ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

第 XII 部

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

あなたがすることが出来ること、またすべきこと:

マリアの汚れなき御心にロシアを奉献することを司教たちに命じるよう
教皇に請願することの重要性と必要性

多くの霊魂の救い、世界の平和そしていくつかの民族のまさに生存は、文字通り、ある特別の日にマリアの汚れなき御心にロシアを荘厳、公的に奉献する教皇と司教たち次第である。これは、われわれがファチマ・クルーセイダーの第17号およびそれ以前の号において証明したようにファチマのメッセージである。

ロシアのこの共同的奉献を達成するために、教皇はすべての司教たちにこのことをするように命令しなければならない。教皇は、天からのこの命令を遂行することができる前に、われわれの道徳的支持とわれわれの祈りを必要としておられる。

いくつかの反対に対する回答:

反対 第1
ロシアの共同的奉献はヨハネ・パウロ二世によってすでに果たされた。

回答

最近ヨハネ・パウロ二世によって行われた世界の奉献の以前の行為に関してある人々の精神のうちには引き続いている混乱がある。この混乱は、シスター・ルチアがそれが為されたと言ったと述べているいくつかの事実に反するニュース報道によって産み出された。この書物においてわれわれが再現したカイヨン神父によって公表されたニュース報道は、シスター・ルチアがロシアの奉献はファチマの聖母の要求に従って為されなかったと断定的に、そして強調して述べているということを明らかに示している。われわれは、公衆が今なお、カイヨン神父による上述の明確にする論考の前に公表されたさまざまの論考によって混乱させられているがゆえに、この報道を完全な形で公表する。

われわれの読者は、ファチマ・クルーセイダー(第9-10号)においてわれわれが、シスター・ルチアはロシアの奉献が為されたと言った、と誤って述べた Soul Magazine の報告を公表したことを思い出されるであろう。われわれはまた、Soul Magazine の報告と相反する Approaches magazien からの報告をも公表した。われわれは、ファチマ・クルーセイダー(第11-12号)においてわれわれ自身の立場を述べた。ファチマ・クルーセイダーの第13-14号において、われわれは Soul Magazine の改訂された立場を載せた。その中で彼らは、実際ロシアの奉献は聖母の要求に従っては為されなかったという彼らの認定を公表した。なぜなら、彼らが説明したように、教皇がすべての司教たちのために、この荘厳、公的な行為において教皇に参加すべき日をなお選ばなければならなかったからである、と。われわれがなぜ Soul Magazine と矛盾しているように見えるのかとわれわれに問いつづけているわれわれの読者のある人々の利益のために、われわれはふたたびここに Soul Magazine の1983年5月/6月号の p. 7 から取られたこの報告の本質的なパラグラフを再現する。その論考は『ロシアの共同的奉献は完全であったか? 』と題されていた。

達成されるべき一つの非常に重要な行為が今なお残っている。それは1982年5月13日には達成不可能であった。教皇にとってマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のために、司教たちが世界中の彼ら自身の司教座聖堂において奉献のこの荘厳、公的な行為にいつ加わるか、その具体的な日を指定することがなお残っている。

Soul Magazine は1983年9月/10月号において再びこの立場を繰り返し述べた。

Soul Magazine は、これらの公表された報告からも見ることができるように、ファチマの聖母の要求に従ったロシアの奉献が為されなかったということで、ファチマ・クルーセイダーと(少なくとも1983年10月までは)一致していた。

次にわれわれは、シスター・ルチアが住んでいるコインブラにあるカルメル山の修道院の院長が、フォックス神父に、奉献は為されたと告げたと言っている新聞の特別寄稿者であるフォックス神父の報告を持っている。これらの報告はカルメル会士ジョゼフ・ド・サント・マリー神父によって書かれた論考においてより適切に論じられた。そしてわれわれはそれをファチマ・クルーセイダー第13-14号、p. 10 において公表した。ジョゼフ・ド・サント・マリー神父によるこの論考は修道院長のこれらの言葉がいかに事実に反するかを明らかに示している。

