ファチマ:世界平和への唯一の道

目次

しばらくの間...だと想像してください アップ(2008/05/04)

あなたは同意しませんか? アップ(2008/05/04)

ファチマ・メッセージの神の是認 アップ(2008/05/07)

単純な表現での神の平和計画 アップ(2008/05/09)

果たされていない一つの約束 アップ(2008/05/13 ファチマの聖母後出現91周年記念日に)

今、世界平和を! アップ(2008/05/14)

世界史における決定的な瞬間 アップ(2008/05/14)

あなたは何をすることができるか? アップ(2008/05/15)

すべての善意の人は何をすることができるか? アップ(2008/05/15)

真理と希望のメッセンジャーたれ アップ(2008/05/15)

われわれは誰であるか? アップ(2008/05/16)

教皇に請願する信徒の義務と権利 アップ(2008/05/17)

しばらくの間...だと想像してください

それによってある特定の国が特別に祝福されそして奉献される一つの短い公的な宗教儀式より以上に複雑なものを何も含まない世界平和達成の手段がある、と想像してください

この儀式はおそらく教皇ベネディクト十六世(あるいは彼の後継者)とカトリック教会の司教たちによって行われ、そして世界に同時に放送される十五分間続くもの、と想像してください

この公的な奉献は実際、単にカトリック教徒のためだけではなく、信じる人々と信じない人々の両方の一般に世界のために目を見張る利益を生み出す、と想像してください

この奉献はあなた自身に対して絶対的にいかなる出費あるいは不便にも関わらせず、あなたのためそしてあなたの愛する人々のために計り知れないほどのよい報酬を産み出すことができる、と想像してください

他方において、もし奉献が行われないならば、あなたとあなたの愛する人々は- あなたの自由の、そして最終的にはあなたの生命の喪失を含む - 破局的な喪失の可能性に直面する、と想像してください

あなたは同意しませんか? 

たとえあなた自身、奉献の効力を疑うとしても、奉献を行う教皇と司教たちから失うものは何もなくすべてのものが得られるであろうということにあなたは同意しませんか?

まさにそのような奉献がファチマのメッセージとして一般に知られているものにおいて指示されています。

ファチマのメッセージは7万人の人々によって目撃された神の壮大な公的奇跡を通じて神によって真であることが証明されました。それはニューヨーク・タイムズを含む世界中の新聞において報道されました。ワーナー・ブラザーズファチマの聖母の奇跡と呼ばれるファチマの出来事に基づいた一つの映画を作りさえしました。

カトリック教会によって認められた御出現の中に、1917年5月から10月までポルトガルのファチマでの聖母マリアの御出現があります。教皇ベネディクト十六世は「二十世紀の最も預言的な啓示」としてそれらの御出現に言及しておられます。

多くの非カトリック教徒でさえファチマのメッセージがカトリック教会によって信じるに値するものとして認められたということを知っています。

教会の承認は徹底的な調査の後に初めて与えられ、そして真正性の抗しがたい証拠がある場合にのみ与えられます。

おとめマリアが三人の子どもたち、ルチア・ドス・サントスと彼女の二人のいとこ、ヤシンタ・マルトとフランシスコ・マルトにファチマのメッセージを打ち明けられたのはこれらの御出現の間でした。シスター・ルチアは2005年2月13日に亡くなりました。彼女の二人のいとこたちは御出現のすぐ後、1919年および1920年に - 御出現そのものにおいて予告されたように正確に - 亡くなりました。

教会で起こることは世界でも起こる

街にいる仮想の人間は2001年9月11日のテロリストの攻撃と聖職者のある成員たちに関するカトリック教会を破滅させる公的なスキャンダルが密接に関連した出来事であるということを知って驚くでしょう。その関連は、二つの出来事がファチマのメッセージのプリズムを通して見られるとき明らかとなります。教会で起こることは世界でも起こるとしばしば言われます。そのことは、本質的に、神の御母が90年前にファチマに来られたとき、警告なさったことです。

あの時以来、もしメッセージに注意が払われなかったならば、聖母のさまざまの懲罰についての預言的な警告はただ一つの警告:さまざまの民族の絶滅、を除いてすべてが実現されてきました。ファチマのおとめが警告なさったそのこと[さまざまの民族の絶滅]は聖母の御要求を間に合うように尊重することに失敗することの最終的なこの世の結果であることでしょう。地獄の深みへの数千万の霊魂の予告された喪失はもちろんこれらの大きなこの世的な災難よりも無限に悪いものです。

聖母の御要求の一つは、教皇と世界のカトリック司教たちがマリアの汚れなき御心に一つの国 - ロシア - の一つの荘厳で公的な奉献(すなわち、神聖な目的のために取っておき、宗教的な儀式において捧げること)を行うことです。聖母はそのお返しとして(他にもいろいろのことがありますが)世界が真のそして永続的な平和の一時期を与えられるでしょうと約束なさいました。

ファチマは真正のものであり、そして一つの義務を課す

ファチマの御出現は一連の教皇たちにようって真正のものであると考えられてきました。そして今、教皇ヨハネ・パウロ二世の布告によってローマ・ミサ典礼書(カトリックの礼拝の基本的な書籍)において公的に記念されています。

ファチマのメッセージの真正性へのさらなるもう一つの証明書として教皇ヨハネ・パウロ二世はヤシンタとフランシスコとを列福し、彼らが模範的な説くの生活を送ったと宣言なさいました - それは彼らが非常に主から祝福され、そして全教会による尊敬に相応しいと考えられたからです -。実際、1982年5月13日、ファチマでの説教の間に教皇はファチマのメッセージが教会に「一つの義務を課している」と宣言されました - この機会に教皇はちょうど一年前に起こった暗殺未遂事件の間の彼の死からの免除をファチマの聖母の介入に帰せられました。

教皇ヨハネ・パウロ二世御自身が認められたように、ファチマでのあの驚くべき諸々の出来事は何らかの無益な見せ物ではありませんでした。神は無益な見せ物に関わられることはありません。これらの出来事は - 無神論者たちや奇跡以前には公的な懐疑論者たちの間にさえ - 一つの疑いの影をも超越してメッセージの真正性を確証しました

ファチマ - 一つの世界的な出来事

ファチマで、神の御母はわれわれの現在の諸状況を明確に念頭に置いて、そして一人の母親の気遣いをもって、地上に来られ、そしてわれわれにそこからの出口 - われわれの時代のために神御自身によって選ばれた道 - を提供なさいました。そういうわけで、ファチマで何が起こったのか、その理解がなければ、今日の教会と世界の状態を理解することはできません。実際、雑誌ニューズウィークでさえ、ファチマの御出現に関連してロシアにおける諸々の出来事を議論しながら、おとめマリアに関するカバーストーリーを載せました。まったく単純にファチマは一つの世界の出来事なのです。

しかも、一つの邪悪さの神秘として見られなければならないことにおいて、おとめマリアの単純な御要求はカトリック教会における何人かの最高の地位にいる高位聖職者たちによる意識的な決定のために満たされないままになっています。われわれはこれらの人々がどのように、ロシアを名を挙げて奉献しないように教皇に助言したかを論証するでしょう。その結果は、まさに聖母が予告なさったように、信者ではない人々の間にさえ、われわれが一つの黙示録の始まりを目撃しつつあるというますます増大している感覚を伴った、カトリック教会における、そして世界の至る所での、ますます深まっている危機なのです。

なぜロシアの奉献なのか?

読者はこう尋ねるでしょう:なぜ神はロシアの奉献にそのような重大性を置かれるのであろうか? と。

その答はもちろんこうです:神のなさり方はわれわれのやり方とは異なるということ、そして、たとえ人間的な知恵にはどのように奇妙に見えようとも、神の預言者たちを通じて与えられたものとしての神の諸々の布告に疑問を呈することはわれわれのすることではないということです。

聖書はこの点に関して一つの解明を提供しています。列王記第四章はシリアの軍隊の指揮官、ナアマンの物語(第5章第1-15節)を告げています。彼は自分のらい病の奇跡的な治癒を願うためにイスラエルにいる預言者エリゼオのところへ出かけました。実際に彼に会うことなしに、エリゼオはナアマンに、癒されるためにはヨルダン川の中で七回身を洗えという指図を与えました。ナアマンはエリゼオが彼の治癒を個人的に管理するために来なかったことに怒りました。彼は、単にヨルダン川で身を洗うことはシリアの優れた川のうちの一つで身を洗うことよりもよいとはおそらく言えないであろう、と感じました。預言者の指示をつまらないものとして拒絶しながら、ナアマンは出発の準備をしました。しかしながら、彼の助言者たちは彼に説得して思いとどまらせました。彼らは、もし預言者が彼に癒されるために何か困難な行いを求めたのであれば、ナアマンはそれを疑いなくしたであろうと主張しました。それゆえ、その代わりに求められた見かけの上ではつまらない作業をなぜ単純にしないのですか? 実際、かれらは彼にこう言いました:あなたは何か失うべきものを持っているのですか? ナアマンはこのことに基づいてそれを試してみることに同意しました。そして十分確かなことに、ヨルダン川で七回身を洗ったとき、彼のらい病は消えました。

強い類似点

聖書のこの奇跡的な出来事とロシアの奉献に関して何人かの教会当局者たちが今取っている態度との間には一つの際だった類似点があります。ナアマンと同じように、これらの当局者たちはロシアの奉献のように単純なある事柄が本物の世界平和のように重大な利益を産み出すことができるということを信じることができないように見えます。しかしながら、ナアマンの助言者たちとは違って、彼らは彼らの指導者 - この場合には、教皇 - に預言者の忠告に文字通り従う必要はないと告げています。そして、彼らは、カトリック聖職者のうちの非常に多数の人々を含む何百万人もの信徒からの何十年にもわたる繰り返された訴えにもかかわらず、救済策が試みられることを許すことさえしないほどに、その問題についての彼らの見解において頑強に自責の念を持っていないように見えます。

ファチマの要求に対する反対

多くの(高位の人々を含む)カトリック教会人たちによるおとめ[マリア]の要求の実現を妨害するためのこの奇妙なキャンペーンは政治的な正しさについての教会の中での等価のもの - 非カトリック諸団体に不快感を与えることを避けたいという欲求、そして「エキュメニカルな対話」を阻みたくないという欲求 - によって動機づけられていると思われます。ファチマに対するこれらの高位聖職者たちの態度はまた、教会を世界に対してより「オープン」にするために、第二バチカン公会議以来カトリック教会を「最新のものにする」ための大規模な努力とも一致しています。教会の現在の状態は、この実験の40年後に、古い信仰の代わりにカトリシズムの一種の政治的に正しい修正を課する公会議後の努力を反映しています。

もしファチマのメッセージが真にわれわれの時代のための天からの預言であるならば、そのときこれらの改革主義的な高位聖職者たちは、たとえ彼らが非常によい意図をもって行動して来たと仮定するとしても、われわれすべてが耐えることを強いられている教会の危機と世界の危機に対して責任の大きな部分を担っています。カトリックの教会人たちによるファチマに反対する一つのキャンペーンについて話すことはけしからぬことだと言う人々に対しては、われわれはただおとめ[マリア]御自身の言葉でもって答えることができるだけです:

もし私の諸々の要求に注意が払われるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和がやって来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは諸々の戦争と教会に対する諸々の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう。善人は殉教するでしょう。教皇は多く苦しむでしょう。さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」注1)

ロシアは回心しませんでした。「合法化された」中絶のホロコーストを含むロシアの諸々の誤謬は世界中に広まりました。世界の中で中絶を「合法化した」最初の国は1920年代のロシアでした。

平和は存在しません。そして信者でない人々でさえ諸民族の絶滅の恐怖のうちに生活しています。教皇聖大グレゴリオの言葉を繰り返すならば、「真理が抑圧されるよりはスキャンダルが起こる方がよい - 特にこの場合においてそうであるように、真理が地球的な大災難と永遠の破滅へ向かう数百万の多くの霊魂たちの喪失を避けることができるときには -

いずれにせよ、ここでのわれわれの提案は、ナアマンに対して彼の遙かに賢明な助言者たちによって出された同じ質問に対する唯一の理に適った答えがあるということをどの客観的な観察者にも明らかにしなければなりません:「神の預言者が指定したことをただ正確に行うことによって何か失うものがあるのですか?」何もありません。

ファチマ・メッセージの神の是認

神は奇跡を無駄にお使いになることはありません。救済史を通じて - ヨシュアからモーゼへ、十二使徒へ、諸世紀を通じてずっとカトリック教会の諸聖人へ - 神は一つの最も重要な目的のために:すなわち、神の名において奇跡を嘆願する一人の証人のための神による信用証明として役立つために、奇跡をお与えになりました。神が一人の証人をお選びになるとき、そしてそれから一つの真正の奇跡をその証人の証言と結びつけられるとき、われわれはその証人が信じるに値するということを確実なこととして知るのです。神は信頼できない証人たちを保証するために奇跡をお与えになることはありません。神は信頼できない証人たちをお選びになることはありません。

神は奇跡を無駄にお使いになることはない

いいえ、神は奇跡を無駄にお使いになることはありません。まして神は、その証言が疑われていた三人の証人たち:ルチア・ドス・サントス(ルチアとして世界に知られている)と彼女のいとこたち、フランシスコ・マルトとヤシンタ・マルト、によって三ヶ月も前に予告されていたまさにその瞬間に正確に起こった、7万人の人々、信者そして信者でない人々も同じように、によって目撃された一つの公的な奇跡を、無駄にはお使いになりません。注2)

1917年10月13日にファチマのコヴァ・ダ・イリアとして知られたつつましやかな野原に、一つの奇跡の起こるのを待つためにおよそ7万人の人々が集まりました。このことはそれ自体驚くべきことです。救済史においてこれ以前には一人の幻視者が一つの公的な奇跡が正確な時間と場所で起こるでしょうと三ヶ月も前に予告したことは決してありませんでした。それ以前にはそのような大群衆が一つの予告された公的な奇跡を目撃するために集まったことはありませんでした。しかもそのことは正確にこの日に起こったことです。

