ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

ただ「この手段によって」のみあなたたちは奴隷化を避けることができるであろう

Father Nicholas Gruner, S.T.L., S.T.D.(Cand.)著

この論考においてわれわれはロシアの奉献に関してシスター・ルチアに宛てられたわれらの主と聖母の実際の言葉を提供する。われわれの唯一の希望はこの要求の速やかな実現である。われわれは、教皇と司教たちが近い将来に荘厳かつ公的な仕方でロシアを奉献するということをわれわれが見るためにわれわれにできるすべてのことをしなければならない。

聖母は、1917年5月5日に教皇ベネディクト十五世の、聖母に平和を見出すために彼と全人類を助けてくださるように聖母に求める悲痛な叫びに答えてファチマに来られた。聖母は八日後、1917年5月13日に御自分の助けを提供し、われわれすべてに平和への唯一の道を告げるために初めてファチマに来ることによってお答えになった。聖母はこの「平和計画」をさらに詳しく説明なさった。そして御自分の汚れなき御心にロシアを奉献するよう教皇に求めるために後に戻ってくるでしょうと言われた。

ファチマの最も荘厳な要求

1929年6月13日に、聖母は約束なさった通りに、戻って来られた。そしてその日に聖母はロシア奉献の要求をなさったのである。ここに御出現に関するシスター・ルチア自身の記述がある:

「私は木曜日から金曜日まで午後11時から真夜中までの聖時間をする許可を私の上長と聴罪司祭に求めそして得ていました。ある夜独りだけでいるとき、私は聖堂の中央の聖体拝領台の間でうつぶせにひれ伏しながら天使の祈りを唱えていました。疲れを感じたので、起き上がって跪き、腕を十字架の形にしてその祈りを続けました。」

「唯一の光は至聖所の燈火から来ていました。突然ある超自然的な光が聖堂全体を照らし、祭壇の上の方に天井まで達する光の十字架が現れました。あるもっと輝かしい光の中で、十字架の上の部分に、一人の人の顔と胸までの身体があり、その胸のところには光の鳩がいて、そして十字架にもう一人の人の身体が釘づけにされているのを見ることができました。」

「胸の少し下のところに、空中にカリスと大きなホスチアがかかっており、それらの上には十字架に付けられたお方の顔とそのお胸の傷から数滴の血が滴り落ちていました。これらの血の滴はホスチアの上を流れくだり、カリスの中へ落ちていました。十字架の右側下方に、汚れなき御心をその手にされた聖母がいらっしゃいました。....それは汚れなき御心を....その手にされたファチマの聖母でした。....(十字架の)左側には何か大きな文字があり、あたかも祭壇の上に流れ落ちる水晶のきれいな水のようでしたが、『恩寵と憐れみ』という言葉を形作っていました。」

「私はそれが、私に示された至聖三位一体の神秘であるということ、そして私が明かすことを許されていないこの神秘についての光を受けたということを理解しました...」

もちろん、聖母が話される時はいつも、いとも聖なる三位一体の名において話されるが、しかし今回は聖母は明確に神の名において話された。なぜなら、聖母はこう言われたからである:「神が、この手段によってロシアを救うことをお約束になりながら、教皇に世界の司教たちと一致してロシアをマリアの汚れなき御心に奉献するようにお求めになる時が来ました。」それゆえ、ロシアが回心し、救われるのはマリアの汚れなき御心に教皇が司教たちと一致してロシアを奉献するという手段によってであるということは非常に明瞭である。他のいかなる直接的な理由も存在しない。聖母は、それは「この手段によって」であると言っておられるのである。

われらの主はこのことを確証なさっている

イエズスとマリアが、ロシアを回心させ、世界に平和をもたらすのはまったく教皇と司教たちによるロシアの奉献であるということをお示しになっているいくつかの他の機会がある。われわれは1936年5月の日付のある手紙の中で彼女がそれについて書いた、シスター・ルチアのイエズスとの会話を持っている:

「私はわれらの主にその問題について親しくお話をしました。そしてそれほど以前ではなかったと思いますが、私は主になぜ主は、教皇様が奉献をなさることなしにロシアを回心させられないのですかとお尋ねしました。主はこうお答えになりました。『私は私の全教会が奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果教会が後にその信心を広め、汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の側に置くようになることを望んでいるからだ」シスター・ルチアは異議を申し述べた。「しかし、わが神よ、御身御自身が教皇を特別の霊感をもってお動かしにならないかぎり、教皇はおそらく私を信じないでしょう。」イエズスはこうお答えになった。「祈りなさい、教皇のためにたくさん祈りなさい。彼は奉献するであろうが、しかしそれは遅いであろう。」

この会話全体においてロシアが教皇と司教たちによる奉献の行為によってのみ回心するであろうということはイエズスとシスター・ルチアの両者によって明白に理解されている。 -- さもなければ、その会話は意味をなさないであろう。

