ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

司教たちはファチマの聖母に従わなければならない

Father Nicholas Gruner, S.T.L., S.T.D.(Cand.)著

同じ主題を続けながら、グルーナー神父は、なぜ司教たちはファチマの聖母に従う義務を負っているか、その理由を示している。これはもともとは1985年11月の臨時司教会議の前晩に国際ファチマロザリオ十字軍によって後援されたシンポジウムでなされた講演であった。司教会議に参加すべくローマに来ていた何人かの司教がシンポジウムに出席しそれを非常に解明的であると思った。これらの司教たちはファチマの聖母に非常に協力的であった。

私の話はファチマ・メッセージに注意を払い、従い、有効に聴き従う教会の義務についてであろう。私は第一に私の話の一部はファチマ・メッセージの信憑性、なぜわれわれはそれを信ずべきかの動機についてであろうということを指摘したい。第二に私は実際ファチマの聖母に従う義務があるということを指摘したい。この義務は聖書によって、そして理性によって、神学によって証明することができる。この話の短さを考慮に入れると、私は今回この主題について言い得るすべてのことを話すことができないということを指摘しておきたい。

この義務はファチマの聖母の要求、命令に従うことを平信徒、修道者、司祭、司教そして教皇ご自身に義務づける。なぜ私がこの話をこの主題に捧げるか、その理由は、私の見解によれば、それがファチマ・メッセージの最も誤解される部分だからである。教皇ヨハネ・パウロ二世はファチマにおられたとき、ファチマ・メッセージがそうあるべきであったようには歓迎されてこなかったということを公に嘆かれた。私は教皇がこのことを特に教会内部の人々について言われたのだと信じる。これは私の経験であった。私はファチマ・メッセージに関して8年間フルタイムで働いてきた。私は巡礼の御像をカナダを横断してアメリカ合衆国へ、そしてアジアへ運んだ。そしてファチマ・メッセージが単に十分に知られていないばかりでなく、ファチマについて少しばかり知っているある人々が最もしつこくそれと戦っている人々の中にいるというのが私の経験である。そしてそれゆえ、私はファチマ・メッセージを信じる義務とそれに従う義務を強調することが最も重要であると考える。そしてこの義務は私の見解では軽い問題ではない。反対に、ファチマの聖母のこのメッセージと警告に注意を払い、耳を傾け、そして従うことはわれわれすべてにとって一つの重大な義務である。

私がなぜこのことを言うのか、その理由を再検討してみよう。われわれは、あるメッセージが神から来ているということを[知る]、はっきりとした預言による、そして実際の奇跡によるよりも大きな証明は存在しないということをわれわれに告げる第一バチカン公会議の教義的決定を持っている(Dz.1790を見よ)。それは、ただ神だけが真の奇跡を働くことがお出来になるということをわれわれが知っているからであり、そしてただ神だけが確実性をもって未来を知ることがお出来になるということを知っているからである。

われわれはこの点に関してカトリック教会の荘厳な教えを持っている。この問題に関するその教義的で荘厳な決定のうちの二つのものにおいて第一バチカン公会議の正確な言葉を提出しよう。われわれは実際それがカトリック信仰の荘厳な決定であるということを見るであろう。なぜなら、カトリック信仰に関する教義上の法令のこれら二つのカノンに付属の"anathema sit"「破門されるべし」があるからである。換言すれば、われわれは教会がこれらの荘厳な決定においてわれわれに教えることを信じなければならない、さもなければ、われわれは永遠にわたって地獄へと落とされるであろう。

カトリック信仰に関する教義上の法令の第3章カノン3は次の通りである:「もし誰かが外的しるしにとって神の啓示を信ずべきものとすることは不可能であると言い、そしてそれゆえに、人間はただ各自の内的経験あるいは私的な霊感によってのみ信仰へと促されるべきであると言うならば、その人は破門されるべし。」

カノン4はわれわれにこう告げる。「もし誰かが、すべての奇跡は不可能である、そしてそれゆえ、それらについてのあらゆる説明は、聖書に含まれているものであっても、おとぎ話あるいは神話に分類されるべきである、そしてキリスト教宗教の神的起源はそれらによってうまく証明され得ないと言うならば、その人は破門されるべし。」

ファチマの奇跡はわれわれに信じそして従う重大な義務を課している

私がこれら二つのカノン、もしあなたがカトリック者であろうとするならばわれわれが固くそれにしがみつかなければならないカトリック信仰の二つの教義的決定、に言及する理由は、まさにファチマにおいてわれわれが真の奇跡と真の預言を持っているがゆえである。

