ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

何がマリアの汚れなき御心へロシアを奉献することから
司教たちを遅らせているように見えるのか?

ファチマの聖母によって指定された仕方でロシアを奉献することの極度の緊急性と必要性に照らしてみて、人々は次のような論理的な問いを出す:「教皇と司教たちはなぜそれをすでに行っていなかったのか?」と。あるいはそれを別の仕方でこう質問する:「全世界にとってそのような驚くべき約束を伴っているこの救いをもたらす従順の行為に対する真の、あるいは認められた障害は何であるか?」これらの質問はそのような行為の本質的な単純性でもって提出されるとき、そして同時に教皇と司教たちによる不従順の58年の年月をもって提出されるとき、われわれを圧迫する。

この点に関して不従順のちょうど二年後のわれらの主御自身の言葉を引用するならば、主はこう言われた:「私に仕える者たちに、私の命令の実行を遅らせることにおいて彼らがフランスの王の例に従っているということ、そして彼らがフランス王に倣って不幸に陥るだろうということが彼らに与えられていることを知らせなさい」(1931年8月)。これらの質問に答えるために、 The Fatima Crusader は、共産主義は変わったと考えるようにバチカンの高官たちを欺く欺瞞の主人たち、すなわち、共産主義者たちによってもたらされたバチカン・モスクワ協定の事実を文書によって証明し、説明する一連の論考を提供してきた。バチカンはこの協定によって共産主義の諸々の誤謬を公然と非難しないことに同意した。この協定は聖母の要求の実現に対する第一級の障碍である。

バチカン・モスクワ協定は1962年の晩夏に締結されたので、大部分のカトリック教徒はそれについて知らされなかった。

この協定のまさに本質によって課された秘密性のために、一般公衆はその当時(1962年晩夏)知らされなかった。英語圏におけるカトリック雑誌は1984年の始めにこのことについての記事を載せ始めた。このシリーズにおける最初の論考はそれが評判になり始めたとき二ユースを載せている。Francis Putti 神父と Hamish Fraser 氏とによって公表された次の二つの論考は疑いもなくバチカン・モスクワ協定の存在を証明している。情報を持っているファチマ使徒職にとってこの協定の意味は明白である。

教皇と司教たちにとって聖母が命令されたように
ロシアを奉献することがなぜそのように時間がかかるのか?

神学的な諸困難はすでに答えられた。教皇と司教たちはファチマの聖母のこの命令に従う義務に縛られている。( The Fatima Crusader , issue No. 11-12, p.3 を見よ)*(Father Joseph de Sainte-Marie による小冊子 Reflections をも見よ)** しかし、聖職者の何人かの人々(同様にまた何人かの影響力のある平信徒)の精神の内部に何らかの困難があると思われる。われわれはここにカトリック教会の二人の著名な経験のある平信徒のカトリック評論家によって書かれた論考の二つの抜粋を提供する。おそらくこれらの論考はわれわれの読者たちに彼ら自身でこれらの質問に答える助けとなるであろう。なかんずくわれわれが為す必要のあること:われわれ自身が、教皇とすべての司教たち一緒によるロシアの奉献のためにわれわれの祈りと犠牲によってイエズスとマリアにねばり強く、信頼をもってそして謙遜に願わなければならないということである。われわれはまた奉献のこの共同的行為を求めてわれわれの請願によってわれわれの司教たちに尊敬をもってまたねばり強く願わなければならない。

* この書物の p.117 以下を見よ。
** この書物の p.533 から始まる第 XV 部を見よ。

次の節は、マス・メディアにおいて40年以上の経験を持つイギリスの有名なカトリック・ジャーナリスト、Gregory MacDonald による論考から取られている。彼は東ヨーロッパの共産主義諸政府に対するバチカンの政策に関して、教皇ピオ十二世の教皇在位の間に二回、国務省長官と長いそして非常にフランクな会話をした。共産主義諸政府に対するバチカンの政策は教皇ヨハネ二十三世の教皇在位のうちに変化した。ここにマクドナルド氏の言葉が続く。

