ポルトガルの新聞は報道する:

「ファチマ、教皇による統制を拒否する」

新しい規則はファチマを四人の司教たちの統制に移す

編集者注:The Fatima Crusader や他のカトリックの諸雑誌が主任司祭ゲッラのエキュメニカルな愚行のスキャンダルについてしばしば報道した結果としてヴァチカンは以下の報告において説明されているように、最終的に介入した。

The Fatima Crusader Issue 82 Spring 2006 20

ジョン・ヴェナリ

ポルトガルにおいて二番目に大きな新聞である Correio da manha は2006年2月12日に「ファチマ、教皇による統制を拒否する」という第一面記事を載せた。そのサブタイトルはこうであった:「カルロス・アゼヴェド司教はヴァチカンが聖堂を統制することは決してないということを保証している。そしてヤヌアリオ・トルガル司教は『ファチマはどんな神学的警察も必要としていない』と補強している。」

この報道は別の有名なポルトガル日刊新聞 Expresso の2月11日号が、ファチマ聖堂はヴァチカンの直接的な介入のためにその規則を変えるであろうということを公表した後に出された。聖堂は今や「四人の司教によって運営され、そしてより大きな統制が聖座によって加えられるであろう。」その新聞は更に、ファチマは「神学的な警戒」の仕事に指名されたヴァチカンの一人の常設の使節を持つことになる、と主張した。

Expresso 紙はこう述べた:「Expresso 紙が位階における複数の出所から確かめたことに従えばこの変化の動機は、現在の主任司祭が聖堂を他の宗教の諸宗派に対して開放したという事実である。2001年にこのことはダライ・ラマ - 彼は御出現の小聖堂において祈った - のファチマ訪問とともに起こった。そしてより最近では、諸々の聖堂やさまざまの宗教についての一つのエキュメニカルな会議、そして2004年のコヴァ・ダ・イリアへのヒンドゥー教徒のグループの訪問とともに起こった。」

ヒンドゥー教徒たちは訪問以上のことをした。実際、彼らは御出現の小聖堂の内陣の祭壇で異教的な祈りの歌を指揮することを許された。注1) Expresso 紙は、ヴァチカンがレイリア・ファチマの司教、ドン。・セラフィム・フェレイラ・エ・シルヴァから、諸宗教間活動の今日の緩やかな基準をさえ越えてしまったこれらの行動に関して説明を要求したと報じた。

新しい規則

今までファチマ聖堂は専ら主任司祭によって運営されてきた。主任司祭はレイリア・ファチマの司教によって直接指名された。主任司祭は司牧的および行政的な諸決定において完全な権力を享受した。Expresso 紙はこう述べた。「聖堂によって集められた資金の総額が知られた最後の年である2004年に - そしてその年に Expresso 紙はそれを入手した - ファチマが1900万ユーロの『利益』と700万ユーロ以上の支出を記録したということを考えるとき、これは小さな事柄ではない。聖堂がその年だけに1100万ユーロを費やした出資金はその大部分が現在ファチマに建設されている近代主義的なコンクリート製のバシリカであるいとも聖なる三位一体教会の建設による。」

新しい取り決めの下では、ファチマの運営はブラガ、エヴォラおよびリスボン大司教区から出る三人のポルトガル大司教によって分担される。その運営はまたファチマの司教をも含むが、しかし主任司祭はもはやファチマの司教によって指名されるのではなく、ポルトガル司教会議(PEC)によって指名される。明らかに、ファチマの司教と主任司祭は、多くのカトリック教徒たちが新しい運営が事柄をもっとうまく処理するかどうかをいぶかっているけれども、彼らの翼をもがれたのである。

シスター・ルチアの遺骸がコインブラの町からファチマへ移送された時ポルトガルの日刊新聞において60以上の記事が現れた、ファチマ・クルーセイダーのこの号において記録されたように、あなたはヴァチカンがファチマ司教とゲッラ主任司祭の奇怪な策略を支配するために介入しているということを見ることができる。数人のポルトガルの聖職者たちはファチマの聖域を統制することから教皇を止めようと努力している。

