ファチマの聖母マリア

正気の週末

The Fatima Crusader Issue 69, Winter 2002より

ファチマのメッセージに関するファチマ・センターの最近の会議は狂気の海における正気の島であった。

クリストファー・フェララ

私は2001年11月10日から12日までニューヨーク・シティにおいてファチマ・センターによる後援でなされたファチマ・メッセージに関する会議に出席し参加する特権を与えられた。「テロリズムに反対する集会」と題された会議はグラウンド・ゼロからおよそ3マイルのマディソン・スクエア・ガーデンの向かいのホテル・ペンシルヴァニアで開催された。

今なぜニューヨークなのか?

ファチマで神の御母によって明らかにされた平和のための神の御計画に捧げられた会議にとってニューヨークよりもよい場所が何かあるか? 確かに誰も、どのようにわれわれが世界においてこの時期に神の助けを絶望的に必要としているかをニューヨークの人々よりもよく理解してはいないであろう。もしグラウンド・ゼロの近くに生活し働くことが人々に、われわれが最も重大な危険の状態で生きているとうことを強く認識させないとするならば、何がそうするであろうか?

カトリック教徒として、われわれは単に世界ばかりでなく、教会が重大な危険の直面しているということを認識している。ここでもまた、ファチマは解答を持っている。ニューヨークでの会議にやって来たカトリック教徒にとって、「第2ヴァチカン公会議の新しい春の季節」が実際は教会の歴史における最悪の冬の季節であるということを認識することは困難ではない。何らかの経験的な尺度--それが洗礼、結婚、回心、召命、ミサ出席、あるいはカトリック教徒の無数の調査において示されているような教会への一般的な愛着であれ--によって、教会は深い危機のただ中にいるのである。

現在の危機

われわれは、公会議以来教会において失敗してきたことの長いリストを余りにもよく知っている。われわれは、とりわけ、教皇パウロ6世によって(それについて忠告した6人のプロテスタント牧師たちと共に)作り上げられた典礼が廃墟のうちに横たわっている--「典礼の崩壊」はラッツィンガー枢機卿でさえがその状況を記述した仕方である--を知っている。典礼の破壊の数十年後に、ヴァチカンは、ヴァチカン自身が30数年前に承認した新しいミサの重大な欠陥を持つ各国語の翻訳を元に戻すように司教たちに要求する威力のない文書(Liturgiam Authenticam)を発するまでに落ちぶれている。(それはアメリカの司教たちが小教区司祭たちに使徒信条において「われわれは信じる」を「私は信じる」と言うように命令する前のもう一つの30年でもあろう。しかしLiturgiam Authenticamでさえ、クラウス・ガンバー(Klaus Gamber)枢機卿が正当にも、奉献のときの「多くの人のために」というわれらの主の言葉を「すべての者のために」と訳する「真にけしからぬ翻訳」と呼ばれたこと--聖書のプロテスタントの版でさえ試みなかった偽造--を処理していないのである。)

「悪魔的な方向感覚喪失」

ヴァチカンがカトリック教徒たちを新しい典礼の教会の中での災害地域から救出することについてほとんど何もしていないのに、見よ、次のことを:ヴァチカン国務長官ソダノ枢機卿は教皇のために19世紀の宣教師たちの申し立てられた「諸々の誤り」のために赤色中国に謝罪するよう手筈を整えた。--中国共産党の今日のカトリック教会迫害のまさに真っ只中で--。その間に、善良な司祭たちは彼らの上長たちによって日常的に迫害されている。その一方で子どもに性的いたずらをする者たち、あるいはリチャード・P.マックブライエン(Richard P. McBrien)やハンス・キュング(Hans Kung)のような専門的な反対者たちは聖職者としての立派な地位を享受している。伝統的なミサはあたかもそれが、遠隔地の「特別許可を得た場所」で教会の残りの者からは気密にして完全に封じ込められなければならない炭疽病の血統であるかのように扱われている。そして次々に行われるどの調査においても、カトリック教徒の大多数は彼らのヨハネ・パウロ2世に対する大きな愛情を表明しているが、一方で彼らが甚だしく重荷だと思っているどの教会の教え(特に結婚と生殖に関する)には異議を唱えている。

