ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

世界平和はファチマの聖母に対するカトリック司教たちの
応答にかかっている - さまざまの典拠 -

1982年5月13日の奉献に関して、われわれは天の元后の命令は満たされなかったということを示すためにさまざまの出所から以下の証言ををも公表する。

1)ゴッビ神父の証言  注1)

さまざまの報告は、司祭のマリア運動のゴッビ神父が、尋ねられたときにはいつでも、マリアの汚れなき御心へのロシア共同的奉献を求めておられる聖母の要求は1982年5月13日に教皇によって満たされなかったということを明らかにしてきたということを指摘している。

2)教皇がまだされなかったこと  注2)

1982年5月13日にファチマで教皇がマリアの汚れなき御心へのロシア共同的奉献を求めておられるファチマの聖母の要求をまだ満たされなかったことは真である。注3)

しかしながら、教皇は次のように言うことによって彼にとってそのときにはそうすることがまだ可能ではなかったということを指摘された:「私は現在の諸状況の中ですることが可能であったあらゆることをしようとした」と。さらに、これまで以上に「より重要」でまた「より緊急」であると教皇が強調されたファチマの聖母のメッセージの特別の局面はその「悔い改めと回心への福音的な呼びかけ」:すなわち、聖母の要求の実現のための前提条件、であった。それゆえに、ファチマの聖母のメッセージを1983年の司教会議の主題とすることによって、教皇は、これまで聖母の要求の実現を不可能としてきたそのような抵抗を克服するに十分な「悔い改めと回心への聖母の福音的な呼びかけ」に対する応答をこのことが引き起こす手段となるかもしれないと希望しておられると思われるであろう。

希望の根拠

1982年5月13日にファチマで単に教皇が神の要求を満たすことができなかったがゆえに絶望する根拠は、それゆえに、ないのである。その反対に、ファチマの聖母のメッセージを1983年の司教会議の主題とすることにおける教皇の行動はわれわれに、これまでに可能であったより以上の積極的な希望のより大きな根拠を与える。なぜなら、教皇は彼自身個人的に聖母が要求なさった共同的奉献の必要性と緊急性を確信されていると思われるからである。

それゆえに、われわれは1983年司教会議がこのことを可能にするように働きそして祈らなければならない。

3)奉献はなおなされるべきである  注4)

反対に、教皇がマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求めておられる聖母の要求を満たすことに向かって可能だと考えるあらゆることを教皇がなしておられることにわれわれは神に感謝と言う。

しかしわれわれの感謝は共同的奉献がまだなされるべきであるという事実に対してわれわれの眼を閉ざすものではない。

なぜなら、1982年5月13日の奉献はそのものとしてロシアに言及さえしなかったからである。またそれはいかなる意味においても共同的[奉献]ではなかった。実際、司教たちは、直ぐに行われる教皇のファチマへの訪問について彼らに知らせる手紙の中でカザロリ枢機卿によって奉献の行為に参加するように求められさえしなかったのである。

4)ロシアの共同奉献は完全であったか?  注5)

1982年5月13日に達成が不可能であった一つの非常に重要な行為が達成されるべきものとしてまだ残されている。教皇にとって、司教たちが世界中の彼ら自身の司教座聖堂において奉献のこの荘厳かつ公的な行為に参加する、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のためのある特別の日を明示することがなお残っている。

5)幻視者たちのうちの唯一の生存者シスター・ルチアによれば 注6)、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同奉献はファチマ・メッセージを実行しているキリスト者の十分な数があるときに起こるであろう。この理由で、われわれは読者たちに、初土曜日の償いを求めておられる聖母の要求を果たすよう、そしてそれに加えて、毎日ロザリオを祈り、ファチマ・メッセージを生き、玄義のうちに含まれている償いと祈りをするように促す。今日神が求め、要求なさっている償いは各人の日常生活の諸々の義務を果たし、神のおきてを守ることである。キリスト者たちの間の慎みのなさと避妊の実践が広まると共に、第六戒と第九戒がほとんど例外なく犯されている。1943年にわれらの主がシスター・ルチアに御出現になったとき、主は、「何であれ主のおきての遵守が彼らに要求しているものを喜んで断念する非常に少数の霊魂しかいないことに痛烈にそして悲しみに満ちて」苦情を述べられた。

われわれが読者たちにするもう一つの要求は、ある定められた日に、教皇がマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を全司教たちと一緒にするように、教皇に請願するようさまざまの司教会議に願う手紙を書き、また他の人々にも書いてもらうことである。アメリカ合衆国の360人の司教たちはすでにこのような仕方で教皇に請願した。(Christ to the World, No. 3-4 of 1982, p.247 を見よ。)

6)過去数年間に、およそ500人の司教たちと300万人の人々が共同奉献を求めてローマに請願した。注7)なぜそれがまだ達成されていないのか、その理由を説明して、有名な神学者、哲学者であるパリのアンドレ・リシャール神父はこう述べた:「最終的に、われわれは神の御意志のうちに解答を探さなければならない。というのは政治的そして神学的な諸々の反対は適切に解答されたからである。」彼はまた世界的な意識の欠如が(シスター・ルチアへの主の言葉のうちに)われらの主によって望まれている結果、すなわち全世界がロシアにおける約束された変化はこの奉献がなされた後にマリアの汚れなき御心を通じて特殊的に手に入れられるであろうということを認めるということ、をも感じた。

  1. Supplement to Approches Magazine No. 79 entitled "Fatima after May 13, 1982 What Now?" and published in 1982. 1983年9月に Fatima Crusader は直接ゴッビ神父にこの証言を確かめた。

  2. Supplement to Approches Magazine No.78 entitled "For Catholic Order and Peace: By Heaven's Command and a Papal Initiative".

  3. Cf."Fatima after May 13, 1982 What Now?" Supplement to Approches Magazine No.78, pp.3-6.

  4. Supplement to Approches Magazine No.81 entitled "The Urgency of Fatima Today"

  5. Soul Magazine May - June 1983 Issue, p.7.

  6. Christ to the World, Special Issue on the Fatima Message, July - August 1983, p.172. Published in Rome with the approval of the Vicarate of Rome.

  7. 'Fatima, the Great Sign' by Francis Johnston, TAN Publisheres, published in 1979, p.89.

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2004/12/08 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/08

最終更新日:2004/12/08

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