ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

われわれはロシアを適切に奉献させなければならない

ロシアとメキシコ

平和はただ、ロシアに関するファチマの聖母の要求が厳密に従われる時にのみ世界にやって来ることができる。その時までロシアとその代理人たちであるキューバやニカラグアのような国は「諸々の戦争、革命そして教皇の迫害」を扇動し続けるであろう。それ以外の他の選択は存在しない。特殊的に何がなされなければならないか? その答は:できるかぎり早くロシアを奉献させよ。

メキシコの回心は1531年にグアダルーペでアステカのフアン・ディエゴに聖母が御出現になった後十年間に起こった。全国民のこの奇跡的な回心はその奇跡的な像をもった聖母の聖堂におよそ1千万人のインディアンたちを見た。異教の宗教からの巡礼者が来てその奇跡的な像を見たとき、彼は天において描かれた聖母の絵を注意深く観察するや否やほとんど直ぐに回心した。

その民の首都の近くのグアダルーペの聖堂に来るためにそのアステカ人にとって十年間を要した。言葉が広まり、すべてのインディアンたちが自分たち自身で見るためにその聖堂に来るための時間を見出すのにそのように長い時間がかかった。しかし真の信仰への回心の恵みはその巡礼者が来て聖母に対する彼の忠誠の行為をしたまさに直ぐ後にやって来た。

「マルキシズムの(共産主義の)悪魔的国家宗教」からのロシアの回心はあの哀れな抑圧された国のための聖母の介入の結果であると見られるであろう。回心の恵みは同様にまた突然のものであろう。それは非常に長い時間を取らないであろう。なぜなら、イエズス御自身、われわれに、ファチマのメッセージを通じて、ロシアの回心は聖母の奇跡的な像やロシア人民のマリア聖堂への巡礼によってやって来るのではなくて、むしろ、ある特別の日に教皇に加わる世界のすべての司教たちによるマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の荘厳で公的な行為を通じてやって来るであろうと、告げられたからである。

1531年以前の一握りのアステカの人々のカトリック信仰への回心がアステカ民族の回心を構成しなかったのと同じように、少数のロシア人の回心はロシアの回心を構成しない。それにもかかわらず、聖母が御出現になる前のフアン・ディエゴの回心はグアダルーペで聖母が彼に御出現になった後のアステカ民族の回心をもたらすための神の摂理の計画の一部であった。そのように、現在少数のロシア人のカトリシズムへの回心が、教皇と司教たちが最終的に神によって指定された仕方でロシアを奉献するようにというファチマの聖母の命令に従うとき、ロシアの回心のための神の準備の一部であるということであろう。

来るべきマリアの奇跡的な勝利

ロシアの回心はそれが起こるとき素早いものであろう。われらの主は、ロシアの回心は教皇と司教たちによるロシアの奉献を通じて来るであろうと言われた。イエズスがこの特殊的な命令を教皇と司教たちになぜお与えになったのか、その理由は、イエズスが御自分の教会全体がロシアの奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認めることを望んでおられるからである。今、聖母は罪深い人々をサタンの奴隷たることから解放して御自分の御子の奉仕へと回心させることによって勝利しておられる。聖母の勝利が教皇と司教たちによるロシアの奉献のこの荘厳で公的な行為の結果であることが見られるために -- ロシアの回心は教皇と司教たちによるロシアの奉献のファチマの行為によってそれが引き起こされたということを見るために全体としての教会にとって事実上直ちに続かなければならないであろう。

正確に他のいかなる手段によって神がロシアのこの突然の奇跡的な回心をもたらそうとなさるのか、われわれは知っていると言い張るつもりはない。それはちょうど、誰も1530年にアステカの奇跡的な回心が聖母の聖なる絵を通じて起こるべきであったということを予見しなかったのと同じである。そのように、今日誰も、教皇と司教たちがファチマの聖母に従った後にどのように神がロシアを回心させられるのかを正確に知らない。しかしながら、われわれは、それが教皇と司教たちによるマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献の荘厳で公的な行為に関係づけられるであろうということを知っている。

ロシアの回心は正確にメキシコの回心のように起ころうとしているのではない。なぜなら、それは教皇と司教たちによる一回の儀式を通じてであろうからである。即時の社会的コミュニケーションのこの時代に人々の精神は、十六世紀のアステカがそうであったよりも遙かに速く、社会全体の隅から隅まで一つのメッセージを受け取ることができる電子工学時代の手段を通じて神によってより多く準備されている。それゆえ、カトリック信仰へのロシアの回心がファチマのメッセージを通じて彼らに宛てられた神の命令に教皇と司教たちが従った後間もなく起こるということについて考えることは不可能ではない。