なぜこの日だったのでしょうか? それはルチア・ドス・サントスと彼女のいとこたち、フランシスコとヤシンタが5月以来毎月13日に「貴婦人」からの出現を受けていたからです。その貴婦人はコヴァにある一本のトキワガシの木の上で彼らに出現していました。そして出現の度毎に群衆は増えていきました。しかし、ポルトガルが反キリスト教的、反カトリック的なフリーメーソンの政治体制の支配下にあった当時、幻視者たちや彼らの家族に対する嘲笑の言葉や迫害と同様に幻視者たちの真実性についての疑惑もまた増大していました。

大きな秘密

そしてそれから、1917年7月13日に、その貴婦人は彼らにある事柄を示されました。それは彼らを恐れさせ、そして罪人たちのために祈りそして犠牲を捧げながらその生活(フランシスコとヤシンタの場合には非常に短い生活)を過ごすであろう聖人たちにしながら、彼らを永遠に変えるものでした。

秘密の第一の部分

カトリック教会が信じるに値するものだと考えた証言においてルチアが詳しく話しているように、その貴婦人は彼らに地獄を示されました:

「彼女(聖母)はその前の二ヶ月の[御出現の]間にされたと同じように、もう一度その手を広げられました。光線が大地を貫くように見えました。そして私たちはいわば火の海を見ました。この火の中に悪魔たちと人間の姿をした[永遠に地獄に落とされた]霊魂たちが投げ込まれていました。それらは透明な燃えている燃え残り、皆真っ黒にされた、あるいは磨きをかけられた青銅のようであり、大火の中をあちこち漂い、今度は彼ら自身の内部から煙りの大きな雲と一緒に発せられた炎によって空中へと上げられ、今度は苦痛と絶望の叫びやうめきのただ中で重さあるいは平衡を失って巨大な火の中の火花のようにあらゆる方向へ散らばって落ちて行きました。その光景は私たちを怖がらせ、恐怖で震えさせました。(人々が私の叫び声を聞いたと言ったように、私に叫び声を上げさせたのはこの光景だったにちがいありません。)悪魔たちは、燃えている石炭のような黒いしかし透明である恐ろしいそして未知の動物たちのような彼らの恐れさせるそして嫌悪感を起こさせる似姿によって[永遠に地獄に落とされた霊魂たちから]区別することができました。注3)この幻視はほんの一瞬しか続きませんでした。最初の御出現において、私たちを天国へ連れて行くと約束なさることによってすでに私たちに心の準備をさせておられた私たちの親切な神の御母に対して私たちはどのように十分に感謝を捧げることができたことでしょう。さもなければ、私たちが恐怖のために死んでしまっただろうと私は思います。」注4)

ファチマの大きな秘密の第一の部分であると考えられる、永遠に地獄に落とされた者たちの運命を子どもたちにお示しになった後、その貴婦人は次に子どもたちに第二の部分を打ち明けられました。注4)

秘密の第二の部分

バチカン当局の成員たちを含むすべての人はシスター・ルチアの日記の中に記録されたものとして、秘密の第二の部分が次のようなものであるということで一致しています:

「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。」

「このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために戻って来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう、云々。このことを誰にも言ってはいけません。フランシスコには、ええ、言ってもよいです。」注5)

この驚くべきメッセージの基本的な諸要素は以下の通りです:

それにもかかわらず、ファチマの聖母はこう約束なさいました:「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

ロザリオの祈りをするという緊急の要求

これらの事柄に聖母はカトリック教徒は「ロザリオを毎日祈りなさい」という緊急の要求をつけ加えられました。聖母はまたロザリオの祈りは各連の終りに次の祈りを含むようにと求められました。「おお、わがイエズスよ、われらの罪を赦し給え、われらを地獄の火より救い給え。すべての霊魂、殊にそれを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。」聖母の御要求に従順に、そしてファチマでの聖母の御出現の真正性への証拠として、教会はこの祈りをロザリオに加え、そしてカトリック教徒はそれを今日まで唱えています。

五回の初土曜日の信心

教会はまた償いの聖体拝領の初土曜日の信心をも採用しました。聖母はそれを次のように説明なさいました:「私は、引き続く五ヶ月の初土曜日に、私に対して償いをするという意向をもって、告解をし、聖体拝領をし、聖なるロザリオ五連を唱え、ロザリオの十五の玄義を黙想しながら十五分間私と共にいる人々の霊魂のところに、救いのために必要なすべての恩寵をもって、死の時に来ることを約束します。」

第三の秘密

われわれはここでついでに(別の小冊子における議論のために)秘密の最初の二つの部分の最後にある奇妙な文言:「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」に注目するために、ちょっと止まることにします。「云々」で終わっているその不完全な文言はシスター・ルチアの御出現の第四の手記のうちに現れています。それは明らかに、信仰の教義が常にそこでは保たれるであろう、特にポルトガルから区別された教会全般におけるカトリック教義への信奉の状態について、まだ公表されていない聖母のさらなる言葉を含んでいる神の予告を導入しています。

それだけが孤立していれば、ポルトガルにおけるカトリック教義への信奉についての言葉は余計でまたまったく無意味です。なぜなら、その文言は秘密の最初の二つの部分からは論理的にまったく結果として生じないからです。世間に認められたすべてのファチマ学者はこのことから、その文言は秘密の第三の部分の始まり - 単純にファチマの第三の秘密として知られるようになった - を表していると結論づけました。

シスター・ルチアは第三の秘密の内容によって非常に怖れさせられたので、1943年10月にそれを書き留めるように彼女の司教によって公式に命令された後でさえ、その後に起こった1944年1月2日の後出現 - その中で聖母は彼女にそれはなされなければならないということを保証なさいました - までは、命令に従おうと二ヶ月間毎日格闘したにもかかわらず、そうする気になることができませんでした。封印した封筒の中に入れて第三の秘密のテキストをファチマの司教に引き渡す際にも、シスター・ルチアは司教にどちらが最初に来たとしても彼女の死の時か、あるいは1960年に - しかし1960年よりは遅くならないように - それを世界に明らかにすることを約束させました。なぜ1960年なのでしょうか? 彼女が後に証言するであろうように、聖母は、秘密がそのときには「もっと明らかになっている」(mais claro )であろうがゆえに、そう望まれたのです。

今日に至るまで、バチカンは、明らかに「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」に続くおとめ[マリア]の言葉を決して明らかにしてきませんでした。「云々」[の中身]は秘密のままです。この秘匿の行為はファチマ・メッセージを葬り去るための何人かのカトリック教会人たちによるキャンペーンの緊要な部分です。[第三の秘密全体がまだ明らかにされていない(2008年3月現在)ということの証明のために、以下の書物を読んでください:The Secret Still Hidden.(秘密はまだ隠されている)。またThe Fatima Crusader, Issue 64 およびThe Devil's Final Battle という書物 - これらはすべてp. 63 にある[ファチマ・センターの]アドレスから入手可能です。]

奇跡的な確証

神御自身から教会と全人類にとって明らかに重大な重要性をもつ一つのメッセージを受け取ったとき、ルチアは彼女と彼女のいとこたちが、信じられるべきであるならば神の信任状を必要としているのだということを知っていました。7月13日の御出現の間にシスター・ルチアは貴婦人に「あなたがどなたであるかを私たちに告げてくださるように、そしてあなたが私たちに御出現になっているということをすべての人が信じるように一つの奇跡を働いてくださるように」願いました。そしてその貴婦人はこうお答えになりました:「毎月ここに来続けなさい。10月には私が誰であるか、そして私が何を望んでいるかをあなたに告げましょう。そしてすべての人が見て信じるようになるために一つの奇跡を行いましょう。」注6)その貴婦人はこの約束をルチアと他の幻視者たちへのさらなる御出現において、8月に、そしてふたたび9月13日にコヴァで繰り返されました。

そしてそれゆえに人々は10月13日にはコヴァに大群衆となって集まりました。その御出現は予告された時間に - 太陽時の正午、あるいはポルトガルにおける時計では午後1時30分に - 太陽が空中のその最高点にあった時に、正確に始まりました。ルチアは突然群衆の中の人々に、コヴァを泥の海に変えていた土砂降りの雨の真っ最中に、彼らの傘をすぼめるようにと告げます。彼女はそれから恍惚状態に陥ります。そして貴婦人は、再び御出現になりながら、ルチアに御自分が何を望んでいるかを最初に告げられます:「私は信徒たちに、彼らの生活を改め、彼らの罪の赦しを願うように警告するために来ました。彼らはわれらの主にもうこれ以上背いてはなりません。主はすでに余りにも多く背かれておいでだからです。」

彼女はまたこう言われました:「私はここに私への敬意のしるしとして一つのチャペルが建てられることを望みます。私はロザリオの貴婦人です。」その貴婦人は神の御母、おとめマリアであり、彼女はそれ以後またファチマの聖母という称号の下に知られるようになるでしょう。それは教会によって祝せられたおとめ[マリア]に対して与えられた多くのそのような称号の一つです。(チャペルはもちろん建てられました。そしてオウレムのフリーメーソンの市長のためのニックネームである「ブリキ屋」のフリーメーソンの仲間たちによってそこに仕掛けられた一発の爆弾によって1922年3月6日に吹き飛ばされた後に、再建されました。)注7)

太陽の奇跡

われわれは、おそらくこの問題においてえこひいきのために非難されることはできない一人の報告者の証言を - そして一つのしかるべき理由のために! - ここで詳しく述べることにします。われわれはアヴェリーノ・デ・アルメイダの名前を挙げます。彼はリスボンの最大の「リベラルな」反教会権力的でフリーメーソンの日刊紙 O Seculo の編集主任でした。彼はこう書いています:

「馬車が混み合っており、そして数千人の人々がぬかるみの大地を横切って前進するのに十分な勇気を持たないために立ち止まっている道路から、われわれは巨大な群衆が雲から出て天頂にきらきら輝く太陽の方を振り向くのを見た。それは一枚の銀の円盤に似ていた。そして少しの不快さも伴わずにそれを凝視することができた。それは両眼を焼かなかった。それはひとを盲目にしなかった。われわれはそれが蝕を産み出したと言ってもよかったであろう。それからすさまじい叫びが鳴り響いた。そしてわれわれのすぐ側にいた群衆がこう叫ぶのを聞いた:『奇跡だ!奇跡だ!...不思議だ!...不思議だ!』その態度がわれわれを聖書の時代へと移ったかのような気にさせた人々、そしてものが言えないほどに驚き、むき出しの頭で、空の青さを凝視している人々の眩んだ目の前で、太陽は震動した。それはすべての宇宙的な諸法則からはずれて奇妙なそして突然の動きをした。農民たちの典型的な表現に従えば『太陽が踊った』...」注8)

反教会権力的なすべての新聞によって猛烈に攻撃されて、アヴェリーノ・デ・アルメイダは、14日後に、彼の評論雑誌 Ilustracao Portuguesa において彼の証言を繰り返した。今回は彼はその説明を巨大な狂喜した群衆の多数の写真でもって例証した。そして彼の論攷の至る所で「私は...を見た...私は...を見た...私は...を見た」を一つの同じことの繰り返しとして繰り返した。そして彼はこう結論づけた:「人々が叫んだように、奇跡なのか? 専門家たちが言うように、自然現象なのか? 今のところそのことは私にとってはどうでもいいことである。私はただ私が見たことを語っているにすぎない...その他のことは科学の、そして教会の問題である。」注9)

10月13日土曜日はその前日の夜からずっと雨だったために償いの巡礼として始まった。今や、「ほこりまみれの道路を激しい雨によってぬかるみの湿地へと変え、秋の甘美さを冬の身を切るような厳しさと、一日の間に置き換えるこの ほとんど突然の天候の変化は、彼らを動かすこと、あるいは彼らを断念させる、あるいは絶望させることに成功しなかった。」注10)

目撃についての多くの説明を比較することによってわれわれはすべての人によって見られた驚くべき現象のさまざまの局面とその結果とを区別することができます。諸々の現象の各々のためにそれら自体が一つの印象的な書物を構成するであろう諸々の目撃の十数ページを集めることができるでしょう。

目撃者の報告

ここにおびただしい数の信用し得る目撃者たちのうちの一人によって記述された最初の驚くべき事実があります:

「子どもたちがいた正確な場所で淡い、きれいなそして青みがかった雲の柱が立ったのは午後1時30分であったに違いありません。その柱は彼らの頭上おそらく2メートルほどまで拡がっており、そしてその高さで蒸気になっていました。完全に裸眼に見えるものであるこの現象は2,3秒の間続きました。それがどのくらい長く続いたか気をつけていませんでしたので、私はそれが1分間よりも長かったかそれとも短かったかを言うことはできません。その煙は突然散らされました。そしてしばらく後にそれは二度目に再び起こりました。それから三度目に...」

「低いそして重い空は非常に暗い色をしており、湿気を帯びていました。それは大量のそして長く続く雨を降らせました。御出現の時の間に雨はすっかり止みました。突然空が明るくなりました。太陽はその時までそれを隠している雲の厚い層を勝ち誇ったように突き破りました。そして強烈に輝きました。」(アルメイダ・ガレット博士)注11)

天候のこの急激な変化はすべての目撃者たちをあっと言わせました:

「その日は激しいそして連続的な雨の日でした。しかし奇跡の数秒前に雨は突然降り止みました。」(アルフレド・ダ・シルヴァ・サントス)

そして、太陽が目に害を与えることなしに直接見られるのを許す、説明不可能な太陽の銀色化に関するある物理学者、科学者からの以下の証言があります:

「突然私は数千人の人々がわめき叫ぶ声を聞きました。そして私は私の足下であの広大な場所に拡がっている大群衆が...その時まで彼らのすべての期待がそこへ集中させられていたあの場所に彼らの背を向けて、他方の側にある太陽を見ていました...私もまた、彼らに見ることを要求している地点の方へ向きを変えました。そして私は太陽を見ることができたのです。それはその鋭い縁をもった非常に透明な円盤のようでした。それは視覚を損なうことなしに輝いていました...それは霧を通して見た太陽(その瞬間には霧は出ていませんでした)と混同されることはあり得ませんでした。なぜなら、それはヴェールをかけられたのでもなく、またぼやけてもいなかったからです。ファチマではそれはその光と熱とを保ち、そして一つの大きなゲーム用のテーブルのように、鋭い縁をもって、空にくっきりとかかっていました。最も驚くべきことは、目を害することなしに、あるいは網膜に傷を与えることなしに、光と熱をもって輝いている太陽の円盤を長時間凝視することができることでした。」(アルメイダ・ガレット博士)注12)。