「神学的警察官の必要はない」

ポルトガル司教会議(PEC)は不満と歯ぎしりをもってこの報道に答えた。以前に引用した Correio da manha の2月12日号は次のように言っている PEC のスポークスマンであるカルロス・アゼヴェド司教の言葉を引き合いに出した:「ファチマ聖堂の規則は変えられるであろう。しかしそれはヴァチカンからの指令あるいは押しつけのためではない。」

アゼヴェド司教は「聖堂はこれ以後ブラガ、エヴォラおよびリスボンの大司教たちによって運営されるであろう - 後者の場合にはレイリア・ファチマの司教に加えて - 総大司教枢機卿によって運営されるであろう。」しかし司教は、ファチマのためのこの新しい運営上の仕組みが「すでに1950年代に予見されていた。実際にはわれわれがこれからやろうとしていることはその規範を復活させることである」と主張しながら、この変化を控え目に扱った。

ファチマ聖堂は突然五十年の古い規則をたまたま復活させたというアゼヴェド司教の主張は信憑性を損なうものである。多くのファチマ・ウォッチャーたちはこのような動きを一年以上も前から予期していたのである。

2004年9月に同じ Correio da manha はそのトップ・ページにおいて、「ヴァチカンはファチマのことでショックを受けた」と報じた。それはこう説明した。「ローマはすでにポルトガル司教会議に、レイリア・ファチマの司教、ドン・セラフィム・フェレイラ・エ・シルヴァを(彼がその履歴の終りにいるという口実でもって)変えなければならない、そして聖堂の主任司祭、モンシニョール・ルチアーノ・ゲッラの代わりを見つけなければならないということを知らせた。さもなければ、ヴァチカンはファチマの直接の運営を引き継ぐであろう。」

ファチマ聖堂主任司祭はファチマの司教とともに、ヴァチカンは「ファチマのことでショックを受けていない」と主張しながら、この報道を否定しあるいは控え目に扱った。

ゲッラ主任司祭はまたそのときに、自分は新しい近代主義的バシリカが完成する2007年までは彼の地位にとどまることができるだろうと告知した。彼はこの「込み入った経過」のまっただ中で聖堂を引き渡すことは彼の後継者にとって「余りにも重すぎる仕事」であろうと言った。注5)

それにもかかわらず、一年半後にわれわれがヴァチカンの明白な引継を見ない間に、われわれはファチマの司教と聖堂主任司祭からかなりの権力と自律性を取り上げる構造における変化 - そのポルトガルの新聞におけるトップ・ニュースとしてそれを取り上げさせるに十分に重大な混乱 - を見ているのである。これは単なる偶然の一致にしてはあまりにも重大なことである。

「より大きな神学的警戒」を確実にするための聖座からの代表を含む新しい運営については、ポルトガル・カトリック教会の匿名の高官が Correio da manha に、「ここには誰もいようとはしないだろう。断じてそういうことはない」と語った。

ポルトガル空軍の司教であるドン・ヤヌアリオ・トルガル・フェレイラ司教は同じように強硬であった。「聖堂は聖座によって送られる神学的警察官を必要としていない。そこではいかなる愚行もいかなる逸脱もかつて起こったことはない。それは馬鹿げたそして受け入れ難い状況であろう。どんな警戒も過激派に支持を与えるであろう...」

トルガル・フェレイラ司教が言及している「過激派」とは、公的に偽りの諸宗教と共に祈るとか、あるいはもっと正確に言えば、異教的な歌の詠唱のためにカトリックの聖堂内陣を徴用することをヒンドゥー教徒に許すといったような、単に教会が常に非カトリック教徒とのいかなる種類の諸宗教間活動にも参加しないようにカトリック教徒に教えてきたことを固く守っている忠実なカトリック教徒のことなのである。最近のファチマにおける異教徒間[の交流]の狂気に反対の声を上げ、これらの冒涜に世界的な注意を喚起したのは疑いもなくこれらの「過激派」であった。

