ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

ファチマの聖母のロシアに関する要求はまだ果たされていない

Pere Joseph de Sainte-Marie 著

シスター・ルチアについて事実に反する報告を最初に公表したのは "Soul Magazine" の7月/8月号であった。
多くの努力にもかかわらず、[司教たちによる]共同奉献を巡る混乱は持続し、そして多くの人々は1982年5月13日の奉献が聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献を求める聖母の要求を満たしたということを報道し続けた。
この自己満足の態度が諸々の事実とだけでなく、またファチマの聖母の精神とも一致しないということを示すことを希望して、ハーミッシュ・フレイザーはそのような誤らせる陳述に関してジョゼフ・ド・サント・マリー神父に彼の意見を尋ねた。彼の意見は "Approches" の編集者、故ハーミッシュ・フレイザーに宛てた書簡の形式において公表された。われわれは彼の返事の翻訳をここに公表する。

ジョゼフ・ド・サント・マリー神父の書簡

1983年1月16日

親愛なるフレイザー氏、

お手紙ありがとう。急いで御返事します。あなたと同じように、私はこの前の5月13日のファチマへの教皇の訪問に続いてなされたこれらすべての多かれ少なかれ公認された宣言をまったく遺憾に思います。今まで、それらはただ精神の混乱、心の分裂そして諸力の消失だけを引き起こしてきました。

この事態を改善することは不可欠であり、緊急のことです。そして私の意見では、そうする唯一の手段は何であれこらすべての陳述にいかなる注意も払わず、価値のないものとしてそれらを考慮に入れないことです。実際、これらの流言を引き起こした人々から撤回を得ることが可能かもしれないと言い張ることは非現実的です。彼らのある者は祝せられたおとめの最も確実な言葉に反対しているという点において明らかに間違っています。さらに、一人の人間の証言を他の人間の証言に対立させることは常に可能でしょう。そしてこれは果てしない議論へと導き、時間と精力の大きな浪費でしょう。

それゆえに祝せられたおとめによる陳述にのみ専ら自己を限定することが必要です。なされたことが聖母の要求を満たしているかどうかを見ることをわれわれに可能にするのはこれらのことであり、ただこれらのことだけです。そのことは今度は何がまだなされるべきこととして残っているかをわれわれに見ることを可能にさせます。そのときにのみ、その問題に関して話す権威を真に持っている人としてそのような人々、その証言が確実に保証されている人々の意見を考察することができるのです。

(1)祝せられたおとめの陳述

それらは知られています。そしてわれわれが現在論じていること -- 聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献 -- に関して二つの主要な陳述は以下の通りです:

それ(戦争)を妨げるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初金曜日における償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。...最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」(1917年7月13日)注1)

聖母はそれから私にこう言われました:『神にとって、世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をするように教皇にお求めになる時が来ました。』」(1929年6月13日、1931年8月に書かれる。)注2)

(2)なされたこと

祝せられたおとめの要求に最初に答え始められたのはピオ十二世でした。われわれは彼から二つの偉大な行為を得ました。その第一は直接的にファチマに関係づけられてはいませんが、1942年の世界の奉献です。実際に、この行為は祝せられたおとめの別の要求に応えたものでした。その要求を聖母は別のポルトガルの神秘家、アレキサンドリナ・マリア・ダ・コスタの仲介を通じて教会に申し入れられたのです。そしてそれはロシアの奉献ではなくて、第二次世界大戦の諸々の残虐行為と苦しみを終結させることをその目的としていました。1942年10月31日にローマでピオ十二世によって果たされて、この行為は予想された結果を効果的に手に入れました:すなわち、その年、1942年の終わりは戦争における転換点とナチズムの敗北の始まりを見たのです。不幸なことに、状況のこの転換点は共産主義ロシア興隆の始まり、そしてロシアがそれによって世界中にその諸々の誤謬とその独裁権を広めることを止めなかった過程の始まりと一致していました。この事実は1942年の奉献の行為がファチマの要求に応えたものではなかったということを確証しています。

時間の経過と共に、ピオ十二世はこのことをよく理解されました。そして1952年7月7日に彼はマリアの汚れなき御心に「ロシアの人々」を明示的に奉献されました。それは祝せられたおとめの要求に応えることにおいて最初の非常に重要な一歩でした。しかしそれは単に第一段階しかありませんでした。それが欠いていたものは、主として教皇の行為との司教たちの結びつきでした。それはまた、私の意見では、一国家としてのロシアそれ自身の奉献であって、単に「ロシアの人々」ではなかったのです。

