ファチマ・クルーセイダー

螺旋階段の奇蹟

誰がこのチャペルの不思議な階段を造ったのか、そしてそれはどのようにして支えなしに立っているのか?

ニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル内部の木製の螺旋階段の美しさに誰もが驚く。毎年数千人の訪問者たちはその階段を一つの芸術作品として楽しむことに満足している。しかしそれを検査した専門家たちは頭を振りそしてこうコメントする:「それは不可能なことだ。それは立っていることさえできないはずだ。」それにもかかわらず、その階段は130年の間ずっと立っていた。そして絶えず使用されてきた。シスターたちはその職人が聖ヨゼフ自身だったと確信して来たし、そして多くの人々は今日なおそう信じている。

The Fatima Crusader Issue 83, Summer 2006

カール・R. アルバック

一世紀以上も前1852年の秋、ロレットのシスターたちはミシシッピ河を遡ってセント・ルイスまで、そしてそれから南西部まで旅をするためにケンタッキーを出発した。国を横切る数ヶ月にわたる彼らの旅の間に、シスターたちは多くの苦闘、恐れ、欠乏、病気そしてインディアンの攻撃さえに苦しんだ。当時主としてインディアンたちとメキシコ人が住んでいた小さな町であったサンタ・フェのラミー司教の命令の下で一つの修道院を設立することにおける彼らの困難はそれ自身一つの物語である。

ロレット・アカデミーの歴史

「説明のつかないシスターたち」注1)におけるシスター・M.フロリアンによれば、メキシコ人の大工たちが、シスターたちがサンタ・フェに到着した数ヶ月後に光の聖母のロレット・アカデミーを建設した。ラミー司教の求めでパリにあるサント・シャペルを手本にして一つのゴチックのチャペルの建設が始まったのはそれからおよそ二十年後のことであった。建築家 P.ムーリーによって設計されたそのチャペルは後部に聖歌隊用のギャラリーを持った、幅25フィート、長さ75フィート、高さ85フィートになるはずであった。シスター・バルブールは建設は1873年7月25日に始められ、そして3萬ドルの費用でおよそ五年後に完成したと述べている。注2)

一つの恐るべき誤りが発見されたのは構築物がほとんど完成されてからのことだった。チャペルも[聖歌隊用の]ギャラリーも両方とも美しかった。しかし一方から他方への行くためのいかなる通路もなかったのである。そしてギャラリーの高さのゆえに型にはまった普通の階段はチャペルの中に余りにも多くのスペースを要するであろう。上長は多くの大工を呼び入れた。しかしそれぞれの大工はかわるがわる、ふさわしい階段を建設することは不可能であると言った。それは一つの梯子を用いるか、それともバルコニーを再建するかのどちらかであるという問題であった。

シスターたちはもちろんまったく失望していた。しかし大きな信仰を持つ女性たちであったので、彼らは待ってそしてノヴェナ[九日間の祈り]をすることに決めた。ロレットのシスターたちは聖ヨゼフに大いに信心を持っていたので、このジレンマにおいて彼に向かうことは自然であると思われた。

ノヴェナの最後の日に一人の灰色の髪の毛の男が一匹の驢馬を連れ、一つの道具箱を持ってアカデミーの所で止まった。彼がシスターたちのために一つの階段を建設することができるかどうかを尋ねたとき、上長のマザーは喜んで同意した。

一人の人は仕事は非常に素早く為されたと報告しているが、一方で他の人はそれは6ヶ月から8ヶ月かかったと主張している。当時いたシスターたちによると、その老人が用いた道具は一本の鋸、T定規それに金槌だけだった。彼らはまたたらいに浸けられた木片を見た。その男は支払いを受けることができる前に不思議にも姿を消した。そして地方の材木工場はその事業のために購入されたいかなる木材の記録も持っていなかった。

円形の階段の構造

その建設者が明らかにシスターたちに一つの贈り物として残したその階段は33段と二つの各々360度の旋回から成っている円形である。大抵の木製の円形階段とは違って、それは中央の支えを持っていない。それは上のギャラリーによりかかり、全重量を支えていると思われる底の床の上に載っている。釘よりはむしろ木製のくさびがすみからすみまで用いられていた。

何年にもわたって建築家たちが美と建造物のこの傑作を詳しく調べるために全世界から来たものであった。彼らはそれがどのようにして造られたのか、そしてそれがどのようにして今なお立っていることができるのかに驚嘆しないわけにはいかなかった。ある人々はそれが用いられた最初の時に崩壊したはずだと感じた。にもかかわらずそれは多年にわたる日常の使用に持ち堪えた。

その階段が建設されたときアカデミーに参加した学生たちのうちに、後にロレットのシスターとなった十三歳の少女がいた。彼女はどのように彼女と彼女の友人たちがそれにのぼる最初の者であろうとして、のぼるのに非常に熱心であったかをしばしば語った。しかしながら、彼女たちがギャラリーに着いたとき、自分たちの両手と膝をついておりなければならなかったので彼女たちは非常にこわかった。それはそれ自身一つの芸術作品である手すりが最初の構築物の部分ではなくて、およそ二年後に付け加えられたのものだったからである。

何人かの専門家は曲線の化粧側板の非常な精密さによって特にまごつかせられる。木材は内側で七つの場所において、そして外側で九つの場所において張り合わせられているが、各部分品は一つの完全な曲線の部分を形成している。最も原始的な道具だけで一人の人間によって1870年代にどのようにしてこのことが為されたのかは決して説明されてこなかった。さらに、その木材はある硬い種類のもおであると思われるが、何人かの専門家によればニューメキシコ産のものではない。その男がそれを何処で手に入れたかはいまなお一つの神秘のままである。

偶然に聖歌隊用ギャラリーの上の屋根裏のスペースの中に入り込んだこの建物のための主要な電気設備の再設計に関連して私は何度もこの階段をのぼった。その度に、あたかも二つの360度の回転が一つの大きな螺旋形のバネから取り出されたかのように、私は僅かの垂直的な動きを感じた。現在の上長は、この現代の不思議の歴史を議論する際に、彼女が階段をのぼった数回の間に彼女もまたある程度の弾力性に気づいたと私に告げた。おそらくこれはその構築の秘密の一部分であろう。

ロレット・アカデミーのシスターたちは、この種の出来事について大胆な陳述をすることに躊躇はあるけれども、この階段が聖ヨゼフに対する彼女たちの祈りへの解答であったと確かに感じている。何人かの者はその大工は聖ヨゼフ自身であったと感じてさえいる。

人はその建築的な美しさ、その工学的なデザインそして時代の試練に耐えてきたその健全な構築によって感銘を受けざるを得ない。それを眺め、それが僅かの基本的な道具だけによって一人の年老いた大工の作品であるということを理解するにとき、実際それは一つの奇蹟であると思われるのである。

もしあなたがサンタ・フェを訪ねるならば...ロレット・チャペルは NM 87501,Santa Fe, 207 Old Santa Fe Trail にあります。詳しいことは(505)982-0092 に電話するか、そのウェッブサイトhttp://www.lorettochapel.comを訪問してください。

脚注:(1)Sister M. Florian, O.S.F., "The Inexplicable Stairs", St. Joseph Magazine, April 1960.
(2)Sister Richard Marie Barbour, S.L.,Light in Yucca Land,Centennial Commemorative Volume, Schifani Brothers Printing Co., Santa Fe, New Mexico, 1952.

2006/10/07 三上 茂試訳

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作成日:2006/10/07

最終更新日:2006/10/14

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