ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

われわれが待っていてはならない理由

Father Nicholas Gruner, B.Comm.,S.T,L., S.T.D.(Cand.)

時間は遅い。ファチマのメッセージは、もしわれわれが前もってロシアの回心を手に入れていないならば、神がその罪のために人類の鞭としてロシアをお用いになるであろうと、われわれに告げている。特に、その中で数千万人の胎児が毎年大量殺戮されている中絶の罪は天に向かって復讐を叫んでいる。人類にとって、来ることが確実であるまったくそれに値するこの懲罰を避ける何らかの道があるのか? 然り、一つの道、そして唯一の道がある:すなわち、まずロシアの回心を手に入れることである。どのようにしてわれわれはこのことを為すべきであるか? ロシアを適切に奉献させることによってである。
もしわれわれカトリック者がすぐに聖母の要求に注意を払わないならば、諸々の民族全体が絶滅させられ、完全に消し去られるであろう。もしカトリック司教たちがすぐにファチマの聖母に従わないならば、カナダと合衆国を含む全世界は共産主義ロシアによって奴隷化されるであろう。

ロシアを適切に奉献させるためになぜわれわれは今われわれの努力を新たにしなければならないか

われわれに、あるいはあなたたちに、次のように言ってファチマ・メッセージに反応するある人々 注1)がいる。「待ちなさい、われわれがロシアの奉献のために教皇や司教たちに請願する前に少し待ちなさい。数年間待ちなさい。おそらくわれわれは、キエフ河の土手の上でのロシアの洗礼の1000年目の記念の年である1988年までは待つべきである」と。彼らは、もしロシアの回心がそのときまでに起こらなかったならば、そのときわれわれは、ロシアの奉献が行われなかったということを知ることができて満足すると説得していると思われる。それに答えて、簡単にこう言おう。われわれはいかなる理に適った疑いも超えてファチマの聖母の要求に従ったロシアの奉献は行われなかったということを知っている、と。

われわれはすでにこの問題を詳細に論じた。われわれは、シスター・ルチアが教皇使節に公式に話をし、そしていかなる条件が満たされる必要があるかを明瞭に指摘したということを示し、論証した。彼女は1982年3月21日に、そして再び1983年3月19日に話した。そして彼女は、教皇と司教たちが今までに為したすべてのことはロシアを奉献するようにという聖母の要求を満たさなかったということを示した。われわれはシスター・ルチアのこの明快な陳述から、1984年3月25日の後でさえ、聖母が聖なる三位一体の名において明確に述べられたファチマの聖母の定式に従ったロシアの奉献は行われなかったと、単純明快に推論することができる。

教皇自身、1984年3月25日にロシアの奉献はまだ行われていないとはっきり言われた。彼は世界を奉献した後でさえ、聖母がある人々が御自分に奉献されるのを今なお待っておられると言われた。

ダムが破れるとき

非常に明瞭である何かあることを通じて推理することができないがゆえに待機を主張するこれらの人々は、われわれにいくつかのダムがあるアメリカにおける真の状況について思い起こさせる。すでにそのダムは、ダムの周りの地盤の水分の量が余りに高いがゆえに破れる危険がある。それは安全に許容されているものを超えた。このように、そのダムはいつでも破れ得るであろう、とわれわれは知らされた。エンジニアたちの何人かは論じ合っている。「しかしそれが安全水準の下を行ったとしても、待つことにしよう。待って、何が起こるかを見てみよう:と。地盤が破れ、ダムが崩壊し、数千人の人々が溺死するとき、彼らは何と答える積もりなのか?

われわれが余りにも長く待ったがゆえに、そしてファチマの聖母によって与えられた特殊的な命令に従って教皇と司教たちがロシアを奉献するようにわれわれがわれわれの役割を果たさなかったがゆえに、ロシアが合衆国と世界を侵略するとき、ファチマ・メッセージのこれらの主唱者たちは何と答えるだろうか?

そしてそのように、われわれに「待て、見てみよう、三年間待ってみよう」と告げる人々にわれわれは答える。「三年間の時のうちに、全世界がソビエトの支配下にはいないであろう、そして教皇がもはや世界中のカトリック司教と連絡を取り合うことができないであろうと、誰が言えるだろうか。神がわれわれに憐れみを垂れ給い、そして教皇とすべての司教たちへの何かある奇跡的な通信によって神のこの命令に最終的に従うように許し給う前にどれだけ長い間われわれは奴隷化されるであろうか。」

神への不従順に対する罰

ユダヤ人たちは587年 B.C.から547年 B.C.まで続いたバビロニア捕囚において40年間奴隷状態へと投げ込まれた。エルサレムの聖なる都市はそれ自身、彼らが待つことを決定したゆえに虜になった。彼らは神が彼らに遣わされた預言者に耳を貸さないことに決定した。われわれは、神からのメッセージをたぶん持っている側を通り過ぎるあらゆる人に耳を傾けるべきであると提案しているのではない。しかしながら、この場合にはシスター・ルチアは神御自身によって、彼らのうちの多くの人々が今日なお生きている10万人の目撃者たちの前で起こった太陽の大奇跡によって保証されてきたのである。さらに、カトリック教会は、徹底的な吟味の後に、シスター・ルチアに与えられたファチマの聖母のメッセージが実際に神から来ているものとして認めた。それゆえわれわれはシスター・ルチアが真に神の預言者であるということを知るのである。

