ファチマ・ニュース

「ファチマの第四の秘密」

主流のイタリア作家、ファチマの第三の秘密は完全には明らかにされなかったと主張する

教皇ヨハネ二十三世の秘書、二つのテキストが存在することを認める

2007/01/02

ジョン・ヴェナリ


2006年11月22日アントニオ・ソッチの Il Quarto Segreto di Fatima (ファチマの第四の秘密)がイタリアの各書店でヒットした。著者は綿密な研究の後にヴァチカンが第三の秘密全体を公式的に明かさなかったという結論に到達している。

この書物の重要性はいくら強調しても強調しきれない。ソッチ氏は有名な、主流のイタリア作家かつテレビの総合司会者であって、どのような伝統主義者たちのグループにも所属していない。事実、彼はヴァチカンが2000年6月に秘密全体を明かしたと堅く信じながらそのプロジェクトを始めた。にもかかわらず、彼が研究すればするほど、彼は秘密全体が明かされなかったということをますます確信するようになった。

パオリーニの挑戦

ソッチはその書物の序論において、シスター・ルチアの死の時にイタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・メッソーリによって公表された一つの論攷:「ファチマの秘密、シスター・ルチアの個室は封印された」によって興味を持たされたと書いている。ここでメッソーリはシスター・ルチアが彼女の個室に残したであろう多くの書き物と諸教皇に宛てた諸々の書簡について語った。それから、メッソーリはヴァチカンの2000年6月の秘密の公表に言及した。それは謎を解く代わりに、その諸々の解釈、その内容に関して、そして公表されたテキストの完全性について、他の謎を開いた。

このことがソッチの精神のうちに諸々の疑問を投げかけた。「偉大なジャーナリストであり、極度に几帳面で、...世界においても最も多く翻訳されているカトリックのコラムニストである」メッソーリがなぜヴァチカンに対してそのような疑惑を投げかけるのか? ヴァチカンの周囲に非常に近いメッソーリのような人物が第三の秘密の公式的なバージョンが人を納得させるものでないと、どのように納得させられ得るのであろうか?

このことは特に困惑させることであった。なぜなら、5年前、秘密のバージョンの公開のとき、メッソーリはヴァチカンが公表したことについて何らの留保をも表明しなかったからである。今や彼は諸々の疑いを持っているように思われれる。今や、彼は諸々の疑問を持っていると思われる。

ソッチは、礼儀正しいジャーナリストたちの、メッソーリとの議論に参加することによって答えた。その議論の中でソッチはヴァチカンの立場を擁護した。しかし、そのとき、「私は一人の若いカトリック作家、ソリデオ・パオリーニによって書かれた一つの論攷に打たれた。それはある伝統主義的な雑誌に寄稿されたものでそれがソッチとメッソーリの間の論争を引き起こした。

ソッチはパオリーニが「公式的なヴァチカン・バージョン(それは当時、私のものでもあった)に反対する一連の議論を挙げていた」と言っている。パオリーニはヴァチカンが「その危険な内容のゆえに」第三の秘密の主要な部分を公表されることから今なお守っている、と論じた。パオリーニ氏は熱心にファチマの主題を探求した。そしてファチマの第三の秘密、預言を侮ってはいけないという一冊の書物を書いた。それはイタリアで出版された。彼自身驚いたことには、ソッチはパオリーニの諸々の議論が考察に値するものであることを見出した。

ソッチ氏は、第三の秘密が完全には公表されなかったと論じている伝統的なカトリック教徒たちの挑戦を無視することは聖座とカトリック・メディアの誤りであるという彼の見解を表明している。彼はこう書いている:「例えば、ポール・クレイマー神父によって編集された書物(悪魔の最後の戦い - それは様々の著者の著作や論攷を集めたものである - )の中には、ヴァチカンがファチマの聖母の諸々の要求に注意を払わずにいる怠慢についての非難があり、また「ヴァチカンにおける決断の保留の値は極度に高価なものであり得るし、そして人類によって支払われることになるであろう」と主張されている。

要するに、ソッチは答えられないままに残されている多くの疑問、不可解であった秘密の多くの点があると認めたのである。

ベルトーネ[枢機卿]からの何らの答えなし

ソッチの疑いは、彼がヴァチカン当局者、特にベルトーネ枢機卿 - 彼は秘密に関する2000年6月26日の文書「ファチマのメッセージ」をラッツィンガー枢機卿と共同で出した人である - から回答を求めたときにただ強められただけであった。