迫害はただ奉献を通じてのみ終わるであろう

われわれはまた、1917年7月13日に聖母の締めくくりの所見をも手にしている:「ロシアは諸々の戦争と教会の迫害を助長しながら、世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しみ、さまざまの民族は絶滅させられるでしょう:最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和のある期間が世界に与えられるでしょう。」明らかに聖母は勝利なさるであろう。そして勝利は、教皇がすべての司教たちと一緒に、指定された仕方で奉献の行為をするとき、聖母のものとなるであろう。その日には、神の力は世界の始まりから、偉大な聖書的な神の顕現においてさえ見られなかったような仕方で明らかにされるであろう。すべての者が、ロシアの回心は教皇と司教たちによるこの従順の行為によって引き起こされたということを知るであろう。

神はこの手段によってロシアを救うことを約束なさっている。そして世界平和がロシアの回心に続くであろう。これは、新しいカトリックのロシアが、かつて世界の至る所にマルクス・レーニン主義の諸々の誤謬を広めたのと同じ熱意をもって真の信仰を広めながら、一つの偉大な宣教の力となるであろうということであると思われる。その日にはロシアはサタンの支配か解放され、そして神に類い希なる栄光を帰しながら聖母の甘美なくびきに従順に服するであろう。その地から世界を王であるキリストの普遍的統治のために準備しながら、全地球の上にマリアの女王権が広まるであろう。そうだ、神はこの手段によって -- そしてわれわれにとって慰めであるものをもって -- ロシアを救うことを約束なさった。なぜならその約束は無条件のものであり、それゆえにわれわれは、神がこの従順の行為を通じてロシアを回心させる「名誉ある義務」を持っておられるとさえ言うことができるからである。

このようにロシアの奉献はわれわれの地上的な諸々の関心より以上にさえわれわれの霊魂に関わりがあるのである。それはそのように非常に多くの霊魂 --彼らはこの従順の行為を通じて以外には救われないであろう -- のために重要であるので、神は何年も前に、もし彼らが天の女王のこの重要な要求の遂行を遅らせ続けるならば、全キリスト教徒は言うに及ばず教皇および司教たちの厳しい懲罰があるであろうということを指摘なさったのである。まったく憐れみ深い方であり、まったく正しい方であられる神は、もし一つの非常に良い理由がなかったならば、そのような大きな懲罰という脅威をつきつけることはなさらなかったであろう。イエズスは、この荘厳な要求が与えられてちょうど2年後、そして教皇ピオ十一世がそれを果たすことを拒否したわずか数ヶ月後、1931年8月に、シスター・ルチアにその懲罰を予告された:

「私に仕える者たちに、彼らが私の命令の遂行を遅らせていることにおいてフランス王の例に従っていること、そして彼らがフランス王にならって不幸に陥るであろうということが彼らに与えられているということを知らせなさい。」

フランス王についての言及は聖マルガリタ・マリアを通じて、1689年6月17日に荘厳かつ公的な仕方で彼の国を聖心に奉献するようにと彼に与えられた要求のことを言っている。王と彼の後継者たちは100年の間拒否した。それで1789年6月17日に王はフランス革命 注1)によって権力を奪われ、そして4年後に彼はギロチンによって公的に処刑された。

それゆえ、ロシアの奉献は単にある種の信心に関するいいもの -- われわれがなしで済ますことができる一つの余分のもの -- ではなくて、不可欠のもの、絶対的に必要なものである何かである。この点に関して1931年8月および1936年5月のわれらの主の言葉は完全に首尾一貫しており、そして聖母がすでに1917年7月と1929年6月に言っておられたことを確証している -- われわれは「この手段によって」-- すなわち、教皇と司教たちが公的かつ荘厳に汚れなき御心にロシアを奉献するために一緒に参加するとき -- ロシアは回心し、救われ、そして平和が世界に与えられるということを文字通り理解しなければならない。

われわれは他のどんな選択肢も持っていない。-- イエズスが「このことを私に仕える者たちに知らせなさい」と言われるとき、イエズスに従うことはわれわれの義務である。われわれにこれらの事柄を公表させるのは無礼あるいは傲慢の精神ではなくて、むしろわれわれの司教たちと彼らの聖なる役目に対するわれわれの子としての愛着と愛である。なぜなら、ただこの要求についての知識およびそれへの従順によってのみ彼らはフランス王の不幸な運命から救われるだろうからである。ロシアの奉献のためにわれわれが持っているこの絶対に緊急の必要性についての真理を公表することはわれわれの義務である。それはわれわれすべてに、特にファチマのメッセージと奇跡について公表しているわれわれに課された義務である。あなたの司教たちに(子としての愛と従順の精神において)、そして他の人々に告げることもまたあなたの義務である。イエズスは御自分の教会全体がそれについて知ることを望んでおられる。それはこの奉献の行為について強調して話すためのわれわれにとっての十分な理由である。

1.第三階級によって。

目次へ

2004/11/13 三上 茂 試訳

作成日:2004/11/13

最終更新日:2004/11/17

World Enslavement or Peace...It's Up to the Pope: Section II; Chapter 2 へ

マリア様のページへ

トップページへ

inserted by FC2 system