そして次にこのことがある:1988年にマルセル・ルフェーブル大司教は、教会における増大する混沌のただ中でカトリックの伝統の何らかの外観を保存するための一つの努力(どんなにそれが間違いであると人が考えようとも)において教皇の命令なしに4人の司教を聖別[叙階]したがゆえに、即座に「分派的」と宣言され、そしてヴァチカンの諸文書において「破門された」と宣告された。それなのに、その同じヴァチカン当局は赤色中国における露骨に分派的なカトリック愛国協会(CPA)のどんなことにも何一つ公式の非難を発していない。CPAは教皇の命令なしに100人の司教を叙階した。CPAの憲章はローマ・カトリックの教皇に対する従順を明確に放棄している。そしてCPAの司教たちは強制中絶を含む共産党政権の人口統制政策を支持するよう中国カトリック教徒に呼びかける「司牧書簡」を出した。しかしCPAの司教たちの分派と破門を宣言する代わりに、ヴァチカンを根拠地とする枢機卿たちは彼らの出席するミサを捧げるために--ローマに対する彼らの忠誠を捨てようとしない忠実な「地下潜行」カトリック教徒たちからCPAが盗んだマリア聖堂において--エチェガライ(Etchegaray)枢機卿を送っているのである。

ファチマのメッセージ:平静と正気の港

そしてファチマの聖母はポルトガルのあるみすぼらしい野原の一本のトキワガシの上に御出現になった84年以上も前にそのすべてのことを予見された。その他になぜ神の御母が3人の子どもたちに地獄の幻視を示し、霊魂たちが神が世界の中にその信心を確立したいと望まれたマリアの汚れなき御心の執り成しを通じて地獄から救われるということを彼らに思い起こさせる--われわれすべてに思い起こさせる--ために地上に来られたであろうか? その他になぜ、おとめは御自分の神なる御子が汚れなき御心へのロシアの奉献を、その国を回心させる手段として、世界中へのその誤謬の広まりを逆転させ、そして人類に平和の一時期を与える手段として選ばれたのだということを宣言するために来られたのであろうか? 神の御母は世界の中に危機が、そして教会の中に危機があるであろうということを知っておられた。だからこそ、聖母は、それを見た無神論者たちでさえ信じる以外にはどんな選択も無かった一つの公的な奇跡をもってそれが真正のものであることを保証なさった一つのメッセージを持って天から降りて来られたのである。

ファチマのメッセージはますますひどくなる狂気の世界--パウロ6世が1973年に「世界への開放が世俗的思考による教会の真の侵略となった。われわれはおそらく余りにも弱く軽率だった」と嘆かれたときに認められたと同様に、教会それ自体の人間的要素をその混乱した概念が侵入した世界--における正気の島である。ファチマのメッセージを思い起こすことは、それほご遠い昔ではない、教会を支配していた人々が典礼での諸々の実験、新しい「エキュメニズム」そして新しい「世界との対話」について決して夢見なかった時代を思い起こすことである。イエズスは言われた。「人は実によってその人を知ることができる」(マテオ 7:20)と。これらのこれまでに聴いたことがない新奇さの実は何であるか? 問いを出すことはそれに答えることである。

情報を得た者そして勇気づけられた者

そしてそのように、これらの考察を視野に入れて、私はホテル・ペンシルヴァニアでのファチマ会議に行った。その週末を通じてずっと忠実なカトリック教徒の非常に多くのそして熱心な聴衆がファチマの展望から見られた教会と世界における現在の危機についてのさまざまの話に耳を傾けた。彼らは到着したときよりもより多くの情報を得、より勇気づけられ、そしてより希望に充たされて帰途についた。カトリック真理と常識の一服は人々に効果をもたらすであろう。

ファチマ・メッセージを沈黙させようとする諸々の試み

ところで、ある人々はカトリック教徒はファチマ・センターによって開催された会議に参加すべきではない、なぜなら、ファチマ・センター長のニコラス・グルーナー神父は9.11大虐殺のわずか1日後にヴァチカン報道局による発表に従えば、アヴェリーノの司教によって「職務停止」を宣言されたから、と示唆した。--これは後味の悪い最低水準である。「職務停止」--グルーナー神父の「訴訟」におけるもう一つの最初のもの--に対する何の理由もぜんぜん与えていないその発表は、身分を明かさないことを選んでいる「あるより高い権威の命令」によって世界はグルーナー神父について情報を与えられるのだと述べている。この「より高い権威」はただグルーナー神父の積年のネメシス[復讐者]であるソダノ枢機卿でしかあり得ないであろう。なぜなら、もしこの「職務停止」の背後にいる者が実際に教皇であったならば、ソダノ自身が世界がそれを知っていると確証したであろう。そのことならついでに言えば、「職務停止」が「あるより高い権威」によって発表されるわずか数日前に、グルーナー神父は教皇の個人秘書スタニスラフ・ジウィツ(Stanislaw Dziwisz)から、10月7日から13日のローマにおけるファチマ会議の成功を祈るという個人的な覚え書きを送られていた。明らかに、そのとき、教皇はこのことの背後にはいないのである。