ソッチはこう書いている: 「私は、今日ヴァチカン国務省長官であり、2000年に秘密の公表に中心的な役割を果たしたベルトーネ枢機卿のような聖座内部の多くの影響力を持った権威者たちを探し求めた...その個人的な思いやりで実際私の気に入っていた枢機卿はジェノアの彼の前の司教区での諸々の会議を行うように私に求めた後に、インタビューをという私の求めに応じることが必要であるとは考えられなかった。枢機卿がこの選択をされることは彼の権利の範囲内であるが、しかしこのことは人をまごつかせるような諸々の疑問の存在についての懸念そしてとりわけ、隠したままにされることが必要である何か(非常に重要な)あるものがあるという懸念、をただ増大させただけであった。

彼は、第三の秘密に関するそのような「巨大な謎」を彼が見出すことを予期していなかったと言いながら彼の序論を閉じている。そして彼が伝統主義的な文献に含まれているこの主題に関する一つひとつの理論に同意はしないであろう一方で、こう言った:秘密の二つのテキストが存在し、その一つは世界になお公開されるべきであるという結論に「私は最後に同意しなければならなかった」と。

ベルトーネ枢機卿はインタビューを求めるソッチ氏の要求に応えられなかった。

「私はそれ以上のことがもっとあると思う」

読者諸氏は2000年5月13日に、ファチマでの教皇によるヤシンタとフランシスコの列福の間に、当時のヴァチカン国務省長官アンジェロ・ソダノ枢機卿が第三の秘密は公表されるであろうと告知し、そして彼が主張したことはそれの一部分であると明らかにした。ソダノ[枢機卿]はその秘密は「殉教者たちの死体の真ん中歩いている間に銃火の炸裂の下で見たところ死んだようになって地上に倒れる白い衣服を纏った一人の司教」について語っていると告知した。

ソダノ枢機卿はさらに続けて、これはヨハネ・パウロ二世に対する暗殺未遂の予告であったと指摘した。

群衆の大部分がソダノ[枢機卿]の演説に拍手を送ったけれども、ある人々は直ちに懐疑的であった。2000年5月13日の Associated Press は33歳のポルトガルのセールスマン、フリオ・エステレオの次の言葉を引用した:「彼らが言ったことはみな過去に起こった。これは預言ではない。それは人を失望させるものである。私はそれ以上のことがもっとあると思う。」

実際、多くのカトリック教徒は言った:「私はそれ以上のことがもっとあると思う。」

それから、2000年6月26日に秘密の幻視が最終的に公表されたとき、われわれはソダノ枢機卿が真実を語らなかったということを学び知った。秘密は教皇が見たところ死んだようになって倒れると言っているのではなくて、彼は殺されたと言っている。

Washington Post でさえその7月1日の報道においてその矛盾をこう述べた:「第三の秘密はもっと多くの疑問に拍車をかけている:すなわち、ファチマ解釈は幻視から離れている:

「5月13日にはヴァチカンのトップの高官アンジェロ・ソダノ枢機卿は注意深く保護されたテキストの間もなくの公表を告知した。彼は、ファチマの第三の秘密は、ある人々が推測したように、世界の終りを予告したのではなくて、聖ペトロ大聖堂広場における1981年5月13日の教皇ヨハネ・パウロ二世の銃撃を予告したものである、と言った。」

「ソダノ[枢機卿]は、その文書が...殉教者たちの死体の真ん中を歩んで行く間に、『銃火の炸裂の下で見たところ死んだようになって地上に倒れる白い衣服を纏った一人の司教』について告げている、と言った。」

「しかし(6月26日)月曜日に公表されたテキストは、彼[白い衣服を纏った司教]が『弾丸と矢を浴びせかけた一群の兵士たちによって殺された』と言って、その司教の運命について何らの疑いも残していない。教皇と共にいた誰も:すなわち、司教たち、司祭たち、修道者たち、修道女たち、そして平信徒たちも、また死ぬ。ヨハネ・パウロ二世はたった一人の銃撃者、メヘメット・アリ・アグカの手で銃撃され生き延びた。そして群衆のうちの誰一人その攻撃の中で傷を受けなかった。」

この世俗新聞は偏見の眼でソダノ枢機卿を見ざるを得なかった。なぜなら、ソダノ枢機卿が、一つの誤った解釈をそれに強制的に押しつけている第三の秘密について一つの誤り伝えられた像を与えたということが明らかだからである。

