ファチマの聖母マリア

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃

第 III 部

クリストファー・A.フェララ

(『ファチマ・クルーセイダー』特別報告

「諸宗教間」ファチマを創り出す計画

フォックス神父が従うために選んだ道はその伝統的なカトリック的意味におけるロシアの奉献と回心の抹殺では終わらない。ネオ近代主義的なファチマへと下降する道を出発した後に、フォックス神父は今や最後までやらなければならない。さもないと彼の称するところのファチマ使徒職がそのまさに存立のためにそれに依存している反ファチマ教会官僚たちの支持を失う危険があるからである。このことは、フォックス神父がファチマのネオ近代主義的変形における最終段階:すなわち、一つの「宗教間」ファチマ聖堂の創出を喜んで擁護しなければならないということを意味している。グルーナー神父を攻撃する彼の第二の論考「ファチマはそのカトリック的アイデンティティを保つであろう」において、フォックス神父は彼が喜んでそして熱心にそうするということを示している。

何よりもまず、その論考の奇妙な言葉遣いに注目せよ:ファチマはその「カトリック的アイデンティティ」を「保つ」であろう、と。ファチマは定義によって一つのカトリックの場所であるから、これは「聖ペトロ大聖堂はそのカトリック的アイデンティティを保つであろう」と言うことと同種の言葉遣いである。明らかに、フォックス神父にこの奇妙なそしてむしろ不安にする主張をさせる何かあることがファチマで進行しているのである。

フォックス神父は何が進行しているかを非常によく知っている。2003年10月にファチマ聖堂で開催された仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、正教、アングリカンそしてカトリックの前例のない「諸宗教間」会議に関連して、聖堂主任司祭ルチアーノ・ゲッラ神父は次のように宣言した:

ファチマの未来、あるいはこの聖なる聖堂における神とその御母との礼拝は異なった諸宗教がそこで混ざることができる一つの聖堂の創出を経験しなければならない。ポルトガル、そしてカトリック教会における諸宗教間対話はまだ萌芽的な局面にある。しかしファチマ聖堂はこの事実に無関心ではない。そしてすでに使命の一つの普遍主義的場所であることに開かれている。

このバンジョーに似た建物はゲッラ主任司祭が5000万米ドルの費用をかけてファチマ聖堂にすでに建設を始めた新しい「教会」のモデルである。

カトリック新聞( Universe Catholic Herald を含む)およびポルトガルの世俗新聞(Noticias de Fatima Portugal News )において広く報道されたこの所見は関心のあるカトリック教徒たちによる国際的抗議の嵐を巻き起こした。それに答えて、ゲッラ主任司祭は一連の曖昧な声明を発表したが、そのどれ一つも彼が所見を発表したということを実際に否定しなかった。反対に、「諸々の否定」はただ、ゲッラが聖堂での「諸宗教間」諸活動を促進しようと意図しているということを肯定しただけであった。例えば、ファチマ聖堂のウェッブサイトにおけるゲッラの「公式の」答はこう宣言した:

「そして、すでに多くの他の聖なる場所において起こっていることの後に、それがわれわれにとって好都合であると思われる時には、この新しい大聖堂は他の諸信仰からの兄弟たちを受け入れることができるであろう、彼らは兄弟的な仕方で、われわれがどのように祈っているかを知りたいであろう。

ゲッラ主任司祭は、伝統的なカトリック的デザインのもともとの大聖堂の近く、コヴァ・ダ・イリアに彼が建設しようと意図している巨大なバンジョーに似たおぞましい新「大聖堂」に言及していた。われわれが見ることができるように、その「大聖堂」は大部分が地下に埋められ、このようにしてゲッラがファチマのメッセージに対してなそうとしていることの一つの完全な隠喩として役立つであろう。

ゲッラは明らかに、他の諸宗教の成員たちがファチマでカトリック教徒がどのように神を礼拝しているかを観察すること以上の何かあることを彼の新しい「大聖堂」のために意図している。なぜなら、このことを現にある大聖堂で彼らはすでにすることができるからである。むしろ、ゲッラは彼の計画を「他の多くの聖なる場所ですでに起こっていること」にはっきりと関連づけた。彼は、「それはわれわれにとって好都合であると思われる」時に、と彼が述べたように、ファチマで起こることを明らかに許そうとしているのである。

彼の諸宗教間聴衆に「他の多くの聖なる場所ですでに起こっていること」を示すために、ゲッラはインド、ヴァイランカンニのカトリック・マリア大聖堂の主任司祭アルル・イルダヤム神父を会議で発言させるために招待した。この聖堂は一年に多くのヒンドゥー教徒を含む数百万人の巡礼者たちを受け入れている。そしてイルダヤム神父は聴衆に、「諸宗教間対話」のさらなる発展として、今やヒンドゥー教徒たちは彼らの宗教的儀式をヴァイランカンニ聖堂で執り行っているということを喜んで報告した。ゲッラを含む聴衆はこの冒涜の行為に拍手喝采を送った。注30)「汝は私の前に偽りの神々を持ってはならない」という十戒の第一戒は明らかにこの聴衆には失われていた。