ロシアはこの手段によって救われるであろう

しかし、われわれを助けるためのファチマの諸々の預言の助けでもって未来についてするこれらの思弁から離れて、われわれはどの情報通で訓練されたファチマ研究者からの矛盾の恐れなしに、ロシアは教皇と司教たちが、それを果たすことが彼らの義務であるこの命令に従った後にのみ回心するであろうと主張することができる。注1)われわれはこの主題に関するシスター・ルチアに対する聖母とわれらの主の言葉から、誤謬の恐れなしにこのことを主張することができる。

1929年6月13日に聖母はシスター・ルチアへの彼女の最も荘厳な御出現の間に、こう言われた:「神にとって、教皇に世界のすべての司教たちと一致して、私の汚れなき御心へのロシアの奉献を要求なさる時が来ました。神はこの手段によってロシアを救うことを約束なさっています。」

われらの主もまたシスター・ルチアにすべてのカトリック司教たちによる汚れなき御心へのロシアの奉献について話された。主は彼女になぜ聖母に対する尊敬のこの非常に珍しい公的な行為を要求なさったか、その理由を告げられた。シスター・ルチアはこれらの事実を1936年5月18日づけの手紙の中で次のように記録している:「ロシアの奉献を手に入れるために強調することが都合のよいことであるならば、他の諸々の質問についてはどうでしょうか? 私は別の機会にお答えしたのとほとんど同じ仕方で答えます。私はそれがまだなされていないことを残念に思います。しかしそれをお求めになった同じ神がそれを許しておられる御方です...もし教皇様がそれを今すぐになさったならば、神はそれをお受けになり、御約束を果たされるでしょう。そして疑いなくこの行為を通じて、教皇様はわれらの主とマリアの汚れなき御心を喜ばせられるでしょう。私はその主題についてわれらの主と親しくお話ししました。そしてそれほど前ではありませんが、私は主に、教皇様があの奉献をなさることなしになぜ主はロシアを回心させられないのですか、とお尋ねしました。(主はこうお答えになりました)『それは私が、教会全体があの奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果教会がその信心を後に広めて、汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の側に置くようになるということを望んでいるからだ』と。

「(ルチアは答えた。)『しかし、わが神よ、あなたご自身がある特別の霊感をもって彼を動かされないならば、教皇様はおそらく私を信じられないでしょう。』 (われらの主はお答えになりました。)『教皇、教皇のためにたくさん祈りなさい。彼は奉献をするであろう、しかしそれは遅いであろう。それにもかかわらず、マリアの汚れなき御心はロシアを救うであろう。ロシアは彼女に委ねられたのだ。』」

神によって与えられた変更し得ない命令

神と聖母とのこの荘厳な要求は世界における何らかの新しい一連の状況によって、あるいはある他の幻視者に対する後からの啓示によって変更され得るあるいは変更されると考える人々のために、上述のシスター・ルチアに対するわれらの主の陳述を思い起こそう。「彼(教皇)は奉献を行うであろうが、しかしそれは遅いであろう。」別の機会に、われらの主はシスター・ルチアに話された。彼女はその会話を次にように記録している:「後に、親しいコミュニケーションを通じて、われらの主はこう不満を述べられました。『彼らは私の要求に注意を払うことを選ばなかった。...フランスの王のように、彼らはそのことを後悔するであろう。そしてそれからそれを行うであろう。しかしそれは遅いであろう。ロシアは、諸々の戦争と教会に対する迫害を引き起こしながらその諸々の誤謬をすでに世界中に広めてしまっているだろう。教皇は多く苦しむであろう。』

それゆえ、結論的に言えば、平和はただファチマの聖母への従順、そして指定された形でロシアを奉献するという教皇と司教たちに対する聖母の荘厳な命令に対する従順を通じてのみやって来るであろう。このように、われわれは、教会がそれに対して自らを守ることができるようにこのバチカン・モスクワ協定が広く知られることがファチマの要求の適切な実現のために緊急であるということを見ることができるのである。

ファチマの聖母の平和計画が実現されるのは、ただこのバチカン・モスクワ協定の拒否を通じてのみである。それゆえわれわれは、ファチマの聖母のこの命令を果たすようにあなたの司教たちに請願し、また教皇に請願するようにもう一度促す者である。

  1. ジョゼフ・ド・サント・マリー神父が The Fatima Crusader , Issue No. 9-10, pp. 9-10 において公表されたわれわれの論考において証明したように、教皇と司教たちは聖母のこの命令に従う義務に縛られている。

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2004/12/02 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/02

最終更新日:2004/12/02

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