シスター・ルチアに対する政治的圧力

われわれは,1940年代の可哀想なシスター・ルチアが地方司教区の権威者たち(政治的考慮によって影響されていた)によって、教皇に実際に、聖母がロシアがすべての司教たちによってはっきりと奉献されるよう求められたと、告げないように説得されたということを思い起こさなければならない。シスター・ルチアは当時何をすべきか知らないジレンマに陥っていた。今、彼女の生涯のずっと後に、彼女は教皇に聖母が正確に求められたことをはっきり告げなければならないということを知っている。同じ政治的人間的考慮は今日もなお、聖職者のあるメンバーたちによって明らかに見られないようにその問題に影響しているように見える。一般公衆がこの緊急の問題について最終的に知らされたのは、第二バチカン公会議が1964 年11月21日にロシアを奉献する黄金の機会と恵みを失った後にのみ、そして教皇パウロ六世が1967年5月13日にファチマに行かれたが、しかしロシアを奉献することを除外された後にのみであった。バチカンが1964年と1967年にファチマの聖母の要求に従わない原因となったのは、国務省長官によって裁可された1962年ローマ・モスクワ協定であったと今は思われるであろう。それは、これらの政治的考慮が、教皇が世界中のある司教たちからの完全な協力を受けることを妨げるように働いているということであろう。

ファチマ・クルーセイダー第16号 p. 3 において報告したように、教皇ヨハネ・パウロ二世は1984年3月25日に10万人の巡礼者たちの前で公的に、ファチマの聖母は、今なお「ある人々」-- それはロシアを意味している -- の奉献を待っておられると述べられた。彼は、マリアの汚れなき御心に世界を奉献された後、このことを二度その同じ日に述べられた。明らかに、教皇ヨハネ・パウロ二世はロシアの共同的奉献を求めておられるファチマの聖母の要求がまだ果たされていないということを知っておられるのである。

反対 第2

カトリック司教たちに対する請願はロシアのこの奉献をもたらすように教皇を助けるためには重要ではない。

反対 第2への回答

すべての者にとって、彼らの生命、彼らの家族、彼らの自由そして諸民族のまさに生存がこの要求へのカトリック司教たちの従順次第であるということを理解することが重要である。それは、十分な[数の]人々が彼ら自身の生活の中で、ファチマの聖母がわれわれに対してされた要求を果たすとき、初めて起こるであろう。それにもかかわらず、教皇と司教たちが聖母の要求を果たすように尊敬を込めて請願を受けるということは非常に重要である。これらの請願の効力は、教皇ヨハネ・パウロ二世がすでに世界の奉献を三度なさったという事実によって証明されている。そしてその請願がこのことをするようにと世界中から彼に送られたという事実に関係したのである。われわれはさらに、請願の重要性を証明するそれ以上の理由をこの論考において与えている。

反対 第3

あるファチマ・ワーカーと彼らのグループがある匿名の人物(たち)によって教皇にロシアを奉献するよう求める請願をこれ以上集めないようにと告げられたと噂されてきた。われわれは不従順でありたくない。それゆえ、われわれは、許されていると告げられるまでこれ以上請願を集めない。

反対 第三への回答

この命令を与えたと考えられる匿名の人物はある司教である。

聖ピオ十世の例

不幸なことに、聖母のために、多くの霊魂の救いのために、そして多くの人々のこの世の福祉のために、さまざまのファチマ使徒職のあるメンバーたちはこの命令 -- それは明らかにそれを与えた者の権威を超えている -- に従わなければならないと考えているように思われる。この命令は、教会法と自然法によって要求される適切な形式を明白に欠いているがゆえに、良心を縛るものではない。われわれ自身の永遠の救いは、『ロシアの教会迫害はあなたの永遠の救いを危険に陥れている』という論考からも見られ得るように、危険に曝されている。そのような命令は良心を縛るものではない。なぜなら、教会法が規定しているように、ある宗教的上長による命令は次のような仕方で臣下によって異議を唱えられ得るからである:上長はある命令を与えるとき、書面の命令に喜んで署名しなければならない。あるいはそうでないときはその命令を二人の証人の前で与えなければならない。もし彼が、書面の命令に彼の名前を署名するか、あるいは彼がその命令を与えるという事実を証言する二人の人物を持つか、そのいずれかによって、その命令の責任を喜んで取ろうとしないならば -- その命令は良心を縛らないのである。教会法の条項のこの規定は、上長は彼が与える各々の命令の責任を喜んで取らなければならないということをわれわれに告げる自然法の反映である。もし彼が責任を取ろうとしないならば、そのときその命令は義務づけないのである。