2004年1月9日、彼の発言のほぼ三ヶ月後にゲッラ主任司祭はイギリスの雑誌 Catholic Herald からの報道記者に、彼が実際に「ポルトガル、ファチマの新しい聖堂は『そこで異なった諸宗教が混ざることができる』一つの場所となるであろう」ということを最終的に認めた。しかし、彼の陳述は「文脈から取り出されて」いたと主張した。しかしながら、その「文脈」は仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、正教会およびアングリカンの信徒の集まりであって、モンシニョール・ゲッラに拍手喝采された--インドのカトリック・マリア聖堂におけるヒンドゥー教徒の礼拝を許している一人のインド人司祭によって述べられたのである。

ここで、ゲッラの会議がまたネオ近代主義的「神学者」ジャック・デュピュイ神父によっても講演が行われたということは注目されなければならない。目撃者のジョン・ヴェナリが報告したように、デュピュイの講演は、神がその救済の御計画の一部として他の諸宗教の存在を積極的に意志された、そして人は他の諸宗教を非キリスト教的と見なすことさえしてはならない主張した。 Noticias de Fatima 紙はデュピュイを次のように引用している。「未来の宗教はすべての者を満足させるであろう一なる普遍的キリストへのすべての諸宗教の一般的収斂であろう。」

デュピュイは、教会の外にいかなる救いも存在しないということに関連してすでに言及されたフィレンツェ公会議(1442年)の不可謬の教義的決定を「恐るべきテキスト」と宣言したときあからさまな異端に陥った:

聖なるローマ教会は...単に異教徒ばかりでなく、またユダヤ教徒、あるいは異端者や分離主義者もまた、死ぬ前に教会に結ばれていないならば、永遠の生命に達することはできず、「悪魔とその使いたちのために用意された」(マテオ25:41)永遠の火の中へ入って行くであろうと固く信じ、告白し、宣言する。彼がどれほど多くの慈善を施そうとも、たとえキリストの名においておのが血を流すとしても、もし彼がカトリック教会の懐と一致のうちにとどまっていないならば、救われることはできない。

ヴェナリが個人的に述べたように、この不可謬的に決定された教義に対する彼の不同意を含むデュピュイの講演は、単にゲッラによってばかりでなく、またレイリア・ファチマの司教D.セラフィム・デ・ソウサ・フェレイラ・エ・シルヴァそして教皇使節によってさえ拍手喝采された。ヴェナリが報告しているように、実際翌日フィッツジェラルドは会議でこう述べた:「デュピュイ神父は昨日他の諸宗教の人々との関係の確立の神学的基礎を説明した。」

今日まで、ゲッラはファチマ聖堂のある土地で非カトリック的諸儀式を含む諸宗教間の諸活動を許すという彼の明白な意図をはっきりと否定してこなかった。筆者によって送られたEメールとファックにおいてそのような否定を出すように求められたとき、ゲッラはその発行を完全に避ける一つの「回答」を発するために2ヶ月も待った。注31)

ゲッラの滑稽なしぐさに対する怒りの国際的な波に直面して、バチカン官僚の反ファチマ分子はフィッツジェラルド大司教を通じて話しながら、後に[第二バチカン]公会議後の革命に典型的であるあれらの「否定」の一つを発した:それは革命の最近の試揚気球の打ち上げのための口実を準備する一方で、余りにも信じやすい人々をなだめるように計算されていた。イギリスのカトリック雑誌 Universe によれば、フィッツジェラルドはゲッラの寄せ集めの諸宗教間集会は「教会と現代世界における聖域の『諸宗教間の次元』に関する『進行中の省察の一部』にしか過ぎなかった」、しかし「そこにはいかなる実践的結論もなかった」と言った。注32)これはむしろ他の女性たちと浮気をしているときに、自分は単に姦淫に関する「進行中の省察」に携わっているのであって、まだどのようにそれを犯すかを決定していなかったと抗議する一人の結婚した男に似ている。しかしフィッツジェラルドは、モンシニョール・ゲッラが、 Universe が報じたように、「ファチマの将来、あるいは神とその御母のこの聖なる聖堂での礼拝は異なった諸宗教が混ざることができる一つの聖堂の創出を経験しなければならない」と言ったということを明らかに否定し損なったのである。

長い間未完成である一つの計画

ゲッラのファチマにおける汎宗教的集会は彼が20年も前から確立していた「諸宗教間ファチマ」へ向けての足跡における最近の到達点にしかすぎない。遡って1992年に The Fatima Crusader は、ゲッラが平和のための国連大学学長ロバート・ミュラー教授を会議で話すように招いたという話を報道した。ミュラーは一つの世界政府の庇護の下に一つの世界宗教を創出する運動に教皇自身を敢えて引き込んだ:「エキュメニズムは今や時代遅れである。」彼はゲッラの会議にこう宣言した。「われわれは今や、間もなく日の光を見るであろう一つの世界政府の庇護の下に、そしてヨハネ・パウロ二世の刺激の下に、普遍的宗教性と霊性へと動いている。そしてヨハネ・パウロ二世がもし教会にこの計画を与えたならば尊敬されるであろう。」1992年のゲッラの賓客[ミュラー]と2003年の彼の賓客、デュピュイ神父との間の所見の対称性に注目せよ。デュピュイ神父は先にこう言ったのである:「未来の宗教はすべての人々を満足させるであろう一なる普遍的キリストへのすべての諸宗教の一般的収斂であろう」と。