いずれにせよ、グルーナー神父は「職務停止」を受けているから彼の組織を避けなければならないと言う人々に対して、私はただ、彼らがグルーナー神父の教会法上の状況について何も知らない(あるいは何も知らない振りをしている)と言うことができるだけである。まず第一に、司祭は彼が実際に何かの違反を犯したのでない限り、ぜんぜん罰せられることはないし、まして「職務停止を受ける」ことはない。理由のない「職務停止」は基礎となる犯罪なしの刑事上の有罪判決と同様に意味をなさない。もし刑事法廷が被告人スミスは「有罪判決を受けた」と宣告してそれ以上何も言わなかったというようなことが仮にあったとしたら、その宣告は笑うべきものであろう。何の罪でそう宣告されたのか? 同様に、もしグルーナー神父が「職務停止を受けた」と宣告され、そしていかなる理由も与えられないならば、その「職務停止」は真面目に受け取ることはできない。何のために職務停止を受けたのか?

ヴァチカンの発表はなぜグルーナー神父が職務停止されたのかを言っていない。これはさほど不思議ではない。教会法上の訴訟手続きのおよそ6年間に与えられた唯一の理由は明らかに笑うべきものである:グルーナー神父は、彼が他の司教区におけるインカーディネーション[司教による司教区への司祭の受け入れ承認]を達成することに「失敗した」後に、イタリアのアヴェリーノ司教区に「戻ら」ないから「職務停止され」ている、というものである。決して言及されていないことは、グルーナー神父がアヴェリーノの外部の別の3人の司教からインカーディネーションの申し出を受け取ったということ、そしてヴァチカン当局内のグルーナー神父自身の告発者たちがそれらのインカーディネーションを前に進めることを妨害し、そうすることによってグルーナー神父を一つの司教区から他の司教区へと移ることを許されていないローマ・カトリック教会における唯一の司祭としているということである。このように、(そしてこれはその事例を知った人々には古い話である)グルーナー神父は彼自身の告発者たちが彼がそうすることを妨害していることをすることに「失敗している」ゆえに「職務停止を受けて」いる、というわけである。(この裁判の戯画化の詳細はThe Fatima Crusaderの本号の別の個所に提供されている。)

その上、たとえ「職務停止」の正当な理由があったとしても--そしてその理由は何もないのだが--グルーナー神父はなお他のどのカトリック者とも同じように、口頭でもまた書き物においても、ファチマに関する彼の見解を表明する権利を持っているであろう。結局のところ、彼は教会法上の投獄を宣告されたのではない。一方で、彼らが教会に引き起こしている損害のために職務停止を受けるべき無数の聖職者がすべての罰を避け、そして権威のより大きな地位へ昇進させられさえしているのである。--例えば、ドイツのレーマン(Lehmann)司教のような人がそうである。彼は女性が自分たちの赤ん坊を常々殺している中絶勧告証明書をドイツの司教たちが発行することを彼が支持しているにもかかわらず、枢機卿とされたのである。これは一つの有罪のグループが他の有罪のグループを指さしながら「彼らはどうなんだ?」と言うような問題ではない。そうではない。これは「道徳的に無辜である一人の司祭」が罰せられ、一方で有罪の司祭たちが罰せられずに横行しているという問題である。

それゆえ、マクブライエン神父、キュング神父そして世界中の彼らの道連れたちのような輩が職務停止を受け、そして教会における彼らの影響力のある地位から排除されるとき、グルーナー神父の「職務停止」について私に話しなさい。ヴァチカンがCPAの共産党に支配され、中絶を促進している司教たちは分派的であり、破門されると宣言するとき、グルーナー神父の「職務停止」について私に話しなさい。ヴァチカンが、よい地位にある司祭としてとどまる一方で修道女たちを汚し、そして彼女たちの子どもたちを中絶するように強制しさえしたアフリカの聖職者を含む世界中のカトリックの羊の群を荒らしている羊の衣をかぶった狼どもに対して決定的な行動を取るとき、グルーナー神父の「職務停止」について私に話しなさい。それまでは私を笑わせないでください。私はたった一つの理由:すなわち、彼らは真実を話している、彼らはカトリックであるという理由、のために「職務停止を受けている」グルーナー神父と彼の使徒職を支援し続けるであろう。

彼らは真実を話している

そして11月のあの週末に彼らは真実を話したのだ。私自身のグルーナー神父擁護に加えて、さまざまのファチマに関連する主題についての話があった。--それらすべては経験的な証拠と神の御母の言葉そのものに基づいていた。それらすべては見る目を持った者は誰でも見ることができることを述べていた。ソダノ枢機卿が血にまみれた赤色中国政権に対する謝罪の言葉を作り上げているときに、この会議の話者たちは以下のような事柄について真実を話した。

