ファチマ・クルーセイダー

もっと大きな混乱

シスター・ルチアによるとされている新しい小冊子は諸々の重大な疑問を提出している

The Fatima Crusader Issue 83, Summer 2006

ジョン・ヴェナリ

6月2日のゼニットの報道はシスター・ルチアによる未公刊の一冊の小さな書物がイタリアにおいて公表されることになったと述べている。出版の日は6月10日と予定された。「ファチマのメッセージ」と題された64ページの小冊子として説明されて、それはコインブラのカルメル会によって編集され、「小さな羊飼いたち」事務局によって発行された。

その報道はシスター・ルチアが1955年まで遡る時に当時の修道会総長の求めによって書き物にされたと言っている。そのテキストは教皇パウロ六世の命令によってヴァチカンに送られた。しかし、その書物の序論において、シスター・ルチアの聴罪司祭ヴェキナ神父は「ヴァチカンの公文書保管所の中に忘れられた」ままにされたと言っている。

1982年に跣足カルメル会修道会の当時の管区長であったこの同じヴェキナ神父は「初めからファチマのメッセージに関係するすべての詳細を書く」ようにシスター・ルチアに求めた。ゼニットの報道はシスター・ルチアの1982年以後の書き物がこの最新の出版においてどのように1955年のテキストと合併されたかを明らかにしなかった。

書物の始まりはゼニットによれば、1917年ファチマの子どもたちへの聖母の御訪問の話の型にはまった再現であると思われる。

しかしもしゼニットの報道が真であるならば、その書物はそれが第二次世界大戦のある局面について取り扱うときに一つの不調和な音を出している。

事実、1917年7月13日にファチマの聖母はピオ十一世の在位の間に始まるであろう、第一次世界大戦よりも「もっと悪い」一つの新しい戦争の勃発を予告なさった。しかし第二次世界大戦についてコメントする際に、シスター・ルチアは歴史が「信仰に対し、神に対し、そして神の民に対する無神論的戦争の勃発」を目撃したと言ったとされるとゼニットは報じている。それは、そこからイエズス・キリスト、おとめ[マリア]、そして使徒たちが来たユダヤ人、われわれに神の御言葉と信仰、希望、愛の賜物を伝達している人々、神によって選ばれた、最初から選ばれた民を絶滅させる一つの戦争である:「救いはユダヤ人からである。」注1)

このユダヤ人への没頭と今日のユダヤ宗教はシスター・ルチアの以前の書き物においてわれわれが見出すどんなものとも異質である。それはルチア自身の言葉におけるファチマの言語表現ではなくて、公会議後のエキュメニズムの言語表現である。それは別人の手 - シスター・ルチアの手以外の - がそのテキストのこの部分を書いたということを示唆している。

ここにその理由がある:

今日実践されているものとしてのユダヤ宗教は実際に旧約聖書のイスラエル人たちの宗教、キリスト時代の間に実践された宗教と何ら共通するものを持っていない。イスラエル人たちのこの宗教は古い契約をすたれたものとしたキリストの新しい契約をキリストがそれによって確立した十字架上でのわれらの主の死と共に終わったのであった。

シスター・ルチアからのものとされた節はこのように旧約聖書のイスラエル人たちの宗教と、旧約聖書にではなくて、カバラとタルムッドと呼ばれる人間の作った著作に基づく現代のユダヤ人の宗教との間の両水流を曖昧にしているのである。もっと悪いことには、タルムッドはわれらの主とわれらの祝せられた御母に対する言葉に表せない冒涜を含んでいるのである。

「聖書の一つの体系的な変形」

多くのカトリック教徒たちがこのことを信じがたいと思うであろうから、われわれはタルムッドの内容および今日のユダヤ宗教においてタルムッドが中心となっていることに関する権威ある典拠からの引用を提供することにする。

フランス、ディジョンの司教モンセイニュール・ランドリユーは彼のL'Histoire et les Histoires dans la Bible(「聖書における歴史と諸々の歴史」)の中でタルムッドを「聖書の一つの体系的な変形」注2)と呼んでいる。その学識ある諸著作のために教皇レオ十二世、ピオ八世およびグレゴリオ十六世によって非常に尊敬されそして勲章を授与された一人の十九世紀のカトリシズムへの改宗者である元ラビのドラクはタルムッドに対する人を魅了する洞察を提供している:

「多年の間現代のユダヤ教の博士たちのうちの最も有名な人々の下で特別な課程に参加した後に、タルムッドを教えそしてその諸々の教義を説明することが長い間私の専門的な義務であった...タルムッドの賢明な読者はしばしば、真の信仰を失ったとき人間精神が陥るあれらの奇妙な多くの倒錯の存在によって悲しませられる。そして非常にしばしばラビの冷笑は恥で彼を赤面させる。キリスト教徒は彼が聖なるものと考えるあらゆるものにファリザイ人たちの不敬虔な憎しみが浴びせる狂気のそして残虐な中傷によってぞっとさせられる....ゲマラ(タルムッドの部分)にはわれらの崇むべき救世主の記憶、彼の聖なる御母、汚れなき天の元后の十分に天使的な純潔並びにキリスト教徒たち - タルムッドは彼らを最も嫌悪感を引き起こす諸々の悪徳を実践する人々として表している - の道徳的性格に対して侮辱している少なくとも百以上の節がある。」注3)

タルムッドに対する長い間確立されたユダヤ人の尊敬に関してモンセイニュール・ランドリユーはユダヤの機関誌L'Universe Israelite[イスラエルの世界]を引用している:「二千年の間タルムッドはそれが彼らの宗教的法典であるイスラエルの息子たちにとって尊敬の対象であってきたし、またあり続けている。」彼はまたArchives Israelitesにも言及しているが、それによれば:「モーセの聖書を超えるタルムッドの絶対的な優位はすべての人々によって認められなければならない。」注4)

ある強制収容所生き残りの証言

誰かある人が「反ユダヤ的」たわごとについて上述のカトリック教徒たちを誤って非難する前にわれわれはまったくキリスト教徒ではない人の重要な証言を提供する。

第二次世界大戦の間ベルゲン・ベルゼン強制収容所に四年間投獄されていたポーランド生まれの一人のイスラエルのユダヤ人イスラエル・シャハクによって1994年に一冊の書物が出版された。彼は1945年から2001年の彼の死までパレスチナに住んだ。彼の書物 Jewish History, Jewish Religion: The Weight of Three Thousand Years[ユダヤの歴史、ユダヤの宗教:三千年の重み]はタルムッドの反キリスト教的な諸々の教えについて率直に話している。私は著者が話しているタルムッドのとまどうほどの部分のために予め詫びておく。シャハク氏はこう書いている:「最初にタルムッドとタルムッド的な文献が...特にキリスト教に対して向けられた非常に攻撃的な陳述や指針を含んでいるということが認められなければならない。例えば、イエズスに対する一連の下品な性的主張に加えて、タルムッドは彼[イエズス]の地獄における罰は煮えたぎる糞便に沈められるべきである -敬虔なキリスト教徒たちにタルムッドをいとしいと思わせることをまさに計算しなかった一つの陳述 - と述べてている。

シャハク氏はこう続けている:「...タルムッドの律法の完全な規約の Edito Princeps ,マイモニデスのミシュネー・トラーはすべての異教徒たちに対する最も攻撃的な指針に満ちているが、しかしまたキリスト教とイエズス(その名前の後に著者は一致して『不正な者の名が滅びるように』とつけ加えている)に対する明白な攻撃に満ちている...」注5)

われらの主に対するこれらの明白な攻撃の一つはイエズスが「エジプトにおいて魔術を学んだ」(Shabbos 104b)注6)と主張している。タルムッドが祝せられたおとめマリアを呼んでいる下劣な諸々の名称はここで繰り返されることすらないであろう。

タルムッドがこれらの心をかき乱す教えを含んでいるという事実は傑出したアメリカの神学者モンセニョール・ジョゼフ・クリフォード・フェントンによってもまた確証された。彼は尊敬されたガリグー・ラグランジュ神父O.P. の下でローマ・アンジェリクム大学で訓練され、20年以上にわたって名声のある神学雑誌 The American Ecclesiastical Review の編集者であった。彼の1942年の見事な護教的書物 We Stand With Christ においてモンセセニョール・フェントンは次のことを証明するためにタルムッドの教えを引用した:

1)キリストは真に実在なさった。さもなければタルムッドの著者たちはキリストについて書かなかったであろう。

2)キリストの諸々の奇蹟の歴史的な真実。フェントンはこう書いている:「彼らはキリストについて諸々の不思議を行うことに取り組んだ一人の魔術師として話し、そしてそれによってキリストの諸々の奇蹟の事実を指し示している。注7)

タルムッドとカバラの特別の研究をしたカトリック作家クレイグ・ハイムビヒナーは、ある最近出版されたタルムッドは今、いくつかの以前の版が削除していたこれらの攻撃的な節を含んでいると説明している。注8)

ユダヤ人たちの主題に関してシスター・ルチアに帰せられた言葉が偽りであるということは明らかである。ユダヤ人であろうとそうでなかろうと、人があるグループの人々の組織的な迫害を非難するのと同じ程度に第二次世界大戦について「そこからイエズス・キリスト、おとめ[マリア]そして使徒たちが出たユダヤ教を絶滅させようとした」一つの戦争として話すことは神学的に正確ではない。というのは、今日のタルムッド的なユダヤ宗教はそこからわれらの主、聖母そして使徒たちが出た旧約聖書の宗教ではまったくないからである。

シスター・ルチアのこれらのそうだと言われている書き物は彼女自身の初期の文体に一致していないし、またそれらはわれわれの受け取ったカトリック信仰にも一致していない。それらは、しかしながら、今日のユダヤ人たちが神との彼ら自身の存在する契約を持っており、そして彼らが救いのためにわれらの主の唯一の真のカトリック教会に回心する必要がないと誤って暗示している新しい、公会議後のエキュメニカルな宗教 - それは聖書と教会の真正の教導権の教えに反している - に一致しているのである。このことだけでもシスター・ルチアに帰せられている著者の死後に出版されたこの小冊子を大いに疑わしいものにする。

奉献のもっと多くの故意の誤報

驚くほどのことはないのであるが、新しい小冊子は1984年3月25日の世界の奉献がマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献についての聖母の御要求のための条件を満たしたと言っているシスター・ルチアを載せている。

ファチマ・クルーセイダーにおいて繰り返し指摘したように、これは、1)聖母は世界の奉献を要求なさったことは一度もなく、ただロシアの奉献を要求なさった、2)1984年の奉献は聖母の御要求を満たさなかったというシスター・ルチアの以前の証言と矛盾している。以下に簡単な要約がある:

引用され得る他の論証がある、しかしわれわれの目的のためには上述のもので十分であろう。

それでは、シスター・ルチアが突然反対の方向へ転換して奉献がなされたと主張したという諸々の報道がなぜ出回るのか?

1988年:決定的な年

この議論において諸々の日付に注意を払うことが重要である。というのは、1988年にそれに値する注意をめったに受けない一つの重要な出来事が起こったからである。1988年にヴァチカンはすべてのファチマ使徒職団体に1984年の奉献がファチマの聖母の要求を満たしたと主張するように命じた。

フレール・フランソワは1988年に「ロシアの奉献で教皇をしつこく悩ますことを止めるようにすべての者に命じる一つの命令がヴァチカンからファチマの当局者たち、シスター・ルチア、メッシアス・コエリョ、そして聖母にたいそう献身していた一人のフランス人司祭を含む種々の聖職者たちに来た。」と書いている。ファチマの熱愛者カイヨン神父はこう書いている:「皆が次のように言いそして考えるように義務づける一つの命令がローマから来た。『奉献はなされた。教皇は彼ができるすべてのことをされた。天はこの意思表示に同意を示された。』」注15)ロシアの奉献を認めてこなかったさまざまのファチマ使徒職諸団体 - シスター・ルチアの修道院を含む - が突然1984年の奉献が天の要求を満たしたと主張し始めたのは1988年-89年のこの頃であった。

シスター・ルチアのものだと主張される奇妙なタイプで打たれた諸々の手紙が出回り始めたのもまたこの時期であった。明らかにシスター・ルチアが、単に彼女がロシアの奉献について常に言ってきたことに矛盾するだけでなく、またシスター・ルチアが決して書かなかったであろう甚だしい誤りをも含んでいるこれらの手紙の著者であることはあり得ないのである。