モンシニョール・ゲッラとフィッツジェラルド大司教がふざけていると誰が考えるであろうか? ファチマ修正主義者たちは一つの試揚気球を打ち上げた。その試揚気球は怒ったカトリック教徒たちによって撃ち落とされた。そして今、少なくともしばらくの間は、彼らは速度を落とそうと努めている。しかし、「われわれにとって好都合であると思われる」とき「諸宗教間」活動にファチマ聖堂を開くという計画を実際には棚上げにはしていない。二歩前進一歩後退なのである。ファチマは今日諸宗教間のメッカではないであろう、しかしフィッツジェラルドは今、聖堂がその上で前例のない会議が「進行中の省察」の一部である「一つの諸宗教間の次元」を持つという暗示を植え付けたのである。「実践的結論」が出るのを見守ろう。

小聖堂におけるヒンドゥー教徒たち

そしてその「実践的結論」はすでに明らかにされている。ゲッラ神父とフィッツジェラルド大司教が何一つ否定しない曖昧な「諸々の否定」の背後に隠れているときでさえ、ゲッラは一つの諸宗教間ファチマ聖堂のための彼の計画をもって前進し続けている。

予め周知されることがなかった驚くべき展開のうちに、2004年5月5日にゲッラは、聖母がコヴァ・ダ・イリアに御出現になったまさにその地点に立っているカペリーニャ、すなわち御出現の小聖堂においてバス一杯のヒンドゥー教徒に異教的儀式を執り行うことを許可した。ヒンドゥーの祭服を纏い、その額にシバ神のしるし(点)をつけた一人のヒンドゥー教の「司祭」が小聖堂の外部扉の部分の祭壇にのぼり、食物と花の供物を捧げた。ヒンドゥー教礼拝者たちの一人はテレビ視聴者たちに、ヒンドゥー教徒は多くの神々を信じ、そして神自身よりも神の妻(マリアを意味している)に近づく方が常により良いと信じているからファチマに行くのだと語った。注33)

ゲッラの許可なしには誰も小聖堂を使用することは許されていない。ゲッラが、彼のゲスト・スピーカーであるアルル・イルダヤム神父がインドのヴァイランカンニの聖母の聖堂で許している同じこと:すなわち、ヒンドゥー教の礼拝をちょうど許したということは偶然の一致ではない。さらにポルトガルのSIC チャネルによる出来事のテレビ報道の間にゲッラはヒンドゥー教徒の異教的偶像崇拝のための小聖堂の使用に関して是認するコメントを準備した。

そのように、彼自身の所見が引き起こした爆発的な論争のまさに真っ只中でゲッラは彼がそうする何らかの意図を持っていることも「否定した」ことを恥知らずにも続いてしているのである。この人物はバチカン当局の完全な支持を自分が得ており、そしてこの神聖冒涜を許すことに対するどんな反対の諸結果に対しても保護されるであろうと明らかに信じている人物である。そしてそれは今やファチマの聖なる土地を管理しているこの男なのである。

フォックス神父はその計画を隠蔽している

フォックス神父はゲッラの著しく常軌を逸した行動について何か言うべきことを持っているのか? 彼がロシアの奉献と回心についてしているのと同じように、彼は隠蔽工作に参加している。フォックス神父はゲッラの声明と行動に対するグルーナー神父の公的な抗議を「偏向したそして人騒がせな報告」として退けるが、しかしゲッラが言ったことを言ったそしてしたことをしたということを実際に決して論争しない。ゲッラが「『ファチマの未来、あるいはこの聖なる聖堂での神とその御母の礼拝はそこで異なった諸宗教が混ざることができる一つの聖堂の創出を経験しなければならない』と言ったとして引用された」ということを是認する一方で、フォックス神父は単に「私が個人的に知っているモンシニョール・ゲッラはマリアに関して「礼拝」については決して語らないであろう」とだけ述べた。

これは非常に奇妙なことである。もしフォックス神父がモンシニョール・ゲッラを個人的に知っているならば、なぜ彼は単純に、ゲッラに帰せられた陳述を彼がしたかどうかをゲッラに尋ねなかったのか? その答は十分に明らかであると思われる:フォックス神父はモンシニョール・ゲッラが実際にその陳述をしたということを知っているのである。なぜなら、上に指摘したように、ゲッラは彼がその陳述をしたということを認めたからである。ただ彼はそれは「文脈を離れて」受け取られたと主張しているにすぎない。--これはあらゆる政治家が彼自身の言葉が彼につきまとうときに言うことである。

フォックス神父は彼の通常のやり方に従う際に、彼の立場を実際には全然権威を持っていないバチカン官僚の見せかけの権威をまとう時自らのためにより深い穴を掘っているだけである。フォックス神父はゼニット・ニュース・エイジェンシーに「私の知る限り、その建物が諸信仰間の目的のために特殊的に計画されているというどんな計画も存在しない。われわれはファチマが多くの諸宗教のための巡礼の場所である[いつから? ]ということを認める。...聖堂はそれにもかかわらずそのカトリック的アイデンティティを保持している。」と告げたフィッツジェラルド大司教を引用している。フォックス神父の論考の標題はここから来ているのである。

ウォール・ストリートの訴訟人はフィッツジェラルドの抜け道だらけの「否定」よりももっと法律家的な陳述を作り出すことはできないであろう:彼の知る限り新しい「バシリカ」は諸信仰間の諸目的のために特殊的に計画されたのではない、そしてその新しい構造物はその「カトリック的なアイデンティティを保持する」であろう、と。それはゲッラが実際に言ったこと:すなわち、新しい構造物は、たとえそれが「カトリック的なアイデンティティ」を「保持する」としても、異なった諸宗教がそこで混ざることができる一つの場所であろうということ、の否定ではほとんどないのである。