会議のハイライトが、リヌス・ドラグ・ポピアン神父の人を感動させずにはおかない証言であったことは何の疑問もない。彼は正教会の神学校での彼の勉学が彼に、ルーマニアを脱走してカトリック司祭にならなければならないと確信させた1975年の彼の共産主義ルーマニアからの逃走の物語を話すためにはるばるイタリアから来たのであった。

ポピアン神父の劇的な証言

ポピアン神父は彼と仲間の神学生がどのように、両手を拡げて教会の中へ歓迎されることを期待してローマに到着したか、しかし他ならぬ当時のヴァチカン国務省--そのときカザロリ大司教を通じて動いていた--によって叙階を否定されただけであったかを話した。国務省は彼らの叙階が東方政策の下でのヴァチカン外交と正教会との「エキュメニカルな関係」を妨げるがゆえに、その叙階を許すことを拒否したのであった。ポピアン神父は彼は回心してはならないそして彼は共産主義ルーマニアに戻るべきであると知らされた。ポピアン神父は心を奪われた聴衆に、続く3年にわたってその次に起こった彼の生涯における一つの奇跡的な出来事について話した。それは1978年の彼の司祭職への叙階で頂点に達するが、それは教皇パウロ6世とヨハネ・パウロ1世の死が急激に引き続いたので、そのことが国務省から妨害する力を奪ったのである。ポピアン神父は現在イタリア、チヴィタヴェッキアの小教区司祭である。彼はそこで彼の教区民たちに説教壇から、2000年5月に行われる今度の地方選挙において共産党員に投票した者誰にとっても「地獄の火は十分なものではないであろう」と告げた。共産党員たちはチヴィタヴェッキアにおいて50年間で初めて権力を失った。注:ヴァチカンは「あなたはカトリックになってはならない」と言うを見よ。

「ロシアは24時間で回心するであろう」

聴衆は「教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう」という聖母の預言はロシアがカトリック信仰を持つことができるし、また持つであろうということを意味するということの生きている証拠である一人の司祭の鼓舞する物語の結論に立ち上がった。それは単に正教会のローマへの帰還の道における単に人間的な障碍を克服なさる神の恵みの問題である。実際、ポピアン神父は、もしロシアがマリアの汚れなき御心に適切に奉献されたならば、ロシアは「24時間で」回心するだろうと信じると宣言した。ポピアン神父の個人的証言を考えて見ても、われわれはますますはっきりとバラマンド宣言--それによってカッシディ(Cassidy)枢機卿が恥ずべきことに、聖母御自身の預言を「時代遅れの教会論」として捨てながら、正教会のローマへの帰還を断念したヴァチカン外交のもう一つの「勝利」--の恥辱を見ることができる。

グラウンド・ゼロでの祈り

会議の間の日曜日の午後、グルーナー神父はグラウンド・ゼロへ行った。そこで彼は世界貿易センターのまさに残骸そのものの中に入ることを許された。神父がそこにいた間に、2人の消防士の遺体が発見された。そして彼はその遺体を祝福するように頼まれた。「ファチマ司祭」はファチマの長編物語が終わったどころではないということを証明するまさにその場所で死者のために奉仕した。グルーナー神父はこの事の成り行きで感動に圧倒された。私は彼がその午後見そして行ったことによって呆然とし、圧倒された彼を後になって見た。

その日曜日の午後遅く私自身、グラウンド・ゼロでポピアン神父と共にロザリオ1連を祈る恩典に浴した。一緒に行ったのはマイケル・マット(Michael Matt)、ゲリー・マタティクス(Gerry Matatics )、ダニエル・マタティクス(Daniel Matatics)(ゲリーの長子)、そして著名なカトリック作家リチャード・カウデン−グイド(Richard Cowden-Guido)(彼は私に会議で彼が見た信仰と知的な活力によって生き返らせられ、そして大いに勇気づけられたと語った)であった。警察の柵によって遮断されているこの地域の中へ入ることを許されることは小さな事柄ではない。警察は明らかに、その外見そのものが彼の祈りの効力を証明しているスータンを着た司祭によって、彼ら自身の仲間の職員たちを含む死者のために捧げられる祈りを見て納得させられたのだ。

11月の冷え冷えとした夜の地獄のような人工的な光の中でトゥイン・タワーのよじれた残骸を見ること、その中で数千人の男女が一瞬彼の家族を扶養しようと骨折って働いていた、そしてそれから次の瞬間に死んでしまった巨大な建築物の最後の残骸を破壊用の球が粉砕しているのをじっと見ることはハルマゲドンを予め味わうことである。

