ファチマ・クルーセイダー

シエナの聖カタリナはわれわれに忠告する:
「裁いてはいけない - 互いに愛し合いなさい」

The Fatima Crusader Issue 83, Summer 2006

聖カタリナは小さい時から聖なる人であった。六歳の年齢で彼女は彼女の生活を変えた一つの異常な神秘的体験をした。彼女は大罪を決して犯さなかった。二十五歳のときにはすでに彼女はただ聖体拝領だけで生きていた。彼女は身体的に病気の人々や罪に陥っている人々に仕えた。彼女のところに来たどの罪人も回心し、告解に行くことに抵抗することができなかった。彼女が旅行したとき、彼女によってキリストへと勝ち取られた人々の告解をただ聴くためにだけ彼女に五人から七人の司祭たちが同伴することが必要であった。彼女はある人の罪を探り出すことができた。そして彼女と同席することになった誰の霊魂の状態も知る能力を所有していた。われらの主と聖母とはいつも彼女を御訪問になり彼女と親しく話された。彼女は三十三歳で亡くなった。

以下はシエナのカタリナの生涯The Life of St. Catherine of Siena - これはファチマ・センターから入手可能である - からの抜粋である。それは彼女の霊的指導者である福者カプアのレイモンドによって書かれた。

聖カタリナが死の時間が近づいていることを - おそらく明白な啓示によってではなく - 感じたとき、彼女は身のまわりに、主が彼女にローマへと彼女に同伴した人々を与え給うたその全家族を集めた。

彼女は彼らに、徳のうちに耐え忍ぶように、そして私が書き留められたのを見出した、そして列席している人々によって署名されたいくつかの特別の点に触れながら、彼らに一つの長い記憶に残る話を伝えた。私はこれを、これらの点に言及する適切な場であると考える。

彼女の第一のそして基本的な原理は神に奉仕し始めようと望む人々が彼らの心から、その中へと諸々の感覚が入って行くあらゆる種類の愛 - 単に人々に対してばかりでなく、何であれいかなる種類の被造物に対して[向けられる愛]- を取り除かなければならない、そして彼らが創造主である神を誠実に真心をこめて探し求めなければならないということであった。心はそれが他のすべての愛着から解放され、そして単純で開かれていて不誠実から自由でないかぎり、完全に神に与えられることはできない、と言った。

彼女はまた子どもの頃から彼女の一つの目標はこの目的のために働くことであると言った。彼女はさらに霊魂はそれが祈らないかぎり、それがその心を完全に神に与えることができるときもこの完全な状態に達することができないということを理解していた。そして彼女は祈りは必ず謙遜に基づいていなければならず、祈っている人の側でその人自身の徳へのいかなる信頼からも出て来てはならない、その人は、反対に、常に自分自身について、自分は無であるということを認めるべきである、ということを示した。

祈りを絶えざる習慣としなさい

彼女はさらに続けて、祈りは他の諸徳を強め増すが、それに対して、祈りなしには徳は弱められ萎れてしまうということを理解したので、自分は常に祈りを実行するためにできるすべてのことをしてきたと言った。そしてそのように彼女に耳を傾ける人々に祈りのうちに堪え忍びなさいと勧めた。彼女は祈りに二種類ある、すなわち、声に出す祈りと心の中でする祈りである、と言った。そして彼女は彼らに、声を出してする祈りにある決められた時間身を捧げるべきであるが、しかし常に心の中での祈りを実際にか、あるいはきまってか、のいずれかの仕方で、するべきであると教えた。

彼女は再び、進行の光において彼女がまったく明瞭に、彼女自身にたまたま起こったあらゆることそして他のあらゆる人が神から来たのであり、憎しみからではなく、神が御自分の被造物に対して持っておられる大きな愛から来たということを見たと言った。このことから、彼女は神の十戒と神の奉仕者たちに対する愛を心に抱いていた。そして彼女自身の救いのためにか、あるいは彼女の霊魂における徳の増大のためにか、そのいずれかのために彼らの命令が常に神から来るということを堅く信じながら、彼らに即座に従うことを学んだ。