もっと悪いことには、フォックス神父自身が明白な承認をもって述べているように、フィッツジェラルドは「ファチマの御出現はエキュメニカルな対話への熱心な勧めであった。マリアはポルトガルにおけるその場所の彼女の選定がいつの日にか、その娘の名がファチマであったイスラムの預言者モハメッドに関連づけられるであろうということを知っておられた」という、ゲッラの「諸宗教間会議」を擁護するファチマ聖堂のウェッブサイトに載せられたゲッラの見解を支持しているのである。

狂気の沙汰である!これはもう一つのネオ近代主義的な真理の転覆である。そしてフォックス神父はそれをまるごと呑み込んでいる。実際には、ファチマの村は一人のイスラムの王女にちなんで名づけられたが、彼女はムーア人によるポルトガル占領の間の彼女のキリスト教軍による捕虜の後にオウレムの伯爵の許嫁となり、カトリックに回心して、1158年に伯爵と結婚する前に洗礼を受けたのである。彼女の洗礼名はオウレアーナであった。しかし彼女の誕生名はモハメッドの娘にちなんだファチマであった。注34)このように、ファチマの村の命名は「エキュメニズム」あるいは偽りの預言者モハメッドの証拠ではなくて、ポルトガルのイスラム占領者たちに対するキリスト教世界の勝利の証拠なのである。それはまさにファチマの聖母が宣言するために来られたこと:すなわち、ロシアの人々に始まる非カトリック者たちの一なる真の宗教への回心、の証拠なのである。

違うのだ、フォックス神父よ、聖母は「エキュメニカルな対話」に参加するように勧めるために、あるいは「預言者」モハメッドの娘に称賛を与えるために来られたのではないのだ。モハメッドは「預言者」ではなかったのであって、その偽りの宗教が今日まで世界に災厄を与えている悪魔の代理人であった。

ネオ近代主義の道をますます遠く降って来ながら、フォックス神父はファチマにおける平和の天使の出現についてのモンシニョール・ゲッラの奇怪な解釈を是認しながら引用している:「パンの形色の下に御聖体が最年長の幻視者に与えられ、一方で二人の年下のフランシスコとジャシンタは始めてぶどう酒の形色の下に御聖体を受ける。両形色の下での御聖体拝領がラテン式典礼のカトリック教会で広く行われなくなったが、オーソドックス諸教会ではそうでなかったので、平和の天使のメッセージは1千年にわたるローマから分離したそれらの教会とのエキュメニカルな対話への一つの勧めである。」

ナンセンスである。まず第一に、ファチマの聖母は正教会との「エキュメニカルな対話」を求められなかった。むしろ--ちょうど聖母がメキシコの全民族を奇跡的に回心させられたように、聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献を通じての彼らの徹底的な、奇跡的な回心を求められたのである。「対話」はエキュメニカルであれ他のものであれ、必要ではないであろう。

さらに、両形色の下での聖体拝領は東方典礼のカトリック諸教会で常に行われて来た。それゆえ、平和の天使がしたことは分離主義的正教会にとって好都合な推薦状としては見ることはほとんどできない。また、東方典礼カトリック教徒もあるいは正教会の信徒も両形色を別々に受けないで、むしろパンの形色をぶどう酒の形色の中へ浸し、直接に舌の上に置くインティンクションによって受けている。どちらかと言うと、天使の行動は、キリストの御体、御血、霊魂そして神性は聖別されたぶどう酒においてと同様に聖別されたパンにおいて完全に受けられるということ、そして秘蹟の十分な恩恵を受けるためには両形色を受ける必要はないという、プロテスタントたちに対するトレント公会議の教えを主張している。天使はまた、手によるのではなく、舌による聖体拝領をするように神は望んでおられるということを示したのである。--フォックス神父は今日後者[手による聖体拝領]に何の反対の声もあげていないけれども。

モンシニョール・ゲッラ自身の言葉と行動とに基づけば、彼がファチマの「カトリック的なアイデンティティ」に関してよい意図を持っていないことは明らかである。彼が Noticias de Fatima に語ったように、彼の諸宗教間会議はほんの「第一歩」にしかすぎなかった。「われわれは将来にそれらを信頼することができるかどうかを見るために橋の構造を検討することによって始めるポルトガルにおけるエンジニアに似ている。」ファチマ聖堂自身の12月28日づけコミュニケはゲッラが彼の前に並んだ諸宗教間集会の人々に次のように語ったということを確証している:「われわれはさまざまの霊的諸派の代表者たちの兄弟的な列席を喜んでいる。そしてわれわれは彼らのここでの列席がこの聖堂のより大きな未来の開放性のための道を開いたと確信している。それは、神の摂理のおかげで、接触と対話のためにすでに使命を受けたと思われる一つの聖堂である...」

ただやる気になっているお先棒担ぎだけが、ファチマ聖堂の専らカトリック的な性格を危うくする直接的な脅威に他ならないこのような所見を述べようとするであろう。フォックス神父はモンシニョール・ゲッラと彼のネオ近代主義者の友人たち--高い地位の人も低い地位の人も--のためのお先棒担ぎを喜んで演じているように見える。