関心のあるカトリック教徒たちは直ちに完全な第三の秘密として明らかにされたヴァチカンをラッツィンガー枢機卿が1984年にそれについて言われたことと対比した。ヴィットリーノ・メッソーリとの有名なインタビューの中でラッツィンガー枢機卿は秘密はキリスト教徒の、そしてそれゆえに世界の、信仰と生命に脅威を与える諸々の危険に、そして同様にまた終りの時代(novissimi)の重要性に、関わっている、と言われた。枢機卿はさらに「この第三の秘密のうちに含まれている諸々の事柄は聖書において告知されていることに一致しており、そして他の多くのマリア御出現によって確証されている...」と説明された。

にもかかわらず、兵士たちによって殺される一人の教皇の幻視は必ずしも「信仰に脅威を与える諸々の危険」を反映しておらず、また必ずしも「終りの時代」に一致していない。さらに、兵士たちの集団によって射殺される一人の教皇の預言に何らか言及している他のマリア御出現を見出そうとしてもそれを見つけ出すことはできない。また聖書にはそのような出来事に言及した箇所はどこにもない。

推測は、アロンソ神父や聖三位一体のフレール・ミッシェルのような著名なファチマ学者たちが第三の秘密について以前に言われてきたことについての広範な研究から、その諸々の内容がカトリック教会における信仰の大危機の預言に関わっているという結論に達した、という事実によって組み立てられている。

専門家たちはこう語る

ファチマの第三の秘密についてオッディ枢機卿はこう指摘された:

「それはゴルバチョフとは何の関係もない。祝せられたおとめは教会における背教に対してわれわれに警告を発しておられる。」

16年間にわたってファチマで公式の公文書記録係を務め、またシスター・ルチアと多くのインタビューを行った故ホアキン・アロンソ神父(+1981)は次のように証言した:

「それゆえに、そのテキストが教会内部の信仰の危機に、そして司牧者たち自身の怠慢、[そして]教会の懐そのものにおける内的な闘争、そして上級の位階の重大な司牧的怠慢に具体的に言及しているということは完全にあり得ることである...」

「マリアの汚れなき御心の偉大な勝利に先立つ時期に諸々の恐るべき事柄が起こるはずである。これらのことが秘密の第三の部分の内容を構成する。それらは何であるか? もし『ポルトガルにおいては信仰の教義が常に保たれる』ならば...このことから、教会の他の部分においてはこれらの教義が曖昧となる、あるいはまったく失われてしまうことさえある、ということが明らかに結論づけられ得る...」

「公表されなかったそのテキストは具体的な諸状況について語っているか? それがこの中間の時期の間の教会における信仰の真の危機について語っているばかりでなく、例えばラ・サレットの秘密と同じように、カトリック教徒たちの内的な闘争、あるいは司祭たちや修道者たちの堕落、へのより具体的な言及があるということは非常にあり得ることである。おそらくそれは教会の上層の位階の諸々の怠慢にさえ言及している。そのことに関するかぎりでは、このことのどれ一つシスター・ルチアがこの主題に関して行った他の諸々の伝達と無縁ではない。」

ファチマの三番目の司教、アマラル司教は1984年9月10日にオーストリア、ウィーンにおける講演において秘密について次のことを語った:

「その内容はただわれわれの信仰にだけ関わりがある。[第三の]秘密を破局的な告知あるいは核のホロコーストと同一視することはメッセージの意味を変える。一大陸の信仰の喪失は一国家の絶滅よりももっと悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて絶えず先細りをしていることは確かなことである。」

次に、教皇ヨハネ・パウロ二世を含んで彼まで四人の教皇の個人的神学者であったルイジ・チアッピ枢機卿からの有名な引用がある:

「第三の秘密においては、他のこともいろいろあるが、教会において大きな背教がトップで始まる、ということが予告されている。」

カトリック教徒は、教会における大規模の背教に関して「危険な内容」を含んだ秘密の部分 - まだ公表されるべき第二のテキスト - がまだあるということを信じるしかるべき理由を持っていた。