教会は、われわれが真の奇跡を認めることができるとわれわれに教えている。ファチマでは7万人以上の人々が太陽の奇跡を見た。この奇跡を見たこれらの人々はそれが神の働きであることを知っていた。メッセージと1917年10月13日のために預言された奇跡とをあざ笑い、馬鹿にするためにやって来た戦闘的無神論者たちでさえ、その日に奇跡を見た後には信徒たちを立ち去った。

太陽の奇跡は実際神の奇蹟である。われわれはこのことが確実であることを知っている。われわれは、教会が実際この奇跡を神御自身から来る真に一つの奇跡であるとして完全に是認したがゆえにこのことを知っているのである。われわれはさらに太陽のこの奇跡が疑いもなく神の奇蹟であることを知っている。なぜなら、われわれはそこにいた7万人の目撃者たちの証言を持っているからである。そしてわれわれはその同じ事柄を証言している7万人の人々が嘘をついていないということを確信することができる。教会が上述のカノン4においてわれわれに告げているように、神の奇蹟は実際それらを目撃する人々によって認められ得るものである。これらの目撃者たちは神が一つの大きな奇跡を働かれたという事実を見、認めそしてそれを証言した。このようにわれわれはいかなる疑いをも超えて真に神がご自分から来るものとしてファチマのメッセージを認定なさったのだということに確信を持つことができるのである。

太陽の奇跡は確かにファチマの唯一の奇跡ではない。ファチマにおいてはその同じ日に、人々は太陽の奇跡と同じ時間に一瞬のうちに不治の疾病や病いから癒された。さらにファチマでの諸々の奇跡は今日まで一つの理由で続いている(神が奇跡の個人的な受け手にお与えになる特別の憐れみは別として)。すなわち、神はこれらの奇跡をこのメッセージが神から来ているということをわれわれすべてに証明し、示すために働かれるのである。ファリザイ人たちが、イエズスが地上におられた時に、ある日イエズスに「もしあなたが空に一つのしるしを働くならば、われわれはあなたを信じ、あなたに従うであろう」と言ったことを思い出しなさい。しかしイエズスは彼らのためにその奇跡を働かれなかった。しかしわれわれ自身の時代に、20世紀に、神は御自分の御母の要求で、空にこのしるし(太陽の大奇跡)を働かれた。われわれは古のファリザイ人たちを見下している。そしてにもかかわらず20世紀における多くの人々はあの人々が持っていたほどの信仰も持たない。私は、これらのしるしと奇跡とによって証明されたファチマの聖母のメッセージを多くの人々がまだ受け入れていないがゆえに、このことを言うのである。

イエズス御自身が、もしあなたが私の言葉を信じることができないなら、では私の働き、すなわち私の奇跡を信じなさいと言われたということをわれわれは知っている。イエズスはカファルナウムとベトサイダの町にこう言われた。「おまえは天にまで上げられると思っているのか、いや地獄にまで落とされるだろう。」そしてイエズスはわれわれになぜかというその理由をお与えになった。「もしソドマとゴモラがあなたたちの中に働いた奇跡を見たならば、それらの町はずっと前に改心していたであろうし、今日まで立っていたであろう。」そしてそれゆえイエズスはわれわれに、神が御自分のメッセージを奇跡でもって証明なさるときに神に対して信仰と従順を拒否することはわれわれ自身を罪に値する者とすることであると告げておられるのである。巨大な公的な太陽の奇跡によって証明されたファチマの神のメッセージを信じることを拒否することは実際、彼らの罪のために天から彼らの上に火の雨を降らせてしまったソドマとゴモラの町よりももっと罪に値する者とわれわれをするであろうとわれわれは結論することができる。カファルナウムの町におけるすべての人がイエズスの奇跡を見たのではないということを思い出してみよう。にもかかわらず、イエズスはその町の他の人々によって目撃された奇跡によって証明された御自分のメッセージを彼らが受け入れなかったがゆえに信じることを拒否した町全体にいるすべての人々を非難なさる。20世紀についてはイエズスは何と言われるであろうか?

上述した奇跡、7万人の人々が見た太陽の奇跡、ファチマで今日まで続いている癒しを別にして、もちろんファチマではなおもっと大きい奇跡、回心の奇跡がある。

聖アウグスティヌスは、神にとって一人の罪人を回心させることは神にとって世界を創造することよりも偉大なことであるとわれわれに告げている。その理由は、聖アウグスティヌスが指摘しているように、神が世界を創造なさったとき、神は世界を無から創造なさり、そして何物も神の意志に抵抗しなかった。しかし、神が一人の罪人を回心させることがお出来になる前に、神はその罪人の抵抗を克服なさらなければならない。そしてそれゆえ神にとって一人の罪人を回心させることは世界の創造よりも大きな奇跡であるのである。