しかしながら、フォックス神父はどれほどそうしようと試みても、モンシニョール・ゲッラがファチマで言いかつしていることを隠すことはできない。彼はグルーナー神父がゲッラの異端的なアジェンダ--彼が拍手喝采した一人の話者による決定された教義の公的な否定を含む--に関して提出した証拠の山をうまく言い逃れることはできない。このことを知りながら、フォックス神父はもう一度不正な人の偏見に訴える議論 argumentum ad hominem へと身を落とす:「グルーナー神父は...長年にわたってポルトガルにおけるどの公的な祭壇においてもミサを捧げることができなかったほどの重大な制約を持っている..」実際、その取り巻きたちが1992年にグルーナー神父をファチマの聖域において身体的に攻撃したモンシニョール・ゲッラがそこでミサを捧げることを彼に許そうとしないということは真実である。そのようなことが、十分に信じがたいことであるが、ファチマの責任ある地位に置かれたネオ近代主義者、反ファチマ体制派に対して立ち上がった一人の忠実な司祭に対する罰なのである。しかしファチマ聖域の祭壇に近づくことがグルーナー神父にはできないということが聖堂での「諸宗教間の次元」のためのゲッラの計画を証拠づけているその公的な発言や行動に対してどんな意味を持っているのか? どんなものであれ何一つないのである。フォックス神父は合理的議論を持たない自分自身を見出して、もう一つの安っぽい打撃を食らわし、そして逃げ去るのである。

フォックス神父は教義そのものに対する攻撃を支持している

ファチマ学者たちは、ファチマ第三の秘密が隠すことのできない次の句で始まっているという彼らの結論において一致してきた:「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、等々。」その文脈から聖母の言葉にシスター・ルチアによって付け加えられた「等々」は教会の他の諸部分における教義の運命について聖母がすぐその後に言われたことを受け入れる余地を持ったものである。

実際、1952年に教皇ピオ十二世によって、第三の秘密についてシスター・ルチアに質問する秘密の使命をゆだねられたヨゼフ・シュヴァイグル神父はまさに次の日ローマに帰ったときに一人の同僚にこう言ったのである。

第三の秘密に関して私がファチマで学び知ったことのどれも明かすことはできない。しかしそれが二つの部分を持っていると言うこはできる:一つは教皇に関することである。もう一つは論理的に(私は何も言ってはならないけれども)『ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう』という言葉に続くものでなければならないであろう。注36)

唯一の道理を弁えた推論--なぜならもしそうでなければポルトガルにおける教義への言及は意味をなさないであろう--は、第三の秘密が教義に対する攻撃を通じて教会の他の場所での信仰および規律の破局的な喪失を予告しているということである。換言すれば、第三の秘密は教会における広範囲の背教を予告している。ほかならない教皇ヨハネ・パウロ二世自身の個人的教皇つき神学者であり、第三の秘密を読んだマリオ・ルイジ・チアッピ枢機卿はザルツブルグのバウムガルトナー教授に対するある個人的な文通の中でファチマ学者たちのこの一致した見解を確証した:「第三の秘密には、他のこともいろいろあるが、教会における大きな背教が頂点で始まるであろう」と。(このことは疑いもなくファチマのメッセージについてのその註釈の中でなぜラッツィンガー枢機卿がこの鍵になる句をメッセージから取り除き、それを脚注の中に置き、それを論じることを拒否したかを説明する。)

ファチマ・メッセージのネオ近代主義的修正の高位の代表者たち--ゲッラ神父、フィッツジェラルド大司教、カスパー枢機卿、ソダノ枢機卿そして、もちろん、ラッツィンガー枢機卿のような人々--と提携することによって、フォックス神父はファチマの聖母によって予告された教義に対するまさに攻撃を援助し支持してきた。われわれが見ることができるように、ファチマにおけるゲッラの汎宗教会議はファチマ・メッセージにとって中心的である教義:すなわち、カトリック教会の外にはいかなる救いも存在しないという教義--フィレンツェ公会議によるその不可謬的な決定をデュピュイ神父がゲッラの会議の間に「恐るべきもの」と公言した教義--に対する直接的な攻撃であった。

しかし教義に対するネオ近代主義者の攻撃はそのような特定の教義に限定されていない。近代主義者はキリストおよびキリストの教会を通じて神によって人間に啓示された客観的真理の変わることのない、不可謬的な決定としてのまさに教義という概念そのものを破壊しようと努めている。聖ピオ十世が Pascendi において教会に警告されたように、近代主義者は、信徒が、神によって啓示された真理として福音書に聴くことからよりも、むしろ内部からの漠然とした「宗教的情感」の湧出としての彼らの信念において「異なった諸局面を通過するであろう」と主張する。「その結果として、われわれが教義と呼ぶ諸定式もまた...(近代主義者たちに従えば)それゆえに変化に服すべきものである。このようにして教義の本質的な進化への道が開かれる。詭弁の計り知れない集積、これがすべての宗教を荒廃させ、滅ぼすのである。」

教義を破壊することに終わる教義の「進化」はまさに今日ネオ近代主義的シロアリが、教会の最高の地平においてさえ、促進していることである。例えば、カスパー枢機卿はアングリカンの一グループへの彼の最近の挨拶の中で、「アングリカンの聖職が無効であると宣言した教皇レオ十三世の Apostolicae curae (1896)--今日もなおわれわれの諸教会の間で有効である決定--の再評価」を敢えて求めた。」「疑いもなくこの決定は、ヴィッレブランツ枢機卿がすでに主張したように、その中でわれわれの信仰と宣教におえる霊的交流がかなり成長したわれわれの新しいエキュメニカルな文脈において理解されなければならない。」注38)