彼はそれを光にかざした

カトリック教徒は同様にまたファチマのヴェナンシオ司教からの証拠のゆえに第二のテキストがあるのではないかと疑うしかるべき理由をも持っていた。

1957年に、オッタヴィアーニ枢機卿のときの聖座がファチマの司教に秘密をヴァチカンに送るように要求したとき、ダ・シルヴァ司教はその仕事をヴェナンシオ司教に委ねた。ヴェナンシオ司教がその秘密を持って独りでいたとき、彼はその[秘密が入った]封筒を光にかざしてみた。彼は司教の大きな封筒の中にシスター・ルチアの少し小さい封筒が入っているのを識別することができた。そしてこの封筒の中には各行に4分の3センチの余白を持った一枚の普通紙があった。フレール・ミッシェルは、ヴェナンシオ司教が「わざわざあらゆるものの寸法を測ってメモをした」と指摘している。われわれが、最後の[第三の]秘密はおよそ25行から30行を含む一枚の紙に書かれていたということを学び知るのはヴェナンシオ司教からである。

にもかかわらず、ヴァチカンの6月26日の第三の秘密はシスター・ルチアによって4枚の紙に書かれており、62行を含んでいた。ここで再び、われわれは秘密の二つのテキストの証拠に出会うのである。

この証拠は昨年の夏、一つの注目に値する仕方で確証された。

「たとい私がそれについてもっと多くのことを知っていたとしても」

ソッチ氏は、秘密についてもとはソッチに挑戦していた若いジャーナリスト、ソリデオ・パオリーニ氏と接触してきた。パオリーニはソッチ氏に教皇ヨハネ・パウロ二世の元秘書、ロリス・フランチェスコ・カポヴィッラ大司教から入手した第三の秘密についての彼の諸々の発見を気前よく引き渡した。

私はソッチ氏の書物においてそれが現れている通りに、諸々の出来事の時日順の配列に厳密に従うつもりである。

ソリデオ・パオリーニは2006年7月5日、ソット・イル・モンタにある大司教の邸宅にカポヴィッラを訪問した。前置きの会話の後にパオリーニはカポヴィッラに、彼の訪問の理由はファチマに関する彼のジャーナリストとしての研究から来ていると告げた。パオリーニはこう言った:「あなたは第一級の情報源ですから、私はあなたにいくつかの質問」、特に第三の秘密に関して、「質問したいと思います。」

カポヴィッラ大司教は最初にこう答えた:「誤解を避けるために、本当に駄目です。それは公式的に明らかにされてきましたから、私は言われてきたことを固く守ります。たとい私がそれについてもっと多くのことを知っていたとしても、われわれは公式的な文書において言われていることに固執しなければなりません。」

これは、ヴァチカンがどのように事を処理しているかについて一瞥を与える一つの人を魅了する容認である。ヴァチカンはその主題に関してその「公式的な新事実」を提供した。そして一人の引退したヴァチカンの高位聖職者は、「たとい私がそれについてもっと多くのことを知っているとしても」公式的な文書に固執しなければならないと力説する。そのことは、パオリーニ氏に、そのような問題において通常どのように政策が遂行されているかを告げている。そしてそれはまた一つの幕を上げるのである。それは大司教からの一つのヒントである。すなわち、「ええ、私はそれについてもっと多くのことを知っています!」ということである。

大司教はこの時点で微笑みそしてこう言われた:「どうかあなたの質問を手紙に書いてください。そうすればそれらの質問に答えましょう。」彼は、まだ諸文書を持っていたならば - というのは彼はすでに実際にあらゆるものを博物館に寄贈していたからである - 調べてみようと言われた。それから、パオリーニにこう言われた:「私はあるもの、おそらく一つの文言を送りましょう...手紙を書いて、そして待っていてください。」

一つの文言? パオリーニは考えた。大司教は「私はあなたに一つの文言を送りましょう」[という文言]によって何を意味することができたのか? と。

三日後にパオリーニはカポヴィッラ大司教に一連の質問を書いた手紙を出した。7月18日にパオリーニはカポヴィッラ[大司教]からその答えと彼の文書からの数枚の書類の入った小包を受け取った。

パオリーニはこう書いている:「大量の手がかりのゆえにそれが存在する可能性が非常に高く、これから公表されなければならない第三の秘密の公表されていないテキストの存在に関する私の質問と並んでモンシニョール・カポヴィッラ(周知のように、彼は第三の秘密を読まれた)は、「私は何も知らない」と文字通り書かれた。」

パオリーニは肝をつぶした。カポヴィッラ大司教は秘密を読まれた、彼はその内容を知っておられた、彼は、第三の秘密全体が2000年に公表され、その他に公表されるべきものは何一つ存在しないということを明確に述べる位置に立っておられたのだ。しかし彼はこう言われた:「私は何も知らない」と。