ファチマでは、太陽の奇跡の時に神は非常に多くの公的な罪人たちを回心させられた。今日、ファチマでは神は罪人たちを回心させ続けておられる。このように神は当時も今日も大きな道徳的奇跡、罪人たちの真の回心によってファチマの聖母のメッセージを証明し本物であると認め続けておられる。

ファチマの聖母を拒否することは実際悪いことである

ところでわれわれは、神が嘘のために奇跡を働かれることはないということを知っている。なぜなら、全知であられる神は誤ることがお出来にならないからであり、聖そのものであられる神は嘘をつくことがお出来にならないからである。

次にわれわれが見てきたことについて省察してみよう。第一バチカン公会議はわれわれは神の真の奇跡を認めることができるとわれわれに告げている。聖書とイエズスは、もしわれわれが、神のメッセージを証明する真の奇跡をわれわれ自身見た後に、神のメッセージを信じることを拒否するならば、地獄の火に値するとわれわれに告げている。さらにイエズスは聖書の中で、同様にまた、信じることを拒否する人々が彼ら自身奇跡を見たのではないけれども、それを見た信頼のおける目撃者たちの証言を受ける機会を持っても、信頼できる目撃者たちによって見られた真の奇跡によって証明されてきた御自分の奇跡を信じることを拒否する人々を地獄へと断罪なさっている。

ファチマにおいて、すべての時代のうちでも最も並はずれた奇跡の一つが神によって働かれた。それは7万人の人々によって目撃された。われわれは彼らの信頼できる証言を持っている。このように、第一バチカン公会議がわれわれに告げているように、われわれはこのメッセージが実際神から来ていることを知ることができる。この証言を受けた後にファチマの聖母のメッセージを信じそれに従うことを拒否することは一つの罪である。奇跡によって御自分のメッセージを証明された神を信じ、神に従うことを拒否することはわれわれを罪あるものとする。このようにファチマの聖母に従うことを拒否することは実際に悪いことである。

奇跡を別にしても、われわれはまたファチマの諸々の預言を持っている。われわれはファチマで多くの預言を持っている。われわれはロシアの権力の興隆の預言を持っている。1917年に聖母がファチマで話されたとき、ロシアは世界の中で最も弱い国家の一つであった。にもかかわらずわれわれは、もしわれわれが聖母のメッセージに耳を傾けなかったならばロシアは全世界を支配するであろうというファチマの予告を持っている。われわれはすでに15億人の人々が共産主義ロシアによって奴隷化され、世界の残りが非常に重大な仕方で危険にさらされ続けているのを見ている。

われわれは、聖母が予告なさった第二次世界大戦が第一次世界大戦よりも大きいであろうという予告を持っている。われわれは単に、もし人類が改めないならば、戦争が起こるであろうということを告げられただけではない。われわれはそれがピオ十一世の在位期間に始まるであろうと告げられたのである。第二次世界大戦は1939年にはじめて宣戦布告されたけれども、ヒットラーは実際には教皇ピオ十一世の在位期間の間、1938年にオーストリアに進軍したのである。

われわれはまた大きなしるしについての予告をも持っている。多くの人々は1938年の大きなしるしを理解しない。聖母は1917年ファチマで子どもたちに、もし人類が彼女のメッセージに耳を傾けないならば、神が一つの大きなしるしをお与えになるでしょうと告げられた。

大きなしるしのその預言は1917年に与えられた。そしてそれは聖パウロの回心の祝日、1938年1月25日に見られた。このおおきなしるしは7万人の人々に見られたのではなく、数百万の人々によって見られたのである。1938年に、この大きなしるしはヨーロッパと北アメリカの数百万の人々によって見られた。ファチマの聖母は、このしるしは、人類がその罪のために飢えによって、教会の迫害と教皇の迫害によって罰せられるであろうということを人類に告げる目的で神によて与えられた大きなしるしであると説明なさった。

祝せられたおとめは、教会が教会の迫害によって罰せられるでしょうとは言われなかった。彼女はむしろ、世界が教会の迫害によって罰せられるでしょうと言われた。それは非常に多くの人々によって見落とされてきた一つの非常に重要な点である。このことについてしばらく考察してみよう。

世界が、人類一般が教会の迫害によって罰せられるということはどういうことであろうか? もしあなたが公にされたファチマのメッセージのすべてを熟考するならば理解することは容易である。不幸にも、たいていの人々は、シスター・ルチアが他のこともいろいろ言ったが、もしわれわれがファチマのメッセージに間に合うように耳を傾けないならば、アメリカ合衆国を含む全世界がソビエトの支配下に置かれるでしょうと言ったことに気がつかなかった。彼女はまた、信仰の教義はポルトガルにおいて保たれるでしょう、--その意味するところは、それが他の所では保たれないとういことである--とも言った。