このように、われわれは、聖ピオ十世が、教区司祭であったとき、あるとき彼の司教によって部屋に呼ばれ、ある主題に関して説教しないように告げられたということを見る。彼は、いいでしょう、もし閣下が私にこの命令を書面で下さるならば、喜んで従いますと言った。彼の司教は拒否した。そして聖ピオ十世は、いいでしょう、私はそうしてきたように説教し続けますと言った。そしてそうした。

簡単に言えば、ここでの要点はある匿名の高位聖職者は他の人々を何かあることをするよう義務づけることはできないということである。もしある者が実際にあるファチマ使徒職に請願を集めることを止めるよう告げるならば、彼は誰であるのか? 彼は何という名前なのか?

教皇でさえそのような命令を与えることはできないであろう

ある司教、大司教あるいは枢機卿が前面に出て来て、そのような命令に対する責任を取ろうとする出来事においてさえ、それはなお良心を義務づけないであろう。なぜなら、この特定の事例において彼は彼の管轄権の外にいるであろうからである。つまり、彼はある人物あるいはグループに教皇に請願するなという命令を与える権威を持っていないのである。われわれはどのように、枢機卿でさえ、あるいは教皇御自身でさえ、合法的にそのような命令を与えることができないということを知るのか? それは単純に、あらゆるカトリック者は、平信徒でさえも、教皇に直接訴える権利を持っているということが第一バチカン公会議によって荘厳に教えられているからである。公会議を直接引用すれば:「そして使徒的最高権という神的権利によって、ローマ教皇は全教会の頭にいるがゆえに、われわれはまた、彼が信徒の至高の裁判官であり、そして人は教会の司法権に属するあらゆる事例における彼の判断に頼ることができるということを教えかつ宣言する。」
...第一バチカン公会議

「不当に苦しめられている人は誰でも教会裁判所に属する事柄において、それ(全カトリック教会に対する最高権と管轄権を持っている聖なるローマ教会)に訴えることが許される。また、教会の調査を必要とするあらゆる事例において人はその判断に頼ることを許される。」
...第二リヨン公会議

神によって与えられた、教皇に請願する信徒の権利

このように、信徒は教会管轄権に属する事柄において教皇に訴え、請願する、全能の神御自身によって直接彼らに与えられた一つの権利を持っているのである。非常に多くの霊魂の永遠の救い(並びに世界平和、さまざまの民族の現実的な生存そして全世界の政治的、経済的自由)がマリアの汚れなき御心にロシアを奉献をするというこの神から与えられた命令を文字通り果たす教皇と司教たちにかかっているからして、それゆえに、この問題は確かに教会の管轄権に属する。そのことは、第一バチカン公会議が、われわれカトリック教徒の一人ひとりはこの問題において教皇の判断に頼ることができると荘厳に教えていることから帰結する。それゆえに、誰も、枢機卿でさえ、あるいは教皇でさえ、教皇に頼るこの権利をわれわれから奪うことはできない。さらに、主権国家でさえ、あるいはバチカンと一主権国家(すなわち、ロシア)との間の協定でさえ、霊魂たちの救いがそれにかかっている問題において教皇に訴える神によって与えられたこの権利を奪うことはできない。明らかにそのときわれわれはファチマの聖母の命令に従ってロシアを奉献するように教皇に訴えることができるし、またそうしなければならない。