O Seculo の編集主任による以下の証言も同じ調子です:

「そしてそれからわれわれは、もしあなたがそれを目撃していなかったならば信じることができない、一つの類のない大仕掛けな見せ物、途方もない見せ物を目撃しました。道路の上の方から...われわれは巨大な群衆が太陽の方へ向きを変えるのを見ます。太陽は雲から出て天頂に現れました。それは鈍い銀色の平皿のように見えました。そして全然不快感なしにそれを凝視することができました。私は両眼を焼くことはありませんでした。私は盲目になりませんでした。」(1917年10月15日の論攷)

そして同様に:「人々は、われわれが月を注視するのと同じように、太陽を注視することができました。」(マリア・ド・カルモ)注13)

人は、ある反教権的な新聞の世俗的な編集主任によってさえ目撃された次のような太陽現象についての証言を果てしなく増やすことができるでしょう。以下のものをよく考えてみてください:

「それは揺れ動き、そして震えました。それは火の車のように見えました。」(マリア・ダ・カペリーニャ)注14)

「太陽は虹のすべての色を帯びながら、火の車のように回転しました。」(マリア・ド・カルモ)注15)

「それはそれ自体回転している雪の球のように見えました。」(ロウレンソ神父)注16)

「真珠のような円盤はめまぐるしい動きをしていました。これは一つの星がそのすべての輝きにおいてきらきら光っているようなものではありませんでした。それは猛烈な速さでそれ自身が回転していました。」(アルメイダ・ガレット博士)注17)

「ある瞬間に太陽は止まりました。そしてそれから再び踊り始め、回転し始めました。それは再び止まりました。そして再び踊り始めました。」(ティ・マルト)注18)

「太陽は虹のすべての色を帯びました。あらゆる事物:すなわち、われわれの顔、われわれの衣服、大地自身がそれらの同じ色彩を帯びました。」(マリア・ド・カルモ)注19)

「その色が一つの瞬間から次の瞬間へと変化した一つの光は人々と諸々の事物に反射していました。」(ペレイラ・ゲンス博士)注20)

次に起こったことは奇跡の最も恐ろしい局面を、そしてその中で人間が空からの火でもって全世界を破壊する能力を完成したわれわれの時代に対する重大な影響をもった局面を構成しています:太陽は空から離れて大地に向かって突っ込んで来るように見えました。

「われわれは突然、あの群衆全体の苦痛の叫びのような、一つの大きな叫び声を聞きました。事実、太陽はその回転の急速な運動を保ちながら、それ自身を天空から解放し、そして血のように赤くなって、その燃えさかるかたまりでもってわれわれを押し潰そうと威嚇しながら、大地の方へ突っ込んで来るように見えました。それは恐ろしい数秒間でした。」(アルメイダ・ガレット博士)注21)

「私は太陽が回転するのを見ました。そしてそれは降りて来るように見えました。それは自転車の車輪のようでした。」(ジョン・カレイラ)注22)

「太陽は踊り始めました。そしてある瞬間にそれは天空から離れて、火の車のように、われわれに向かって突進してくるように見えました。」(アルフレド・ダ・シルヴァ・サントス)注23)

「私はそれがあたかも地上に激突しに来たかのごとく完全に降りて来るのを見ました。それは空から離れ、われわれの方へ向かって突進してくるように見えました。それはわれわれの頭上で短い距離を保っていました。しかしその種の攻撃の持続時間は非常に短いものでした...それは人々の非常に近くに見えました。そしてそれは反対の方向へと変化し続けました。」(マリア・ド・カルモ)注24)

「突然、太陽はその円周がはっきりした形で現れました。それはあたかも雲の高さまで降りるかのように降りて来ました。そして一つの閉じ込められた火の球のようにめまぐるしく旋回し始めました。何回か中断しながら、この旋回は8分間ほど続きました。」(ペレイラ・ダ・シルヴァ神父)注25)

「それは突然、大地を脅しながら、ジグザグに降りて来るように見えました。」(ロウレンソ神父)注26)

「われわれの上に落ちて来る太陽を見ながら...」(ジョン・ゴメス神父)注27)

「最後に、太陽は止まりました。そして誰もが助かった安堵の吐息をもらしました...」(マリア・ダ・カペリーニャ)注28)

「あの数千人の人々の口から私は喜びの叫び声といとも聖なるおとめ[マリア]への愛の叫び声を聞きました。そしてそれから私は信じました。私は暗示の犠牲者ではなかったことについて確信を持ちました。私は再び見ないであろうような太陽を見たのです。」(マリオ・ゴディーニョ、エンジニア)注29)

もう一つの驚くべき事実:その大部分が徹底的にびしょぬれであったあのすべての人々が、自分たちが乾いているということを喜びと驚きをもって事実であることを証明したのです。その事実は、最終的に2000年5月13日に列福されたヤシンタとフランシスコのための教会法上の訴訟手続きにおいて確証されています。

「人がそれをまったく期待していなかったであろうその瞬間にわれわれの衣服は完全に乾いていました。」(マリア・ド・カルモ)注30)

「私の衣服は一瞬のうちに乾きました。」(ジョン・カレイラ)注31)

アカデミー会員、マルケス・ダ・クルスは次のように証言しました:

「この巨大な群衆はびしょぬれでした。なぜなら、明け方から雨が止むことなく降っていたからです。しかし - このことは信じられないことと見えるかも知れませんが - 大きな奇跡の後には、誰もが心地よいと感じました。そして彼の衣服がまったく乾いていることを見出しました。これは大多数の人に共通する不思議の主題です...この事実の真理は、私が子どもの時から知っており、そして今も生存している(1937年)絶対的に信用のおける何十人もの人々によって、同様にまたこの国のさまざまの地域出身のまだ現存している人々によっても、最大の誠実さをもって保証されてきました。」注32)

そして最後に、また多くの人々の回心という道徳的な奇跡もありました。『目撃者たちに会う』(Meet the Witnesses )という彼の書物の中でジョン・ハッファートはこう書いています:

「山岳兵連隊の将校はその日 - 群衆の集合を中止させる命令を受けていた - 直ちに回心しました。明らかに、彼らの証言が示すであろうように、多くの他の不信仰者たちもそうでした。」注33)

「一人の普通の女の子を見るためにファチマに出かけた『ばか者たち』を嘲りながらその朝を過ごした一人の不信仰者がそこにいました。彼は今麻痺したように見えました。彼の目は太陽に釘づけになりました。彼は頭から足まで震え始めました。そして両腕を上げながら、神に叫び声をあげて泥の中に跪きました。」(ロウレンソ神父)注34)

「私はファチマから18マイル離れた所に住んでいます。そして1917年の5月にわれわれは驚くべき御出現について話を聞きました。しかしそのニュースは人々の幻想と混ぜ合わされてわれわれのところに届きました。当然私は信じませんでした。私はそれは単に誰かある者の想像の産物であると心から思いました...私の母の要求で、私は8月の御出現の時にコヴァ・ダ・イリアに一度行きました。もう一度、私は落胆させられ、そして失望させられて帰って来ました。しかしそのとき何か驚くべきある事が起こりました。長年の間その片一方の目に大きな腫瘍を持っていた私の母が癒されたのです。彼女を診ていた医師たちはそのような治癒を自分たちは説明することができないと言いました。それでもなお私は御出現を信じませんでした。最後に、そして再び母の要求で私は10月13日にもう一度コヴァ・ダ・イリアに行きました...私の母に起こったことにもかかわらず、私は失望させられ、そして御出現を信じませんでした。それで私は車の中に坐っていました。その時突然、私は誰もが空を見るのに気づきました。自然的な好奇心が私の注意を惹きました。そして車から出て、私も空を見ました...数万人の人々の口から私は信仰と祝せられたおとめ[マリア]への愛の言葉を聞きました。そしてそれから私は信じました。」(マリオ・ゴディーニョ、エンジニア)注35)

治癒と回心の他の多くの例は、他の箇所にもありますが、以下の書物の中に記録されています:Documentacao Critica de Fatima および Fatima from the Beginning 注36)

奇跡はその場の「集団ヒステリー」の産物であったと言うであろう人々に対しては、神御自身が一つの用意のできた反駁を手配なさいました:すなわち、その現象はファチマで何が起こっていたかを彼らに知らせる人を周りに誰も持っていなかった25マイルも離れた個々の人たちによってさえ見られたのです。コヴァ・ダ・イリアから非常に遠く離れた所にいた完全に信用のできる目撃者たちが、おとめ[マリア]の御出現になったトキワガシの木の周りに集まった7万人の巡礼者たちと正確に同じように、太陽のダンスという先例のない見せ物を見たと話しました。注37)

ファチマからおよそ10マイルの所に位置するアルブリテルの小さな村では、全村あげてその太陽の驚異の光景を楽しむことができました。しばしば引用された証言はイナシオ・ロウレンソ神父の証言です。というのは、それは最も詳細なものだからです。しかし、彼が見たと語っていることは、調査者たちによって質問されたすべての村民が正確に同じ仕方で見たと確証しました。

その出来事の目撃者たちは実際数え切れないくらいおおぜいでした。彼らの証言は一致しています。そしてわれわれは彼らがわれわれに残した文書の洪水に襲われます。注38)

まず第一に、数多くの説明が一度にポルトガルの新聞に現れました。最初に証言を提供した人々が反教権的な報告者たちであったということは注目すべきことです。アヴェリーノ・アルメイダの三つの論攷 - その出来事の直前の10月13日の論攷、13日の夕方に Vila Nova de Ourem で編集された10月15日の他の論攷、そして10月29日の第三の論攷 - は特別の注目に値します。部分的に最初の論攷に霊感を与えているひやかしの論調とヴォルテール式の皮肉にもかかわらず、15日の論攷においてなお現れている予期された反教権的な論調にもかかわらず、一人の才能を持ったレポーター - 彼はその上誠実で良心的です - から出ているこれらのテキストは第一級の重要性を持った歴史的文書です。しかし彼は諸事実を語る唯一の人物ではありませんでした。なぜなら、他のレポーターたちがコヴァ・ダ・イリアにはいたからです。

次に、諸々の公式的な調査がありました。1917年11月に、当時リスボンの司教区を指導していたリマ・ヴィダルの司教の要求で、ファチマの小教区司祭が調査を行い、小教区の何人かの目撃者たちに質問をしました。不幸なことに、彼はただ四例の証言録取書だけ書き写しました!

歴史家たちの諸々の調査が幸いなことに公式的な調査者たちの不注意を埋め合わせました。フォルミガオ神父 - 彼はコインブラ大学理学部教授ホセ・マリア・デ・アルメイダ博士から非常に詳しい説明を得ました - の報告はわれわれが所有している最も科学的な報告です。注40)その上に、われわれはダ・フォンセカ神父の諸々の報告を持っています。(彼の仕事は証拠を検討することを拒否したダニス神父注41)によって反論された諸点の正しいことを立証するためになされました)われわれはデ・マルキ神父、カノン・バルタス、ディアス・コエリョ神父そしてリチャード神父の報告を持っています。

1977年には、最後の御出現の60周年記念日を祝うために、ファチマに太陽の奇跡に立ち会い、そしてかれらの記憶をはっきり述べることができる30人以上の人々を集めることがまだ可能でした。これらの多くの証言のおかげで、確かに世界の歴史の中でも最も重要な日の一つである、この決定的な日を時間毎に、分毎にわれわれに体験することを許す一つの正確な実況放送を再構成することができるのです。実際、1917年10月13日の太陽の奇跡の証拠は非常に圧倒的でしたので、1952年にハリウッドでさえファチマの聖母の奇跡 The Miracle of Our Lady of Fatima という題名の古典的な映画 - これは今日でもビデオで利用可能です - を公開することによってその真正性を保証したほどです。

疑いを超えて

なぜこの日はそのように重要なのでしょうか? それは神の御母からの天のメッセージがいかなる筋の通った疑いをも超えて真だと証明された日だからです。このメッセージは90年後に、われわれにそこから抜け出す唯一の実現可能な道を提供しながら、人類の歴史におけるまさにこの瞬間に教会と世界の危機的な状況の中心に立っています。

単純な表現での神の平和計画

「現代世界」の「啓発された」精神の持ち主たちはマリアの汚れなき御心にロシアを奉献する一つの単純な公的儀式が、すべての民族の間の平和を含む全世界に対する巨大な諸利益をそれと共にもたらすあの国[ロシア]の回心を産み出すことができるという考えを嘲笑します。しかしながら、「現代世界」は奇跡一般を嘲笑し、そして実際、その諸聖人がそのように多さにおいて奇跡を行った教会の神的主張を嘲笑します。

しかしロシアの奉献はまさに1917年10月13日の太陽の奇跡でもって神が本物であることを証明なさったそのメッセージにおいて神がお命じになったことです。われわれは1917年7月13日のメッセージの中で聖母がルチアに「私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために戻って来るでしょう」と約束なさったということを思い起こします。その御言葉通りに、おとめ[マリア]はスペイン、トゥイにおいて1929年6月13日にルチアに再び御出現になりました。そこで、ルチア - その時にはドロテア会修道女シスター・ルチア・ドス・サントス(彼女は1948年まではカルメル会修道女とはならないでしょう) - は礼拝と償いの聖時間の間修道院の聖堂において祈っていました。カトリック教会の諸聖人への天からの御出現の記録の中でさえ、この御出現は並はずれたものでした。

われわれはシスター・ルチアに彼女自身の単純なしかしまったく劇的な言葉においてその御出現を詳しく話してもらうことにしましょう - そしてここでもまたわれわれが、教会と教皇ヨハネ・パウロ二世および教皇ベネディクト十六世を含む諸教皇が信じるに値すると宣言なさった一つの御出現を取り扱っていることを覚えておきましょう。