私は、われわれに教会が迫害されるであろうと告げているファチマ・メッセージの部分について特に考察してみたいと思う。それでは、なぜ神は、教会と教皇が迫害されるであろうということをわれわれに告げるために大きなしるしを働かれるのであろうか? その理由は、教会の迫害が今日に知られていないからである。私は、この部屋にいるわれわれのうちのたいていの人々にとって、この迫害の強さが知られていないし、またこの迫害の完全な結果がそれが教会と世界に及ぼすものとしては知られていないと言うであろう。この迫害の結果は実際、ファチマの聖母のメッセージと聖母のメッセージを伝える人々が同じように教会の内部で迫害されてきたということである。

私は、経験から、そして同様に他の人々の経験から話している。聖母のメッセンジャーたちの教会内部でのこの迫害の結果として世界は重大な危機に陥っている。なぜなら、神のこのメッセージは知らされてこなかったからである。それは多くの心や魂の中で沈黙させられてきた。それは従われてこなかった。しかしにもかかわらず、ロシアが回心し、そして世界が平和を手にするのはただファチマの聖母の命令に対する従順を通じてのみである。いくつかの国家がそうでなければ確実な絶滅を避けるであろうのはただファチマの聖母に対する従順を通じてのみである。このように今度はファチマの聖母に対する従順を止める教会の迫害は実際世界の罰なのである。

神はそこで、世界がその罪のために教皇の迫害と教会の迫害とによって罰せられるということを知らせるために人類に大きなしるしを与えられたのである。神は、この大きなしるしの理由を探している善意の人々が、反対の外観にもかかわらず、教皇と教会がすさまじい迫害を経験しているということを発見するように、この大きなしるしを与えられたのである。

迫害の時には、人々は彼らの霊的指導者たちが、教会にとって偉大な平和の時に彼らが期待することができるほどに声高にそして明瞭に真理を宣言する自由を必ずしも持っていないということを知っている。今日にとっての悪魔的な方向感覚喪失は、ローマ・カトリック教会が西ヨーロッパとアメリカにおいて迫害からの自由を享受していると見えることである。

しかし神は大きなしるしによってわれわれに、実際は事情はそうではないということを告げておられる。神は善意の人々が、必要な予防策を講ずることによってその迫害に対してわれわれ自身を守ることができるように、この迫害が進行しているということを知ることを望んでおられる。このことを知ることは、なぜファチマの真のメッセージがそのように激しく教会内部で戦われているのか、そしてなぜそれゆえにファチマのメッセージが教会の内部で耳を傾けられてこなかったのかを理解し始める助けとなる。そしてファチマの聖母が1960年にはすべての信徒に明らかにされるように要求なさったファチマの第三の秘密がなぜ公式に明らかにされて来なかったを。

われわれにこのすべてのことについての神の正義を理解させることを助けるために旧約聖書から引き出される一つの教訓を思い起こしてみよう。ある時には、神は旧約聖書において一人の預言者を次から次に遣わされた。しかし人々は彼らの心をかたくなにし続け、神が送られた預言的メッセージに耳を傾けなかった。

神は言われた。「よかろう、私はあなたたちを旱魃によって罰しよう。」それは水の欠如によってではなく、預言者たちの欠如によってである。そして四百年の間、洗礼者聖ヨハネが来るまで、預言者たちは存在しなかった。同じように、今日、ファチマの聖母のメッセージは多くの場所で歓迎されず、耳を傾けられて来なかった。その結果としてこのメッセージの真理に関する教会の証言は聴かれず、それは軽視されて来た。実際、教会の内部で司教たちや司祭たち、そして「諸々のカトリック新聞」はしばしばファチマを迫害する者たちであった。

それはこのメッセージを広める人々の仕事の有効性を減らすけれども、神がマリアの忠実なファチマの働き手たちのこの迫害を許しておられるということを忘れないでおこう。

神は作為と不作為という彼らの罪によってメッセージを広めることとメッセージへの従順を効果的に止めているまさにその罪人たちの正しい罰としてこのことが起こることを許しておられるのである。例えば、不作為の罪に関しては、ファチマのメッセージを広める手助けをすることを拒絶する人々がいる。ファチマの聖母を信じ、聖母を無視することの諸々の結果を知っているそのような人々が存在する。そして彼らは地位、権力、影響力あるいは富のいずれかによってそうする手段を持っているけれども、懲罰は人類によって相応のものである、そして/あるいは不可避であると言うことによって彼らの不活動を自らに正当化しようとするのである。聖ヤコブはこう言っている。「善を行うことができるがそれを行わない人は悪を行うのである。」ファチマ・メッセージを止めるそのような人々は自らを欺いている。作為と不作為という彼らの罪を埋め合わす他の人々がいない限りそれは彼ら自身の破壊につながるであろう。なぜなら、われわれすべてが共産主義ロシアによる奴隷化を避けられるのはただファチマのメッセージの知識とそれへの従順を通じてのみだからである。