例えばシスター・ルチアからのものであるとされるこれらのタイプで打たれた手紙の一つはウォルター・ネルカー氏とかいう人宛てに書かれ、そして1989年11月8日の日付になっている。この手紙の中で著者(シスター・ルチアであるとされている)は教皇パウロ六世によって彼の1967年ファチマ訪問の間になされた奉献に言及している。シスター・ルチアはこのことを知っていたであろう。なぜなら彼女は1967年のその出来事に立ち会っていたからである。

ネルカー氏宛のその同じ手紙の中で著者(シスター・ルチアであると考えられている)はロシアの奉献は公会議の行われている間には為され得なかったと宣言した。これは、世界の司教たちの集まりは汚れなき御心へのロシアの奉献のための理想的なお膳立てであると言ったシスター・ルチアやファチマ専門家たちによってなされた以前の陳述に真っ向から反するものである。

さらに1989年のタイプで打たれたインチキの手紙はシスター・ルチアの実妹カロリンによって批判された。彼女は1990年にグルーナー神父に個人的にこう告げた:「グルーナー神父様、そのようなタイプで打たれた手紙には何ら注意を払ってはいけません。シスター・ルチアはタイプを打たないのです。」注16)(以下の写真参照)

(1)グルーナー神父と(2)ポール・クレイマー神父およびベルーベ神父はここでシスター・ルチアの実の姉カロリンとの個人的インタビューをしていることが示されている。1990年10月11日にカロリンはグルーナー神父にシスター・ルチアがパソコンあるいはタイプを打つことはないと語った。さらに、彼女はシスター・ルチアがそのときまでなお彼女や他の人々に普通の文字の書き方で手紙(4ページでさえ)を書いたと言った。タイプで打たれた手紙はまたシスター・ルチアが決してしなかったであろうひどい間違いを含んでいる。これらの重要な事実は、奉献がなされたと主張しているシスター・ルチアからのものだとされているタイプで打たれた手紙がが実際偽物であるということを証明している。

1992年までカロリン(上の写真)は彼女の一番下の実の妹ファチマのシスター・ルチアを彼女のコインブラの修道院にしばしば訪ねた。現在の諸問題に答えるためにわれわれはカロリンがシスター・ルチアは死んだそして他の誰かが彼女の代わりをしていたということを決して示唆しなかった。カロリン自身は1993年に亡くなった。

このように諸々の命令がヴァチカンから来た1988年 - 89年以来、明白な偽物がファチマ・メッセージ一般、そして特に1984年奉献のある局面に関してシスター・ルチアの名前において出回って来た。6月に出された新しい小冊子は大きな留保をもって見られるべきシスター・ルチアから出たと主張されている文書の範疇に入るものである。

一つの論争

そしてここで私は私が議論しないことを選んだであろう一つの主題に関して簡単に触れよう。真のシスター・ルチアは1950年代の終わりに(有名なフエンテス神父のインタビューの後に)死んだあるいは殺されたのであり、それ以来ずっと一人の偽のシスター・ルチアが世界に提供されてきたという一つの通用している主張に関してコメントするようにという多くの要求を受けてきた。この申し立てはシスター・ルチアの1950年以前の写真とシスター・ルチアの1960年以後の写真を比較することによって、それらが同一人物の写真ではあり得ないと主張しながら、論じられている。

私自身の意見はその事例は信頼できる犯罪科学の専門家たちによって研究されるべきだということを選ぶというものである。私はその事例もまた、この主張を合理的な疑いを越えて論証するためにポルトガルにおけるシスター・ルチアの生涯の友人たちや家族の人々の多くのインタビューを必要とすると考える。

率直に言って、1960年頃に任じられたインチキのシスター・ルチアが公会議後のヴァチカンと位階を明らかに苦しめるであろう事柄を言うなどということは私には意味があるとは思われない。われわれはシスター・ルチアが友人たちや親族たちに宛てた彼女の手紙の中で公会議以来教会において起こってきたことを説明するために「悪魔的な方向感覚喪失」という言葉を用い、そして教会において大きな権威を有している人々がこの悪魔的な方向感覚喪失の下にあると述べたのが、1969年と1971年の間であったということを思い起こさなければならない。私には一人のインチキのシスター・ルチアがむしろ公会議後の熱狂者たちの「新しいペンテコステ」専門語を採用したであろうと思われる。