デラッカのエルネスト・バルドゥッチ大司教推薦の『教皇ヨハネ:伝統的教皇』(1964年出版)において p.265 にモスクワとの交渉について以下のことが明白である。「...決定的な要因はソビエト政府に対するヨハネ教皇の態度であった。一つには、彼は政府と総主教に、公会議においては、それがいかに妥当なものであろうとも、政治的精神はいかなる表現をも持たないであろうという明白な保証を与えた。」(英語版、Burns and Oates, 1965)。E.E.Y.Hales は引用したように、間接的な保証の定式として、公会議は「共産主義についての論争の機会とされることはないであろう」ということを与えている。このことは、共産党の役人たちやジャーナリストたちが用いるような一つの立派な二重思考の句として私を打つ。Willebrands が「論争」によって一つのことを意味し、そして彼の客人たちが他のあることを意味したと受け取られるであろう。Hales は彼の典拠として A. Wenger: Vatican II, Premiere Session. 1963 を挙げている。p.152 で Hales は引用された書物,La Concile et la press Sovietique(sic)において、後に起こる諸々の出来事に照らして興味のあるあるソビエトの政治記者からの引用をもった Wenger のエッセイに言及している。

教皇ヨハネ二十三世の保証はまた奉献を妨げたのか?

総大主教管区からのオブザーバーを公会議で持つというヨハネ教皇の不安の故にモスクワに与えられた保証がまたなぜ第二バチカン公会議で教皇が教会の他のすべての司教たちと一緒にマリアの汚れなき御心にロシアを奉献しなかったか、その理由をも説明するであろうということがまたしばらくの間私の意見であった。

確かに、ローマが聖母によるこの要求を知らなかったと主張することはできない。なぜなら、1942年10月31日に教皇ピオ十二世は当時戦争中であったときに、遠回しの、しかしにもかかわらず明白なロシアへの言及を伴ってマリアの汚れなき御心へ世界を奉献されたからである。注1)そしてあたかも1942年に直接的かつ明白にロシアを奉献しなかったことを埋め合わすかのように、10年後、1952年7月7日に使徒的書簡 "Vergente Anno" において、聖母が要求なさったように再び世界の司教たちによる奉献への参加なしにではあったけれども、マリアの汚れなき御心へロシアを明示的に奉献された。さらに1964年には、教会の教義憲章公布の直後に、教皇パウロ六世は世界のすべての司教たちの列席のもとにマリアの汚れなき御心に世界の奉献を更新された。そしてその同じ機会に彼は聖母を教会の御母と宣言されそしてファチマへの派遣を告知された。

しかしながら、Francis Johnston が指摘しているように、「このまれに見る行為でさえ、ファチマの聖母の特殊的な要求を厳密には満たしていなかった」注2)すなわち、ロシアの共同的奉献という要求である。

しかし、第二バチカン公会議は、一つ屋根の下にすべての司教たちが列席したのであるから、その奉献のための完全な機会であった。

しかしながら、もし「共産主義に関する論争」がモスクワへのヴィッレブランズ使節団によって与えられた「明白な保証」によって排除されていたならば、注3)第二バチカン公会議にとって、マリアの汚れなき御心へロシアを奉献する行為を遂行することはもちろんのこと、議論することはまた明白に論外のことであった。なぜなら、この奉献の目的がソビエト政権がそれと同一視されていた無神論的イデオロギーからのロシアの回心であることを誰もが知っていたからである。第二バチカン公会議によるマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献より以上に「論争を巻き起こすもの」は実際何もあり得ないであろう。

為されずに残されたある事柄

パウロ教皇は確かに、彼がある事柄を為さずに残したということを先鋭に意識していたということを示すあらゆる証拠を与えた。彼が聖チェレスティーノの墓地に巡礼したとき、専門家たちは彼が退位を欲したのだと宣言した。私の考えるところでは、彼はチェレスティーノ教皇のように、彼自身 "il gran rifiuto"[大きな拒絶]注4)をしたということ -- 彼に課せられた責任を果たさなかったということ -- を意識していたということは遙かにありそうなことである。それゆえにまた、公会議の間に、彼はファチマに黄金のバラを送った。そして数年後には、一見すると空虚な巡礼をした。そこでは重要なことは何も言われなかったしまた為されなかった。私は、それは聖母が教皇にロシアと世界の面前で遂行するように望まれている行為の代わりに[なされた]別の象徴的な身振りであったと感じている。