あなたの仲間を裁くことを差し控えなさい

彼女は、心の純潔を得るために人々にとって必要なことは彼らの仲間の人々を裁くことや彼らがすることについて悪口を言うことを差し控え、そして彼らのためにただ神のみ旨に対してだけ尊敬を持つことである、とつけ加えた。このことは人々を裁かない - 何であれどのような理由でも - すなわち、たといわれわれが自分たち自身の目で彼らが罪を犯しているのを見たとしても、彼らを軽蔑してあるいは断罪して何かを言わないということについて多くのことを彼女に言うように導いた。再び、われわれが、ある人が過ちを犯したとうことを発見したとしても、われわれは彼らに対して同情を持つべきであって、彼らのために神に祈り、そして彼らを嘲笑あるいは軽蔑をもって扱うべきではないのである。

彼女は常に神の摂理に大きな希望と信頼を持っていたと言った。そして彼女に耳を傾けている人々に、この摂理は大きくて無制限であるとうことを彼女が経験から学んだと言いながら、彼らにも同じことをするように勧めた。このことに関連して彼女は彼らに、彼らが彼女と一緒にいたとき、主が奇蹟的に彼らの食事のために準備なさった機会にもまたときどきこのことを経験したことを思い起こさせた。そして彼女はこの同じ神の摂理がそれを信じるどの人をも失望させないということ、そして摂理は常にある特別な仕方で彼らと共にあるだろうということをつけ加えた。

「互いに愛し合いなさい」

その聖なるおとめは救世主御自身の教訓をもって彼女の話を終えながら、そして彼らに謙遜にそして繰り返し「互いに愛し合う」よう勧めながら、彼女の人々にこれらのそして他の教えを与えた。彼女はそれ自身甘美で愛すべきものである声で、このことを彼らに繰り返し繰り返し言った:「互いに愛し合いなさい、おお、私の最も親愛な子らよ、互いに愛し合いなさい。!」

もし彼らが真に互いに愛し合うならば、彼らが実際に彼女の霊的な子らであったとうことを、そしてそうであることを望んでいたということを、彼らは示すだろうと彼女は言った。そして彼女は彼らと接触を保ち続け、彼女がなお彼らの母であることを彼らに示すことができるであろう、と言った。さらに、もし彼らが互いに愛し合うならば、彼らは彼女の栄光と彼女の冠であろう、そして彼女は彼らを彼女の子らとして永遠に受け入れながら、主が彼女自身の霊魂の中へ注入なさった有り余るほどの恩寵を彼らの霊魂の中へも注入なさるよう神の善性に対して祈りを捧げるであろう、と。

われらの代理者[教皇]と聖なる教会のために祈りなさい

このこと以外に、彼女は愛から出て来る権威をもって、列席しているすべての人々に、彼らが常に神の聖なる教会の刷新と良き遺産のためそしてキリストの代理者のために望みかつ祈るべきであると告げた。彼女は彼らに、常に、しかし特別に先の七年の間に、彼女の心の中にそのような望みを抱いていた、そしてこの目的のために神の権威と善性に祈ることを、少なくともこれら七年間は、決して忘れることはなかったと告げた。彼女はこの恩寵を得るために彼女が多くの苦痛や病気を受けなければならなかった、そして彼女が話したようなその理由のために最もひどい苦しみを受けていたと、率直に告白した。

教皇と教会のための聖カタリナの犠牲と祈りにわれわれの犠牲と祈りを合わせましょう。イエズスはファチマのシスター・ルチアを通じてわれわれすべてに「教皇のためにたくさん祈る」ことを勧めておられます。

2006/10/17 三上 茂 試訳

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作成日:2006/10/17

最終更新日:2006/10/17

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