世界にとって自分自身の懲罰を準備しているということを見るのに何を必要とするのか? われわれの教会にとってファチマは終わったどころではない、そしておとめ[マリア]の御要求が心に留められなかったがゆえに、その約束がまだ実現されていないということを見るのに何を必要とするのか? 自らを神の御母よりも賢明であると考える人間たちの計画から教会自身が解放されるのはいつのことであろうか? 私は公会議後の時代における教会を数人のヴァチカンに根拠地を置く枢機卿たちや司教たちが始めた道筋を変えるために9.11の事件でさえ十分ではないかと恐れている。そしてこのことはただ、世界は間もなくもっと悪いことを経験しなければならないであろうということを意味し得るだけである。

一方、グルーナー神父と彼の使徒職は、誰かが、何処かで、ファチマのメッセージについての真実を確信するかもしれないという可能性に取り憑かれている一方で、多数の背教、異端、そしてスキャンダルを無視している教会体制の侮辱に耐えながら戦っている。そのようなことが今われわれを苦しめている邪悪なるものの神秘である。われわれができるすべては、私が参加してきた会議のような正気の島へ向かって船を漕ぐことである。

編集者注:会議の[模様を収録した]全18巻のオーディオ・テープクルーセイダー特別価格(合衆国郵送費込みたったの90$)あるいは各巻別(各6$合衆国郵送費込み)を注文するためには1-800-263-8160のフリーダイヤルで。


2001年10月13日ローマでのファチマおよび世界平和に関する会議からのいくつかの決議

第1

ロシアの奉献に関して

マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献が(シスター・ルチアが彼女の生涯を通してずっと証言して来たように)ロシアが世界の司教たちと共に教皇による公的で荘厳な儀式において言及されるべきだということを要求していることは明らかであるがゆえに、そして

1984年3月25日のヴァチカンでの儀式が、ファチマの聖母がその汚れなき御心へのあの国家の適切な奉献の実として約束されたロシアの回心を産み出さなかったということが等しく明らかであるがゆえに、そして

要求された仕方においてロシアを奉献しそこなうことは教会と世界に、諸国の絶滅を含む破局的な諸結果をもたらすがゆえに、そして

現在の世界の状況が、その中でテロリストの攻撃や宗教および道徳からの全体的な脱落がファチマの聖母が警告された大懲罰がすぐ近づいていることを示している状況であるがゆえに、そして

この行為から何も失うこともなく、あらゆるものを得るときに名を挙げてのロシアの奉献を行わないことは、特に世界の諸状況の劇的な悪化を考えるならば、まったく愚かなことであるがゆえに

今やそれゆえに

マリアの汚れなき御心への名を挙げてのロシアの奉献のために教皇ヨハネ・パウロ2世聖下に請願する新たにされた努力がなければならないとここに決議する

第2

シスター・ルチアに課された沈黙に関して

教会法は1966年に、カトリック教徒は誰もimprimatur[教会による印刷・出版許可]なしにどの御出現(真のあるいは偽りの)に関してどのような事柄でも出版することができるがゆえに、そして

ローマ・カトリック教会のすべての成員の中で、ただ最後の生き残りのファチマ幻視者シスター・ルチアだけが、彼女の回想録においてすでに明らかにされたのではない何らかの問題において公然とファチマの御出現について話すためには単にimprimaturだけでなく、ラッツィンガー枢機卿あるいは教皇自身からの特別の許可を必要としているがゆえに、そして

教皇ヨハネ・パウロ2世が言われたように、ファチマのメッセージは「すべての人類に宛てられて」おり、そして霊魂たちの救いと教会および全世界の善のためにわれわれに与えられたのであるがゆえに、そして

ファチマのメッセージの内容についてのいかなる抑圧も教会および人類に対する不正であろうがゆえに

今やそれゆえに

ヨハネ・パウロ2世聖下とヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、シスター・ルチアがファチマの御出現に関するどのような、そしてすべての話題についても自由に話しまた公表することを許されるように、彼女に課された沈黙の命令を解除されるべきであるという請願を受けられるようにとここに決議する

第3

ロシアの奉献に関するシスター・ルチアの申し立てられた合意事項に関して

シスター・ルチアがファチマのおとめによって彼女に伝えられたものとしての汚れなき御心へのロシアの有効なそして効果的な奉献のための要求--すなわち、教皇がすべての世界の司教たちと共にある荘厳な公的な儀式において汚れなき御心にロシアを名を挙げて奉献しなければならないという要求--について彼女自身の陳述を撤回し否認したという話が出回っているがゆえに、そして