トゥイの幻視

「私は木曜日から金曜日まで午後11時から真夜中まで聖時間をすることを求めて私の上長たちと聴罪司祭たちから許可を得ていました。ある夜独りでいる時に私はひれ伏して天使の祈りを唱えるために聖堂の中央の聖体拝領台の前で跪きました。疲れを感じましたので、私は起きあがり、そして跪きました。そして私の両腕を十字架の形に組んでその祈りを唱え続けました。唯一の光は内陣の[聖体安置を示す]ランプから来ていました。」

「突然、一つの超自然的な光が聖堂全体を照らしました。そして祭壇の上に天井に届く光の十字架が現れました。より明るい部分に、十字架の上の方に一人の男の方の顔と腰までの身体を見ることができました。その胸のところには同様に光り輝く一羽の鳩がいました。そして十字架に釘づけにされたもう一人の男の人の身体がありました。」

「その方の胴の少し下のところに、空中に浮いて一つのカリスと一つの大きなホスチアを見ました。ホスチアの上には十字架につけられた方の顔から、そしてその方の胸にある傷から数滴の血が落ちていました。これらの[血の]滴はホスチアを伝わってカリスの中へ流れ落ちていました。十字架の右側の腕の下には聖母(その片手に汚れなき御心を持たれたファチマの聖母)がおられました...(十字架の)左側の腕の下には大きな文字が、いわば祭壇の上に流れ下る水晶のように透明な水で書かれたかのようにあり、これらの文字は『恩寵と憐れみ』という文字を形作っていました。」

「私は、私に示されたのがいとも聖なる三位一体の神秘であることを理解いたしました...」注42)

フレール・ミッシェルはこの御出現を正当に「三位一体の神の顕現」と呼びました(以下に掲げたある画家による解釈を見てください。)

もちろん、神は文字通りの意味において、キリストがその肉において見られ得るようには、人間の目によって見られることはできませんが、この「神の顕現」は神によってその三位一体の本性の一つの視覚的な表現として認められました。太陽の奇跡についてそうであったと同じように、世界の歴史においてかつて記録されたそのような現象は何一つありません。このように、神御自身、ファチマの聖母がいとも聖なる三位一体の現前においてシスター・ルチアに話そうとされたことの並はずれた重要性をお示しになったのです。聖母はこう言われました:

「神が、この手段によってそれ(ロシア)を救うことを約束なさりながら、教皇に、世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするようにお求めになる時が来ました。」注43)

神御自身このことを要求しておられます。シスター・ルチアは、まさに神そのもの、いとも聖なる三位一体の現前において、神の名において話される神御自身の御母の口からこの要求を受け取りました。シスター・ルチアは、直ちにこの神の要求を彼女の聴罪司祭ゴンサルヴェス神父に、彼との彼女の公表された文通のうちに反映されているように、伝えました。注44)

次の75年間シスター・ルチア - オウレムのフリーメーソンの市長によって投獄され恐ろしい死をもって脅迫されたけれどもファチマの真実を否定しようとしなかったその同じルチア - は同じ証言を与えました。聖母は、神のメッセージの伝達者として、教皇と世界のすべての司教たちとによって一緒に行われるべき一つの儀式においてロシアの荘厳で公的な奉献を要求なさいました。

世界が享受するであろうものの前触れ

おとめ[マリア]が要求なさった奉献の効力をあたかも証明するかのように、神はいわば、ポルトガルにおいて一つの証明を許すことを適当と見られました。1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、そしてそのイベントのためにファチマに来た30万人の信徒たちの列席する中で、ポルトガルの司教たちは彼らの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。これらの善良な司教たちは、ヨーロッパ中、特にスペインに吹き荒れていた共産主義の伝染病からその国を保護するために聖母の御保護の下にポルトガルを置きました。実際、世界の至る所へのロシアの諸々の誤謬の拡がりというおとめ[マリア]の預言は情け容赦のない正確さですでに実現されていました。1917年の7月に、誰が - ボルシェヴィキ革命とレーニンの権力掌握の数ヶ月前に - ロシアから発する世界共産主義の出現を予見することができたでしょうか? ただ神だけがそれを予見することができたのです。神の御子によって知らされた神の御母だけが予見することができました。

三重の奇跡

この(1931年の)奉献の結果として、ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。ここに、われわれはただ最低限の項目だけを挙げることにします。

カトリック・ルネッサンス

まず最初に、一つの壮大なカトリック・ルネッサンス、その中を生きてきた人々がそれを疑いもなく神の働きに帰したほどにそのように際だったカトリック生命の偉大な再生がありました。この時期の間、ポルトガルは司祭の召命における激烈な急増を享受しました。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になりました。諸々の宗教的共同体も同様に増えました。キリスト教的生活の大きな刷新がありました。それはカトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示されました。

このカトリック・ルネッサンスはそのように重要なものであったので、1942年にポルトガルの司教たちは共同司牧書簡において次のように宣言しました:「25年前にその目を閉じ、そして現在その目を開いた人は誰でももはやポルトガルをそれと識別しないであろう。ファチマでの祝せられたおとめ[マリア]の御出現のつつましいそして見えない要因によって行われた変化はそのように大きいからである。実際、聖母はポルトガルを救うことを望んでおられるのだ。」注45)

政治的および社会的な改革

そこにはまた、カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もありました。1931年の奉献のすぐ後に一人のカトリック教徒の指導者がポルトガルにおいて権力の座につきました。カトリック反革命計画を正式に開始したアントニオ・サラザールです。彼はできる限り、そこで政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力しました。注46)社会主義と自由主義の猛烈な反対者として、彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対しました。注47)

平和の奇跡

これらの驚くべき宗教的および政治的な変化に加えて、二重の平和の奇跡がありました。ポルトガルは共産主義の恐怖から、特に隣りで荒れ狂った(1936-39年)スペイン市民戦争から守られました。そしてポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れました。

スペイン市民戦争に関しては、ポルトガルの司教たちは1936年に、もし聖母がポルトガルを守ってくださるならば、彼らはマリアの汚れなき御心への国家の奉献を更新することによって彼らの感謝を表明すると誓いました。彼らの言葉に忠実に、1938年5月13日に彼らは聖母の守護に感謝して聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新しました。セレイェイラ枢機卿は公衆の面前でこう認められました:「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来...神の特別の祝福がポルトガルの地に下りました...特に、もしわれわれがわれわれの誓約以来過ぎ去った2年間を回顧するならば、神の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせて、守ってくださったことを認めないわけにはいきません。」

教皇ピオ十二世さえ、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明されました。ポルトガルの人々への挨拶の中で、教皇は「そのように脅威的でそのようにあなたがたに近かった、そしてにもかかわらずそのように思いがけない仕方で避けられた赤の危険」について話されました。注48)

ポルトガルの人々はこの最初の危険を無傷のままに過ごしましたが、しかし直ちに二番目に彼らの面前ににらみつけるものがありました。第二次世界大戦が勃発しようとしていました。1917年7月13日のおとめ[マリア]の預言のなおもう一つの実現において、「ある未知の光によって照らされた一夜...」(1938年1月25-26日)に引き続く「ピオ十一世の在位の時に」戦争が始まったのでした。

1939年2月6日、宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアは彼女の司教モンセニョール・ダ・シルヴァに手紙を書きました。彼女は彼に戦争が差し迫っていると告げました。しかしそのとき一つの奇跡的な約束について話しました。彼女は言いました:「この恐るべき戦争において、

ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」

そしてポルトガルは戦争の諸々の恐怖を免れたのです。その詳細はここで詳しく述べるには余りにも数が多すぎます。注50)さらに驚くべきことには、シスター・ルチアは1940年12月2日に、もし司教たちが彼らの国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、他の国々が受けたであろう戦争の間の特別の保護をポルトガルが受けていたということを彼に告げるために、教皇ピオ十二世に手紙を書きました。彼女はこう書きました:「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのこの国の奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々ももし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」注51)

同様に、ポルトガルのセレイェイラ枢機卿はこの時期の間聖母がポルトガルのために得られた大きな恩寵をファチマの聖母に帰することを躊躇されませんでした。1942年5月13日に彼はこう言われました:「ここで25年の間に起こってきたことを表現するためにポルトガルの語彙はただ一つの言葉しか持っていません:それは奇跡という言葉です。そうです、われわれはポルトガルのすばらしい変化をいとも聖なるおとめ[マリア]の保護に負っていると確信しています。」注53)

セレイェイラ枢機卿はわれわれがここで主張していることを主張されたのです:すなわち、聖母がポルトガルのために、その国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎないということです。注53)枢機卿が言われたように:「ポルトガルにおいて起こったことは奇跡を宣言しています。そしてそれはマリアの汚れなき御心が世界のために準備なさったことを予示しています。注54)

平和について聖書は何と言っているか?

聖書はわれわれに人類がもはや戦争をしない時が来るであろうと告げています。旧約聖書において預言者たちはわれわれに人類が彼らの剣をすきの刃先に変えるであろうと告げています。すなわち、彼らは、ミサイル、戦車、爆弾、銃、そして生物兵器のような戦争の諸々の道具をリサイクルして、それらを食物を生産する道具に変えるであろうということです。

聖書はまたわれわれにこう告げています:獅子は子羊と共に横たわるであろう。そして子羊は傷つけられることはないであろう。子どもはその手を毒蛇の巣の中に入れるであろう。そしてその子どもは傷つけられないであろう、と。

平和は、聖トマスと聖アウグスティヌスがわれわれに告げているように、秩序の静けさです。神は、われわれが世界中あまねくこの静けさを持つであろう時が人類の歴史において来るであろうことを約束なさいました。われわれはまさに今その預言を成就しようとしています - そしてそれは神が御自分の聖なる御母を通じてファチマでわれわれにお与えになったメッセージです。われわれは世界的な真の平和のための処方箋を持っているのです。

果たされていない一つの約束

ファチマのおとめ[マリア]が三人の幻視者たちに次のように約束なさって以来90年以上が経ちました:「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献されるでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」おとめ[マリア]が約束なさった世界平和の時期はどこにあるのでしょうか? なぜ世界は - 特に「9/11」の事件そしてイラクとアフガニスタンの戦争以来 - 戦争と戦争の噂が満ちているように、黙示録的な破滅の瀬戸際をさまよっているように見えるのでしょうか? その答は実際まったく単純です:おとめ[マリア]の約束が、彼女の要求がま尊敬されて来なかったために果たされなかったからです。

一つの単純な要求:ロシアの奉献

シスター・ルチアは彼女の生涯を通してずっと、ファチマのおとめ[マリア]がまさしく一つの荘厳で公的な儀式において世界の司教たちと一緒に[なされる]教皇によるロシアの奉献を要求なさったという彼女の証言において不動でした。このことについての証拠はたくさんあります。ここにいくつかの例があります:

1936年5月18日にシスター・ルチアは彼女の聴罪司祭ホセ・ベルナルド・ゴンサルヴェス神父 S.J.に、彼の質問に答えて、手紙を書きました:「私は今なおロシアの奉献を強調すべきでしょうか?」- 彼の教皇との接触の経過の中で - 。彼女はこう答えました:「あなたが主張すべきですって? 私は知りません。最近私はわれらの主に話していました。そして主になぜ、教皇があの奉献をされることなしに主がロシアを回心させられないのかをお尋ねしました。それでイエズスはこうお答えになりました:『それは、全教会があの奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果後になって教会が汚れなき御心への信心を私の聖心への信心のそばに置くようになることを私が望んでいるからである』と」。

1940年10月24日にシスター・ルチアは彼女の霊的指導者たちのうちの一人グルザの司教によって、教皇に手紙を書き、そしてロシアの「特別の言及」を伴った世界の奉献を求めるように、命じられました。これは、教皇に何かあることをさせるための司教による一つの試みでした。というのは、先の10年の間、ピオ十二世、彼の前のピオ十一世はロシアを奉献せよという繰り返された要求に応えることに失敗しておられたからです。

シスター・ルチアの往復書簡は、彼女がこの指示によって非常にうろたえたということを明らかにしています。なぜなら、彼女はファチマの聖母が世界の奉献ではなくて、ただロシアの奉献だけを要求なさったということを知っていたからです。しかしながら、シスター・ルチアは、従順[の誓約]の下に置かれていましたから、顕示された祝せられた秘跡[聖体]の前での祈りのうちにわれらの主のところへ行き、彼女がどうすべきかを主に尋ねました。われらの主は彼女にお答えになりました。そして主はグルザの司教が求めたことを第二次世界大戦の日々を短くすることによって報いてくださるが、しかしそれは、すべての司教たちと一緒の教皇によるロシアの明示的な奉献がもたらすであろうような、世界の平和をもたらさないであろうと言われました。1940年12月2日にシスター・ルチアはロシアの特別の言及を伴った世界の奉献を願って教皇に手紙を書きました。

1980年4月13日に、彼女はウンベルト神父に、これはファチマの聖母が要求なさったことではなかったということを明らかにしながら、彼女が彼女の司教への従順の下にだけこの要求をしたと、書くことになるでしょう。

1942年10月31日に、そして再び1942年12月8日に、教皇ピオ十二世はロシアへの間接的な言及を伴って世界を奉献されました。第二次世界大戦に関するその6巻の著作においてウィンストン・チャーチルは1943年初頭に(ピオ十二世によって行われた奉献のほとんど直後に)「運命のちょうつがい」が同盟諸国に有利なように変わったと報告しています。そしてそれ以後同盟諸国は、それ以前には負けていたのに、ほとんどあらゆる戦闘で勝利しました。それにもかかわらず、1943年の四旬節の間に

「われらの主は再びシスター・ルチアに『現在の苦境(すなわち第二次世界大戦)』はピオ教皇による世界の奉献のために『短縮されるであろう』けれども、世界平和は教皇と司教たちによるロシアの明示的な奉献なしには与えられないであろうと告げられました。」

1946年7月15日に、著名な著作家で歴史家のウィリアム・トマス・ウォルシュはシスター・ルチアにインタビューをしました。それは彼の重要な著作『ファチマの聖母』(Our Lady of Fatima)- ところでこの書物は百万部以上売れました - において詳しく述べられています。この書物の最後の部分に現れているこのインタビューの間に、ウォルシュ氏は彼女に[教皇と司教たちの]共同奉献のための正しい手続きについて的を射た質問をしました:

「ついにわれわれは7月の第二の秘密についての重要な主題に到達しました。それについては非常に多くの異なったそして矛盾するバージョンが公表されてきました。ルチアは、聖母が御自分の汚れなき御心への世界の奉献を要求なさらなかったということを明らかにしました。聖母が明確に要求なさったことはロシアの奉献でした。もちろん、彼女は、教皇ピオ十二世が1942年に汚れなき御心に、ロシアではなくて、世界を奉献されたという事実についてコメントしませんでした。しかし彼女は一度ならず、そして意図的に強調して、こう言いました:『聖母が望んでおられることは教皇と世界のすべての司教たちがある特別の日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献されることです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させられ、そして平和がやって来るでしょ。もしそれがなされないならば、ロシアの諸々の誤謬は世界のあらゆる国に広まるでしょう』と。」注55)

シスター・ルチアは明快で率直です。神によって要求された共同奉献はロシアの奉献であって、世界の奉献ではありません。ロシアの奉献は同じ日に、世界の司教たちと一致して、教皇によってなされなければなりません。

それから1950年代初期にシスター・ルチアに対する聖母のあまりよく知られていない啓示があります。それはイタリアのカトリック司教団の後援の下に発行された Il Pellegrinaggio Della Meraviglie の中で詳しく述べられています。おとめマリアは1952年5月にシスター・ルチアに御出現になり、こう言われました:「私が私の汚れなき御心へのロシアの奉献を常に待っているということを教皇に知らせなさい。その奉献なしには、ロシアは回心することができないでしょうし、また世界も平和を手にすることはないでしょう。」注56)

このように、教皇ピオ十二世の1942年の世界奉献の10年後に、われわれは聖母がシスター・ルチアに、ロシアが名を挙げて奉献されないならば、ロシアは回心しないであろうし、また平和もやって来ないであろうということを思い起こさせられていることについての報告を持っているのです。

30年後、1982年にシスター・ルチアの証言は、教皇ヨハネ・パウロ二世の、汚れなき御心に世界を - しかしロシアの言及なしに - 奉献する儀式にもかかわらず不動のままでした。1982年5月12日、試みられた1982年奉献の前日、にバチカン自身の L'Osservatore Romano はサレジオ会の司祭ウンベルト・マリア・パスクアーレ神父のインタビューを公表しました。そのインタビューの間に彼女はウンベルト神父に、聖母が世界の奉献を要求なさったことは一度もなく、ただロシアの奉献だけを要求なさったのだと告げました:

「ある時私は彼女にこう言いました:『シスター、あなたに一つ質問したいのですが、もしあなたが私に答えることができないならば、それでいいのです!しかしもしあなたが答えることができるならば、私はあなたにとても感謝するでしょう...聖母はかつてあなたに聖母の汚れなき御心への世界の奉献について話されたことがありますか? 』」

「『いいえ、ウンベルト神父様! 決してありません!1917年にコヴァ・ダ・イリアで聖母はこう約束なさいました:私はロシアの奉献を求めるために戻ってくるでしょう...1929年にトゥイで、聖母は、約束なさったように、私にあの国(ロシア)の奉献のために教皇に求める時が来たと告げるために、戻って来られました。』」注57)

この証言はウンベルト神父宛の手書きの手紙の中でシスター・ルチアによって確証されました。それをその司祭はまた公表しました。(以下の写真による複製を見て下さい。)

その手紙の訳は次の通りです:「ウンベルト神父様、あなたの質問に答えて、私は次のように明らかにしましょう:ファチマの聖母はその御要求の中で、ただロシアの奉献にのみ言及されました... - コインブラ、13 IV - 1980(署名) シスター・ルチア」

再び、1983年3月19日に教皇ヨハネ・パウロ二世の要求で、シスター・ルチアは教皇使節ポルタルピ大司教、ラセルダ博士そしてメッシアス・コエリョ神父と会いました。この会合の間にシスター・ルチアは、1982年の教皇ヨハネ・パウロ二世の奉献が聖母の御要求を満たさなかったと確証しました。シスター・ルチアはこう言いました:

「1982年5月13日の奉献の行為においてロシアは奉献の対象であるものとしては現れませんでした。そして各々の司教は彼自身の司教区で償いとロシアの奉献の公的で荘厳な儀式を組織しませんでした。教皇ヨハネ・パウロ二世はただ、1942年10月31日にピオ十二世によって行われた世界の奉献を更新されました。この奉献から私たちは何らかの利益を期待することができます。しかしそれはロシアの奉献ではありませんでした。」注58)

彼女はこう結論しました:「ロシアの奉献は聖母がそれを要求なさったようにはなされませんでした。私は聖座の許可を得ていなかったがゆえに、そのことを言うことができませんでした。」注59)

1年後、1984年3月25日に教皇ヨハネ・パウロ二世は、その中で彼が再びロシアではなくて、「世界」を奉献された奉献の行為を行われました。1982年の奉献の場合と同じように、「各司教は彼自身の司教区において償いとロシアの奉献の公的かつ荘厳な儀式を組織しませんでした。」この儀式に関して、フレール・フランソワはこう書いています:「1982年の行為の単に更新にしか過ぎなかった1984年3月25日の奉献の行為に続いた数ヶ月において、ファチマの主要な学者たちはロシアの奉献は、神がそれを望まれたようにはまだなされなかったと言う点で一致しています。」注60)

そのようなものがまたアントニオ・マリア・マルティンス神父、注61)そしてメッシアス・コエリョ神父の確信でした。コエリョ神父は彼がその発行者-編集者であった Mensagem de Fatima においてこう宣言しました:「ロシアの奉献:それは今回もまだなされないであろう。」彼はさらにこう説明しました:「より多いものはより少ないものを含んでいることは確かである。それゆえに、明らかに『世界の奉献』はおそらく明確にロシアを奉献することの代わりをする力を持っているという印象を与えるであろう。しかしながら、問題は論理的な用語で解決され得ないし、また組織神学の光においてさえ解決されえない。」注62)

これらの神学者たちは彼らの陳述を単にロシアの奉献が「ロシア」という言葉に言及する必要があるというありのままの事実に基づかせただけではなく、またシスター・ルチア自身の証言にも基づかせました。

1984年3月22日木曜日、奉献の行為の三日前、コインブラのカルメル会はシスター・ルチアの77回目の誕生日を祝っていました。彼女はその日に、彼女の習慣的行為であったように、彼女の古い友人エウジェニア・ペスタナ夫人を接待しました。カルメル会修道女である彼女の友人に幸運を祈る挨拶をした後に、ペスタナ夫人はこう尋ねました:「ところで、ルチア、日曜日は奉献[の日]ですね?」 すでに教皇の奉献の祭式文のテキストを受け取り読んでいたシスター・ルチアは一つの否定的なしるしをしてこう宣言しました:「あの奉献は決定的な性格を持つことはできません。」注63)

Sol de Fatima における1985年のインタビューにおいて、教皇は1984年に世界を奉献したとき、聖母の要求を果たされたかどうかをシスター・ルチアは尋ねられました。シスター・ルチアはこう答えました:「すべての司教様方の参加がありませんでした。そしてロシアの何らの言及もありませんでした。」彼女はそれからこう尋ねられました:「それでは奉献は聖母によって要求されたようにはなされなかったのですか?」それに対して彼女はこう答えました:「ええ、なされませんでした。多くの司教様方はこの行為に重要性があるとは全然お考えになりませんでした。」注64)

その「進歩主義的な」見解のためによく知られているルネ・ローランタン神父でさえ、1986年に「シスター・ルチアは満足していないままにとどまっている 注65)...ルチアは奉献が、聖母がそれを欲しておられたようには、『なされなかった』と考えているように見える」注66)ということを認めました。

それから、1987年7月20日に、シスター・ルチアは投票に行っている間に彼女の修道院の外ですばやくインタビューされました。ここで彼女はジャーナリストのエンリケ・ロメロにロシアの奉献は要求されたようにはなされてこなかったと告げました。注67)

ロシアはなぜ奉献されなかったのか?

それでは、なぜロシアは奉献されて来なかったのでしょうか? なぜわれわれはその代わりにロシアの言及を伴わないで世界を奉献する諸々の儀式を持ち続けて来たのでしょうか?

最も単純な可能的な言葉において、その答はバチカン当局のあるメンバーたちが教皇に、いかなる奉献の儀式においてもロシアの名を挙げないようにと助言して来たということです。というのは、彼らの見解においては、このことはロシアを「怒らせるもの」として、そしてバチカンが第二バチカン公会議以来実験して来た「エキュメニカルな関係」に害を与え得るであろうロシア正教会への侮辱として、見られるであろうからです。この態度は Inside the Vatican の2000年11月号において一人のバチカンのある地位にいる高位聖職者によってはっきりと確証されました。「教皇の最も親密な助言者たちのうちの一人」としてだけ認められている指導的な枢機卿であるこの高位聖職者は「もしローマが、あたかもロシアが、キリスト教以後の西欧を含む世界全体が重大な諸問題に直面しているときに、特に助けを必要としているかのように、そのような祈りの中でロシアの明確な言及をするならば、ローマはロシア正教会がそれを一つの『侮辱』と見なすのではないかと恐れている...」という趣旨のことを[述べたとして]引用されています。同じ枢機卿-助言者はこうつけ加えました:「余りにも字句に捕らわれて融通のきかない心の持ち主になることに気をつけましょう。」

このように、「ローマ」 - その意味するところは教皇に助言するバチカン当局の少数のメンバーたちですが - はロシアの公的な奉献をというファチマの聖母の明確な要求に敬意を表さないことに決定しました。聖母の明確な要求を尊敬することのこの失敗へと導いた歴史的な諸々の出来事はここで論じるには余りにも錯綜しています。読者には『悪魔の最後の戦い』『世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている』を調べることをお勧めします。それらの書物は両方ともファチマのメッセージとカトリック教会における現在の危機との間の関係の詳細な研究を与えます。

世界の奉献は十分ではないのか?

教皇ヨハネ・パウロ二世の1984年の世界の奉献はロシアの奉献のためには十分である、というのは、結局のところ、ロシアは世界「の一部」であるからだ、と論じられます。そうでないとのシスター・ルチアのすべての証言を今のところわきへ置くとして、この議論は単純な常識の適用の下にすぐに消えてしまいます。

辞典によれば、奉献するという言葉は「聖なるものと宣言することあるいは聖なるものとして取って置くこと:教会を奉献する」(American Heritage Dictionaryを意味します。その言葉の意味の辞典の例はわれわれの目的のために完璧です。ある地方司教が、新しいその教会は司教区「の一部」であるという理屈に基づいて彼の司教区全体を奉献することによって礼拝のための一つの新しいカトリック教会を奉献することができないということは単純な常識です。明らかに、ある特定の教会の建物を礼拝のために奉献するためには、その建物は司教区にある他のすべての建物から取って置かれそして明確にカトリックの礼拝の場所だと宣言されなければなりません。

さらに、誰もロシアが特に奉献されたと考えないように、そこからロシアのいかなる言及をも意図的に除外した一つの儀式においてロシアが奉献され得ると論じることは論理を無視しています。Inside the Vatican において引用された枢機卿の言葉を思い起こすならば、バチカン当局の何人かのメンバーたちは「ロシアが特に助けを必要としている」という印象を与えることを避けようと望んでいます。しかしロシアが霊的な援助を特別に必要としていることはまさにおとめ[マリア]が彼女の汚れなき御心へのあの国の奉献を要求なさったその理由です。そしてそれはまた、なぜシスター・ルチアが、繰り返し繰り返し、ロシアの、そして他ならぬロシアの奉献は世界がファチマの聖母の諸々の約束を手に入れるために神が要求なさっていることであると、証言したか、その理由なのです。

シスター・ルチアは彼女の証言を「変えた」のか?

(バチカン当局の何人かのメンバーたちを含む)ロシアの奉献の反対者たちはカトリック教徒たちに、シスター・ルチアが彼女の以前のすべての陳述を否認したのだと説得しようと企てて来ました。そして今は1984年の世界の奉献がロシアの奉献のために十分だったのだと言っています。この点に関して彼らが創り出すのに失敗した唯一の事柄はシスター・ルチア自身でした!その代わりに、彼らはコンピューターで作製された手紙 - 1989年の、彼女が署名したとされる手紙 - のようなそのような「証拠」(シスター・ルチアは手紙を書くためにコンピューターを使用したことが一度もない修道院の壁に閉じ込められた修道女でした)を差し出しています。奉献が1984年に成し遂げられたと述べているそのそうだとされる手紙は、教皇パウロ六世が1967年にファチマを訪問された間にマリアの汚れなき御心に世界を奉献されたというそのさらなる陳述によって一つの明白なにせものとして明らかにされています。実際、パウロ六世はそのような奉献を行われませんでした。真のシスター・ルチアは、教皇の御訪問の間ずっと列席していたのですからそのような間違いをすることはできませんでした。その御訪問の間、パウロ六世は絶対に何も奉献されませんでした。

シスター・ルチアは世界の1984年奉献の不十分さに関する彼女の証言を自分自身で否定するために[皆に]披露されたことは一度もありませんでした。さらに、もしそのような否認が、彼女の上長たちへの従順を装ってシスター・ルチアから引き出されたならば、それは彼女自身の自由なそして自発的な陳述を表すものではないでしょう - それはちょうど、世界を「ロシアの特別の言及」を伴って世界を奉献するようにというピオ十二世へのシスター・ルチアの要求が彼女の考えではなくて、彼女の司教-聴罪司祭の考えであった - そのことを彼女はただ従順の下でのみ彼女の手紙の中で表明しました - のと同じです。

ロシアは回心を経験することに明らかに失敗した

たとえわれわれがわれわれの常識とシスター・ルチアの不動の証言との両方をわきに置くとしても、なお、一つの事実に対してはいかなる議論もない(contra factum non argumentum est)という聖トマス・アクィナスによって教えられた人間理性の原理があります。すなわち、誰が何を言おうとも、反対のことを言う誰の権威であろうとも、一つの事実は否認されることはできない、ということです。このように、たとえ教皇御自身がエッフェル塔はサン・ピエトロ広場にあると宣言されたとしても、そのことがそれをそうすることはないでしょう。なぜなら、エッフェル塔がパリにあるという事実に対してはいかなる議論もないからです。それゆえに、世界の奉献はロシアの奉献のために十分であると宣言する教会の中の権威を持った人々 - そして教皇はこれらの権威をもった人々の間には明らかにおられません - でさえ、一つの否定し得ない事実を負かすために単なる「権威からの議論」を用いることはできないのです。