パオリーニの意見はこうである:この表現は omerta siciliani (シチリア人の仲間をかばっての沈黙)すなわち、沈黙に関するマフィアの掟の一種である、と。

これは驚きの終りではなかった。

カポヴィッラ[大司教]によって送られてきた小包にはいくつかの公式的な書類と次のように書かれた小さな自筆の署名の入ったカードが入っていた:

2006年7月14日
親愛なるソリデオ・パオリーニ様

「私の文書記録の中からいくつかの書類をお送りします。あなたが2000年に信仰教義聖省によって公表されたファチマ・メッセージの小冊子をお求めになるよう提案します。」

豊かな祝福がありますように
ロリス・カポヴィッラ

何という奇妙な提案であろう!確かにカポヴィッラ大司教はパオリーニ氏が第三の秘密の主題を広範囲に研究してきたこと、そしてすでに6月26日の[ファチマ・メッセージの]文書を所有していることを知っておられた。パオリーニにとってはこれが大司教からのなおもう一つのヒントであるということは明白であった。それはあたかもカポヴィッラ[大司教]がこう言われたかのごとくであった:「6月26日文書をもう一度お読みなさい。しかし今回は私がお送りしている諸文書の光に照らして、お読みなさい!」と。

教皇ヨハネ・パウロ二世の元秘書、カポヴィッラ大司教は二つのテキストが存在することを認められた。

予期した通りパオリーニは文書の内部にカチカチと音を立てている爆弾を見出した。

パオリーニはこう言った:「ヴァチカンによって出版された小冊子をヨハネ・パウロ二世の秘書[であるカポヴィッラ大司教]が私に送られた記録文書と比較することによって、一つの非常に印象的な矛盾が、それ[公式的な封印]の上の承認のスタンプをもった「控え目な符号において」著者[私]の目に直ちに入って来る。2000年6月26日の公式的な文書が『パウロ六世はその内容を1965年3月27日に読まれ、そしてテキストを公表しないことに決定されながら、その封筒を聖座の公文書保管所に送られた』と主張している一方で、教皇パウロ六世が秘密を1963年6月27日午後に読まれたということが正式に証明されている。」

それゆえわれわれは日付の不一致をここに見るのである。カポヴィッラ[大司教]の公式のヴァチカン文書はパウロ六世が秘密を1963年6月27日に読まれたと述べた。一方で、[2000年]6月26日ヴァチカン公式文書は同じ教皇が秘密を1965年3月27日に読まれたと主張したのである。

パオリーニは直ちに日付の不一致に関して説明を求めるために、カポヴィッラ大司教に電話した。カポヴィッラ[大司教]は「われわれは聖書について話しているのではありません」というようなそのような陳述を伴った彼の答において少しばかり責任のがれであった。パオリーニは直ちに答えた:「その通りです、閣下。しかし私が言及しているのは一つの公式的に書かれたテキスト(公式的なヴァチカン文書)であって、それは明白であり、また他の諸々の記録文書に基づいています!」モンシニョール・カポヴィッラは答えられた:「そうですね、おそらくベルトーネの包み[6月26日の文書]はカポヴィッラの包みと同一ではないのでしょう...」

この時点で一つの光がパオリーニの頭の中に射し込んだ。そして彼は6万4千ドルの質問を敢えて試みた:「それでは両方の日付は、第三の秘密の二つのテキストが存在するがゆえに、どちらも正しいのでか?」

言葉が短く途切れた後に、カポヴィッラ大司教は答えられた:「まさにその通りです!」

ソッチ氏の書物において最初に公表されたこの赤熱した証拠の断片は、一人のヴァチカン高官が、退任したとはいえ、、ソッチの言葉においては、「第四の秘密、あるいはもっとうまく言えば、第三の秘密の第二部(明らかにあの『云々』によって中断された聖母の言葉の続き)が、その通り、存在すると認めた最初である。その第二部[のテキスト]はまだ公表されておらず、そしてヴァチカンの壁の内部で異なった道を辿ったのである。」

ヴァチカンが秘密全体を公表してこなかった、二つのテキストが存在すると主張したために過去6年間徴嘲笑と軽蔑を蒙ってきたカトリック教徒はソッチのファチマの第四の秘密 Fourth Secret of Fatima において公表された諸発見によってその非難の不当性を立証している。

もうひとつの不一致:ポルトガル語方言の表現

同じ章において、ソッチは秘密の異なった二つのテキストを示唆する他の諸点を挙げている。最も際だった点の一つは秘密が含んでいる報告された「ボルトガル語方言の表現」に関わっている。