保証の重大さ

マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献をその行為の中へ含ませることを第二バチカン公会議が抜かしたことが教皇ヨハネ二十三世によってフルシチョフに何であれ保証が与えられたその結果をもし縮図的に示すとするならば、これらの「保証」が、彼の後継者、ヨハネ二十三世の助言者として実際、彼らにまず第一に提案したであろう教皇パウロ六世によって完全に受け取られたという事実がなかったならば、このことが可能ではなかったであろうということは確かに明らかでなければならない。

しかしながら、問題になっている「明白な保証」の真の重大性はそれらがまったく前例のないものであったということである。

以前の人々は多くの問題に関してこの世の君主たちとある種の約束を取り決めていた。例えば、政教条約が結ばれている、いないにかかわらず、ローマにとって、形式的に認められた拒否権がない場合でもこの世の権力と persona grata (任地の政府に受けのよい外交官)として対面するそのような司教たちだけを指名することが慣例である。このことは現代の東ヨーロッパ諸国について、いわゆる自由世界における諸国についてと同様に、真である。

しかし教会の歴史において、一人の教皇 -- 二人の引き続いての教皇は言うまでもなく -- がエキュメニカル公会議に関して決定的な影響を行使するこの世の権力を直接的あるいは間接的に許したことはそれ以前には決してなかった。しかしながら、第二バチカン公会議の場合には、そのまさに行動指針そのものがこれまでに存在した最も反キリスト教的な国家と結ばれた協定によって予め決定されと思われる。そしてそのように予め決定されていたので、とりわけ教会の、現代世界との関係について懸念していると主張された公会議が現代の教会に突きつけている最大の脅威の一つを議論することさえ許されなかったのである。そして事柄はそのようであったので、第二バチカン公会議の雰囲気全体がそのことによって「公会議はいかに正当であろうとも政治的精神はいかなる表現をも見出さない」というモスクワに与えられた「明白な保証」によって条件づけられたと言うことは何ら誇張ではない。

以上の論考の注1)から4)は p. 247 にある。

ファチマの劇的な警告

以下の論考は Father Francis Putti によってイタリア、ローマで出版された雑誌 Si Si No No,January 31,1982 に公表された論考から取られたものである。

パウロ六世もまた、ファチマで次のような苦痛の叫びを挙げられた:

「われわれは、世界が危険の最中にあると言う。...ここにわれわれは世界とその運命についての一つの巨大なそして劇的な情景を持っている。それは聖母がわれわれの目の前に明らかにされる情景、われわれが怯えた目で眺める情景である...」

そしてその救済策は?

にもかかわらず、パウロ六世の教皇即位に始まっている勝利に満ちた公会議の自然主義においては、祈りの必要性は価値を減じられてきた。祈りと償いと求めておられる聖母の繰り返しの要求にもかかわらずに、である。その諸々の形式は、観想修道会においてすら、価値を下げられ、そしてその質は低下させられてきた。そして償い -- その教会的な形式は一年にたった二日の断食日へと切り下げられた -- は話題にさえならない。

もっと悪いことには、神聖冒涜が多くなった。そしてマリア信心は、ロザリオと共に、多年にわたって、真に悪魔的な熱心さで攻撃されてきた。そしてファチマのメッセージのこの実践的軽蔑はキリスト教徒からではなく、上から始まったのである。

マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献は聖母によって要求された仕方では決してなされなかった。そして人類の回心のために何が為されてきたか? 教義における曖昧さと諸々の誤謬、そして不道徳な「道徳性」の海外への広まりは神の法に反する人間の法 -- 自然法および実定法のいずれも -- の勝利を鼓舞してきた。中絶、離婚、避妊、ポルノそしてそれから結果する堕落 -- 特に青少年の -- は人類の上に神の怒りを積み上げている。

厄介な啓示

ファチマのマドンナは厄介なマドンナである。彼女は外交を無視し、余りにも明瞭に語る欠点を持っている。そうだ、もし司教たちがそれに反対しないならば、彼女の像は旅して担ぎ廻られる...しかし、可能な限りそのメッセージは暗闇に隠されれている。