ファチマが関係するところでは、否定し得ない事実は、ロシアが1982年および1984年における世界の奉献以来回心しなかったということです。しかしおとめ[マリア]は御自分の汚れなき御心へのロシアの奉献に引き続いてロシアは「回心するでしょう」、そして御自分の汚れなき御心は世界平和の一時期に「勝利するでしょう」と約束なさいました。教会がファチマのメッセージを神の御母の真正の預言として是認したとすれば、われわれは二つの二者択一に直面しているのです:すなわち、神の御母がわれわれを欺かれたのか、それとも世界の奉献をロシアの奉献の代わりとさせた人々がわれわれを欺いたのか、そのいずれかの二者択一に直面しているのです。神の御母はわれわれを欺くことはお出来にならないからして、第二の二者択一が唯一の論理的な結論です。

経験的な証拠もまたわれわれに第二の二者択一を受け入れることを強います。1982年と1984年の世界の奉献以来、ロシアは単に回心することに失敗しただけではなくて、一つの劇的な霊的、道徳的および物質的な衰微を経験しました。われわれはここでこの点に関して圧倒的な証拠のいくつかを要約しましょう:

I:ロシアは明らかにカトリック信仰に帰依することに失敗しました。そしてこのようにしておそらく回心したとは言われ得ないのです。

おそらく二十世紀の第一位のファチマ専門家であるホアキン・アロンソ神父はシスター・ルチアと多くのインタビューを行いました。1976年に彼はこう書きました:

「...われわれは、ルチアが常に、ロシアの『回心』は、ソ連のマルクス主義的無神論を拒否するロシアの人々の正教会というキリスト教の宗教への立ち帰りに限定されるべきではなくて、むしろそのことが、唯一の真のキリストの教会、すなわちカトリック教会への純粋に、明確にそして単純に全体的、総体的なロシアの回心を言うのだと、考えていたと主張すべきです。」注68)

この文脈においては、カトリック教徒たちは「回心」という言葉がカトリシズムへの回心以外の他の何かあるものを意味するように理解したことは決してありません。それゆえに、ある人がそうしているように、「回心」によって神の御母 - この方はまたカトリック教徒たちによってカトリック教会の御母という敬称の下に知られておられます - が、ロシアは1991年に起こった「共産主義の崩壊」に引き続いて正教会という宗教に帰依するだろうということを意味なさったと主張することはばかげたことです。カトリック教会の御母は非カトリック的な宗教へのロシアの回心を知らせるためにファチマに来られたのではありません。その上、ロシア正教は聖母がファチマに御出現になったときにはすでにロシアにおける支配的な宗教でした。それゆえに、この議論に従えば、ロシアはすでに1917年に「回心していた」ことになるでしょうし、そしてロシアは「回心するでしょう」というファチマの聖母の陳述は無意味なものであったことになるでしょう。

II:ロシアはロシア正教へさえ「回心し」ませんでした。

今日、1984年のそうだと考えられているロシアの奉献の23年以上後に、自らをロシア正教徒であると称している人々のほとんどすべてが彼らの宗教を実践していません。The Economist は「ロシアは信仰の危機を経験しつつある」、そして18歳から29歳までの年齢のロシア人の 94% が教会に行っていないと述べています。注69)

III:ロシアは(驚くほどのことはないのですが)1984年以来急速に道徳的堕落を加速させている状態にありました:

もっと多くの事実

「ロシアにおけるカトリック教徒たちは自問している:次に何が起こるか? 良心の自由、彼ら自身の司牧者を持つ権利 - それは、81年間にわたってカトリック教会がそれ自身の司祭たちを養成し、叙階する権利を奪われたきたことを忘れずに、司牧者たちを海外から招くことを含んでいる - を含む憲法上の諸々の保証は、彼らにとってもまた有効なのか? おそらく、国家はカトリック教徒を二級の市民と実際に考えているのか? 彼ら(国家)は信仰の迫害の時代へと戻りつつあるのだろうか? ...どんな法律にも違反していなかった司教の追放は国家と教会との間の文明化された関係のすべての考えられる限りの限界を超えている...深刻に心配しながらわれわれは、カトリック教徒の憲法上の諸権利の侵害に関してわれわれの決定的な抗議を表明する。」注82)

カトリック教会はまた「かつての」ソビエト連邦においても攻撃されている

隣接した「かつての諸ソビエト共和国」においてはカトリック教会にとっては事情はいっそう悪いです。ルーマニアにおいては、少なくともスターリンによって盗まれた11のカトリック小教区が1990年の「共産主義の崩壊」後にそれらの正当な所有者たちに戻されるよりはむしろその基礎に至るまでブルドーザーでならされてしまいました。ベラルーシにおいては、カトリック世界ニュース・サービス(Catholic World News Service=CWN)が2002年1月10日に、「カトリック教会に対する心配させる新しい敵意の徴候がある」、そして「国家のラジオ放送での日曜日のミサの放送が警告なしにキャンセルされた」と報道しました。CWN が述べたように、「ベラルーシは公式には世俗国家である...その権威主義的な大統領アレクサンドル・ルカシェンコは彼自身無神論者であると公言しているが、にもかかわらず、ベラルーシのロシアとの『統合』という彼の政策において正教会を支持することを大事にしている」のです。2002年11月に、ルカシェンコはカトリック教会を含むすべての宗教団体を、登録要求、出版前のすべての宗教的文献の政府による承認の要求そして私的な家庭における大部分の宗教的会合の禁止を含む国家の規制に従属させる法案を法律にすることに署名しました。ベラルーシ、カザフスタン、モルドヴァ、ルーマニア、トランシルヴァニアそして「かつてのソビエト連邦」における至る所でのカトリック教会に対する迫害の証拠は無限に増やすことができるでしょう。

プーチン - 新しいスターリン

このすべてのことを通じて、ウラディーミル・プーチンはソビエト型の独裁制のまったく廃止されることが決してない諸要素を再び集めることに忙しかったのです。「ロシアの最後の独立したテレビ局は、この国の放送メディア全体をクレムリンの統制下に置きながら、昨日閉鎖された。」注85)- それはロシアにおける諸々の司教区の問題についてカトリック教会を公然と非難してきたその同じ放送メディアでした。あたかも一つの予めアレンジされたスケジュールによってであるかのように、同じ事柄がウクライナでも起こっています。「自由の松明は - それが古いソビエト社会主義連邦の地域の大部分を横切って持っているように、最後の独立したメディア局が政府によって沈黙させられること、一人の遠慮なくものを言う評判のよいジャーナリストの殺人を巡って続いている論争と共に、かつてのウクライナ・ソビエト共和国においてますます薄暗くなった。」注86)「共産主義の崩壊」以来ジャーナリストを含む多くの殺人や致命的な「事故」がありました。「債権集め」や「税金逃れ」という口実の下での彼のマス・メディアの組織的な乗っ取りと相まって、プーチンはソビエト国歌を復活させ、ロシア諸州に対するクレムリンの統制を強化し、そして赤色シナとの軍事的および外交的「友好」条約に調印しました。プーチンはソビエト時代のルビヤンカ刑務所(ソビエト・グーラーグ[強制収容所]の絶頂)とソビエト時代の殺し屋フェリックス・ジェルジンスキーを称賛する記念カレンダーの製作を命じさえしました。あなたは思い起こすかもしれませんが、KGB を創設し、カトリック司祭たちの拷問と処刑を公認し、そしてレーニンのロシア中産階級殺害を統轄したのはジェルジンスキーでした。そのカレンダーは戦略的に FSB と改名された KGB の役所で用いるためです。

不可解の偶然の一致によって、ウラディーミル・プーチンの全国的な崇拝が「自発的に」起こっています:

「プーチン大統領の崇拝は昨日数千人の学生たちがクレムリンの壁の下で[大統領]就任一周年記念日を祝ったとき新しい勢いを得た。そこで多くの者がプーチン氏の顔で装飾された T-シャツを着た集会はかつての KGB 大佐 - 彼はすでに児童図書、彫像そしてメディアにおける媚びる報道において不朽の名声を与えられている - に対して卑屈に振る舞うことの新しい深さを測った。弁士たちはその偉大な指導者への彼らの称賛においてお互いに出し抜こうと努力した。彼らのレトリックは今や官僚制度、議会そして国営放送を支配しているプーチン体制擁護者たちの思考の中へ新しい諸々の洞察をもたらした。」注87)

これらの政治的な新事態はソビエト反体制派の物理学者アンドレイ・サハロフの未亡人、イェレーナ・ボンナーによって次のように要約されました:「プーチンの下で現代化されたスターリン主義の導入における一つの新しい段階が始まった。権威主義はより残酷なものとなり、社会は軍国主義化され、軍事予算は増大している。」ボンナーは「現在の政府の下ではわれわれの国は予見できる未来に、周辺諸国にも同様に影響を与え得るであろう破壊的な大変動を期待することができる」と警告しました。彼女はまた「回心した」ロシアとスターリン主義のロシアとの両者をはっきりと比較しました:「人口のおよそ三分の一がスターリン時代には無賃金のために、あるいは象徴的な賃金のために労働した。現代のロシアにおいては人口の三分の二が貧困の境界にいる。保険医療サービスの制度は今日50年代よりも悪い。スターリンはおよそ2千万人[むしろ5千万人に近い人々]を殺したが、一方今日のロシアにおいては人口は一年に100万人ずつ減少している。」注88)

諸事実はすべてロシアが回心していないことを示している

証拠はどんな反対の結論をも認めないでしょう:ロシアは言葉のいかなる意味においても - カトリック信仰に(それはこの文脈において「回心する」という言葉の唯一の正しい意味です)回心しませんでしたし、正教にも回心しませんでした、「民主主義」にも回心しませんでした。さらに、ロシアにおいて猛威をふるっている中絶の実践が証明しているように、ロシア社会は自然法に対する支持へさえ回心しませんでした。もちろん、同じことは世界中の諸々の社会についても真です。教皇ピオ十二世が1949年2月11日の彼の書簡において述べられたように、「われわれは、正道を踏み外した人々の邪悪さが他の諸々の時代には信じがたいそして絶対的に知られていない不信心の度合に達したということを見て、悲しさと苦痛で圧倒されます。」そしてこの書簡はロシアの中絶の「合法化」がロシアの諸々の誤謬の残りのものと共に - まさにファチマの聖母が予告なさったように - あらゆる国に広まる前に書かれたのです。

今、世界平和を!

神は、人類に対するその大きな愛において、すべての人々に世界平和の大きな贈り物を与えることを望んでおられます。人類の記録された歴史の6000年すべてにおいて 14,400 以上の戦争がありました。神はすべての戦争に終結をもたらすことを望んでおられますが、しかし人類はこの大きな恵みに値しません。ファチマの聖母が言われたように:「戦争は罪に対する一つの罰です。」他方において、平和はただ平和の君 - イエズス・キリスト - を通じて神からのみ来ます。

われわれの世代は他の多くの時代よりも悪いのです。教皇ピオ十二世は言われました:「世界は今日(1951年)[ノアの]大洪水の前よりも悪い。」今日、2008年には世界は、その血が復讐のために天に叫んでいる毎年 50,000,000 の罪のない犠牲者の中絶のような、神と人間に対する合法化された罪でもっていっそう悪いのです。それにもかかわらず、神はそれでもなおすべての人類に平和を与えようと望んでおられます。しかしそれはただもしわれわれがファチマ・メッセージに従うならばという条件でのみそうです。

なぜこの奉献なのか?

世界平和をもたらすために神がロシアの奉献を強く要求なさるのはなぜなのでしょうか? その理由は単純であり、そして次のようなことです:神は、もし神がこの贈り物、世界平和のこの大きな恵みを与えたならば、どういうわけか高慢な人類が自分たちはそれに値する、そしてこの平和をもたらしたのは彼ら自身の人間的努力と彼らの世俗的な(すなわち、神を排除する)処置によったのだ、と考えるであろうということを知っておられます。このように、人類の状態は以前よりももっと悪くなるでしょう。なぜなら、それは人間の高慢を増大させ、そして彼らをいっそう横柄なもの、そして神にとって不快なものとするからです。

それゆえ神は単純にこの大きな贈り物を与えることがお出来にならないのです。神はわれわれの高慢と強情とを増大させることなくわれわれにそれを与える一つの方法を見つけなければなりません。それが、神が一人の聖人の功績と執り成しを通じてのみこの贈り物を与えようと望んでおられる理由です。聖アウグスティヌスの告白録という書物は、神が取って置かれるある種の恵みを、神は聖人たちの功績と執り成しを通じて以外にはお与えにならないであろう、と説明しています。世界平和は一つの大きな恵みであり、そしてそれはただ祝せられたおとめマリアにのみ取って置かれています。ですから、ファチマで聖母は「ただ私だけがあなたがたを助けることができます」と言われるのです。

なぜ聖母なのか?

聖アルフォンソは、一人の男性あるいは一人の女性にとって彼[あるいは彼女]自身の霊魂を救うために実際に値するに十分に聖なる生活をすることは大きな事柄であると説明しています。彼はわれわれにこう告げます、一人の男性あるいは女性にとって、単に彼自身の救いだけではなくて他の霊魂たちの救いに値するに十分な聖なるものであることはもっと偉大なことである、と。そしてこのことは、カトリック教会の列聖された聖人たちがなしたことであると聖アルフォンソはわれわれに告げます。

しかし彼はこう言います、すべての事柄の中で最大のものは一人の人間にとって他のすべての人間の救いのための恵みに十分に値することである、そしてそのことをただ祝せられたおとめマリアだけがなさったのだ、と。だからこそ神は、ただ祝せられたおとめマリアの功績と執り成しを通じてのみ、世界平和の恵みを与えることをお定めになったのです。

なぜこの奉献は公的で荘厳でなければならないのか?

