ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

第 IX 部

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

教皇ヨハネ・パウロ二世とラッツィンガー枢機卿は
鉄のカーテンの背後の共産主義政権についての真理を教えている

ここに1984年8月6日の日付の解放神学に関する指示からの一節がある。それは共産主義政権による奴隷化を「われわれの時代の恥辱」として公然と非難している。そしてこの陳述についてのカザロリ枢機卿の公的な批判 -- それはカザロリ枢機卿が今なおバチカン・モスクワ協定に愛着を持っているということ、それから、教皇ヨハネ・パウロ二世とラッツィンガー枢機卿が教会を救い出そうと努力しているということを明らかに示している -- がある。

われわれの時代の主要な事実は彼らの兄弟たち:まさに人々の解放の名において暴力的、革命的な手段によって権力を握った全体主義的、無神論的諸政権によって彼らが奪われた基本的な自由を回復することを合法的に求めている数百万人のわれわれ自身の同時代人たち:の真の解放のために真摯に働こうとしているすべての人々の熟考を呼び起こすべきである。われわれの時代のこの恥辱は無視されることはできない。彼らに自由をもたらすと主張する一方で、これらの政権は全国民を人類に相応しくない奴隷状態にとどめている。おそらく軽率にも、自分たち自身を似たような奴隷化の共謀者としている人々は彼らが助けるつもりである非常に貧しい人々を裏切っているのである。

階級なき社会への道としての階級闘争は改革を遅らせ、貧困と不正を増大する一つの神話である。この神話に魅惑された状態の虜になることを自らに許す人々は歴史が提供しなければならなかった、それが何処に導くかについての苦い例を熟考すべきである。そのとき彼らは、われわれがここで何らの実践的結果も持たない理想のために、貧しい人々のための闘争の手段を放棄することについて話しているのではないということを理解するであろう。反対に、われわれは自らをまともに福音とその実現の力に基づかせるために錯覚から自らを解放することについて話しているのである。

必要な神学的是正のための条件の一つは教会の社会的教えに適切な価値を与えることである。

この教えは信仰の教義のための聖なる委員会の通常会議において採用され、その公表を命令された教皇ヨハネ・パウロ二世聖下によって、署名した枢機卿長官に与えられた謁見において承認された。

1984年8月6日、われらの主の御変容の祝日に信仰教義聖省においてローマで与えられる。

ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿長官

大司教アルベルト・ボヴォーネ秘書

ラッツィンガー枢機卿と聖省に反対するカザロリ枢機卿

以下は、ウルトラ・ネオ近代主義のロンドン・レビュー、”The Tablet”の1984年11月24日号において公表された「ラッツィンガーに対する非難」と題されたレポートのテキストである。

「9月3日に信仰教義聖省によって公表された解放神学のいくつかの局面に関する教えの公的な批判が今や国務省長官カザロリ枢機卿によって為された。彼は、彼がその教えについて相談を受けたということを否定した。そして彼がその内容に対して何ら責任を持っていないということを明らかにした。枢機卿が、もし彼が教皇ヨハネ・パウロ二世によってこのような仕方でその文書から離れた立場に立つことを許されなかったならば、辞職していたであろうと考える人々がいる。なぜなら、彼の特別の関心はバチカンと共産主義諸政権との間の関係であったからである。そしてこの仕事は、文書が全国民を『人類に相応しくない奴隷状態にとどめているわれわれの時代のこの恥辱』として共産主義に言及するとき、問題の中へ投げ込まれた。正しいにせよ、間違っているにせよ、そのような判断は東ヨーロッパのカトリック教徒にとって明らかな含意をもつ政治的な判断である。そしてそのようなものとして信仰教義聖省の領域によりはむしろ国務省の領域に属する。」

換言すれば、カザロリに従えば、国務省の純粋に政治的な機能(それは教皇パウロ六世の時にミンセンティ枢機卿を裏切り、彼にモスクワの傀儡であるハンガリー国家の囚人としての証人となり続けることを命じた)は教義の問題そして特に共産主義を「本質的に悪しきもの」であるとして注1)、「歴史においておそらく例を見ない悪魔的に効果的な宣伝の組織」注2)をもった抑圧の制度として定義した教会の真正の社会的教説に優越し続けなければならないのである。

バチカンを沈黙させる協定の主要な支持者カザロリ枢機卿

もちろん、政治的な便宜の名において教える教会に口輪をはめようとするカザロリによるこの試みには何ら新しいものはない。それは単に第二バチカン公会議の教父たちに課された沈黙の継続でしかない。彼らは、「バチカンと共産主義諸政権との間の関係」という同じ口実において、「これらの同じ逸脱(すなわち、共産主義の逸脱)を人間社会のまさに核心に陰険に潜入し、それを絶滅をもって脅かす致命的な疫病として記述された」注3)レオ十三世を含む歴代の教皇たちによって共産主義の非難を再主張することは愚か、議論することさえ禁じられたのである。

簡潔に言って、カザロリの政策はバチカン・モスクワ協定の継続した強化にしか過ぎない。バチカン・モスクワ協定は教会と現代世界との間の関係に特に関わるエキュメニカルな公会議にかつて知られた教会と国家に対する最大の脅威を議論することをさえ禁じたのである。( The Fatima Crusader , Issue No.16,page 5,および No. 17,page 4 を見よ。)*

* この書物の p.249 そして p.269 を見よ。

このことはわれわれに推薦できる明白さでカザロリ枢機卿がバチカン・モスクワ協定の撤回に、そしてそれゆえにまた、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献に断固として反対せざるを得なかったということを告げている。それゆえに、教皇が彼の辞職を受け入れることによって彼のこけおどしに挑むことができなかったことは非常に遺憾なことである。

  1. Divini Redemptoris, paragraph 82, Encyclical on Communism by Pope Pius XI.

  2. Ibid. paragraph 26.

  3. Ibid. paragraph 6.

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2005/01/18 三上 茂 試訳

作成日:2005/01/18

最終更新日:2005/01/18

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