出発のそもそもの始めから、聖母が明瞭に言及された「ロシア」という言葉は「神と敵対関係にある国々」という定式によって置き換えられ始めた。それにもかかわらず、ファチマはわれわれの時代のための一つの預言であった。御出現の同じ年、1917年にロシアにおいてボルシェヴィキ革命が勃発した。ボルシェヴィキ革命はその国を理論的および実践的無神論の標準的担い手とするべきものであり、東側において押しつけられ、そして西側において多かれ少なかれ秘密裡にあらゆる手段で広められた革命である。最初の公然たる無神論的国家であるロシアは人類の背教の絶頂を表している。それは教皇ピオ十二世によって次のような言葉で要約されるプロセスの絶頂である:「それは、われわれを今なお驚かせ続ける破廉恥さをもってますます具体的なものとなってきた敵である:キリストに対して然り、しかし教会に対して否(ルター主義);神に対して然り、しかしキリストに対して否(イルミナーティ主義)そして最後に不敬な叫びが上がる:神は死んだ。あるいは、このようにさえ叫ぶ。神は決して存在したことはない、と(マルキシズム)」

ファチマの聖母は政治を語られなかった。聖母は盲目になった人類に一つの基本的な真理を思い起こさせるために来られた:戦争は神に対する反逆の醜い結果である。戦争と罪との間、われわれを脅かす黙示的な戦争と今や地から天に至るまで起こっている知的および実践的な冒涜(無神論)との間には破ることのできない結びつきがある。聖母は情け深くも、平和について語るが、平和に寄与する諸条件を確立することを拒否する人類に警告するために来られた。

しかし、このすべてのことは「外交的な」人間的考慮によって束縛されている教会の司牧者たちによってさえ、理解されてこなかった。

結論

公式に認められたが、しかし実践において無視されあるいは妨害されたファチマ・メッセージの光は、その義務が、神に対するルチフェルのような反逆の暗闇の中に失われた人類にそれが光を与えるようにそれをランプ・スタンドの上に於くことであるまさにその人々によってますの下に押し込められてきた。

その諸々の結果はすべての人々の目の前にある:ロシアは、ファチマで予告されたように、その諸々の誤謬 -- 理論的および実践的無神論、社会的憎悪、転覆 -- を世界中に、そして教会の中にさえも、広めたし、今も広めている。われわれは軍事的な侵略が、その犠牲者の良心を堕落させるこのイデオロギー的侵略よりもより小さな悪でなかったかどうかを自問しなければならない。

人々はわれわれに問う:

先行の論考並びにマクドナルド氏の論考を理解する助けとして、われわれはここに1983年に合衆国においてハーミッシュ・フレイザー氏によってなされた講演の一部を提供する。フレイザー氏は偉大なカトリックの平信徒で共産主義の諸々の方法や誤謬についての世界的な権威の一人である。この論考において、彼は、ある種の「ロシアの諸々の誤謬」が単に世界一般の中にだけでなくて、また、数人にはとどまらないカトリック司祭や司教たちを含むカトリックの人々の間にも広まってきたということを示している。カトリック聖職者の諸階級内部の共産主義のこの「内的攻撃」は、神がファチマの聖母のメッセージを通じて彼らに命令されたように、すべてのカトリック司教たちと一緒にある特別の日にロシアを奉献することを、なぜ教皇がそのように困難だと見ているか、その理由をわれわれに理解させる助けとなる。

ロシアの諸々の誤謬は教会の混乱の真の原因である

ファチマの聖母のメッセージについての誤解の一つの原因は、聖母がロシアは世界中にその諸々の誤謬を広めているということについて語られたとき、教会が世界に属するものではない一方で、それにもかかわらず、教会が世界のの中にあるということ、従って、世界中にロシアの諸々の誤謬を広める最も効果的な方法は、傑出した教会人、そしてある種の教会の諸制度をさえ革命の先遣隊に必須のものとするような仕方で教会を通じてそれらの誤謬を広めることによってであろうということが十分に理解されなかったことである。