教皇に請願するそれ以上の理由

明らかにこれらの請願は、すべての司教たちによるロシアの奉献を求めて教皇に宛てられたシスター・ルチア自身の署名入りの請願と同様に重要である。400万人以上の人々がこのようにしてこれまでに、上に挙げた高位聖職者が請願を集めることを止めるように命令を下す前に請願に署名した。請願は誰かある者がそのような不当な命令をくだそうと敢えてするというような理由がなければその効果を発揮したに違いない。

ファチマの聖母が求められたようにロシアを奉献することを明らかに望まれた教皇ヨハネ・パウロ二世は -- もし彼が人々の草の根の支持があったということを知っておられたならばそれをすぐにでも為されるであろう。彼の司教たちにまだそれを要求なさらないのは公然たる分裂を恐れておられるからである。

1380年から1415年に至る西欧の大分裂の歴史は教皇たちに、司教たちと枢機卿たちに命令する時には広範な人々の支持を得ることの重要性を教えている。この支持を得ることは、今日教会の諸階級内部の近代主義の広範囲の異端を考慮すれば今日より重要である。教皇に送られた何百万という多くの請願を持つことは彼にわれわれの支持を再確認させ、その結果彼はロシアを奉献するように司教たちに命令するに十分な信頼を感じるであろう。

教皇はわれわれの道徳的支持を必要としておられる。今日、これまで以上にロシアを奉献するこの問題において、20年以上もの間共産党支配の国々に対するバチカン外交政策がファチマの聖母が要求されたようにロシアを奉献することから教皇を止めてきたがゆえに、そうである。今や、教皇ヨハネ・パウロ二世は、1984年にモスクワ政府を攻撃されたという事実からも見ることができるように、この外交政策を変え始められた。これは1962年の教皇ヨハネ二十三世のローマ・モスクワ協定とは反対である。そしてそれゆえに、教皇はバチカンの外交政策を変えようとしておられるのである。彼はそれを一度に全部することはできない。なぜなら、初期のロシアに対するバチカンの政策をもたらした影響力のあるバチカン高官たちのある人々が教会内部で今なお大きな権力を持っているからである。教皇はバチカン政策における彼の変化に対する彼らの抵抗を克服するためにわれわれの支持を必要としておられる。

どの官僚制や人間の制度においても彼らの野心におけるある人々の昇進が彼らがそのために働く集団あるいは制度によって採用される彼らの政策あるいは行動計画の受け入れに依存しているように、教会においても、ただ人間的である制度におけるのと同じように、ある人々の個人的野心がときどき彼ら自身にも隠され、そのようにして彼らの判断を曇らせ、彼らがもともとそのために決定し、働いてきた政策がもはや正当化され得ないということを見ることができない。このようにして、バチカン・モスクワ協定を続けることに今なお賛成している人々がバチカンの中にも、さまざまの司教会議(例えば、フランス)の中にもいるであろう。

これらの司教たちはロシアの共同的奉献は起こらないであろうということを見て一生懸命働いている。これらの人々は1981年5月13日の暗殺未遂をまだ真面目に反省したことがない。その事件はK.G.B.によってたくらまれたものであり、また教会が共産主義政権に、カトリック教会に対するその戦争を止めさせることを期待することができいないということをもう一度証明するものである。

とりわけ、教皇は悪魔のあらゆる罠を克服するために神の恵みを必要としておられる。-- 悪魔は教皇の道に多くの障害物を置き続けている。われわれは、われわれの祈りと犠牲、そしてファチマにおける聖母の要求の実現によって教皇を助けなければならない。このようにわれらの主御自身はシスター・ルチアにこう言われたのである:「教皇のために祈りなさい、たくさん祈りなさい。彼はそれ(すべてのカトリック司教たちと一緒のロシアの荘厳、公的な奉献)をするだろう、しかしそれは遅いであろう」と。

2005/02/13 三上 茂 試訳

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作成日:2005/02/13

最終更新日:2005/02/13

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