ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

ロシアの奉献に関してシスター・ルチアが考えていること

Abbe Pierre Caillon 著

雑誌 Stella Maris, February, 1987 Issue から引用

1984年3月25日以来、私は絶対的に確実な仕方で、教皇ヨハネ・パウロ二世および全世界の司教たちによって達成された奉献の行為に関するファチマのシスター・ルチアの考えを確かめることができないできた。ところで、1986年9月14日から19日までファチマで一つの重要なシンポジウムが開催された。その機会に、私はポルトガルへ行った。そして神の摂理によって私はあなたたちと分かち合わなければならない二つの親切な行為を受けた。

私はポルトガルへの訪問をポルトで始めた。ポルトでは私はシスター・ルチアがティーンエイジャーであったときに彼女の宿泊のために支払った家族を知っている。この家族はルチアにとって古い友人たちを構成していると言うことができるであろう。彼らは非常にしばしばそして非常に定期的にルチアに会いにコインブラのカルメル会へ行く。私は特にルチアよりもちょうど4歳若くて、その家族の中心人物である婦人と話した。この人はルチアに会いに行く時、家に帰るとルチアが言った最も重要な事柄を注意深くノートしている。このことは歴史のために役立つことができるであろう。しかしそれはただシスター・ルチアの死後公表されることができる。長い間私は一年に一度か二度、この人に会いに行ったものだった。私は質問をすることを避ける。なぜなら、通常彼女は「私は言うことができない」と小声で言うからである。

しかしながら、1986年9月12日金曜日にポルトガルに到着したとき、私は敢えて質問をした:「ロシアの奉献は?」そのとき彼女は立ち上がり、そして、注意深く言葉を選びながら、厳かにこう宣言した:「もしあなたが望まれるならば、私は福音書に手を置いてあなたに答えることができます:ロシアの奉献はなされませんでした。」そして私が彼女になぜかと尋ねたとき、彼女は私に、私が長い間所有していた一冊の小さなパンフレットを私に示した。すなわち、フンベルト・マリア・パスクアーレ神父による「イエズスのメッセンジャー」である。私はこのパンフレットの著者をよく知っていた。そして彼が最近亡くなるまで、トリノの郊外で時折会ったものだった。

このパンフレットを書く際のパスクアーレ神父の明白な意図は、聖母がファチマの子どもたちに「世界の奉献」とは決して仰らず、常にそしてただただ「ロシアの奉献」と言われたということを論証するためである。このことは、彼らがロシアの奉献をするとき、ロシアがその奉献の唯一の対象として現れなければならないということを意味している。このように、その奉献は世界について、あるいはすべての人々、あるいは人類、あるいはすべての国家について話してはならないのである。巷の人々がそれはただ専らロシアだけに言及しているということを直接理解することができる必要がある。そしてそれはなぜか? それは聖母がただロシアについてだけ話されたからである。そしてわれわれは何一つ変更してはならないからである。

ポルトに滞在の後、私はファチマに行った。そこには9月13日土曜日から19日まで、ルチアの家族で、コインブラのカルメル会修道院でルチアと非常にしばしば会うために行っているもう一人の人物と一緒に、滞在した。私はこの人物を何年も前から知っていた。彼女と話すとき、私は、また同じ理由で、質問することを避けている。しかしながら、今回、まる一週間の間は、食事の間ずっとたった一つの事柄:すなわち、ロシアの奉献について話した。そして彼女はあらゆる声音で、100回、1000回私に繰り返した。「ロシアの奉献はなされませんでした。」ルチアがそのことを全世界に繰り返したがゆえに、私はそれを言うことができる。

彼らがロシアの奉献をするとき、ロシアは奉献の唯一の対象であると明らかに見えなければならない。そして聖母が命令されたことはロシアの奉献であるがゆえに、問題なのはロシアであり、そしてただロシアだけであるという事実からのいかなる隠蔽も存在してはならない。人が子どもに洗礼を授けるとき、その子どもをその名前で呼ぶ。そしてロシアが奉献されるとき、問題なのはロシアであって、他の何かではないということを全世界がよく理解できるそのような仕方でロシアは名指されなければならないのである。

不幸なことに、シンポジウムに参加した人々は、奉献がなされた、そしてそれは汚れなき御心への信心を聖心への信心と並んで確立する働きをするに今や十分であったと考えているように見えた。しかし、たとえシスター・ルチアが突然死んだとしても -- 彼女が80歳であることを思い起こそう -- 彼女の考えをよく知っている彼女の友人たちは、奉献がなされたと言い張られることを決して許さないであろう。

ときどきこう尋ねられる。「誰が判定者なのか、教皇か、それともシスター・ルチアか?」と。確かにシスター・ルチアは教会のすべての権威に常に非常な敬意を表してきた。しかしシスター・ルチアは明らかに聖母が彼女に語られたことを知っている唯一の人物であり、誰であれそれを受ける権利を持っている者にメッセージを確実に伝えることができる唯一の人物である。このすべてのことは私にはまったく明らかだと思われる。

1942年、1952年、1964年、1982年の奉献をするそれぞれの大きな試みの後に、奉献はなされたと信じた、そして言った多くの人々 --高い地位にいる人々さえ -- がいたが、しかしポルトガルから届く小さな声(シスター・ルチア)は否と言った。同じように、1984年の大きな試みの後にも、今回はそれがなされたと信じかつ宣言した人々がいたが、しかしコインブラのカルメルから来る同じ小さな声はやはり否と言っている。われわれが奉献と言っているとき、もちろんのこと、ロシアの奉献のことを言っているのである。

今何がなされなければならないのか? すべての人に、この問題においては、「世界、人類、すべての民族、すべての人々」という言葉を根本的に押さえなければならず、そしてただロシアの奉献とだけ言わなければならないということを説明しなければならない。この奉献のためにすべての司教たちの固着と支持を得るよう努力しよう。

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2004/12/11 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/11

最終更新日:2004/12/11

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