ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

今日何人かの聖職者がファチマに反対する仕方

大部分のカトリック教徒は、神がわれわれの時代にファチマの聖母の最も厳粛な、そして重い義務を課すメッセージをお与えになったということを知らなかった。この最も重要な事柄についての広範な無知は直ちに平和を持つことから全世界を妨げている。少数の非常に強力な枢機卿たち、司教たちそして司祭たちの長年続いている反対によって余りにも多くの人々はファチマの完全なメッセージについて無知のうちにとどめ置かれている。

1982年5月13日ファチマで教皇ヨハネ・パウロ二世がマリアの汚れなき御心に世界を奉献されたとき、彼はファチマの聖母にこう言われた:「悔い改め、回心、祈りへの招きが、それが受けるべきであった受容に出会わなかったことに、われわれはどのように苦しんでいるでしょう。」ファチマのメッセージが、それがそうであるべきであったように、受け取られて来なかったということは真である。ファチマのメッセージは単に耳を傾けられなかっただけではなく、積極的に反対されてきた。

数年前、[聖母の]巡礼像が中西部のある小教区を訪問していたとき、その御像が一晩を過ごした修道院の女子修道院長はその御像の守り手である司祭にこう言った:「神父様、人々は聖母の御像の訪問を非常によく受け取りました。」それに対してその守り手の司祭はこう答えた:「その通りです。シスター、聖母がひとたび障害物を通り過ぎられると、人々は常に御像を非常によく受け取ります。」その小さな町の牧者はそれから声を上げてこう言った:「シスター、神父様が意味しておられることは、彼が聖職者の反対を通り過ぎ、御像を小教区にそして人々のところに持ち込むことができるとき、そのとき人々はよく応答するということですよ。」その牧者はそれから続けて、彼が自分の小教区へその巡礼の御像を招いたためにどのように聖職者の兄弟たちからのあらゆる種類の flack 、あらゆる種類の反対と妨害を堪え忍ばなければならなかったかを話した。

司教たちさえファチマに反対する

この真のエピソードは孤立した出来事ではない。反対に、それは余りにも多くの影響力を持った強力な司祭たちや司教たちの側でのファチマの聖母に対する反対の典型である。

しかしこれらの反マリア司祭たちと司教たちは、一般的に言えば、彼らのこの反対を直接的でない仕方でしか一般公衆には示さない。また彼らは、ファチマの聖母に奉仕しようと努める司教には彼らの真の動機を敢えて認めようとはしない。

われわれの論点を例証するために、次のような真の事例をわれわれは詳しく話す。教皇ヨハネ・パウロ二世の教皇職在任の始まりの頃、ある北アメリカのカトリック大司教はその大司教を知っている三人の「カトリックと推定される」司教たちから電話を受けた。各々の司教は大司教に対する彼らの求められていない忠告を与えるためにそれぞれ別々に電話をした。彼らは彼に、ファチマの聖母を促進しているあるカトリック司祭を助けないようにと告げた。これら三人の司教たちはその司祭が具合が悪い、すなわち、彼が手による聖体拝領をさせないと主張した。注1)大司教はこれらの「カトリック司教たち」は彼らの電話呼び出しの隠された動機を認め、彼らに非常に単純にこう尋ねた「何が問題なのですか? あなたはファチマを信じないのですか?」彼は各々の司教の答を待った。もしその司教が然りと答えたならば、そのとき大司教は第二の質問をしたであろう。「それではなぜあなたはその神父を迫害するのですか...?」もし司教が否と答えるならば、その司教は教皇ヨハネ・パウロ二世の教皇職在位の下で非常に厄介な立場にいる自分自身を見出すことであろう。なぜなら、大司教はそのとき彼らの疑いのない不信仰の証人であろうし、そしてそれはそれゆえに否定することが困難であろうからである。予期されたように、三人の司教たちの各々は大司教に返事することを断った。そしてそれが各々の会話の終わりであった。これらの三つの電話の会話は、私がそれに対する大司教の言葉を持っているからして真実である。