ソッチは、オッタヴィアーニ枢機卿が、ヨハネ二十三世は[秘密が入った]封筒を開け、そしてそれを読まれたとき、それがポルトガル語で書かれていたにもかかわらず、それを完全に理解された、と言われたと述べている。しかし、ファチマについての全真理 The Whole Truth about Fatima の著者聖三位一体のフレール・ミッシェルは、教皇がいくつかのポルトガル語の表現を理解するのに彼を助けるよう信頼できるモンシニョール・タヴァレスという人を呼ばれた、と指摘している。カポヴィッラ大司教もまた、テキストはポルトガル語の方言の表現を含んでいたので、モンシニョール・タヴァレスという一人の司祭が呼ばれたと証言しておられる。

ソッチは、この不一致はただ、秘密の二つのテキスト、ヨハネ二十三世がモンシニョール・タヴァレスの助けなしに読むことができたテキストと彼の助けを必要としたもう一つのテキスト、が存在する場合にのみ理解され得ると主張する。

ソッチ氏は、2000年にヴァチカンによって公表された秘密の幻視の正確な分析を行ったポルトガル言語の専門家、マリアグラツィオ・ルッソに意見を求めることによってこの理論を立証した。

ルッソは単に、シスター・ルチアの4頁のポルトガル語のテキストの公式的なヴァチカン翻訳には多くの不正確なところがあった(それはそのように重要なヴァチカン文書においては奇妙である)と結論しただけではなくて、彼女はいかなる地方的、あるいは「方言的な表現」も見出さなかったのである。このことはただ、ヴァチカンが公表したものが、ヨハネ二十三世によって読まれた「方言的な表現」を含んだテキスト - そのために彼は一人のポルトガル人の助けてを必要としたのである - とは異なるということを意味し得るだけである。

それはどのようにして起こり得たか?

ソッチ氏はヴァチカンの壁の背後で2000年に何が起こったのかについての一つの仮説的な説明を構成している。ソッチは、ヨハネ・パウロ二世が秘密を公表しようと決定されたとき、性質の分からない一つの権力闘争がヴァチカンにおいて噴出したと信じている。彼は、ヨハネ・パウロ二世とラッツィンガー枢機卿が秘密をその全体において公表することを望まれたが、しかし、当時のヴァチカン国務省長官ソダノ枢機卿がその考えに反対したと仮定している。そしてヴァチカン国務省長官からの反対は手強いものである。

一つの妥協がなされた。悲しいことに主要な演技者たちの誰からも英雄的な徳は発揮されていない。

「白い衣装を纏った司教」の幻視 - それはシスター・ルチアによって書かれた4頁である - は最初にソダノ枢機卿によって、秘密は預言された教皇ヨハネ・パウロ二世に対する1981年の暗殺未遂の試み以外の何物でもないという彼の滑稽な解釈を伴って、公表されたのであろう。

同時に2000年5月13日、ヤシンタとフランシスコの列福式のときに、教皇ヨハネ・パウロ二世は彼の説教の中で遠回しに秘密のもう一つの部分 - 最も「恐ろしい部分」- を明らかになさったのであろう。ヨハネ・パウロ二世が黙示録について話されたのはこの説教の中でである:「天に他の印現われたり、見よ、大いなる赤き龍あり...」(黙示録12:3)ミサの第一朗読からのこれらの言葉は、人間が神を傍らに置くとき、どのように彼は幸福を達成することができず、彼自身を滅ぼすことに終わるかを示しながら、善と悪との間の大きな闘争についてわれわれに考えさせる...ファチマのメッセージは人類に、その尾が天の星の三分の一を掃き落とし、彼らを地上に引き下ろす「龍」(黙示録12:4)と関わりを持たないように警告している、回心への呼びかけである。

教父たちは常に[天の]星を聖職者として解釈してきた。そして龍の尾によって掃き落とされる星は悪魔の影響の下にいるであろう多くの教会人を示している。これは第三の秘密はまた一つの大きな背教をも予告しているということを説明する教皇ヨハネ・パウロ二世のやり方であった。

それは秘密の暗々裏の開示であった。このやり方、ヴァチカンそして教皇御自身、は次の直接の質問に対して嘘を言っていると非難され得ないであろう:「第三の秘密は全部公表されたのか?」その答:「そうだ、それは全部公表された。」