モスクワはアメリカの司教たちを沈黙させている

モスクワがさまざまのバチカン高官たちに効果的に沈黙を課すことができた、そして彼らを通じて共産主義ロシアが持ち出しているわれわれの永遠の救いに対する脅威について北アメリカの多くの司教、司祭そして平信徒たちを欺きそして沈黙させることができたのは、まさに教会がそのように迫害されているがゆえであるということを熟考しよう。われわれはこのことについて The Fatima Crusader において公表してきた。例えば No.16,17,18 および 22 号を見なさい。ある教皇がある回勅においてはっきりと共産主義について世界に警告された最後の時は教皇ピオ十一世の回勅 -- 無神論的共産主義について -- によって1937年にまで遡るものであった。(1985年のグルーナー神父のバチカン講演以来、それよりも最近、1986年に教皇ヨハネ・パウロ二世は聖霊に関するその回勅のある短い節において再び共産主義を非難された。)

つい近年、1984年にラッツィンガー枢機卿は教皇聖下ヨハネ・パウロ二世の命令で解放神学に関する文書を公表した。そこでは彼は非常にはっきりと、数百万のわれわれの同胞が今日苦しんでいる恐るべき迫害について述べている。

にもかかわらず、彼はそのものとしてロシアあるいは共産主義に言及していない。もっと明瞭に、あるいはもっとしばしば話さないことに対して私は誰をも非難しない。世界に対して明瞭に話す教会の能力が減少させられてきたのはまさに教会がそのように恐ろしく迫害されてきたからである。だからこそ神は、われわれがみな教会が迫害されるということを知るように、1938年の大きなしるしを働かれたのである。神は信仰および世界の現在の危機からの唯一の抜け道が何であるかを知ることをわれわれに望んでおられるのである。神は、聖母がわれわれに「私だけがあなたたちを救うことができます」と告げておられるということを知るようにわれわれすべてに望んでおられるのである。それはただ祝せられたおとめマリアだけが今われわれを助けることがお出来になるということである。だからこそ、聖母はファチマで、われわれはロザリオを祈らなければならないと強調なさるのである。

ファチマは司教たちに義務を負わせている

簡単に振り返ってみよう。ファチマでは多くの預言がファチマの聖母によってなされたが、それらはすでに実現されてきた。第一バチカン公会議は、そのような預言もまたファチマの聖母のメッセージが実際神から来るものであるということを証明するとわれわれに告げている。このようにこれらの預言のまさに実現がファチマ・メッセージに対する信憑性の付加的な動機であり、われわれにファチマの聖母のメッセージを信じそれに従うより大きな義務を与えるのである。

ここでファチマの聖母に従うべき、教会におけるすべての者の義務についてもっと直接的に問題にすることにしよう。特にここではファチマの聖母に従うべき司祭たち、司教たちそして教皇さえの義務について省察してみよう。これは最初見たところでは僭越と思われるかもしれない。しかしそれは非常に重要なことである。なぜなら、ファチマの聖母はロシアが回心するのはただ聖母の命令に対する教皇と司教たちの厳密な従順を通じてのみであるとわれわれに告げておられるからである。世界が平和を手にし、そしてわれわれがロシア共産主義の専制によって奴隷化され苦しめられることを避けるのはただ「この手段によって」のみ、すなわち、同じ日に一緒にマリアの汚れなき御心にロシアを荘厳にかつ公的に奉献するようファチマの聖母を通じて与えられた神御自身の命令に従う教皇と司教たちによってのみである。

これはこの主題のそのように微妙な、しかし非常に重要な局面であるので、ここでここローマのテレジアーヌムの教皇立学部の神学教授、Father Joseph de Sainte Marie, O.C.D.を引用させて頂きたい。

Father Joseph de Sainte Marie はファチマの聖母のメッセージに関して優れた研究を行った。そして彼は今日からちょうど一ヶ月前に亡くなった。彼はここローマにおける神学教授で、その余暇の時間をファチマのメッセージに関する研究をするために費やした。そしてここにファチマの聖母のメッセージに関する教会の義務についての彼の言葉のいくつかがある。

すべての者は答えなければならない

「第一の問題はファチマの聖母の要求に耳を傾けそして応答する教会の義務に関係する。私は、ここでわれわれがやや微妙な地盤に立っているということを知っている。私は自分が神学的および司牧的賢明さを欠いていないこと、そして確実に伝統の最も確かな教義に、そして教会の教導権に基づいていないことを何も言わなかったことを希望している。あなたは私の書物のテキストを読むときに、やや厳粛な慎重さが必要であることを理解するであろう。なぜなら、論争中である問題は比較的新しいものであり、なお論議されている途中であるからである。」