同じ挨拶の中でカスパーはまた、教皇不可謬権に関する第一バチカン公会議の不可謬の決定をも攻撃した:「同様に、第一バチカン公会議(1869-70)の教義歴史的暫定性--それはその依然としてそのままである義務的な内容から区別されなければならない--が明らかとなった。この歴史的発展は二つのバチカン公会議の終結によって終わったのではなく、進行しているのであり、それゆえにまた将来においてペトロの職務は教会の変化する必要に沿って行使されなければならない。」

つまり、カスパーは、レオ十三世のアングリカンの聖職者たちの無効性(そしてこのようにしてアングリカン教会にはどんな司祭職も欠けていること)に関する不可謬の教皇宣言、そして教皇不可謬権に関する第一バチカン公会議の教義上の決定は歴史的に条件づけられており、そして「新しいエキュメニカルな文脈」において変わることができる、と公然と宣言しているのである。しかしもしこれらの不可謬の教えが変わることができるとするならば、他のすべての不可謬の教えも変わることができる。すべての教義はそのことによって滅ぼされ、そして信仰それ自体が滅ぼされる。これがまさに近代主義の本質なのである。

この論考が示してきたように、モンシニョール・ゲッラと彼の協力者たちは、信仰の教義はポルトガルにおいては常に保たれるでしょうというまさに聖母の預言そのものに挑戦するかのように、ファチマ自身の聖なる土地に対して教義に関する攻撃を加えたのである。にもかかわらず、「新しい」ファチマのこれらの提案者たちによる信仰に対する攻撃に反対する代わりに、フォックス神父は彼に加担しそして彼らの異端的な言葉や行為を擁護している。

Pascendi において、聖ピオ十世は近代主義者についてさまざまの名称の下に語られた:すなわち、いかに近代主義者が信仰、神学、歴史、そして彼の思考様式が堕落させる他のあらゆることを堀り崩すかを示しながら、信仰者としての近代主義者、歴史家としての近代主義者、神学者としての近代主義者、改革者としての近代主義者、等々、について語られた。今やわれわれは近代主義者の多くの見せかけに一つの新しい名称をつけ加えなければならない:ファチマ熱愛者としての近代主義者。そしてロバート・J.フォックス神父は彼らのうちの一人である。 Pascendi において記述された近代主義者たちの同じように、フォックス神父は疑いもなくカトリック真理の敵と宣言されることに「驚き」を表明するであろう。しかしフォックス神父が徹底的に擁護しようと用意ができているファチマについてのねじ曲がった解釈を考慮に入れるならば、彼は彼らのうちの一人になった、という結論以外の他の結論はあり得ない。

もしフォックス神父がファチマで現在進行していることに反対しないならば;もし彼がデュピュイ神父によって説教され、ゲッラ神父の諸宗教間会議における他のゲストたちによって拍手喝采された諸々の異端を断罪しないならば;もし彼が、ファチマを異教的偶像崇拝に開放するゲッラの全計画と共に、小聖堂においてゲッラが許したばかりの神聖冒涜を非難しないならば;もし彼がカトリック信仰へのロシアの真の回心を求めないならば;--簡潔に言って、もし彼が曖昧さなしにその伝統的なカトリック的意味における真正のファチマ・メッセージを、そしてメッセージが表現している信仰の諸真理を擁護しないならば、そのとき、ただ一つの結論だけが可能である:すなわち、フォックス神父は信仰の敵として見られなければならない、そして信徒は彼あるいは彼の使徒職とは何ら関係を持ってはならない。そうする代わりに、信徒は、フォックス神父がその才能を教会におけるその権威を乱用し、真にカトリック的であるすべてのものの破壊のために働いている人間的刷新者たちのためにではなく、再びファチマの聖母のために用いるように、この司祭のために祈らなければならない。

フォックス神父には、これらの問題に関して彼が立っている所を、言い逃れしたりあるいは曖昧にすることなしに、そして彼に正当に試験を課す人々に対する人の偏見に訴える攻撃という戦術に頼ることなしに、述べる課題が課されている。これらの事柄をまともに述べることに彼が引き続いて失敗していることはすでに明らかであること:すなわち、この人物がもはやファチマの使徒として自らを主張する権利をもっていないということ、をただ確証するだけであろう。

新しいファリザイ人のための新しいファチマ

そこでこれは真正の事柄の代わりにフォックス神父が押しつけようとしているファチマの偽りのメッセージである:すなわち、ロシアについてのいかなる言及もないロシアの「奉献」;カトリック信仰への帰依を何ら伴わないロシアの「回心」;離反者たちのローマへの立ち帰りを何ら伴わない「エキュメニカルな対話」。そしてロシアの回心への聖母の呼びかけを証明するために神の御母によって起こされた前例のない公的な奇跡を目撃するためにそこに7万人の人々が集まったまさにそのコヴァ・ダ・イリアの土地で、フォックス神父は回心していない異教徒たち、分離主義者たち、そして一なる真の教会の権威に服従する何らの意図も持たない中絶賛成派のプロテスタント牧師たちの混成の集会をわれわれに与えようとしたのである。

フォックス神父のファチマはカトリック宗教のファチマではなくて、公会議後の時期の新しいファリザイ人たちのための新しいファチマであり、--彼らは自分たちが余りにも狡猾なので一つの単純な公的儀式が一つの民族を回心させ、世界に平和をもたらすという考えを受け容れることができないと考える人々なのである。すでに見たように、フォックス神父自身、その考え全体を「地上の天国」として軽蔑をもって退けている。

古のファリザイ人と同じように、ネオ近代主義的なファチマ・メッセージを言いふらす人々は偽りを促進し、他の人々をそれを受け容れるようにおどすために彼らの威信と権威の立場を利用する:「われわれが専門家であるときに、あなたはどのようにわれわれの判断に敢えて疑問を呈するのだ!どんな権利であなたはわれわれの権威に挑戦するのか?」これはフォックス神父がグルーナー神父を一人ののけ者として過小評価する一方で、自分のバチカンとのコネクションそして権力のある彼のよい地位を自慢するときにしていることである。しかし誰が真理を語り、そして誰が嘘を促進しているのか?