しかしこのことが過去数十年の間にまさに起こってきたということを正しく理解するためには現代の教会における状況をただ眺めるだけで十分である。

なぜなら、一方で教会における広まりつつある混乱がますます加速的な速さで第二バチカン公会議に続いて激増してきた一方で、歴史的記録は単にそれが第二バチカン公会議のずっと以前に始まっただけではなくて、またこの混乱が本質的に、ソビエト・ロシアをヨーロッパにまたがる一つの大国としてそして主要な世界権力として現れさせることを可能とした第二次世界大戦の終わり以来特にその諸々の誤謬を特に教会を通じて広めることにロシアが成功したその程度の一つの機能であるということをも示している。

フレンチ・コネクション

以下の諸事実から見ることができるように、この現象はまず第一に、戦後のフランスにおいて明らかとなった。

第一に、Jean Madiran が 1955 年に出版した2冊の書物の中で厖大な証拠でもって論証したように、注5)教会の長女、そしてさらにその知的原動力であったフランスにおける制度的教会はそのときまでにすでに大幅にネオ近代主義的「反- 反共産主義者たち」によって乗っ取られていた。

第二に、たいていの人々は、どのように第二バチカン公会議がネオ近代主義者たちによって彼らの有利になるように巧妙に操作されていたかを記述しているウィトゲン神父の書物『ライン河はティベル河に流入する』をよく知っているけれども、ライン河がフランスの河であるということ、そして1962年までに反・反共産主義的教会体制における重要人物たちがドイツとオランダにおける「進歩的な」高位聖職者たちと親密な関係にあったということを理解している人はほとんどいない。その接触は、公会議のすべてのそれ以上のネオ近代主義的利用を可能としたネオ近代主義同志たちにとっての「最初の勝利」としてあるオランダの司教が歓呼して迎えたことを確保することにおいて第一の動議提出者であったのがフランス人のアキル・リエナール枢機卿であったという事実によって象徴されていた。

第三に、公会議における反・反共産主義者の勢力の強さは86ヶ国を代表する450人の公会議教父たちが共産主義に関する教会の長年続いている教義について公会議による荘厳な再断言を要求したとき、彼らの署名された介入がフランス、リールの司教、モンシニョール・アキル・グロリユーによって「却下され」た後、都合よく「消え失せた」という事実によって立証された。

第二バチカン公会議におけるロシア人たち

公会議に出席するように招待されたロシア人オブザーバーたちが、公会議が共産主義に対して明白な攻撃を何もしないという理解においてのみ来ることに同意したということが言われて来た。そしてそのことは決して否定されなかった。そしてこの主張を裏付け、公会議教父たちのほとんど四分の一の介入の却下を説明するかのように、1964年9月26日に聖なる典礼に関する憲章を実行するための委員会によって定められたまさに最初の典礼「改革」の一つはピオ十一世の時以来ロシアの回心のために唱えられて来たミサの後のレオ[教皇]の祈りの削除であった。

第二バチカン公会議ではなぜロシアの奉献はなかったのか

公会議は「共産主義についての論争のための機会とはされないであろう」注6)という、たとえ「間接的な保証」によってであったとしても、「明白な保証」が与えられたと思われるからして、このことは単に共産主義に関する教会の教義の再陳述を求める要求の「却下」そしてロシアの回心のための祈りの削除を説明するだけではなく、それはまたなぜパウロ六世が第二バチカン公会議においてマリアの汚れなき御心にロシアを奉献しなかったか -- 共同的にそうするための神が送り給うた好機 -- 、そして単に世界を奉献したか、をも説明する。なぜなら、「ロシア」の共同的奉献以上に「論争を巻き起こす」ものはあり得なかったであろうからである。というのは、その目的はモスクワが1917年以来それと同一視されてきた無神論的イデオロギーからのロシアの回心をもたらすことだからである。

そして第二バチカン公会議の後、教会はあらゆる段階において、同様にまた恐ろしくネオ近代主義的である反・反共産主義者たちによって次々と乗っ取られてきたからして、今日疑いなくロシアの共同的奉献に対する主要な障碍を構成しているのはこれである。

最後に、各ミサの聖なる犠牲の後に「悪魔の邪悪さと罠に対する」聖ミカエルの保護を、あるいはロシアの回心に向けて天の元后の助けをももはや嘆願しない決定があったのであれば、公会議の後に、ロシアの諸々の誤謬がますます増大する図太さでもって教会の至るところに広まったこと、そして特に、反・反共産主義的ネオ近代主義者たちの同じ公会議後のマフィアによってカトリック・カテキズムが抑圧されたことにより健全なカテキズム教育をすでに剥奪された世代に受け入れられるように目論まれた語法へと翻訳された本質的に革命的マルキシズムである新しい「解放神学」によって広まったことはほとんど驚くにあたらない。