神は人類のその他の人々が、世界平和のこの贈り物が彼ら自身の功績や彼ら自身のよい働きや彼ら自身の努力を通して彼らに来たのではなくて、ただ祝せられたおとめマリアの功績と祈りを通してのみ来たのだと認めることを望んでおられます。

それが、マリアの汚れなき御心に教皇とすべての司教たちが公的かつ荘厳にロシアを明確に奉献し、その結果ロシアの奇跡的な回心が起こり、誰もがそれがマリアの汚れなき御心への人々と国の奉献、奉納の結果であったことを認めることができないならば、そして認めるまでは、ロシアを回心させることを神が望まれない理由なのです。ひとたびロシアが聖母の御子の唯一の真の教会の主要な聖職者たちによって正式にそして公的かつ荘厳に聖母に与えられたならば、そのとき聖母は神によってロシアの人々全体に直ちに回心の恵みを与えることを許されるでしょう。

ファチマのシスター・ルチアは、ロシアが一つの非常に輪郭のはっきりした国であり、そして世界の人々が一つの国が突然そして奇跡的に回心するのを見るとき、彼らはそれが、ロシアが汚れなき御心に奉献されねばならないというイエズスとマリアによる命令への教皇と司教たちの従順の結果であることを見ることができるでしょう、と指摘しました。

世界の中に汚れなき御心に対する信心を確立すること

そのとき、あらゆる場所の人々は、ロシアがこの並はずれた恵みを受けたのは祝せられたおとめ[マリア]の功績と執り成しを通してであるということを認めるでしょう。それによって世界は彼らの霊的およびこの世的な必要なものそして彼らの愛する者たちのそれらのもののための聖母の執り成しを求めながら祝せられたおとめマリアへと向かうでしょう。このように、彼らもまた聖母から大きな恵みを受け取るでしょう。なぜなら彼らは聖母に求め、聖母に祈り、そして聖母を尊敬したからです。このように、マリアの汚れなき御心に対する信心は世界のうちに確立されるでしょう。そしてこの信心のゆえにもっと多くの霊魂が救われるでしょう。

ファチマのルチアがわれらの主に、ロシアの奉献なしに、なぜ主はロシアをその諸々の誤謬から変えてそれを熱心な信仰心のあるカトリック教徒へと回心させられないのでしょうかと尋ねたとき、主はこうお答えになりました:「それは、全教会があの奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果後になって教会が汚れなき御心への信心を私の聖心への信心のそばに置くようになることを私が望んでいるからである」と。

多くの霊魂が救われるようになるために

非常に多くの霊魂は聖母の汚れなき御心に対して犯された彼らの罪のゆえに地獄に行きます。この信心を確立することによって聖母に対するこれらの罪は減らされあるいはまったく消失するでしょう。それゆえより多くの霊魂が救われるでしょう。

同様にまた、多くの人々は聖母に対する信心が救いのために必要であるということを理解していません。世界中に汚れなき御心に対する信心を確立することによって聖母の執り成しを求めなかったがゆえに失われるであろう多くの霊魂は今や彼らが彼らの霊的な必要において聖母に向かうことを学んだために救われるでしょう。

ファチマの聖母は三人の子どもたちに地獄の幻視を示された後にこう言われました:「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。」

「もし私の要求に注意が払われるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。」アーメン。

聖母の要求に急いで従いましょう。そしてまた聖母のすべての要求が従われることを引き起こすためにわれわれのできるすべてのことをしましょう。

世界史における決定的な瞬間

2008年という年に、われわれは、もしロシアの奉献をという聖母の要求に注意が払われなかったならば[どうなるかという]ファチマの聖母によって予め警告されたまさにその状況に直面しています。すなわち、ロシアは「諸々の戦争と教会に対する迫害を引き起こしながらその諸々の誤謬を世界中に広め」て来ました。善人は、終りも見えないままに、殉教させられて来ました。そして教皇は「多く苦しまなければ」なりませんでしたし、苦しみ続けなければならないでしょう。

中絶は世界の至る所で猛威をふるい続けています。その一方でかつてキリスト教国であった国々の至る所での同性愛の進展は教会の男色の非難を正当に支持する人々に対して刑事罰を課すと脅迫しています。イラクにおける総崩れ、中東における一触即発の状況、核武装をしている[北]朝鮮の脅威、そしてロシアと同盟した核武装した中国そして世界の至る所での地震、津波、ハリケーンや他の自然災害の激増 - これらが結合してわれわれをこの世の終りの日の瀬戸際へとますます近づけています。非宗教的な人々でさえ、世界がこれ以上長くはこの仕方を続けることはできないと感じています。神の御母がわれわれに警告なさったように、もしわれわれが間に合うように行動しないならば、「諸国民は絶滅させられるでしょう。」

ファチマで人間のために神が指示なさったたった一つのアプローチ以外には現代における世界平和への他のいかなるアプローチも十分ではないでしょう。なぜなら、神は、ライ病を癒すためにヨルダン川に七回浸りなさいと告げられたナアマンの場合にそうなさったと同じように、人間的条件の一つの問題のための救済策を示すために、一度一人の預言者を遣わされたからです - 神が御自分の指示をお変えになるということはあり得ません。

神は御自分の考えを変えられることはありませんし、また人間の好みを満足させるためにご自分の命令を撤回なさることもありません。「主である私は、変わることのないものである。」(マラキア3:6)それゆえに、この場合に、単に教皇の助言者たちが、ロシアの奉献は政治的に不得策であると考えたために、神はロシアの奉献の代わりに世界の奉献を用いようとはなさらないでしょう。神の指示を訂正するためのあらゆる人間的な努力はただ失敗と破滅を産み出すだけでしょう。ちょうどナアマンがもしヨルダン川にただ六回だけ浸っただけであったら、あるいは浸るための何か別の川を選んだのであったならば、ライ病のままにとどまったであろうと同じように、われわれの時代のために神の選ばれた預言者 - 神の御母御自身 - によって規定されたまさにその救済策が利用されない限り、そして利用されるまでは、大災難へと向かう世界の堕落は加速し続けるでしょう。

しかしながら、破局を避けるためになお時間があります。シスター・ルチアの日記は1931年8月にスペインのリアンジョで、ロシアを奉献することをわれらの主に仕える人々が不必要に引き延ばしたその失敗について話されながら、われらの主が彼女に次のように告げられたと記録しています:

「私の命令の遂行を遅らせることにおいて彼らがフランス王の例に従うならば、彼らは...彼に従って不幸に陥るだろうということを私のしもべたちに知らせなさい...彼ら[カトリック教会のしもべたち]は私の命令に注意を払うことを望まなかった。フランスの王と同じように、彼らはそのことを後悔するであろう。そして彼らはそれをするであろう。しかしそれは遅いであろう。ロシアはすでに、諸々の戦争と教会に対する諸々の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めてしまっているであろう。教皇はたくさん苦しまなければならないであろう。」注90)

それがどれほど遅くなるだろうかということ、そして諸国民の絶滅の最終的な結果が避けられるかどうかということは、われわれの祈りと犠牲に、そしてわれらの主が「私のしもべたち」として言及なさった人々にかかっています。おとめ[マリア]の要求に注意を払うことができ、そしてこのようにして、ファチマの預言の最後のまだ実現されていない警告であるさまざまの民族の絶滅と全世界の奴隷化を避けることができるのは彼ら - 教皇と世界のカトリック司教たち - です。

従って、教皇御自身がファチマで教会に課された義務と呼ばれたものを果たすために請願を受けなければならないのはカトリック教会のこれらのしもべたちです。

われわれは奉献をするために教皇と司教たちのために祈らなければなりません。イエズスはこう言われました:「教皇のためにたくさん祈りなさい。彼はそれをするでしょうが、しかしそれは遅くなるでしょう。」

われわれは聖母の約束と予告とを思い起こさなければなりません。聖母はこう言われました:「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」それは一つの大きな苦闘の後の「最後に」であるでしょう。われわれはイエズスがわれわれにこう告げられたことを思い起こす必要があります:「イエズスとマリアにより頼むために遅すぎるということは決してない。」われわれは、特にロザリオの祈りをしなければなりません。ファチマ・メッセージがわれわれにこう告げているということを思い起こしなさい:

「ただロザリオの聖母だけがあなたたちを助けることができます。」

われわれはイエズスがこう言われたということを思い起こさなければなりません:

「わたしに仕える人々に知らせなさい。」われらの主のこれらの言葉をあなた自身に向けられたものとして受け取りなさい。完全なファチマ・メッセージについて情報を得なさい。55 ページに示されている小冊子をすべて読みなさい。そしてきっと他の人々に、特にカトリック教会の司教たちに、この時代のわれわれすべてのために遅すぎることになる前にロシアの奉献をする彼らの恐ろしい責任について、告げなさい!彼らに彼らの義務を思い起こさせるために、この小冊子そして他のファチマの小冊子のコピーを読んで貰いなさい。

あなたは何をすることができるか? 

カトリック教徒は、平信徒も聖職者も両方とも、ファチマのメッセージの達成をもたらすために何をすることができるでしょうか? 就中、カトリック教徒は祈らなければなりません!「神には、何一つおできにならないことはないからです。」(ルカ1:37)イエズスは言われました:「あなたたちが信じて祈るならば、求めるものはすべていただくことができる。」(マタイ21:22)彼はまたこう言われました:「わたしを離れては、あなたたちは何もすることができない。」(ヨハネ15.5)われわれはすべてにおいて神の助けを必要としています。しかし特にわれわれの人間的な力あるいは支配を超えている事柄においてはそうです。

われわれは何を祈るべきでしょうか? われわれは何にもましてまずわれわれ自身の救いのために必要な諸々の事柄のために、そして次にわれわれの隣人たちの救いのために必要な諸々の事柄のために、祈るべきです。われわれはファチマの聖母が確保するために来られた目的:すなわち、救いと平和、のために祈らなければなりません。これらの目的のためには、現代において、ロシアの奉献よりも重要なものは何もありません。われわれは教皇の行動を命令することはできません。しかしわれわれは、教皇が心の変化を持たれるようにと祈ることができます。聖書はわれわれに、王の心は神の御手のうちにあると告げています。われわれの祈りによってわれわれは、教皇が彼の司教たちに彼と共にマリアの汚れなき御心への名前を挙げてのロシアの真の奉献に参加するように命令なさるうように教皇の心を動かすことができます。

イエズスがシスター・ルチアに告げられたように、そして彼女が今度は彼女の聴罪司祭に打ち明けたように、「彼ら[教皇と司教たち]は後悔するであろう。そしてそれ[奉献]をするであろう。しかしそれは遅いであろう。ロシアはすでに、諸々の戦争と教会に対する諸々の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めてしまっているであろう。教皇はたくさん苦しまなければならないであろう。」しかしながら、この後悔は神の恩寵の動きを必要とします。そしてもし人々が祈らないならば、彼ら[教皇と司教たち]はどのようにしてこの恩寵を受けるでしょうか? ファチマの聖母はわれわれにこう告げられました:「罪人たちのために祈り、犠牲を捧げなさい。」教皇がすぐに心の変化を持たれ、そして奉献を行われる - もっと多くの人々のためにそれが遅すぎることになる前に - ように祈りましょう。

遅すぎるということは決してない

ファチマ・メッセージに従うことの失敗の最終的な結果を妨げるにはすでに余りにも遅すぎると言った人々がいます。そうではありません。シスター・ルチアに話しながら、イエズスはこう言われました:「イエズスとマリアにより頼むことには遅すぎるということは決してない。」実際に教皇と司教たちを、間に合うように、聖母の要求に従わせるように導くために必要とされるすべての恩寵をイエズスから得るために、すべての恩寵の仲介者であるマリアに求めるには遅すぎるということは決してないのです。教皇ベネディクト十六世御自身、2007年にブラジルを訪問なさっている間にこう宣言されました:「救いの歴史においては一人の必要な媒介者として聖母の取り次ぎを持たないいかなる恩寵の結果もない。」注91)われわれはイエズスに聖母の執り成しを祈ることによってロシアの奉献のために必要な恩寵を得ることができます。

「ただロザリオの聖母だけが助けることがおできになる」

それでは、われわれはどのように祈るべきでしょうか? ここでもまたファチマのメッセージはその答を提供しています。ファチマで聖母はこう言われました:「ただロザリオの聖母だけがあなたたちを助けることができます。」ロザリオの聖母の助けを得るためにわれわれは聖母の助けを願わなければなりません。そしてわれわれはロザリオの祈りをすることによってそれを願わなければなりません。

シスター・ルチアが説明したように:

「物理的であれ、あるいは道徳的であれ、国内的であれ、国際的であれ、ロザリオによって解決され得ない問題は何一つありません。」

ロシアの奉献の問題は解決され得るのです。教皇と司教たちが、聖母がファチマ・メッセージの中で要求なさった特別の仕方でマリアの汚れなき御心にロシアを奉献されるようにという意向のために熱心にそしてしばしばロザリオを祈る十分な数のカトリック教徒たちによってそれは解決され得るのです。

それで、このことはわれわれカトリック教徒がすることができる最も重要な事柄です:すなわち、教皇と世界のカトリック司教たちによる汚れなき御心へのロシアの適切な奉献のために - しばしばそして熱心に - 祈ること、そしてロザリオの祈りをすることです。

われわれ自身祈ることに加えて、またこの意図のためにロザリオの祈りをするように他の人々にも確信させましょう。次に、週に一度ブロック・ロザリオ、日曜日のミサ前のロザリオ、毎日のミサ前のロザリオを組織しそして祈りましょう。ロザリオの祈りのグループを作りロザリオ行列をしましょう。われわれの街、われわれの小教区、われわれの司教区そしてわれわれ自身の国の至る所にロザリオ十字軍を始めそして維持しましょう。

ファチマのメッセージはすべての人々に、われわれがわれわれの犠牲をわれわれの祈りに合わせなければならないということを明らかにしています。聖母の助言は「罪人たちのために祈りそして犠牲をしなさい」ということだったことを思い起こしましょう。

ある小教区司祭がかつてアルスの聖なる司祭[ヴィアンネー師]に「神は小教区の罪人の回心のための私の祈りを聞いてくださいません」と苦情を言いました。アルスの司祭はこう答えました:「あなたはあなたの祈りに断食を加えましたか? あなたの祈りは罪人たちの回心のための犠牲に加えられたときもっと強力になります。」その小教区司祭はこの助言を取り入れました。そうするとわずか数週間後に彼はあの罪人たちの回心の恩寵を得ました。

祈り、断食そして施しは聖書自身がわれわれに、もし神の恩寵を得ることを求めるならば、採用するように助言している三つの手段です。

さて、この小冊子の読者は、司祭であれ、平信徒であれ、自問するかもしれません:もし教皇と司教たちが行動しようとしないならば、ファチマに関して、祈りと犠牲に加えて、その他に私はすることができるか? と。

すべての善意の人は何をすることができるか? 