非常に驚くべきことは、神のそのような単純なそして容易な要求に応えて、多くの指導者たち、人々そしてある司祭たちや司教たちさえが、憐れみと愛のこのメッセージに反対するために一生懸命働いているということである。彼らは世界の諸問題に対して彼ら自身の誤って考えられた、人間の作った解決を押しつけるためにそうしているのである。確かにもし神がこの核のジレンマから抜け出す道をわれわれに示すためにそのような労を取られたならば、もし神がわれわれの側でのそのようなわずかな努力のためにわれわれに対する憐れみを提供するためにそのような労を取られるならば、神の要求を無視することは神と聖母とに対する一つの侮辱である。われわれの側でのそのような無視は罪なしではあり得ないし、 The Fatima Crusader , Issue No. 11/12 の「世界平和はカトリック司教たちとあなたたちにかかっている」* という論考においてわれわれが説明したように、われわれをより以上に罰に値する者とせざるを得ない。

* 世界平和はカトリック司教たちとあなたたちにかかっている

それゆえ、待たないようにしよう。われわれの努力を倍加しよう。なぜなら、(1)奉献がなされてこなかったことは明白であり、そして(2)ロシア共産主義が少しも変わらなかったことは明白だからである。それは今なお反キリスト、反カトリック、反神そして反人間である。このことの多くの証拠が存在する。例えば、それは1981年5月13日聖ペトロ大聖堂広場でのアグカによる教皇狙撃によって明らかに証明された。アグカ氏は報道陣に対して、彼がK.G.B.(ロシア秘密警察)によってこの暗殺未遂をそそのかされたと自由に告白した。

全世界が呻いている

キリストにおけるわれわれの兄弟たちの迫害、カトリック信仰におけるわれわれの兄弟たちの迫害は中国、北朝鮮、アルバニア、リトゥアニア、ロシアそして共産主義支配下の世界の他の個所で続いている。そこで時間の緊急性を理解しよう。われわれは、北アメリカにおけるわれわれ自身の社会においてさえ、悪魔と彼の取り巻き連中、北アメリカの自由の中に生きている戦闘的無神論者たちが大きな道徳的堕落をもたらすことに成功しているということを見ることができる。われわれは、1969年までは中絶が一つの犯罪であり、犯罪として罰せられていたということを目撃している。そしてにもかかわらず、1969年以来、今やカナダでは、毎年 65,000人の赤ん坊が彼らの母親の胎内で殺されてきたのである。そしてこのことは法律の保護でもって為されているのである。合衆国においては毎年150万人の赤ん坊が殺されている!そしてこれらの殺人のあるものはあなたによって支払われている。中絶論者たち、あるいはもっと正確に言えば、殺人者たちはあなたの税金で支払われているのである。

今日イエズスは涙を流しておられる

われわれはミサ出席が徹底的に落ち込んでしまったと認めざるを得ない。人々はますます告解に行かなくなり、そしてにもかかわらず聖体拝領の数はますます増加している。われわれは、手による聖体拝領の実践のために、ミサの後に聖堂のベンチにさえ見出される御聖体について耳にする。一人の大司教は私にこのことを個人的に告げた。そしてにもかかわらず、教会が持っている最も貴重なそして最も偉大な賜物、いとも祝せられた秘蹟を守るために十分に効果的な何事もなされていない。われわれはカトリック的でないいわゆるカトリック学校教科書の中に信仰の衰微を見る。これらの書物は異端を説教し、異端を教えている。そしてわれわれは、単に怠惰に傍観しているばかりでなく、カテキズムに関する彼らの国民会議委員会において実際にこれらのテキストを推薦している数人の司教たちを見るのである。私は、私がそれが明らかに異端的であるということを知っているように、私があるアメリカのカトリック司教に指摘したように、特に "Jesus Book" のことを考えている。それはマリアが神の御母であることを否定し、そしてイエズスが神と人間の二つの本性を持つ一つのペルソナであることを否定するネストリウスの異端であった。

われわれは、あらゆる種類の典礼の変化が人々に押しつけられ、そしてこのことの結果として、他の諸要因と同様に、ミサ出席を落ち込ませたということを見る。例えば、かつては世界の忠実なそして熱心なカトリックの部分であったケベック管区において今や人々の50%以上が定期的にミサに出席していない。そしてこのことは単にケベックにおいてだけでなく、世界中で起こっているのである。

ロシアの諸々の誤謬がわれわれを毒しているさらなる証拠

われわれは、われわれの神学校が空になって行っている、そして神学生たちが諸々の異端が教授たちによって教えられていることについて不満をもらし続けているのを見る。これは新しい現象ではない。それは15年以上にわたって続けられてきた。そしてにもかかわらず、われわれの未来の司祭たちである神学生たちの精神を毒するものと闘うために何ら精力的な行動は取られていない。聖職者と平信徒両方の精神が誤った教義によって毒されるのはこの手段によってである。