さらに、世界ではなくて、ロシアの奉献という特定の必要に関するシスター・ルチアの証言はヴァチカン[伝えられるところによれば国務省]が諸々のファチマ使徒職団体に奉献について「教皇をしつこく悩ませること」を止めるように、そして今は奉献はなされたと言うように命じた1988-89年までずっと変化することなく続いた。「書かれた証拠」に関しては、われわれがシスター・ルチアから観察したことにおける変化は1960年ではなくて1989頃に始まった。

諸々の事実自体が語る

ネルカー氏宛のシスター・ルチアからのものとされる手紙に戻ろう。われわれは、残念なことに、ネルカー氏宛のタイプで打たれた手紙 - それは一つの不器用な偽造であるあらゆる徴候を持っている - は、奉献がなされたという第三の秘密の関する彼の2000年6月26日におけるモンシニョール・ベルトーネによって与えられた唯一の証拠であるということを読者に思い起こさせなければならない。6月26日のヴァチカン文書はこう言った:

「シスター・ルチアは個人的に奉献のこの荘厳かつ普遍的な行為が聖母が望まれたことに一致するということを確証した...『はい、それは1984年3月25日に、聖母がお求めになったように、なされました』(1989年11月8日の手紙)。それゆえこれ以上のいかなる議論あるいは要求も根拠がない。」注17)

モンシニョール・ベルトーネはこの手紙に脚注をつけないように注意した。情報を持たない読者は彼がどの手紙に言及しているのか、何の考えをも持たないであろう。真実はこの1989年11月8日の文書が明らかな嘘を含んでいるウォルター・ネルカーの手紙であるということである。

言うも悲しいことであるが、これが現代のヴァチカン文書がファチマについて含んでいるずさんさとごまかしのレベルである。注18)Los Angeles Times さえ6月26日のラッツィンガー/ベルトーネ・ファチマ文書について「ヴァチカンのトップ神学者がファチマ信心をやんわりと地位低下させる」注19)と言ったことは驚くに当たらない。ファチマに関してそのような評判の悪い仕方で行動するヴァチカンのメンバーたちと共に、われわれのうちの誰がシスター・ルチアが1988年以前に言ったことに矛盾する彼女からのものだとされる書き物について極度に慎重になることに対して非難され得るであろうか?

さらに、われわれは次ぎの三つの基本的な点のゆえに奉献が果たされなかったということを知っている:

1)聖母は明確にロシアをお求めになった。そしてロシアは言及されなかった;

2)聖母は奉献の結果としてのロシアの回心を約束なさった。そしてロシアは回心していない。実際、私が以前の諸論考において証拠書類で立証したように、ロシアは今や、合衆国のそれに匹敵する離婚率を含む不道徳に満ちている。首都[モスクワ]そこでは同性愛が荒れ狂っている;ライブの成人向き指定の現実テレビ;はびこる児童ポルノ;そして世界における最も高い中絶率の国。注20)

3)聖母はロシアの奉献の結果として平和の一時期が世界に与えられるでしょうと約束なさった。われわれは平和を持たなかった。しかし1984年以来絶えざる戦争、そしてもっと悪い戦争がなお起ころうとしている。

永続的な戦争

今年の3月に合衆国政府はその国家安全保障戦略を出したが、その中でそれは実際に多かれ少なかれ永続的な戦争を宣言している。

その文書はこう言っている:「あらゆる国と文化においてわれわれの世界における独裁政治を終わらせるという究極的な目的をもって民主的な運動と制度を探求し支持することは合衆国の政策である。」それはこう続けている:「この目標を達成することは諸世代の仕事である。合衆国はわれわれの国が冷戦の初期の時代に直面したものに似た一つの長い闘争の初期の年々にいる。

有名なカトリック作家ゲイリー・ポッターが述べたように、イラク戦争は始まりに過ぎない、そして合衆国政府は「テロに対する戦争」という文言をますます放棄しつつある。そしてその文言の代わりに「長期の戦争」- 「諸世代の仕事」であろう永続的戦争の状態 - という用語を用いるようになっている。注21)