われらの主が弟子たちに忠告なさったように、「慎みて、ファリザイ人、サドカイ人のパン種に用心せよ。」(マテオ16:6)最初彼らは理解しなかったけれども、間もなくわれらの主の意味しておられることは彼らに明らかとなった:「ここにおいて彼ら、イエズスの用心すべしとのたまいしはパンの種にあらずして、ファリザイ人、サドカイ人の教えなることを知れり。」(マテオ16:12)

ファチマのメッセージと教会における危機との間の関係についての決定的な著作である The Devil's Final Battle(『悪魔の最後の戦い』)の中には、アルバン・グッディエ大司教 S.J. による聖書のこの箇所に関する一つの古典的な註釈の議論がある。グッディエ大司教は、われらの主が弟子たちにファリザイ人の狡猾さと権威に対する彼らの公言された従順--ただ真理に対する彼らの陰険な反対を特徴づけるだけである--に用心するように警告されたのだと説明した:

われらの主が恐れられたのは自分自身のためにではなく、彼ら[ファリザイ人]の狡猾さであった。ファリザイ人が主の奇跡や他の良い行いのために主を非難する前に、主はこのことが友人たちを主から引き離さないであろうということを知っておられた。ところで、この朝彼ら[ファリザイ人]は見せかけの単純さ、真理を知りたいという見せ物、預言者たちへの訴え、伝統への熱意、律法に対する尊敬、そして秩序、あるべき権力に対する従順をもってやって来た。そしてこのすべてはいかなる公然の敵意以上に主御自身に多分影響するであろうと主は知っておられた。もし彼らが用心深くないならば、パン種のように、それは彼らの間に知らないうちに広まるであろう。

ファチマの聖母は、われらの主御自身と同じように、最大限の単純さと直接性をもって話された。しかし公会議後の時期の新しいファリザイ人たちは、古のファリザイ人たちと同様に、狡猾な解釈と権威および従順への煽動的な訴えでもって単純な真理を覆い隠す。ファチマ・メッセージへの献身を公言する一方で、彼らは実際には、まさに彼らが尊敬の地位を享受しているがゆえに、その最も危険な敵である。彼らは正統信仰の擁護者として振る舞う一方で教会の至る所に彼らのネオ近代主義的な諸見解の腐敗させるパン種をまき散らす。

福音書の真理に故意に盲目になったファリザイ人たちと同様に、フォックス神父がファチマについての真理に故意に盲目となった。はっきりとそれを認識していようといなかろうと、フォックス神父はファチマの聖母に奉仕することを止め、その代わりに、聖母が要求なさった仕方ではロシアの奉献は決してなされないと考えようと力の限り努力しながら、最も目立つ聖母の反対者たちのうちの一人となった。そしてちょうどわれらの主に対して陰謀を企てたファリザイ人たちが律法の保持者を装って行動したのと同じように、彼はこのことをファチマ使徒職を装ってしているのである。

彼らのすべての見せかけの威信と権威のために、フォックス神父とロシアの奉献と回心に反対するキャンペーンにおいて彼に結びついている人々は、もしわれわれが彼らに従うならばわれわれを溝の中へ導くであろう盲目の案内者である。しかしわれわれは彼らに従ってはならない。われわれは汚れなき御心の勝利へ向かってファチマの聖母に従わなければならない。そして、われわれが見ているものは聖母の最も栄光に満ちた約束の実現であるとわれわれに告げようとしてロシア、教会そして世界の現在の状態を彼らが見るときに、神御自身を嘲っているフォックス神父を含む人々に禍いあれ。

フォックス神父の作り話

以下は Catholic Counter Reformation No. 228, April 1990 において最初に公表され、後に The Fatima Crusader Issue 33, Summer 1990, p. 37において公表されたフレール・フランソワによって書かれた論考の抜粋である。