これらの話に従えば、シスター・ルチアは今やロシアの奉献が1984年3月25日のヴァチカンの儀式--そこではロシアが言及されなかったし、それには世界の司教たちは参加しなかった--において果たされたと言っているがゆえに、そして

これらの話は、ヴァチカン当局のさまざまのメンバーたちによって広められ公表されている噂と同様に、70年以上にわたって文書に記録されてきた諸々の事実に矛盾しているがゆえに、そして

神の御母によって要求された仕方においてロシアを奉献することに失敗することは、聖母御自身がファチマで警告なさったように、教会にとって、世界にとって、そして無数の霊魂たちにとって破局的な結果を持つがゆえに

今やそれゆえに

適切なヴァチカン当局者たちが、教皇様を排除しないで、シスター・ルチアにこの問題に関して公に自由に世界の司教たちと関心のあるファチマ研究者たちを含む公開討論会の場で話すことを許し、その結果、これを限りにロシアの奉献に関してシスター・ルチアに帰せられているこれらの新しい陳述が事実彼女の陳述であるのかどうか、そして、もしそれらが彼女の陳述であるならば、彼女の証言を変えさせるように彼女に動機づけたものが何であるかを説明し、そしてさらに、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献はファチマのおとめによって要求された仕方で達成されたか? という単純な質問に明確に答えるように、それらのことが決定され得るようここに決議する

第4

ファチマに関するアロンゾ神父の抑圧された著作の解放に関して

ファチマの公式公文書保管者であったアロンゾ神父によって準備されたファチマに関する24巻の文書が1975年以来出版できる準備が整っている(彼の研究を支持する記録として役立つ5,000以上のオリジナルな記録文書を含んでいる)がゆえに、そして

これらの巻の内容は、シスター・ルチアとの多くの個人的なインタビューを含む、アロンゾ神父による11年の研究の結果として教会および世界にとって疑いもなく注目すべき重要性を持つものであるがゆえに、そして

これら24巻と5,000以上のオリジナルな支持記録文書は、ファチマの司教およびスペイン、マドリードにあるクラレティアン会総長によって抑圧されきたがゆえに、そして

この抑圧は、これらの巻が疑いもなく含んでいる、そしてその十分で完全な内容を信徒および世界が知る権利を持っているファチマのメッセージをめぐって続いている論争に光を投げかける真理に対する信徒の自然的権利を侵害するがゆえに

今やそれゆえに

適切な教会当局者たちが、アロンゾ神父のファチマに関する全24巻の著作とすべての支持する記録文書を解放するために請願を受け入れるようここに決議する

第5

ニコラス・グルーナー神父の不当な扱いに関して

ニコラス・グルーナー神父は聖職者聖省のカストゥリヨン・ホヨス(Castrillon Hoyos)枢機卿によって破門という不当な脅迫にさらされてきたがゆえに、そして

グルーナー神父はまた上述の枢機卿によって、グルーナー神父は、実際には信仰、道徳あるいは彼に対するこれあるいは他の何らかの罰を正当化するであろう教会法に対する何らの違反も犯さなかったときに、彼の聖なる司祭職の行使から「職務停止を受けて」いるという根拠のない宣言にさらされてきたがゆえに、そして

破門の脅迫そして申し立てられた「職務停止」が、教会における信仰と規律の現在の危機が根拠なしにグルーナー神父を非難する同じ聖省によってほとんど処理されてこなかったことを知っている信徒たちに物議をかもしているがゆえに、そして

グルーナー神父の不当な扱いは単に彼に対する不正であるばかりでなく、また、カトリック教会における法の規則とそのためにグルーナー神父が不当に罰せられているファチマのメッセージに対する侮辱でもあるがゆえに

今やそれゆえに

教皇が、請願を受け入れて、カストゥリヨン・ホヨス枢機卿に彼の破門の脅迫とグルーナー神父の「職務停止」の宣言を引っ込め、そしてこの問題における彼の権威のさらなる濫用を止めるように強いてさせられるようここに決議する

第6

ファチマの第三の秘密の開示に関して

2000年6月26日のラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによってファチマの第三の秘密に属する幻視の開示はそれが答えるよりも多くの疑問を提出したがゆえに、そして

ヴァチカン国務省の明白な指導の下で、ラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによって彼らの注釈の中で与えられた幻視の解釈--すなわち、幻視は、そしてそのようにして第三の秘密は1981年5月13日の教皇の生命に対する暗殺未遂を記述し、そしてそれにおいて頂点に達している、そして第三の秘密はただ「過去における諸事件」だけを記述しているという解釈--は世俗の報道さえが述べたように、明らかに信じがたいがゆえに、そして