「教会はファチマの聖母の命令に耳を傾ける義務を持っているか、然りか否か? もしあなたが教会の普通の成員にこう問うならば、彼はおそらく信仰の常識でこう答えるだろう。『もちろん、然りです。』そして彼はまったく正しいであろう。なぜなら、結局のところ、もし神の御母がわれわれに話すために御自分の道から出て来られるならば、われわれがしなければならない最低限のことはわれわれの御母として彼女に従うことだからである。われわれが地位の低い平信徒の兄弟、あるいは事務員、あるいは彼自身教皇さえであろうと、神の御母との関係においてはわれわれはみな等しくマリアの子どもたちである。そしてもし彼女がわれわれに指示を与えられるならば、われわれはそれらに従うべきである。それがまさにそうあるあり方である。」

「それにもかかわらず、祝せられたおとめへの従順のこの義務を論証することには一つの困難が存在する。それはまず第一にマリアからのこれらのメッセージが教会の歴史において比較的最近の事柄であるという事実から来るものである。それらはただ十九世紀にまで遡るだけである。それ以前に聖心のメッセージがあったことは確かである。そしてさらに歴史を遡って行くと、『使徒行伝』以来ずっと教会の中には『諸々の預言』が存在したということを見ることができる。そしてもしわれわれが『諸々の預言』というこの言葉を用いるならば、われわれは最初の問いに対する一つの答、そして問題を解くための一つの新鮮なアプローチを見出すであろう。」

私的啓示と公的啓示の問題

「なぜなら、今までのところこの問題において経験された困難は、それのみが神学的信仰の、洗礼的信仰の対象である福音の啓示、信仰の遺産があり、その外にある他のすべてのものは『特権を受けた霊魂たち』になされた『私的啓示』の範疇にあるものとして考えられたという事実に存する。そしてこれらの私的啓示に関しては、人はそれらを多かれ少なかれ信じるか信じないか、受け入れるか受け入れないか自由であった。関係する特権を受けた人は彼に啓示されたことを信じる義務を負うであろう。しかしある神学者たちはこのことが驚くべきことと思われるかもしれないけれども、このことをさえ主張しないであろう。そしてそれは神学者たちに関する限りでそうである。ベネディクト十四世から聖ピオ十世までの諸教皇の教えは、教会は私的な御出現において与えられたこれらの啓示のメッセージを人間的な信仰をもってのみ信じることを『許している』ということであった。」

「しかしながら、しばらくの間、神に感謝、ローマにおける国際マリア・アカデミー総裁、バリック神父のような神学者たち、そして司教たち、またリスボンの総主教、セレイェイラ枢機卿(そしてこのようにファチマに責任を持っている)のような枢機卿たちはかなりの権威のある短い声でこう言っているのをわれわれは聴いた。『しかしそれは不十分である』と。もし神がこの仕方で話されるならば、応答に関しては単なる人間的信仰と選択の自由以上の何かあるものが必要とされる。この『それ以上の何かあるもの』を神学的にどのように定式化するか:それは難しいことである。彼らの個人的善のために諸々の個人に伝達された『私的啓示』があるであろう。しかしまた、教会の行動と教会の成員たちの行動に影響を与える、教会に与えられた『公的な預言』も存在する。」

聖書からの教訓

「もし今、使徒行録と聖パウロの書簡に眼を転じるならば、われわれはエフェゾ人への手紙(2:20)からの次のような驚くべき言葉を見出す。そこでは教会が『使徒と預言者の土台の上に建てられた者であり、キリスト・イエズス自身がその隅の親石である』として言及されている。ところで、その内容はここで意味されているのは新約の預言者たちであるということを示している。そしてもし使徒行録を全体として考えるならば、そしてもし教会の歴史を読み直すならば、われわれは使徒のカリスマ(すなわち、位階的な司祭職)と並んで、その使命において使徒的職務を支え、導きそして方向づける預言的なカリスマが常に存在してきたということに気づくのである。そのようなものが根本的な真理である。位階と預言者とは両者とも神の御言葉、キリストの福音に従属するということをつけ加えよう。しかし、それは異なった仕方、そして相互補完的な仕方でそうである。究極的な権威が位階に、司教に、教皇に属するということは確かである。しかしながら、教皇は預言者に耳を傾けなければならない。聖パウロはこう言っている(1テサ5:19-21):『霊を消すな。預言を軽蔑するな。すべてのことを確かめてよいものを選べ。』」