教皇ヨハネ・パウロ二世が1984年3月25日における世界の奉献の行為とともにファチマの聖母の御要求を満たしたと宣言なさる前に、なぜシスター・ルチアは5年間以上も注1)待ったのであろうか?
フォックス神父は、1984年奉献の後に教皇使節(ポルタルピ大司教)がシスター・ルチアに会いに行き、それがわれらの主によって要求された奉献であるかどうかを尋ねたとき、シスター・ルチアが「はい」と答えたと主張することによって機先を制してこの手強い反対を避けようとした。括弧に入れて、フォックス神父はつけ加えた。「ポルトガルの教皇使節は1984年奉献の後直ぐに亡くなった。」注2)
The Abbe de Nantes はこの証言は偽りであり存在しないということを証明した。ポルタルピ大司教が1984年の奉献の後にシスター・ルチアを訪問したということはあり得なかった。というのは、彼はファチマでその日最後のミサを献げた後病床につき、6日後、3月31日に亡くなったからである。注3)
フォックス神父は今やこの並はずれた嘘をさらなる嘘を言うことによって隠そうと努めている。「シスター・ルチアは1984年3月25日の奉献の直ぐ後に、それが聖母によって要求された諸条件を満たしたと言った」と彼は書いている。注4)
フォックス神父は本当に事柄を正しく理解しようと望んでいる:「[教皇と司教全体による]奉献が今や完了したということを1984年にシスター・ルチアが打ち明けたのはどの教皇使節に対してであろうか?」と彼はマリア・ド・フェタルに尋ねる。そして彼女は明細にこう述べた:「教皇使節に関して言えば、サンテ・ポルタルピ大司教は3月31日にポルトガルで亡くなられました...次にサルヴァトーレ・アスタ大司教が指名されました...サルヴァトーレ・アスタ大司教はシスターにロシアの奉献が1984年3月25日になされたかどうか尋ねられました。彼女は『はい』と答えました。」
フォックス神父は敢えてこう結論する:「シスター・ルチアは教皇使節に告げることによって1984年に彼女の義務を果たしたと感じた。」注6)
それは一つの新しい嘘である。われわれは、実際、1985年末にサルヴァトーレ・アスタ大司教--1984年10月17日にポルトガル駐在教皇使節に任命された--がまだシスター・ルチアには会っていなかったということを知っているのである。注7)
また彼は彼女に会う何の望みも持っていなかった。彼はポルタルピ大司教の足跡を辿ることを望まなかった。ポルタルピ大司教はラセルダ博士の教唆によってシスター・ルチアがヨハネ・パウロ二世は聖母の要求を満たさなかったと述べるのを聞くために、1982年5月13日の奉献の行為の後にコインブラのカルメル会に行ったのであった。
サルヴァトーレ・アスタ大司教は、シスター・ルチアが目撃者たちの前で彼に、ロシアの奉献は聖母が望んでおられるようには為されていないと告げることができることを望まなかった。
マリア・ド・フェタルの意見を信用するために、フォックス神父はポルトガル駐在教皇使節のそう主張された証言:存在しない証言に訴えることを余儀なくされているのである!
なぜなら、1989年6月までにすべての存在するそして反駁され得ない目撃者たちは、1984年3月25日の後、シスター・ルチアがロシアの奉献はまだ果たされていないと証明しているということを立証しているからである。注8)

注:(1)From 1984-1989.(2) Fatima Family Messenger , October 1989, p. 9. (3) CRC 225, Eng. ed., January 1990. (4) The Wanderer, February 22, 1990. (5) Fatima Family Messenger, Jan.-Mar. 1990, p. 11. (6) The Wanderer, February 22, 1990. (7) March 12, 1986, personal communication to Fre`re Michel. (8) Cf.CRC 226, Eng. ed.; The Fatima Crusader, Issue 31-32.

なぜファチマの聖母は泣いておられるか

聖母の近代主義的敵
ロバート・J. フォックス神父

フォックス神父よ、われわれはまったく率直にこう言わなければならない:あなたはロシアにおける教会の迫害における共犯者である。なぜなら、あなたは「エキュメニカルな対話」という失敗した人間の計画のためにロシアの回心という動機を放棄したからである。実際、あなたはファチマの聖母の名において敢えて金を集めているのと同様に、ロシアの奉献に反対するためにあなたの「立派な」使徒職を用いている。

「いとも聖なるおとめは非常に悲しんでおられます。なぜなら、誰一人--善人も悪人も--聖母のメッセージに注意を払わなかったからです...善人は彼らの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージには何の重要性も与えていません...いとも聖なる乙女は何度も私自身にと同様、いとこのフランシスコとジャシンタに、多くの民族が地の表から消え去るでしょうと告げられました。聖母は、もし私たちが前もってあの可哀想な民族の回心を手にしていないならば、ロシアが全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具となるでしょうと言われました。」

… シスター・ルチア

脚注:

(30) ジョン・ヴェナリは会議におけるこのセッションの目撃者であった。See "Fatima to Become Interfaith Shrine? An Account From One Who was There," The Fatima Crusader, Issue 75, p. 16.
(31) See The Fatima Crusader, Issue 76, pp.59-60.
(32) Catholic Times online, November 18, 2003.
(33)TV broadcast on Portuguese Channel, SIC, May 5, 2004.
(34)この出来事については多くの歴史的説明がある。例えば、"Our Lady and Islam: Heaven's Peace Plan," by Fr. Ladis J. Cizikを見よ。
(35)See the article by J. Kaess, reprinted as an appendix in Fatima Priest, First Edition,(Good Counsel Publications, Pound Ridge, New York, 1997)pp. 360-364. See also Fourth Edition, pp.154-155.
(36) The Whole Truth about Fatima , Vol. III, p. 710.
(37) Father Paul Kramer, ed., The Devil's Final Battle, p. 33.
(38) "A Vision of Christian Unity for the Next Generation," The Tablet, May 24, 2003.
(39) Father Paul Kramer, ed., The Devil's Final Battle, pp. 141-143. See also Archbishop Goodier, S.J., The Public Life of Our Lord Jesus Christ, Vol. I,(Burns, Oates & Washbourne Ltd., London, England, 1932)p. 462.

2004/10/29 三上 茂 試訳

みこころネット

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃 第 I 部

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃 第 II 部

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part III

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part I

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part II

作成日:2004/10/29

更新日:2004/11/01

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