他に比を見ない幻視の内容、そしてその幻視についてのラッツィンガー/ベルトーネ解釈は、第三の秘密の内容に関するラッツィンガー枢機卿自身の1984年の陳述に、あるいは秘密の内容についての他の多くの知られた事実や証言に一致しないがゆえに、そして

ラッツィンガー/ベルトーネによる注釈は、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」--これはシスター・ルチアが彼女の第4回想録においてファチマ・メッセージ全体の不可欠のテキストの部分として含めたものであり、またその文言はあらゆる著名なファチマ学者を、第三の秘密は上層の位階の失敗によるカトリック教会における信仰の広範囲の喪失に言及していると結論することへ導いた--という鍵になる重要な文言を論じることに失敗し、それを取るに足らない脚注へと落としているがゆえに、そして

シスター・ルチアへのファチマの聖母の言葉はそれから先に何もない「等々」において終わることは不可能であるがゆえに、そして

世界中の数百万人のカトリック教徒が2000年6月26日の開示の完全性に関する疑念に対して叱るべき根拠を持っているがゆえに、そして

第三の秘密の内容は前例のない霊的、道徳的および政治的危機のこの時代において教会にとって、そして世界にとって疑いもなく大きな重要性を持っているがゆえに

今やそれゆえに

ヴァチカン当局者たちが、「聖母が3人の子どもたちに一つの秘密として打ち明けられたことば」を含むファチマの第三の秘密の十分で完全な開示をするか、あるいはそうでなければ、シスター・ルチア自身が2000年6月26日に明らかにされたことはその全体における第三の秘密である、そして「白い衣服をつけた司教」の幻視の意味を説明するファチマの聖母の言葉はなかった、また「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」という文言に続く言葉は何もなかったということを公に主張することを許す請願を受け入れるようここに決議する

第7

ヴァチカン-モスクワ協定と東方政策に関して

1962年にフランス、メッツにおいて案出されたいわゆるヴァチカン-モスクワ協定は公会議教父たちに世界の歴史における最も大きな形式の組織化された悪である無神論的共産主義のいかなる非難あるいは言及すらも差し控えるように要求することによって第二ヴァチカン公会議の自由を不当に圧迫したがゆえに、そして

ヴァチカン-モスクワ協定は公会議の後、東方政策において実行され、その政策は教会をカトリック教徒を迫害している共産主義諸政権へのいかなる反対をも差し控え、あるいは、教会は共産主義をそのすべての形式において非難し、反対することを差し控えることはできないというピオ11世、聖ピオ十世、レオ13世、福者ピオ9世の教えにもかかわらず、共産主義の公的な非難を差し控えるように強いたがゆえに、そして

教皇パウロ6世は東方政策の適否についての道徳的疑念よって引き裂かれ、そして、パウロ6世の在位期間に東方政策を実行し、教皇に悪に直面しても沈黙というこの恥ずべき政策に固着し続けるように説得した故カザロリ枢機卿によって公に認められたように、自分[パウロ6世]が福音書を裏切っているのではないかと声を出していぶかったがゆえに、そして

東方政策は赤色中国を含む共産主義諸政権による教会の迫害に直面しても教会を沈黙へと縛り続けているがゆえに、そして

ヴァチカン-モスクワ協定と東方政策は、奉献がヴァチカン当局内部の二つの政策の現在の実行者たちによって外交的に受け容れがたいと思われているということにおいて、ロシアは汚れなき御心に名を挙げて奉献されるべきであるという祝せられた御母を通じてのわれらの主御自身の命令への教会の従順を妨げたがゆえに、そして

カトリック教徒は今やヴァチカン当局者たちによって、カトリック教会は今そのメンバーたちの間違いのために謝罪しなければならないと告げられているがゆえに

今やそれゆえに

ヴァチカン当局者たちが、ヴァチカン-モスクワ協定および東方政策を扱う一つの「和解における真理」委員会を設立するようにという請願を受け容れ、この委員会が(教皇パウロ6世自身が疑われたように)福音書の裏切りであるこれらの失敗した政策に対する正式の教皇謝罪を準備するようここに決議する

