。

Q. あなたはファチマの場所でわれわれの霊的生活においてわれわれの読者たちにどのような最後の考えを残したいですか?

A. 今、11時半です。毎日ロザリオの祈りをすること、5回の初土曜日の実践を含むマリアの汚れなき御心への真の信心を実践すること、聖母が要求なさったようにマリアへのロシアの奉献をするように教皇と司教たちを助けるなどの絶対的に必要な事柄を少なくとも行うことはすべての人にかかっています。このことは犠牲、償い、そして少なくとも大罪を避けることを含みます。これらのことが為されるならば、多くの霊魂の救いという結果を得ることができます。さまざまの民族の絶滅が避けられ、世界平和が来るでしょう。

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2005/02/20 三上 茂 試訳

作成日:2005/02/20

最終更新日:2005/02/20

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