そのとき以来、パウロ六世とヨハネ・パウロ二世はピオ十二世によってなされた「行為」を更新することに自らを限定されました。彼らはそれらの行為に何ら新しいものを付け加えられませんでした。そしてこれらの問題に関する歴史研究の欠如は1942年の奉献の行為と1952年のそれとの間の本質的な差異を見失う結果になりました。この問題に関しては、Roman theological review Marianum に公表された私の最近の研究:'Reflections on an act of consecration: Fatima. May 13, 1982'(Vol. 44, 1982, pp.88-142. Cf. in particulara pp.110-117, 'Consecration of the world and consecration Russia'を参照してください。*

* この書物のp.533から始ま第 XV 部を見なさい。

その結果、1983年5月13日のヨハネ・パウロ二世の行為に関しては、それが祝せられたおとめの要求を満たしていないことはそれに先行する奉献と同じであると認めなければなりません。それは1952年行為に対して言えば後退を示してさえいます。なぜなら、それは、祝せられたおとめが要求なさったように、ロシアだけの奉献から離れずにいる代わりに世界の奉献へと戻っているからです。疑いもなくこの国は世界の奉献の中で被われた仕方でしかし明白な用語で言及されています。しかしピオ十二世はすでにこのことを1942年になされました。そしてそれは祝せられたおとめの明確な要求を満たすには十分ではないのです。

(3)それゆえに聖母の要求は満たされていない

この結論は、一方においてわれらの天の御母の要求の分析から、そして他方においてこれまでになされてきた行為の分析からして、単純に避けられないものです。

(聖母の要求を満たすことに)最も近づいているのは1952年の行為です。しかしわれわれはそれがなお主として欠いているもの:教皇の行動との司教たちの協同のことを言いました。

1982年の行為に関しては、それはまず何よりもロシアそれ自身の奉献を欠いていました。共同[奉献]の側面も欠落していました。なぜなら、たとえヨハネ・パウロ二世が世界のすべての司教たちと一致して行為したと宣言されたとしても、司教たちは教皇と一致して行為しなかったからです。ところで、それは祝せられたおとめによって要求されていることなのです。私はすでに言及した研究の中でその神学的理由を指摘しました。教皇と一致して彼が1982年5月13日に宣言した奉献の行為を効果的になした司教の数はおそらく5本の指で数えることができるくらいです。そして司教たちはそうするように求められなかったときに、どのようにそれに協力できたでしょうか? なぜなら、これまでに言われてきたこととは反対に、彼らはそうすることを求められなかったからです。教皇のファチマへの巡礼について司教たちに知らせたカザロリ枢機卿の手紙をもう一度読み返してごらんなさい。なぜなら、司教たちが教皇の奉献の行為に一致するように求められたと言っている人々によって置かれた信用はそれに基づいているからです。ここに(カザロリ枢機卿の手紙における)主要な節があります。「教皇聖下の命令によって、私はあなたたちに、教皇が次の5月13日にファチマに行かれるとき、世界のすべての司教たち霊的に一致して、ピオ十二世によってなされた二つの[奉献の]行為を更新する意図を持っておられるということをお知らせします。」

「これから、あなたたちの祈りをもって、教会においてマリアへの信心を成長させることに貢献し、そして祝せられた三位一体の栄光となるように、教皇のファチマへの巡礼に同伴してくださるよう願いながら、教皇はあなたたちに心からの特別の使徒的祝福を送られます...」注3)

司教たちと一致して行為するという教皇の意図は実際思い起こされています。しかし司教たちが求められているのは教皇の巡礼のためにただ祈ることだけであって、それ以上の真の目的は抜かされています:すなわち、(ロシアの回心は言わずもがな)もはや平和は言及されず、ただ「マリアへの信心」のみが言及されています。

少なくとも言い得ることはこの手紙からはあの光が輝いていないということであり、その手紙は祝せられたおとめの要求からは実際遠く離れているということです。確かなことは、1982年5月13日の奉献がそれ自身の、そして直接的な目的として「ロシア」を持たなかったこと、そしてそれは司教たちの参加なしになされたということです。

