ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

第 IX 部

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

ウクライナのカトリック司教たちはロシア共産主義者の迫害に抗議する

1980年11月25日から12月1日までローマにおけるウクライナ・カトリック司教会議の間に、司教会議は1946年のいわゆる「リュヴィヴ司教会議」(1971年にロシア正教会によって正式に裁可された)の教会法上の無効性と違法性を正式に宣言した。ロシア正教会は一方的にウクライナ・カトリック教会を廃止し、そしてそれをロシア正教会へ統合した。司教会議はその宣言を次のように述べた:

神なる救世主は御自分が創設なさった教会に、聖ペトロの後継者、教皇の指導と警戒の下に、使徒たちの後継者、司教たちによって教会に固有のすべての問題が共同的に解決されることを許す一つの組織的な権限を委ねられた。

ウクライナ・カトリック教会はローマの使徒の司教座との一致を更新する決定をした1956年にブレスト・リトヴスクに集まった司教たちの会議においてこの原理に従った。そしてウクライナ・カトリック教会はこの聖なる一致を、すべてのウクライナの司教たちが彼らの主教たちと共にそれに加わった数十年後に完全に達成されるものと考えている。

それゆえに、1946年リュヴィヴ(レオポリ)においてソビエト政府当局からの強制の下に数人のウクライナの司祭たちの発議で召集された会議(司教会議ではない) -- そしてその会議は自らを「司教会議」と宣言した -- はいかなる仕方においてもわれわれの教会の合法的な司教会議であることはできないし、また決してそうではなかったのである。なぜなら、それ(その会議)はウクライナ司教たちがそれに参加することを妨げたからである。聖職者と平信徒の何人かのメンバーの列席はどのキリスト教会においてもそのような「司教会議」の法的正当性のためには十分ではない。さらに、大多数のメンバーはわれわれの教会とわれわれの人民の敵どもによって参加することを強制された。

ローマの聖なる使徒座は、1946年のその回勅 "Orientales Omnes" および同様に1952年12月15日の彼の荘厳な宣言において教皇ピオ十二世から、そして1979年3月19日、および1980年2月5日の文書においてヨハネ・パウロ二世から、ウクライナ・カトリック教会が法と事実において存在するということをすべての人に知らせた。そしてまたウクライナの司祭たちに対して犯された権力の乱用を非難した。そしてこの理由のために、その歴史的偽りを強調しながら、「1946年リュヴィヴ司教会議」の教会法上の正当性 canonicity は無効であると宣言した。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の承認もって召集され、われわれの教会の父であり長であるリュヴィヴ大司教およびキエフ・ハリクの首都大司教ヨゼフと彼の未来の後継者補佐大司教ミロスラフの周りに集まったわれわれ、ウクライナの司教たちは、この宣言と共に、在俗および修道会所属の聖職者のすべてのメンバーたち、ウクライナの信徒および外国に散らばっているすべての信徒に、それによってわれわれの教会がローマの使徒座との聖なる一致を廃止された[とされる]司教会議が決して開催されなかったこと、そして1946年のいわゆる「リュヴィヴの司教会議」なるものは、ペトロの後継者、ローマ教皇、地上におけるキリストのその長であり、代理者たる、キリストの神秘体、普遍的教会の忠実なメンバーであり続けているわれわれウクライナ教会とは何らの共通するものも持たなかったし、また現在も持っていないということを周知させるものである。

目次へ

2005/01/26 三上 茂 試訳

作成日:2005/01/26

最終更新日:2005/01/26

World Enslavement or Peace...It's Up to the Pope: Section IX; Chapter 5 へ

マリア様のページへ

トップページへ

inserted by FC2 system