この仮説は困難である、あるいは信じがたいと思う人々がいる。彼らはこう反対するであろう、一般の人々はこういうふうには考えない、と。しかしながら、私はこの仮説は信用できると思う。

第一に、われわれは聖ピオ十世会のウィリアムソン司教による最近の陳述を持っている。彼はオーストリア出身の知人の一司祭が、ラッツィンガー枢機卿は(そのオーストリアの司祭に)自分は良心の重荷となる二つの事柄を持っていると打ち明けたと彼に告げたと述べている。その一つは6月26日にファチマのメッセージについての彼の誤った取り扱いであり、もう一つはルフェーブル大司教についての彼の1988年の誤った取り扱いであった。ラッツィンガー枢機卿はルフェーブル大司教の事例において「私は失敗した」、そしてファチマの事例においては「私の手は強制された」と言われたと報じられている。ソッチの仮説はラッツィンガー枢機卿が言われたとされている彼の手の強制についての陳述を支持している。

第二に、ヴァチカンの Romanita をよく知っている者は誰でもそのような仮説の可能性を受け入れることに何の困難も持っていない。

ヴァチカンはシャルルマーニュの時代以来ローマの官僚制が支配している所である。それはその最も良い状態において最も機転がきき、賢明であるが、その元も悪い状態においては最も責任逃れであり、狡猾である。 Romanita は控え目な言葉の主人公である権力の一つの烙印である。それはぶざまな状況からすり抜けることに精通している。それは肯定もしないし、否定もしない。それはそれ自身の問いを問うことによって質問に答える。それは怒りを静める魅力でもって巧みに逃れる。

われわれは今「サタンの煙が教会の中に入った」時代に生きているので、公会議後のヴァチカンがたいていの場合に福音書の次の格言:「汝ら、ただ、しかりしかり、いないな、と言え」(マテオ5:23)を長い間放棄してきたということを苦痛をもって認めなければならない。これはイタリアにおける痛烈な伝統主義者の出版物が自らを Si Si No No - 文字通りしかりしかり、いないな - と呼んだ理由の一つである。なぜなら、今日のヴァチカンの高官たちから - あるヴァチカンの高官が真に考えていることを見出しながら - 率直なしかりあるいはいなを得ることは一つの不可能な仕事であることを証明することができるからである。

二つの例がこのことを例証するのを助けてくれるであろう。

教皇ヨハネ・パウロ二世は2000年3月12日に、彼の一年にわたるミレニアムの祝いの一部としてその公式的な「教皇の弁明」を行われた。彼はラッツィンガー枢機卿に信仰教義聖省から出されるべき弁明計画の神学的擁護を準備するように求められた。

確かに進歩主義者であるラッツィンガー枢機卿はそれにもかかわらず、この弁明の計画を承認されなかった。それゆえ、ここに彼がどのように彼の任務を処理したかの事情がある。ローマにおいてラッツィンガー枢機卿に最も好意を寄せているジャーナリストの一人でありヴァチカン・ジャーナリストであるサンドロ・マギステルに従えば、ラッツィンガー枢機卿は大きな堅固さと精密さをもって弁明計画に反対する議論を構成された。彼は次に一つの弱くてつまらない仕方でこれらの議論に対する解答を構成された。これは教皇の弁明計画は神学的に擁護され得ないということを間接的に述べる枢機卿のやり方であった。

にもかかわらず、彼はこのことを公然と言うことは敢えてされなかった。人は、これが彼の意図であるということを枢機卿の精神を読み取ることができるある特別の透視力なしには決して知ることができないであろう。しかしながら、カトリック教徒がそれで死んでしまったものは公会議後のヴァチカンがこれまでに産みだした最も笑うべき、教義的に最も不健全な文書の一つである「記憶と想起」であった。- それは病床から真っ直ぐに出て来た精神錯乱である-。しかしこの文書はその第一の義務が教義の全一性を確保することであった人から出されたのである。

再び、誰もここで枢機卿をその英雄的な徳のゆえに非難することはできないであろう。しかしそれはヴァチカンがどのように行動するかについて一つの理解を与える。従順の名において、あるいは少なくとも従順とのある種の妥協において、ラッツィンガー枢機卿は数百万人ものカトリック教徒を誤り導いた一つの教義的な問題に関して一つの文書を公表された。

次に今日のヴァチカンからのむしろ称賛に値するとはいえない完全性の悲しい例がある。

従いなさい!