反・反共産主義による公会議後の教会のこの支配はマルクス主義的社会・経済的分析によってなされた「人間諸科学」への貢献の真価を認めることからカール・マルクスの死後百年祭を祝う1983年フランスミサ典書によって縮図的に示されている。

ああ、悲しいことよ!それはわれわれがそれと戦わなければならない反・反共産主義の単なる象徴ではない。教会内部のカトリック秩序の崩壊は教会と世間との間の変化した関係において特に顕著である。

なぜなら、第二バチカン公会議の前には、カトリック教会とカトリック教会人たちは一般的に共産主義に対する抵抗の頼みの綱を構成していたのに、今日共産主義に対する抵抗は「解放神学」の擁護者たちであり、革命の先遣隊に組み入れられた教会人たちや平信徒の知識人たちの至るところでの存在、モンシニョール・ブルース・ケント(英国)そしてアメリカ合衆国における彼のような他の無数の人々 -- 彼らは一方的核軍縮のためのキャンペーンに積極的に関係している -- のようなカトリック教会人たちの存在、を考慮にいれなければならない。しかしながら、すべてのものの中で最も普遍的な現象は、少なからざる司教そして司教委員会をさえ含む有名な教会人たちの、その機能が、自由と「人権」の最悪の敵はグーラーグ、ではなく、ソビエト共産主義ではなく、あるいは他のいかなる種類の革命的マルキシズムでもなくて -- それらのどれ一つもたった一つの奪うことのできない人権の存在をもかつて認めたことがないが -- 自由と「人権」のはるかに最悪の敵は、どのように不器用にまた不完全にであろうと彼ら自身と彼らの人民を共産主義者によって組織された「内的攻撃」に対して守ろうと努力している反共産主義諸政府や運動であるという印象を作り出すことである「アムネスティ・インターナショナル」として知られている、正当化できない仕方で名声をもった団体との共鳴である。

しかしロシアの諸々の誤謬が教会中に広まっている程度に関するすべてのことのうちで最も明らかな証拠は、単に西欧においてだけでなく、またそして特にアメリカ合衆国においても -- そこでは誰ももはやマルクス・レーニン主義のドグマを真面目に受け取る者はいない -- 世界が数千万の幻滅した共産主義者たちで一杯である時に、マルキシズムの致命的な麻薬に対する唯一の残っている快復不能の中毒者たちが「進歩的な」神学者たちと彼らの影響下にあるカトリック平信徒の知識人たちであるという事実である。それゆえに、実際歴史は最後の勝利を収めたのである。なぜなら、マルクスが宗教は人民の阿片であると言ったのに、実際聖職者そして平信徒の両方の「進歩的」カトリック・インテリゲンツィア全体の阿片であることを証明したのは革命的マルキシズムなのである。

私はあなたがこの破壊活動をする反逆の十分な意味を正しく評価するかどうかなと思う。

十分な数の人々が聖母の要求に応じない限り全世界におけるあらゆる国家が例外なしに最終的には共産主義によって奴隷化され、荒廃させられるでろうというウォルシュ博士に対するシスター・ルチアの警告を私は再びあなたたちに思い起こさせる必要があるのか?

この警告は確かに理解が困難ではない。なぜなら、教会人たちが至る所で革命の仕事を行い、教会の諸制度をもって革命的マルクス主義の扇動と宣伝への補助者として行動し、聖職者の裏切り者たちが至る所で自由世界の残されているものの防御の力を奪おうと努力しているから、一口に言えば、革命はおそらく成功しそこなうことはできないからである。

絶望する必要はない

それゆえに、われわれは絶望しなければならないのか? 決してそうではない。なぜなら、母なる教会がもう一度、その主要な強調が霊魂の救いに置かれているときにはいつでも常にそうであるように効果的なパン種となりさえすれば、状況は至る所でほとんど一夜にして変えられ得るであろうからである。なぜなら、今日霊的な真空は、もし教会がもう一度普通の人々に可視的なものとなったならば、すべての種族の間の霊魂の収穫は初代教会の収穫をさえ小さく見せるほどのものとなるであろうからである。