愚行と逸脱

トルガル・フェレイラ司教は、「そこではいかなる愚行もいかなる逸脱も起こったことはない」と言われたとき、真面目に受け取られることはできない。

ゲッラ主任司祭が決定されたカトリック教義の明白な否定を含んだファチマでの異教徒間会議を開催した2003年以来、愚行と逸脱は明らかであった。

異端的なジャック・デュピュイ神父が「教会の外にはいかなる救いもない」というフィレンツェ公会議の不可謬的な布告を公然と非難したのはこの会議においてであった。彼は聴衆に「われわれはここでフィレンツェ公会議のあのぞっとするテキストに訴える必要はない」と告げた。

これはカトリック教会の決定された教義の明白な否認であって、そのことは1958年以前のすべての教皇によるデュピュイ神父の非難に終わったであろう。

デュピュイはまたゲッラ主任司祭の諸宗教間会議において、すべての宗教 - カトリック、プロテスタント、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教 - は神によって積極的に望まれており、そしてこれらの宗教はすべて「神の国」の一部であると言った。

この陳述は、神の国はただカトリック教会だけであり、その中心的な教義の多くがイエズス・キリストの神性と中心性とを否定し、そのすべてが決定されたカトリックの教説と何らかの仕方で矛盾している偽りの諸宗教、人間によって作られた諸宗教とキリストの真の教会との寄せ集めではないという伝統的なカトリックの教義に公然と反抗するものである。

デュピュイ神父はさらに、諸宗教間対話の目的は非カトリック教徒をカトリック教会へと回心させることではなくてむしろ「キリスト教徒がよりよきキリスト教徒になり、ヒンドゥー教徒がよりよきヒンドゥー教徒になるようにということである」と言った。

これはわれらの主によって弟子たちに与えられた次の神の命令の明白な否定である:「ゆえに汝ら行きて万民に教え、父と子と聖霊とのみ名によりて、これに洗礼をほどこ」せ(マテオ28:19)「信じかつ洗せらるる人は救われ、信ぜざる人は罪に定められん」(マルコ16:16)。

しかしこの会議でのデュピュイ神父の講演はゲッラ主任司祭を含むすべての参加者から大きな拍手を受けたのである(私は、三日間の会議に参加し、そしてジャック・デュピュイの講義の間、ゲッラの側に坐っていたので知っているのである。)注6)

ゲッラ主任司祭はデュピュイ神父のたわ言から身を引き離してはいなかった。むしろ彼はそのファチマ会議でのそのような露骨な異端を許したことに対して働くことを彼に求める当該のカトリック教徒たちを酷評している。

後になって2004年5月5日にポルトガルの国内テレビ局 SIC はリスボンから来たヒンドゥー教徒たちのあるグループが、ヒンドゥー教徒の会衆が小聖堂において答誦を歌っている間に、平和のために偽りの神々に呼びかけながらカトリックの祭壇の前に立つヒンドゥー教の「司祭」を伴う異教的な祈りの歌のために聖堂を使うことを許された番組を放送した。

これは教会内陣の汚聖である。なぜなら、聖書は「異教徒たちの神々は悪魔である」(詩編95:5)と教えているからである。この聖書の真理に忠実に、インドへの使徒であり、ヒンドゥー教を詳しく知っていた聖フランシスコ・ザビエルは「異教徒たちのすべての嘆願は神には憎むべきものである。なぜなら、彼らのすべての神々は悪魔だからである」と教えた。注7)それはまた[十戒の]第一戒に対する公的な罪である:すなわち「われは汝の神なる主である、汝わが前に異国の神々を持つなかれ」と。

いかなる愚行もない? いかなる逸脱もない? もしトルガル・フェレイラ司教が上述の諸宗教間[会議]の言葉や行動の愚かしさ、逸脱そして異端すらを認めることがお出来にならないならば、そのとき、彼はポルトガル教会あるいは他のどの場所においても権力の地位にあるには相応しくない方である。実際、わずか五十年前にはこの霊的に盲目な者は誰もミサ答えをする人となることさえ許されなかったであろう。