ファチマ・メッセージの一部は特に沈黙させられている

今日の教会においては、善い司祭たちと司教たちは悪い司祭たちと司教たちによって抑えられている。しかしそのことは一般に、平信徒の大部分によって、あるいは多くの司祭たちによってさえ、見られないような仕方でなされている。

このようにして、多くの善い司祭たち、そして司教たちさえが、実際上ファチマのメッセージについて話すこと、特にメッセージのある局面について話すことになるとき沈黙させられるということが起こっている。このことは、特に、地獄の幻視、世界中に広まっている共産主義ロシアの諸々の誤謬、ソビエト・ロシアによる神と人間に対して犯された諸々の犯罪に対する償いの荘厳かつ公的な償いの儀式、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を求めるファチマの聖母と神御自身の要求、ファチマの聖母の命令に対する司教並びに平信徒による不従順に対して世界が支払わなければならない恐るべき罰、ファチマの聖母の緊急のそして最終的なメッセージに従うことを余りにも多くの司祭たちと人々が拒否していることによる永遠にわたる多くの霊魂の喪失、等々に関係するファチマ・メッセージの部分について真である。

このようにあなたは、ファチマのメッセージが単に「歓迎されない」ばかりでなく、ある場所においては積極的に立ち向かわれているということを見ることができるのである。ファチマのメッセージが積極的に反対されてきたのは明らかに、単に地方小教区のレベルあるいは司教区のレベルにおいてだけではなくて、教会内部のより高いレベルにおいてさえ同様にそうなのである。例えば、イギリスの数人の司教たちと「カトリック作家たち」は1984年3月25日の教皇によるファチマの聖母への「世界」の奉献に反対した。「バチカン・モスクワ協定」について読むと、そして「なぜバチカン・モスクワ協定は拒絶されるべきか?」という論考を読むと、われわれは今やファチマのメッセージがなぜ、多年にわたってある司教たちや司祭たちによって猛烈に反対闘争されてきたかを理解し始めることができるのである。

バチカン・モスクワ協定は教会への共産主義侵入を助け、ファチマの聖母の介入を阻止する

簡単に言えば、ファチマに対するこの反対はバチカン・モスクワ協定(明らかにバチカン国務省はそれを今なお守っている)の結果として起こっている。司教たちそして司祭たちでさえ、国務省長官から直接あるいは間接に、「ロシアを公的に、あるいは私的にさえ、批判しない」ようにというメッセージを得ている。教会の一方的な武装解除の結果として、われわれの間に侵入した共産党員の司祭たちはわれわれの間で妨げを受けずに信仰の転覆を狙う破壊活動を行っている。そして人々は当今、バチカン国務省長官のこの影響によって反共産主義者であることから後込みをしている。そしてにもかかわらず、反共産主義は教会のメッセージの一部である。なぜなら、共産主義は反キリストであり、そして真のキリスト教徒は反共産主義者でなければならないからである。

われわれは、なぜファチマの聖母が、われわれに対するとても大きな愛のゆえに、共産主義ロシアの諸々の誤謬によって引き起こされたカトリック教会の迫害についてわれわれにはっきりと警告しておられるのか、その理由を知ることができる。これらの誤謬はそのように深刻なので、それらは多くの霊魂を永遠に地獄へと行かせる原因となるほどである。北アメリカにおけるわれわれ一人ひとりの永遠の救いもまたこれらの誤謬の広まりによって重大な危険に曝されている。

にもかかわらず、神によりもむしろ裏切りのバチカン・モスクワ協定に従おうとするそのような聖職者は、ファチマの聖母がわれわれに、共産主義ロシアは危険であり、そしてわれわれを迫害し、その諸々の誤謬を広めると告げられるとき、それを正しく評価しないのである。