「そのようなものが新約聖書の言葉である。そのようなものが、人がその基礎の上に、預言は新しい契約の民の経済に、行動にとって不可欠である、そして預言は教会の生命にとって本質的であると主張することができ、また主張しなければならない神の意志である。」

ジョゼフ神父は次に位階と預言者との間の関係に対する彼の解決を与える。そしてそれは次のようなものである:

「それは次のような仕方においてそうである:司祭、教皇は預言者の言葉が神からのものであるかを識別しなければならない -- それは彼の義務である。しかしひとたび彼が判断を下し、そして与えられた預言が実際神からのものであるということを認めたならば、そのとき彼は従わなければならない。それは預言者に従うこととしてではなく、預言者がその道具である神に従うこととしてそうである。これは、その起源において神からのものであるとひとたび認められたならば、人はその預言的メッセージに直面するとき自由ではなくて、反対に、それを受け入れそれに従うことは一つの義務であるということを示す神学的な仕方である、と私は考える。尊敬する師父たちそして親愛なる友人たちよ、だからこそ、聖母に従い、ファチマの聖母がなさった命令を果たすことは教皇と司教たちの義務なのである。その義務は彼らの司牧的および使徒的諸義務にとって不可欠のものに他ならない。」

最も厳粛な選択

これはわれわれにとって理解することが最も重要なファチマの局面であると私は考える。なぜなら、われわれはみな一つの選択に直面しているからである。それはわれわれが逃れることのできない選択である。われわれはファチマの聖母のメッセージを受け入れそれに従うことができるか、それともそれを拒否することができるかのいずれかである。神はわれわれに自由を与えておられる。しかしわれわれはファチマの聖母のメッセージを無視することの結果を知るべきであると私は思う。 The Fatima Crusader の諸々の号の中の一つにおいて、私は中央のページに「あなたの奴隷化と核の破壊の犠牲を払ってファチマのメッセージを無視せよ」と指摘した。われわれは選ばなければならない。もし私が、私はそれを無視することができる、あるいは私はこのメッセージに従う必要はないと決断するならば、私は間違って選択したのである。あなたの選択は:(1)ファチマのメッセージに従う;か、(2)ファチマのメッセージに従わず、無視するかである。メッセージに従うことの諸結果は明らかである。聖母はこう言われた。「もし私の要求が聞き届けられるならば、ロシアは回心し、平和がやって来るでしょう。」聖母はまたこうも言われた。「もし人々が私があなたに告げることをするならば、多くの霊魂が救われるでしょう。」

それを無視すること、聖母に従わないことの諸結果もまたわれわれには非常に明瞭である。ファチマの聖母はこう言われた。「もし私の要求が聞き入れられないならば、ロシアは諸々の戦争と教会に対する諸々の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めるでしょう。多くの人々が殉教し、教皇がたいそう苦しみ、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。」すでに、われわれがファチマの聖母を無視したために、われわれはロシア共産主義の下で迫害、恐ろしい苦しみそして死を経験してきた。レーニンは彼の7年間の恐怖の支配において2千万人の殺人に対して責任があった。スターリンは29年間に4千600万人の殺人に対して責任があった。毛沢東と毛沢東の下での中国の共産主義者たちは7千万人の殺人に対して責任があった。人民の解放という偽りの約束でもって権力を握った共産主義によって殺された人々の総数はわれわれの計算によれば少なくとも1億6千万人である。さらに、世界中にはマルキシズムの下で奴隷化された15億の人々がいる。

聖母は同じことがまさにここ[アメリカ]で起こるでしょう、そしてわれわれはわれわれを救うためにアメリカに依存することはできない、なぜなら、合衆国自体が共産主義の下にあるでしょうから、とわれわれに告げておられる。シスター・ルチアは1946年にインタビューを受けたときそのことを非常に明瞭にした。(御存知のように、およそ1960年以来、シスター・ルチアは教皇の許可なしに、あるいは聖座の委任を受けた枢機卿の許可なしに公的に話すことはもはや許されていない。)インタビューを受けたとき、彼女は1946年に、ファチマの聖母の預言のどの段階にわれわれは今いるのか? と尋ねられた。彼女は言った。「私たちはロシアが全世界にその諸々の誤謬を広めている段階にいます。」彼女は次にこう尋ねられた。「そのことはロシアが全世界を苦しめ、奴隷化するだろうということを意味するのですか?」彼女は答えた。「そうです。」彼女がその質問を理解しなかったと彼らは考えたので、同じ質問が再び繰り返された。再び彼女は答えた。「はい、そうです。」そしてそれゆえ、ファチマに関して一冊の書物を書いた歴史の教授であるウィリアム・トーマス・ウォルシュは彼女に尋ねた。「そのことはアメリカ合衆国を含んでいますか?」そしてシスター・ルチアは答えた。「はい、そうです。」