ファチマのおとめの要求はそれゆえにまだ満たされなかったのです。

(4)なされるべきこととして残っていること

この観察から、それゆえに、なされるべきこととして残っていることが明らかです。すなわち、マリアの汚れなき御心の要求が満たされるように全精力を尽くして働くことが必要です。このことは、まず第一に生活におけるそれぞれの状態における諸々の義務を果たす際に、各々のキリスト者から祈りと償いを要求します。諸々の祈りの中で、ロザリオは一番重要です。しかしこれに御聖体、そして特に月の第一土曜日における償いの聖体拝領がつけ加えられなければなりません。

その次ぎに、われわれ各人すべてが他の何ものよりも前にしなければならないことがあります。その後に、そしてただその後にだけ、しかし必ずその後に、われわれは、教皇と司教たちがマリアによって要求された奉献をされるように、そして彼らが、聖母がお求めになったことを正確にすることができるように、祈り続けなければなりません。この祈りにつけ加えるべきことは、祝せられたおとめの要求について司教に思い起こさせるために司教に近づく必要性です。たとえそれらが採用されるべき手段の順序における最後のものであるとしても、これらの請願はそれにもかかわらず絶対的に必要です。なぜなら、司教たちが行為するのはただキリスト者たちの要求によってのみだからです。一つの巨大な運動が教会のすべてのエネルギーを活性化する結果に終わるべきであるということは必須のことです。この一般的な大衆動員において、平信徒の主導権と働きは非常に重要です。もう一度(それは強調されなければなりません)、彼らを導くために、彼らは祝せられたおとめの陳述を持っています。彼らがこれに自らを制限するようにさせなさい。それで十分です。そしてもし彼らがさらに確証を望むならば、彼らは信用に値する証言と拒否されなければならない証言との間を識別することを学びますように。

(5)頼ることができる権威づけられた陳述

頼ることができる権威づけられた証言は以下の三つの規準に一致して識別されなければなりません:

(1)祝せられたおとめの陳述に一致していること;(2)それらを宣言する人の権威;(3)証言の出所の確実性(すなわち、その証言がそこからわれわれに届くその出所あるいは通り道)。

そのような陳述の中で、私は三つのことに限定します。

第一のものはシスター・ルチアの陳述です:(1)それは祝せられたおとめの陳述、主要な御出現の陳述に完全に一致しています;(2)ルチアはこれらの問題について話す権威を持っています:(3)彼女の証言はドン・U. パスクアーレによってわれわれに報告され、そして1982年5月12日の「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」において公表されました(すでに引用した私の論考を参照してください)。1980年4月13日に、彼女はドン・U. パスクアーレにこう書きました:「ファチマで祝せられたおとめは御自分の要求においてただロシアの奉献だけに言及なさいました。」そのことから、世界の奉献は、ロシアの特別の言及を持っていてさえ、聖母の要求を満たしていないということが帰結します。

第二の陳述はヨハネ・パウロ二世の陳述です。(1)それもまた、祝せられたおとめの要求に一致しています;(2)他の誰より以上に、教皇はこの問題に関して判断する権威を持っています;(3)その出所:教皇の言葉を報告している「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」と他のすべての出版物。1982年5月19日の一般謁見の機会に、教皇は彼のファチマへの巡礼の目的を思い起こされました:「それゆえこれらの主要な線に沿って、私のファチマへの巡礼の指導的な考えは説教の言葉のうちに、そしてまた奉献の最終的な行為においても、5月13日に表明された。私は、世界における司教の職務および奉仕においてローマ司教の、彼のすべての兄弟たちとの共同的一致を強調するために、具体的な状況において可能なすべてのことをしようと努めた。」(注4)

「具体的な状況において可能なすべてのこと」について語る際に、ヨハネ・パウロ二世は、祝せられたおとめによって要求された完全な共同的司教の次元をそれに与えるためには彼の行為においてなお欠けているものについて彼が意識していることを明瞭に明らかにされました。実質的に彼はこう言われたのです。私は今日可能であると私に思われたこと、「可能なすべてのこと」をした;しかし、祝せられたおとめの要求、聖母がお知らせになった要求:すなわち、司教たち自身の積極的な参加と共になされるロシアの奉献という要求、を満たすためにはなお多くのことがなされるべく残っている、と。

第三の陳述はファチマの前司教、モンシニョール・J. ヴェナンシオの陳述です:(1)それは祝せられたおとめの要求に一致しています;(2)司教として、そしてファチマの司教として、モンシニョール・ヴェナンシオは話す権限を与えられています;(3)彼の証拠は私に直接与えられました。