数年前私は、1988年以後に正常化の可能性を調査した一つのトレント・ミサの共同体と共にいた。1994年1月にわれわれ二人はその可能性を議論するためにローマにある Ecclesia Dei の事務局へ旅行した。「正常化」に関して言えば、その旅行は時間の浪費であった。しかし今日のヴァチカンがどのように作動しているかについての厳しい教訓に関しては非常に貴重なものであった。

われわれの会合の一時点で、ヴァチカンの Ecclesia Dei 事務局のアーサー・B. コールキンズ神父はわれわれに従うことはわれわれの義務であると告げた!そしてもし命令が悪いものであるならば、罪はわれわれの上には落ちず、われわれに命令をする者たちの上に落ちる、と。

コールキンズ神父は真面目であった。

私は自分の耳を信じることができなかった。一人のヴァチカンの高官によって助長される盲目的な服従のこの様式は、カトリックの聖職者、修道者 - そしてヴァチカンの職員たちでさえ - が信仰にとって実際に有害である、そして諸々の霊魂にとって有害である命令を遂行するであろうということ、そしてその間中、自分たち自身に自分たちはいかなる個人的な責任をも負うことはない、なぜなら、「私はただ命令に従ったに過ぎない」、「それは私の上長の落ち度であって、私の落ち度ではない」からである、と言っているのである。新しいミサ、祭壇に奉仕する女児たち、手による聖体拝領、ロックン・ロール世界青年の日、異教的諸宗教との汎宗教的な活動、カトリック信仰に対するこれらの侮辱のすべては「従順」の名において蒸し返されている。それは真の従順ではなくて、臆病と隷属である。

もしヴァチカンが今や政策の問題としてこの原理において作動しているとするならば - それはカトリック教徒が彼の宗教的上長たちに負うている子としての敬虔の一つの倒錯である - そのとき諸々の公式的な変則と悪事がカトリック世界の至る所に殺到しているということは何ら不思議ではない。それは同様にまた、第三の秘密の妥協させられた公表についてのソッチ氏の仮説を説明する手助けとなる。

われわれが印刷しようとしているとき、ヴァチカンはいかなるコメントも出していなかった。

主流の論評

ソッチの書物はここで詳論するには余りにもその数が多すぎる他の多くの点を含んでいる。彼はヨハネ二十三世およびパウロ六世のシスター・ルチアに対する軽い軽蔑;秘密の隠された部分が信仰の重大な危機を予告し、そしておそらく第二ヴァチカン公会議についての否定的な警告を含んでいるという事実;当時のベルトーネ大司教によるシスター・ルチアとのばかばかしい2001年11月17日の閉じられた扉の中でのインタビュー - その中で彼は、ロスアンジェルス・タイムズがそのことに関する記事に「ヴァチカンのトップの神学者、ファチマ信心の名声をやんわりと低下させる」と表題をつけたほどその文書がファチマの名声を非常に激しく傷つけたけれども、6月26日文書におけるあらゆる事柄にシスター・ルチアが同意したと主張した - について話している。

ソッチはさらに秘密の公表されなかったテキストが巨大な諸々の自然災害の警告を含んでいるということは最もあり得ることだと言っている。

ロシアの奉献に関して言えば、ソッチはそれがなおなされなければならないと結論づけている。このことはロシアの頽廃した状況をただ見るだけで証明される。われわれはただソッチの常識に拍手を送ることができるだけである。ただ最も非宗教的で脳が死んでいる時事問題解説者だけが、離婚、中絶、オカルトそして同性愛が今猛威をふるっている今日のロシアは[マリアの]汚れなき御心の約束された勝利を証明していると主張することができるであろう。

252頁のその書物の中にはもっと多くのことが含まれている。それはイタリアにおける一つの主要な出版社によって出版されているので、たぶん幅広く読まれそして多くの議論を生み出すであろう。ローマ駐在の一人の Catholic Family News 通信員はわれわれに、その書物がすべてのイタリアの新聞(il Corriere della Sera, La Stampa, Liberoそしてil Giornaleを含む)において主流の論評を受けた、そしてそれはヴァチカン内部にかなりの混乱を引き起こしていると告げている。われわれが印刷しようとしているとき(2006年12月)、ヴァチカンはいかなるコメントも出していなかった。

われわれはただ、その書物が出来る限り早く英語で、そして他の主要な言語で出版されることを望むことができるだけである。

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作成日:2007/02/09

最終更新日:2007/02/09

"The Fourth Secret of Fatima"

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