さらに、われわれはこのことが際だって可能であるということを知っている。なぜなら、ファチマの聖母は彼女の汚れなき御心へのロシアの共同的奉献がひとたび実行されたならば、ロシアは回心するということをわれわれに確証されたからである。換言すれば、ロシアはそのとき、単に教会と世界中にその諸々の誤謬を広めることをやめるだけでなく、また再び回心したキリスト教国家として、全世界の至る所でのキリスト教的福音宣教の原動力となるであろう。

それゆえに、われわれが為さなければならないことは、ファチマの聖母のメッセージの本質的な、世界を揺り動かす重要性をわれわれが知っているすべての人々、われわれのすべての親族、友人そしてあらゆるところの縁故者たちに知らせることである。われわれが為さなければならないことは、そのような手段によって、その信仰が実際山を動かすことができる教会の全エネルギーを活性化することが可能な一つの巨大な運動を起こすことである。

それゆえに、ここには、第二バチカン公会議以来教会において起こってきたことに対する彼らの態度がどんなものであろうと、善意のすべての男女に訴えることのできる一つの真の平和運動がある。ここには、彼らの典礼、その他の事柄に対する態度がどんなものであろうと、彼らの自身の責任を通じてではなくて教義に関して知識のない人々に対して訴えることのできる一つの運動がある。なぜならこれはまったく文字通りに生命と死の問題だからである。

このことは確かに、われわれがすでに関わっている積極的な自発的行為を放棄すべきであるということを意味しない。しかしそれは、われわれがそのような自発的行為をファチマの文脈内部で -- ファチマの聖母によって要求された償いに不可欠なものとして -- 見なければならないということを意味する。すなわち、その償いとは教会と国家の両方にカトリック的秩序をひとり回復することができるマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を促進する手段として、われわれの生活状態に適した諸々の義務を果たすという償いである。

それはまた、いかなる自発的行為も、もしそれが汚れなき御心への尊敬において、そして汚れなき御心の旗印の下に[行われるの]でないならば、積極的な結果を得ることを望むことはできないということをも意味する。

そして逆に、このことは、最初は大きな約束を示していた非常の多くの見たところ価値のある自発的行為が後に分裂を通じて解体され、広範な葛藤や絶望すらを生じさせたのはなぜかをわれわれに問わせる。

それは、これらの自発的行為がそれらの保証人たちによってそれら自身で十分なものと -- それによって秩序が主として人間的な手段によって回復され得る手段として -- 見られたからではないか? それらは実際に「伝統的ヒューマニズム」の一形式として記述され得るものにおける運動であったのか?

しかしながら、過去の失敗を嘆かないようにしよう。その代わりに、上の方を、そして同時に前の方を見よう。すなわち、一方において天の元后によって約束されたことへ、そして他方において、聖母の要求がここ地上で果たされることを確実にする手段へと[目を向けよう]。換言すれば、第一の目的:マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献の達成の方向へと母なる教会のすべてのエネルギーを刺激し実現するためにわれわれができること、おそらくわれわれが為すことができるすべてのことを為そう。そしてわれわれ人間の力を超えることを信頼をもって全能と神と教会の御母に委ねよう。

  1. これはこのことがなされるべきであるという要求に対する応答においてシスター・ルチアによってなされた。しかしながら、彼女は後になってマリアの汚れなき御心への、ロシアの奉献ではなくて、ロシアの特別の言及を伴った世界の奉献を要求することにおいて司教の圧力に屈したということを認めた。"Fatima: the Great Sign" by Francis Johnston, p. 88 を参照せよ。

  2. Ibid., p. 89.

  3. モンシニョール・ヴィッレブランズはオランダ人ビジネスマンとしてアムステルダムからモスクワに飛んだと思われる。

  4. 大きな拒否。

  5. "Ils ne sauvent pas ce qu'ils font and Ils ne sauvent pas ce qu'ils disent."

  6. この書物の p.232 を見よ。

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2004/12/19 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/19

最終更新日:2004/12/19

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