第8

汚れなき御心への諸国家の奉献に関して

ポルトガル国家は1931年に、そして再び1937年にその国の司教たちによってマリアの汚れなき御心に奉献されたがゆえに、そして

その結果、ポルトガルはスペインにおける共産主義革命の恐怖と第二次世界大戦の荒廃を免れ、そしてその代わりにカトリック社会秩序の偉大な復興を経験したがゆえに

今やそれゆえに

この会議のメンバーたちがマリアの汚れなき御心への彼らのそれぞれの国の奉献に取りかかるよう司教たちに働きかけ、要求するようここに決議する

第9

国連と国際刑事裁判所に関して

国連はキリストとその聖なるカトリック教会の教え、特に結婚、出産そして家庭の領域における教え、に反対する組織であるとして自らを示してきたがゆえに、そして

国連の諸活動および拡大している権威は補足性に関するカトリックの教えを侵害して諸国家の主権の破壊、そしてまた公共道徳の浸食の方向へと容赦なく傾いてきたがゆえに、そして

国連は主権国家の代わりに、人間的な権威あるいは神の権威のいずれの権威にも答えない神なき国際的政権を確立する恐れがあるがゆえに、そして

国際刑事裁判所は国連の明らかな拡大であり、そしてその法廷が自然権や主権国家の市民法のしかるべき手続きへの権利を軽視して、ある非合法的な仕方で行為するよう構成されている点においてその不法な目標であるがゆえに、そして

ヴァチカン当局のいくつかの諸要素はあらゆる思慮分別と補足性に関するカトリックの教えに反する国連と国際刑事裁判所の両者を一貫して支持してきたがゆえに

今やそれゆえに

適切なヴァチカン当局者たちと世界中のカトリック位階のメンバーたちは請願を受け入れて、国連と国際刑事裁判所のそれ以上の支持を否認し、むしろこれらの制度に、社会の適切な構成および神と人間の権利に反するものとして反対するようここに決議する

第10

伝統的な典礼の回復に関して

教皇ピオ12世(まだエウジェニオ・パチェリであったとき)は、ファチマのメッセージが、ファチマの第三の秘密におけるおとめ[マリア]のまだ明らかにされていない言葉の一部であると思われる警告である「典礼への信仰を変えることの自殺行為」についての警告を含んでいると述べられたがゆえに、そして

パウロ6世の新しいミサに賛成して教会において受け取られそして承認されたミサの典礼のまったく前例のない放棄は、ラッツィンガー枢機卿でさえ述べたように、「教会に重大な損害を」引き起こしたがゆえに、そして

教皇は、実際、教皇パウロ6世がミサの伝統的な典礼を実際に一度も廃棄したことがなく、また誰も、それを捧げるあるいはそれに与る「許可」を必要としない--なぜなら、それは一度もローマ典礼におけるミサの受け取られそして承認された典礼であることを止めたことがないから--という真理を宣言されたであろう1984年に文書に署名する準備をしておられたがゆえに

今やそれゆえに

教皇は請願を受け入れて、1962年にローマ・ミサ典書において最後に成文化されたローマ典礼の伝統的ラテン語ミサがローマ典礼における受け取られ、承認されたミサの典礼であったし、あるし、これからも常にそうであり続けるであろうということ、そしてすべての司祭と司教は何らのインダルトあるいは特別許可なしに、伝統的な典例法規に従ってそのミサを捧げる自由があり、またすべての信徒がそれに自由に与るようになるようここに決議する

第11

伝統的な信心の回復に関して

公会議後の時代は、ロザリオ、5回の初土曜日、そして茶色のスカプラリオの着用を含む多くの伝統的なカトリックの信心の放棄(伝統的な典礼と並んで)を目撃してきたがゆえに、そして

これらの信心は教会の聖なる世襲財産の一部であり、教会の最高の法である霊魂たちの救いのために存在しているがゆえに

今やそれゆえに

教皇と司教たちは請願を受け入れて、これらの信心を教会の生活の一部として精力的に促進するようになるようここに決議する

第12

御聖体に対する尊敬に関して

御聖体に対する尊敬は公会議後の手による聖体拝領の実践によって掘り崩されてきたのであり、そのことは甚だしい神聖冒涜の原因、そして祭壇の中央からの聖櫃の撤去、あるいは聖所からの聖櫃の撤去すらの原因であり、祝せられた秘蹟[御聖体]におけるわれらの主御自身の実在的、実体的現存を侮辱することになっているがゆえに、そして

祝せられた秘蹟はカトリック礼拝のまさに基礎そのものであり、霊魂たちをその救いのために養うまさに食物であるがゆえに

今やそれゆえに

教皇と司教たちは請願を受け入れて、もう一度手による聖体拝領を廃止しまた禁止して、聖櫃を祭壇の中央のその正しい位置に戻すようになるようここに決議する

この決議はわれらの主の年2001年の10月13日、太陽の奇跡の84周年記念の日に採択された。

2004/03/31 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/31

最終更新日:2004/03/31

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