数年前、ファチマのメッセージの主要な擁護者の一人であるニコラス・グルーナー神父は真理の探究において不可知論者であると告白した一人の真面目な青年と会話していました。彼らが会話を交わしているうちに、話題はファチマに変わりました。その青年は、グルーナー神父がファチマの御出現、それらの[御出現の]天上的な起源を確証した大きな公的奇跡、そしてただ聖母の諸々の要求に注意を払いさえすれば教会と世界が神から受け取るであろう大きな祝福についての聖母の約束をせつめいしたとき、大きな注意を払って聴き入りました。聴いたことに深く感動してその青年は叫びました:「それは、長い時間の中で世界のために私が見た最初の希望のしるしです。」

この青年の例はわれわれに、ファチマのメッセージが善意のすべての人々に対して訴える力を持っているということを示しています。なぜなら、実際、教皇ヨハネ・パウロ二世が1982年5月13日のファチマでの説教の中で宣言されたように、そのメッセージは「人類すべてに宛てられています。救世主の御母の愛は救いの業によって触れられたあらゆる場所に達しています。聖母の配慮は現代のあらゆる個人にまで拡がり、そしてすべての社会、国家そして人々に拡がっています。」

同じ機会に教皇は、まさにファチマの観点から話しながら、「諸国家や全体としての人類を包んでいるほとんど黙示録的な脅威」に言及されました。善意の人々は、これらの脅威が25年以上前に話された教皇の言葉以来測り知ることができないほどに大きくなったということを難なく見ることができるでしょう。

今日、非カトリックの善意の人々は、ファチマのメッセージに直面して、自分たちがナアマンの状況と驚くほどに似た状況にいることを見出しています。彼らは、ちょうどナアマンがイスラエルの民ではなかったのと同じように、カトリック教徒ではありません。しかし彼らは、もし神の一人の預言者の一つの特別の命令に従うならば、彼らが一つの大きな奇跡の受益者とされるであろうということを信じるための理由を持っています。ナアマンは、ただ彼が、それは彼には奇妙で無意味だと見えたけれども、彼の側での最も小さな努力のお返しとして一つの大きな利益の可能性を提供された一つの救済策を試みるための信仰を持っていたがゆえにのみ、彼のライ病から癒されたのです。

失うものが何かあるか?

たとえあなたが依然としてファチマのメッセージについて懐疑的のままであるとしても - 実際、たとえあなたがそれを全然信じないとしても - 今あなたに立ち向かっている問題はナアマンに立ち向かった問題と同じです。あなた自身に何の出費もあるいは何の不便をも伴わないそのように単純な一つの儀式を行うことによって失うものが何かありますか? 他方において、おとめ[マリア]が、そのあらゆる他の警告がこれまでに実現されてきたその一つの預言において警告されたように、もし奉献が行われなくてそしてさまざまの民族が絶滅させられるとするならば、あなたが何を失うことができるでしょうか、考えてください。

それゆえに、この小冊子を読まれるであろうすべての善意の人々に、われわれはわれわれの運動においてわれわれに加わられるように真剣な招待をします。ロシアの奉献のために教皇と司教たちに請願するためにカトリック教徒と共に加わることから非カトリック者を排除するものは何もありません。なぜなら、教皇御自身が宣言されたように、ファチマのメッセージはすべての人間に宛てられているからです。あの若い不可知論者がメッセージについて全世界のための希望のしるしとして語ったのはこの真理を認めたからです。そしてそれはその通りなのです。

あなたは私の御母の汚れなき御心に対する信心を広めるために何をしましたか?  - シスター・ルチアに対するイエズス[の言葉]

ー このことをするために ー

あなたは以下のオール・カラーで読み易い小冊子を配布することによって
ファチマの緊急のメッセージを広める手助けをすることができます。

真理と希望のメッセンジャーたれ

われわれは誰であるか?

ファチマ・センターはカトリック司祭と平信徒の人々との一つの草の根の団体です。彼らの最も重要な使命はファチマの聖母の完全なメッセージを知らせること、そして神によって要求されたように、マリアの汚れなき御心に対する信心を促進することです。ファチマ・センター使徒職は聖母に答えて1978年に北アメリカにおいて結成されました。創設者そして国際理事はニコラス・グルーナー神父で、彼は30年以上にわたって彼の生涯をファチマの聖母のメッセージへの関心と信心を促進することに捧げて来ました。

ファチマ・クルーセイダー The Fatima Crusader :聖母の使徒職の創設後間もなくグルーナー神父は雑誌 The Fatima Crusader を発行し始めました。この雑誌は聖母の完全なファチマ・メッセージとカトリック教会および世界に対するその影響力を知らせるために利用される最も重要な手段の一つです。30年以上も前のその最初の号以来、この雑誌は2万部という慎ましい発行部数から100万人以上と推定される読者数へと成長しました。それははるかに、世界におけるファチマに関する最大で最も影響力を持った出版物です。

神の平和計画 Heaven's Peace Plan :「ファチマのメッセージは人類すべてに宛てられています」という教皇ヨハネ・パウロ二世に答えて、ファチマ・センターは1987年の春にグルーナー神父とゲストたちが主要な参加者である世界的なラジオ番組 Heaven's Peace Plan の放送を始めました。1年後に使徒職は、海外190カ国以上に達するまでに成長したその番組の毎日定期的に放送される短波放送を含むためにそのラジオの奉仕のさらなる拡張を始めました。

テレビ・シリーズとテレビ・ドキュメンタリー:ファチマ・センターはその活動をさらにさまざまの週一回のテレビ放送、そしてゴールデン・アワーの1時間ドキュメンタリーに拡げました。1987年には Fatima - グルーナー神父が主演し、有名な俳優リカルド・モンタルバンが司会をつとめました - が完成しました。つい最近、ファチマ・メッセージに関する一時間テレビドキュメンタリー、平和への神の鍵 Heaven's Key to Peace が合衆国とカナダの全国テレビで放映され、そして現在海外での放送のためにさまざまの言語に訳されています。2008年には原作のままのドキュメンタリー、第三の秘密 The Third Secret が完成しました。

書物と出版物:1988年にはファチマ・センターの書物出版部門である Immaculate Heart Publications がグルーナー神父の最初の著作、世界の奴隷化か、それとも平和か World Enslavement or Peace を出版しました。この書物は主としてロシアの奉献に関するもので、この短い小冊子においてはカバーすることができない多くの細部の項目を埋めています。(それは今でもファチマ・センターから入手可能です。住所については p.63 をみてください。[訳者注:ここで読めます。]1989年以来、使徒職は三位一体のフレール・ミッシェルによるファチマについての全真実 The Whole Truth about Fatima の最初の英語版のような、ファチマに関係した主題に関する数十冊以上の他の書物を出版しました。

2002年以来、ポール・クレイマー神父によって収集、編集された悪魔の最後の戦い The Devil's Final Battle 165,000部以上が配布されてきました。それもまたイタリア語、フランス語そしてポルトガル語に翻訳、印刷されました。この書物は www.devilsfanalbattle.com. のウェッブ上で利用可能です。[訳者注:ここで読めます。]

われわれのファチマ・メッセージに関する健全なカトリック書籍および雑誌は3千万部以上読まれてきました。それ以上に多くの小冊子、リーフレットそしてパンフレットもまた読まれてきました。2007年だけでも、ファチマ文献は700万部以上世界中あまねくさまざまの言語で配布されました。

司教たちと司祭たちの世界平和会議:1985年にはファチマ・センターは世界の至る所からカトリックの司教たちと司祭たちを招いて最初のファチマ平和会議を主催しました。会議はポルトガル、ファチマで2回、イタリア、ローマで3回、そして次の場所のそれぞれで1回開催されてきました:メキシコ・シティ;カナダのハミルトン;スペインのトゥイ、ブラジルのサン・パウロ;そしてインドのチェンナイ。これらの会議の中心は、多くの霊魂の永遠の救い、ファチマ・メッセージの緊急性そして真の世界平和へのその関連でした - そしてそうであり続けています。

増大する支持:ファチマを、安全に無視され得る一つの単なる私的な啓示の地位へと、あるいは人類の現在および近未来にとっては何らの預言的な意味をも持たない一つの出来事へと格下げするための教会内部の何人かの影響力を持った聖職者の努力にもかかわらず、[ファチマ]使徒職は世界中の多くのカトリック聖職者の熱心な支持を得ることに成功してきました。ファチマ・センターのための教皇への公開書簡は10人の大司教、17人の司教、1,900人の司祭および修道者そして16,000人の平信徒によって署名されました。ファチマ・センターは毎年世界のすべてのカトリック司教たちに書簡を送っています。彼らのうちの50%以上は返事をくれました。そして今日まで、多くのカトリック司教たちは、世界平和のための一つの条件としての聖母の汚れなき御心へロシアの奉献を[しなさい]というファチマの聖母の要求に彼らが完全に応じることに対して乗り気であるということを示す書かれた同意書に署名しそれをファチマ・センターに送って来られました。

手を伸ばす:数十年にわたって[ファチマ]使徒職は、世界中のほとんど160,000人の司教たちと司祭たちに(世界のカトリック聖職者のほとんど40%)定期的に重要なファチマのニュースと情報を提供しながら、その手をカトリック聖職者に伸ばしました。

30 のウェッブサイト:1996年5月に開始したわれわれのファチマ・ネットワーク(www.fatima.org)は毎年100万人以上以上の訪問者をもつインターネット上の最大で最も影響力のあるカトリック・サイトの一つです。1998年にはフランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語そしてポルトガル語でのバージョンが加えられました。2004年にはこのサイトは再設計が行われ、そして数百以上の項目、改良されたサーチ・エンジンそしてオン・ラインのロザリオをもついくつかのウェッブ・サイトへと拡大されました。

さらに進んだ拡張:1991年には[ファチマ]使徒職はインドとフィリピンに事務局を開設しました。1998年にはイタリア、ローマに事務局が開設され、そしてポルトガル、ファチマには配布センターが開設されました。

マリアの汚れなき御心・孤児院:1995年にグルーナー神父とサミニニ・アルラッパ大司教のイニシアティブで開設されたインド、ハイデラバードにあるマリアの汚れなき御心・孤児院は毎年100人以上の子どもたちに食事、衣服、教育の世話を続け、そして近隣の諸共同体のために豊かな霊的手段を提供しています。1999年にグルーナー神父はこれらの貧しい子どもたちによりよく奉仕することにおいて使徒職を助けるために一つの新しい十分な設備を整えた孤児院施設を新たに開くことにおいてアルラッパ大司教に同調しました。

1999年に孤児たちと周りの諸共同体の必要にさらに役立つためにファチマ・センターは孤児院に隣接した医療センターを建設し、設備を整えました。2000年には使徒職は、孤児院と医療センターに職員として働き、近くの聖パウロカトリック学校で孤児たちを教育する修道女たちの共同体の福祉と安全を保証するために孤児院の側に一つの修道院を建設しました。

ボランティア:近年使徒職は熱心な支持、われわれの使徒職の文献や他の手段の配布を通じて聖母のファチマ・メッセージを促進することを助ける世界の至る所からのボランティアの一つの成長する中心を加えました。

ファチマのメッセージ:ファチマのメッセージは二十世紀の最も預言的なメッセージであるというベネディクト十六世の宣言並びに「ファチマのメッセージは」今日これまで以上に「緊急であり重要性を持っている」という教皇ヨハネ・パウロ二世の明言に答えて、使徒職のグルーナー神父と他の司祭たちが世界中のさまざまの司教区において説教し続けています。グルーナー神父は、聖母の平和と希望のメッセージを至る所ですべてのカトリック教徒と他の善意の人々にもたらしながら、ファチマで教皇によって祝福されたファチマの聖母の奇跡的な巡礼のおとめ像と共に旅行しています。

教皇に請願する信徒の義務と権利

第二バチカン公会議は信徒が彼らの司牧者たちに彼らの霊的必要が何であるかを知らせる義務と権利とを持っていると述べています(教会憲章 para.37)。われわれが教会法上の司法権に属する諸問題において教皇聖下に頼る権利を持っていることは第一バチカン公会議(Denzinger, 1830)および第二リヨン公会議(Denzinger, 466)によって荘厳に決定されてきました。

署名した請願をファチマ・センターに送ってください。そうすれば
われわれはそれらが教皇に届けられることを保証します。


教皇様:

われわれの義務を果たすことはイエズスとマリアに対するわれわれの責務ですから、われわれは、ファチマのメッセージの中でイエズスとマリアによって命令されたような荘厳かつ公的な仕方で世界のカトリック司教たちと一緒に、マリアの汚れなき御心にロシアを明確に奉献してくださるよう、慎ましくあなたに懇願いたします。ロシアが回心しそして平和がわれわれの戦争に引き裂かれた世界に与えられるのはただ「この手段によって」だけです。

原文:

Most Holy Father:

It is because of our obligation to Jesus and Mary to do our duty,
We humbly beg you to consecrate specifically Russia to the Immacu-
late Heart of Mary, together with the Catholic bishops of the world,
in a solemn and public manner as was commanded by Jesus and
Mary in the Message of Fatima. It is only "by this means that Russia
will be converted and peace be given to our war-torn world.

Signature_______________________ Name__________________________
Address_________________________________________Apt/Box___________ City______________________State/Prov.___________Postal Code_______


Signature_______________________ Name__________________________
Address_________________________________________Apt/Box___________ City______________________State/Prov.___________Postal Code_______


三上 茂 試訳

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作成日:2008/05/04

最終更新日:2008/05/17

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