それゆえわれわれは二つの選択肢を持っているのである。われわれはメッセージを無視することができ、あるいはそれに従わない(それは同じことになる)ことができか、それともわれわれはファチマの聖母のメッセージに従うことができる。われわれはいずれかの選択肢の諸結果を明瞭に知っている。

われわれは一つの特別の恵みを受けた

われわれは、ファチマのメッセージを決して受け取らなかったときよりも、受け取った後に神に対してより大きな釈明の責任を持っている。これは二十世紀における人類すべてにとって一つの非常に特別の恵みである。ファチマについてもっと多く知り、そしてこのメッセージの重大な意味を知ることができることは特に現代における非常に大きな恵みである。ファチマのメッセージのこのより十分な理解を受けた後に自分はそれに従い、それが他の人々によって知られ、従われるということを見るために彼ができることをするより大きな義務を持っていないと誰も考えることがないようにしよう。

われわれがそれについてもっと知る機会を持っていたならば、ファチマについて知っていた、にもかかわらずわれわれはそれを無視することを選んだということが非難と断罪の理由とならないようにしよう。それを知り、そして効果を現すであろう唯一の平和計画を実行するようファチマの聖母を助けることができたのにそうすることを拒否した人々は、聖母が彼らにこのメッセージをお与えにならなかったならばもっとよかったであろう。

神はわれわれの協力を期待しておられる

多く与えられた者は多く期待されるということを思い起こそう。自分のタラントを神に奉仕するために投資するよりもむしろ地に埋めたゆえに非難された福音書における怠惰な召使いのようでないようにしよう。

聖トマス・アクィナスは神学大全第二部第二巻において、神があらゆる世代に預言者たちを遣わされるのは、新しい教義を与えるためではなくて、信徒に彼らの霊魂を救うために彼らが為さなければならないことを思い起こさせるためである、とわれわれに告げている。それは一つの特別の恵みである。神はわれわれにファチマの預言的メッセージをお送りになる必要はなかった。しかし神はそうなさった。しかしひとたび神がこの預言をお与えになると、われわれはそれを受け入れるか、それとも拒否するか、そのいずれかによって諸々の結果を支払う。そこには第三の選択肢はない。それゆえわれわれすべては神の前で、従う義務がある。私自身、そしてここにいるあなたたちの一人ひとり、そして同様に教皇と司教たちはみなファチマの聖母に耳を傾け、そして従う義務を持っている。聖母はただ教皇と司教たちがマリアの汚れなき御心に特殊的にロシアを奉献するときにのみ世界に平和を与えると約束されている。このことはなされなかった。

そこでわれわれは、ファチマの聖母の要求が実現されるのをわれわれが見るためにわれわれにできるすべてのことをしなければならない。非常に多くの不死の霊魂の救いのために、そして世界平和とキリスト教的自由のためにそれより緊急でそれより必要なことは何もない。ただ聖母の命令に対する従順を通してのみ神は共産主義的奴隷化からわれわれを守られるであろう。

このメッセージを広めることを助けるために、そして教皇ヨハネ・パウロ二世を、そして彼に対する聖母の命令に彼が従う努力をするときに彼を助けるためにあなたができる多くの事柄がある。しかし教皇はあなたの祈り、犠牲、そしてあなたの働き、あなたの施しの助けを必要としている。彼はあなたの支持を必要としている。教会の内部的な迫害はロシアを奉献するようにという聖母の命令を実現することから彼を妨げている。あなたの援助は計り知れない価値がある。敵どもと「偽りの兄弟たち」によってファチマの聖母のメッセージに押しつけられた沈黙の壁を克服するためのわれわれの努力を支持することによって聖母を助けなさい。聖母は今彼女を助けるよう、あなた自身と聖母のすべての子どもたちをあなたの従順とあなたの支持によって救うことを助けるよう、あなたに呼びかけておられる。

教皇ヨハネ・パウロ二世を助けなさい。教皇と司教たちに対する請願を広めることによって聖母を助けなさい。ファチマのメッセージを公表することによって、あなたができる程度に財政的に「天の平和計画」-- 北アメリカにおける45以上のラジオ局で送信されている毎日のファチマ・ラジオ番組を支持することによって助けなさい。 The Fatima Crusader を配布することによって助けなさい。とりわけ、ファチマの聖母がわれわれにするように要求なさっているように毎日ロザリオの祈りをすることによって助けなさい。カルメル山の聖母のスカプラリオを身につけなさい。あなたの生活状況の諸々の義務を果たし、それらを神に捧げなさい。

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2004/11/26 三上 茂 試訳

作成日:2004/11/26

最終更新日:2004/11/26

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