結論を言えば、少なくとも1988年以来、ファチマのメッセージに関する下劣な振る舞い - われわれの慎重さと沈黙を要求するシスター・ルチアから出たとされる書き物 - そしてその最も忠実な保護者であるべき人々による「ファチマの地位を低下させる」諸々の試みがあってきた。それゆえに、カトリック教徒はシスター・ルチアの死後に出されたいかなる書き物をも、特にそれらが彼女の以前の生涯続いた証言に矛盾し、またカトリック信仰の基礎となる諸真理に矛盾するときには、極度の注意をもって扱う方がよいであろう。

そして「諸世代」にわたって続くと見込まれている企てられた「長期の戦争」の光に照らしてみれば、マリアの汚れなき御心へのロシアの適切な奉献の必要性 - それの結果は聖母によって約束された平和の一時期であろう - はこれまで以上にもっと大きいのである。

脚注:
  1. “Sister Lucy’s Unpublished Writings Released”, Zenit, June 2, 2006.

  2. The Kingship of Christ and the Conversion of the Jewish Nation, Father Denis Fahey(First printed by Regina Publications, Ireland, 1953. Republished by Omni Publications, Palmdale, 1987), p. 86.

  3. Ibid., pp. 88-89.

  4. Ibid., p. 92.

  5. Jewish History, Jewish Religion: The Weight of Three Thousand Years, Israel Shahak,(London: Pluto Press, 1994), pp. 20-21.

  6. Quoted from “The Talmudic Touch: The Real Story of the Offertory’s Replacement,” Craig Heimbichner, Catholic Family News, March, 2003.

  7. We Stand With Christ, Msgr. Joseph Clifford Fenton,(Bruce Publishing Co, 1942), p. 107.

  8. “The Talmudic Touch ...” To make this point, Mr. Heimbichner quotes Talmud scholar Rabbi Adin Steinsaltz and his book, The Essential Talmud.

  9. Our Lady of Fatima, William Thomas Walsh,(Image-Doubleday, New York, Imprimatur 1947), p. 221.

  10. L’Osservatore Romano, May 12, 1982.

  11. The Fatima Crusader, Issue 13-14(Oct.- Dec., 1983), p. 3.

  12. Fatima: Tragedy and Triumph.(Vol. IV of Fatima: Intimate Joy, World Event). Frère François de Marie des Anges, (English translation by Immaculate Heart Publications, Buffalo, NY 1994), pp. 167-168.

  13. Sol de Fatima, September 1985.

  14. Cited from Fatima: Tragedy and Triumph, p. 189.

  15. Ibid.

  16. See The Fatima Crusader, Issue 35, pg. 8 and Issue 38, pg. 35. Besides, the falsehoods of 1989 and beyond have been responded to thoroughly by The Fatima Crusader at that time. It should be noted that photos of Sister Lucy sitting at a word processor only surfaced recently. There were no such photos in the late 1980’s, early 1990’s.

  17. Document from the Sacred Congregation for the Doctrine of the Faith, “The Message of Fatima”, June 26, 2000.

  18. See two books that examine the June 26, 2000 “release” of the Third Secret in great detail: The Devil’s Final Battle, edited by Father Paul Kramer; and Fatima in Twilight by Mark Fellows. Both are available from The Fatima Crusader.

  19. Los Angeles Times, “Catholic Church Unveils Third Secret: The Vatican’s Top Theologian Gently Debunks a Nun’s Account of Her 1917 Vision That Fueled Decades of Speculation”, June 27, 2000.

  20. For more details, see “It Doesn’t Add Up”, John Vennari, The Fatima Crusader, Issue 70, Spring, 2002,. On the web at www.fatimacrusader.com/cr70/cr70pg12.asp.  何とも腑に落ちない話.

  21. Gary Potter, “Documents Put Americans on Notice: Iraq is Just the Beginning”, Catholic Family News, July, 2006. This article is also on the web at www.cfnews.org/TwoDocs.htm

2006/10/11 三上 茂 試訳

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作成日:2006/10/11

最終更新日:2006/10/14

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