「諸宗教間のそしてエキュメニカルな諸々の次元」

[ファチマ]聖堂での異教徒間の諸々の儀式に関して、アゼヴェド司教は Correio da manha に、ファチマではエキュメニカルな式典は決してないであろう、そして聖堂はカトリック教会の専用の場所であるし、これからも常にそうであろう、しかしそれはまた「明らかに他の諸宗教との会合に対して開かれている」とも語られた。

Correio da manha はレイリア・ファチマの司教であるセラフィム・フェレイラ・エ・シルヴァ司教とファチマ聖堂主任司祭であるモンシニョール・ゲッラがファチマの新しい運営の問題に関してコメントすることを拒否したと報じた。

その状況に関する司教からの何らかのコメントに最も近いものがシスター・ルチアの遺骸の移送と収容のための2月19日、日曜日のミサの間に明らかになった。ここでレイリア・ファチマの司教であるセラフィム・フェレイラ・エ・シルヴァ司教はその説教の中で聖堂のエキュメニカルな、そして諸宗教間の方向づけを擁護された。

ダ・シルヴァ司教は言われた:「われわれはより善い者であることを望んでいる。われわれは、諸宗教間およびエキュメニカルな次元においてさえ、真理、正義、愛そして平和の支配を確立するために、手を貸すことを望んでいる。われわれはより幸せであり、より聖なる者であることを望んでいる。」彼はこのことをシスター・ルチアの遺骸を越えて、そしてファチマ聖堂でのミサに与っている10万人以上の巡礼者たちの前で言われた。 Correio da manha は司教の言葉を2月20日に次のような見出しの下で報じた:「世界の祭壇は諸宗教間の対話を望んでいる。」

司教はまた2006年5月13日までに、自分は「もはや在任の司教としては諸々の儀式に参加せず、ファチマの熱愛者そしてこの地域の住人として参加する」だろうと言われた。注8)このことが意味し得ることは、ただ5月13日までにドン・セラフィム・フェレイラ・エ・シルヴァはもはやレイリア・ファチマの司教ではないであろうということだけである。

未来が保持することは見られるべく残っている。これまでに知られていることは、疑いもなくファチマでその頭をもたげている新しいエキュメニカルな方向づけに反対する世界中の関心あるカトリック教徒たちの抗議によってファチマ聖堂で実際一つの再編成があったということである。

  1. 物語と写真による証拠については、ファチマ・センターによって出版されたJ. Vennari の「ファチマにおけるヒンドゥー教儀式の写真レポート」を見てください。(63p. にある The Fatima Crusader のアドレスに手紙を出し、無料の冊子を請求してください。)またはウェッブでは www.fatima.org/news/newsviews/0704desecrep.asp

  2. Expresso はファチマの司教にすがったのは当時のラッツィンガー枢機卿であったと主張している。一方で Publico という新聞は昨年、ファチマにおける異教徒間の諸事件の説明を求めるヴァチカンの要求は礼拝聖省によって出されたと主張した。( Publico 、2004年10月13日。)

  3. 「ヴァチカン、ファチマにショックを受ける」 Correio da manha 、2004年9月29日。

  4. 「ヴァチカン、ファチマ司教と聖堂主任司祭の辞職を求める」ジョン・ヴェナリ、Catholic Family News ,2004年11月を見てください。これはまたファチマ・センターによってwww.fatima.org/news/newsviews/120804vatican.asp ウェッブ上に載せられている。

  5. 同上。

  6. 「ファチマ、異教徒間の聖堂になるか? -そこにいた者からの報告-」ジョン・ヴェナリ、The Fatima Crusader The Fatima Crusader , Winter 2004, Issue 75 。ウェッブ上ではwww.fatima.org/news/newsviews/111303.asp に。

  7. Saint Francis Xavier, James Brodrick, S.J.,(New York; Wicklow Press, 1952), p. 135.

  8. 「司教は幻視者の墓が霊廟に移されるということを認めている。」Diario de Coimbra, 2006年2月20日。

Portuguese Press Reports:"Fatima Rejects Control by Pope" へ

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作成日:2006/06/27

最終更新日:2006/06/27

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