すべての人はファチマの要求に従うことを義務づけられている

このようにして、ファチマの聖母が、人々が彼女に耳を傾けないように脇へ押しやられるということが起こっているのである。これらの同じ偽りの司牧者たちはたまたまファチマの聖母のメッセージのことを聴いた人々に、「あなたたちは霊魂を救うためにはファチマを信じる必要はありません」と告げるのである

われわれが The Fatima Crusader において論証したように、これらの議論は明らかに偽りである。反対に、信徒、司祭そして司教たち、そして教皇でさえ、ファチマの聖母に従わなければならない。この義務がわれわれすべてを縛らないということを誰も示すことができなかったし、あるいは示そうと試みることさえできなかったのである。

そこでわれわれは皆ファチマの聖母に従わなければならない。にもかかわらず、バチカン・モスクワ協定の結果として、ファチマの聖母はこれらの偽りの議論並びに一般公衆から隠されたさまざまの技巧によって脇へ押しやられているのである。

The Fatima Crusader は迫害されている!

その同じ反対は聖母のメッセンジャーたちにも適用されている。すなわち、ファチマのメッセージと The Fatima Crusader のように聖母のメッセージをその全体において担う人々が戦闘の対象とされているのである。彼らはさまざまの技巧によって戦闘の対象とされ、そして The Fatima Crusader に対するこの戦闘は多年にわたって続いてきた。しかしそれは、一般に公衆には明白ではないような仕方で為されているのである。

それゆえ、ファチマのメッセージを広めようと望む人々は彼ら自身反対される。そして「ファチマ・メッセージを引き裂きなさい」か、「おお、あなたは名前を保ちそして『ファチマ』にときたま敬虔なうなずきを与えなさい、しかし聖母のメッセージ全体を与えてはいけない」というような選択肢を与えられる。そのように、これらの状況の光に照らせば、沈黙を守らせるか、あるいはファチマの聖母のメッセージの一部を水増ししてぼんやりさせるかするための誘惑がファチマの働き手やグループのために存在するのである。このことは特に、ロシアの諸々の誤謬に言及する聖母のメッセージの部分と必要性、父なる神、子なる神、そして聖霊なる神は、教皇と司教たちにマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を命令なさるとき、従われ給うのであるということを教会と世界が見なければならないという絶望的な必要性について真である。

そこで結論として、誰も幻想の下に立たないようにしよう。余りにも多くの司祭や司教たちは彼らの自由になるさまざまの手段によって、ファチマのメッセージに今なお反対し続けている。 The Fatima Crusader はこのことを今や五年以上にわたって見てきた。さらに、信徒は、ファチマのメッセージを信じたり、あるいはそれに従う必要はないと言う人々によって、司祭たちさえによってこれ以上誤り導かれてはならない。

われわれはファチマに対する反対が存在すること、そして信仰の裏切りが「バチカン・モスクワ協定」によって22年間にわたって続いているということを知っている。このようにわれわれは今やこれまで以上に霊的に武装しなければならず、全世界の平和と多くの霊魂の救いがそれに依存している二十世紀の最も重要な出来事 -- ファチマのメッセージ -- について知らなければならないのである。あなたとあなたの家族にとって遅すぎることにならない前に、今、情報を知り、反応してください。喜んでいなさい、聖母はご自分の愛する人々を守られるであろう。ファチマの聖母のメッセージに従うことによって祝せられたおとめマリアにとって大切な者でありなさい。

1)世界中で、教会法に従えば、聖体拝領は舌の上に与えられなければならない。手による聖体拝領のための特別許可を受けたすべての国においては、聖体が手の中に与えられ得る前に、まず第一に存在しなければならないとバチカンが主張するある非常に重要で厳格な諸条件がある。この司祭は書面の説明において司教たちに、北アメリカの実践において、これらの条件がどのように広く行われていないかを指摘した。そしてそれゆえに、彼は神の法、教会の現実の法、そして彼の良心によって手の中に聖体を与えないように義務づけられている。

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2004/12/15 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/15

最終更新日:2004/12/15

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