1981年10月16日に彼に会ったとき、彼はこう宣言しました:「請願を送る必要があるのは教皇にではない。彼はそれは司教たちに対してであると確信している。」そのようなものが私の証言です。それを受け入れるか否か、あなたの望むままです。

少なくとも次のことに注意してください:それは祝せられたおとめの要求を完全に満たすために今なお欠けているものを得るために働くようにとわれわれに呼びかけておられる祝せられたおとめの要求に一致するということを。

ところで同じことは、1982年5月13日のヨハネ・パウロ二世の行為が祝せられたおとめの要求を最終的にそして完全に満たしたと主張している人々、あるいは司教たちに請願を提出することは今はもはや必要ない、あるいは他の似たようなこと、を言っている人々については言うことができません。注5)

そのような宣言は単に祝せられたおとめの明白な陳述に反するばかりではありません。それらの出所に関して、あるいはそのような宣言をなした人々:ある司教、あるカルメル会修道院長、そしてある弁護士等々を引用した(人々)によって所有されている話す資格に関して、しばしば疑いがあります。

さらに、彼女自身、-- 最近私が彼女に宛てた質問に対する答えの中で私に思い起こさせてくれたのですが -- シスター・ルチアは信仰教義聖省、あるいは教皇自身の許可なしには、御出現の問題に関して誰にも話すことはできないということを、私はあなたに思い起こさせたいと思います。今や彼女が言ったことを報告すると主張した人々の誰一人そのような許可の証拠を示すことはできないのです。これらの状況においては、報告された諸々の陳述は必然的に信用のおけないものです。たとえルチアがそれらの報告をしたとしても、彼女はそうすることを権威づけられずにそうしたのです。それゆえに、それらは確実な証拠であると考えることはできないのです。

さらに、その中で彼女によってある種の陳述がなされる諸々の条件は疑いの追加的な理由を与えます。そのような重大な問題に答えることができるのは、巡礼の押し合いにおいてではありません。そして教皇の行為の直後にそれが祝せられたおとめの要求を満たしたかどうかを彼女に尋ねる時ではとてもないのです。彼女は教皇に反対であるとか、あるいは祝せられたおとめのメッセージに不忠実であると思われることはできないでしょう。人はそのように不適当な時間にそのように差し出がましい質問に彼女がどのように答えたかを知りたいと思うでしょう。そして彼女はいかなる言語で話したのでしょうか? さらに、もう一つの疑問があります:彼女にインタビューしたその人物は本当に彼女が彼に言ったことを理解したのでしょうか? 彼はむしろそれを演出したのではないでしょうか?

御覧になれる通り、疑問はますます増大し、実際上確実な解答を得ることが不可能な点にまで進んで行きます。

だからこそ、私はあなたにもう一度言いますが、真理を知り、そして祝せられた乙女が今われわれに期待しておられることを知る唯一の確実な道は彼女自身の陳述に限定し、それらから必然的に推測されなければならないような結論を引き出すことです。そのように言うことにおいて、私はとりわけ私が引用したこの種の最初の二つの陳述、シスター・ルチアの陳述とヨハネ・パウロ二世の陳述のことを考えています。私がモンシニョール・ヴェナンシオの陳述を、彼から個人的に受けたから、より妥当性が少ないと考えているわけではありません。しかし私の証言を疑問視する人々は常にいるでしょう。

親愛なる友よ、祝せられたおとめがあなたのすばらしい使徒職を助けてくださいますように。

マリアの汚れなき御心において。

敬具

ジョゼフ・ド・サント・マリー、OC

追伸:もしお役に立つと考えられるなら、あなたはこの手紙を再現すること、あるいはそれを公的に用いることができます。

  1. Fatima: The Great Sign, pp.33-34,Augustin Publishing Co.参照。

  2. ibid. p.86.

  3. カザロリ枢機卿の手紙の日付は1982年4月20日である。それは Secretairerie d'Etat letterhead にあり、そして 85.685 Du Vatican の数字を打たれている。

  4. L'Osservatore Romano, Eng. May 24, 1982.

  5. この点に関しては論考 'The Plot to Silence Our Lady' Part 1, p. 368 および Part II, p.381 を見よ。また p.390 をも見よ。請願に関しては、p.451 を見よ。

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2004/12/08 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/08

最終更新日:2004/12/08

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