これらの破壊活動をするいわゆる神学教授たちはカトリック教義を装って彼らの毒液を配布し続けることを許されている。なぜなら、ある司教たちが言っているように、問題になっている司祭たちや教授たちはわれわれの諸大学に終身在任権を持っていて、そして「私」はそのことに対してコントロールできないがゆえに、彼らは何もすることができないからである。なされ得るであろうことは、彼らが自分たちは今なおカトリックであると公衆に対してその振りをすることがもはや出来ないように、その異端者たちを破門することである。少なくともなされるべきことは彼らが一度彼らの神学を修正するように警告されること、あるいは公式に異端的であると宣言されることである。

一覧表はどんどん続く。そのすべては教皇と司教たちがマリアの汚れなき御心にロシアをまだ奉献しなかったがゆえに起こっている。このことは部分的には、共産主義ロシアがファチマの聖母の完全なメッセージに反対する教会指導者たちの精神を毒しようと遠回りに努力してきたという事実によるものである。同様にまた人々も聖母の要求に十分注意を払ってこなかった。そのことによって、ファチマのメッセージを通じて与えられた神の命令に従うために必要な恵みを教皇と司教たちから奪っているのである。

さらに、ロシアは教会の内外のさまざまのそして多くのロシアの代理人たちを通じてカトリック者の信仰をさらに打ち砕こうと努力し続けている。われわれの信仰を破壊することによって、われわれカトリック者は彼らの宣伝戦争によって圧倒されることができるのである。注2)

それはロシアを救うことである

ロシアは、何年も前につぶれていたであろうこの政権を支える西側の戦闘的無神論者たちによって密かにしかし強力に助けられている。もし西側からの連続的な経済的支持とマス・メディアの選択的な沈黙がなかったたならば、ロシア共産主義はこれほど長く持ちこたえることはできなかったであろう。ロシアは教会に対して戦うために悪魔によって選ばれてきた。世界中の他の戦闘的無神論者たちは実際彼らのできる限りの手段によって共産主義ロシアを支持するために結集している。

それは、ファチマの聖母がロシアに反対しているから、あるいは聖母がロシア人を好きでないからではなく、また The Fatima Crusader 、あるいはファチマ使徒職で働いている人々がロシアに反対しているからでもない。その反対に、われわれが、ロシア人民の国家と資源とを乗っ取った戦闘的無神論のこのガンを取り除こうと努力しているのは、われわれがロシアを愛しているからである。われわれはこのガンをそこに見、そしてわれわれはファチマの聖母に従うことによってそれから逃れる唯一の道を知っている。

ロシア人は侮辱されたと感じる必要はない

もしわれわれがロシアの奉献を求めるならばロシア人が侮辱されるのではないかと言われてきた。もしよきロシア市民がこの要求によって侮辱されると感じたとしたらそれは不幸なことである。彼がそのように感じるのはただロシア人の側の誤解によるにすぎない。

その理由を説明するために教会がただ神に奉仕するためにのみ捧げられているということを考えてみよう。もしこの奉献された建物がそこで犯されたある非常に重大な犯罪によって神聖冒涜されるならば、それが神の公的な奉仕のために再び使用され得る前に、司教によって再び捧げられ、再び奉献されなければならない。

ところで、事実は、聖なるロシアが外部の人々によってロシアに対して犯された非常に恐るべき犯罪によって恐ろしく神聖冒涜されたということである。あるロシア人たちは外部の戦闘的無神論者たちに協力した。そしてそのことによってまた、ロシアを神の教会、すなわちカトリック教会と戦うために用いる悪魔の奉仕へと彼らの資源と労働とをそそぎ込むようにロシア人民を強制したことに責任があった。

国際的な戦闘的無神論のネットワークによってロシアに無神論的国家を押しつけたことはロシアの犯罪ではない。しかしむしろ、それは外部の人々によってあの国において犯された神に反する犯罪的行為である。ロシアは神からの一つの聖なる使命を持っており、そしてこの神聖冒涜はそこで犯されたので、神はマリアの汚れなき御心を通じてロシアの国と人民とを神の奉仕に再び捧げることによって償いがなされることを求めておられるのである。(われわれは The Fatima Crusader , Issue No. 11-12, pp.7, 9, および Issue No. 16,pp. 18,19 において詳細に説明した。)*

* この書物のpp. 122, 123, 125 を見よ。

いとも聖なる三位一体は教皇と司教たちがイエズスとマリアの聖なる御心にロシアを特殊的に[名を挙げて]捧げ、奉献するように命令するために祝せられたおとめをお遣わしになった。この事実は自分の国と人民とを真に愛するどのロシア人にとっても大きな喜びの原因であろう。神が神の特別の奉仕のためにこの特別の仕方で奉献され、取っておかれるために彼らを選ばれたと考えることは実際一つの名誉である。われわれは神のこの選択によって、神が非常に特別な仕方でロシア人民を愛しておられるということを見ることができるのである。

聖パウロに比較されるロシア

共産主義ロシアは、サウロのように、神の教会を迫害している。イエズスは、カトリックの民の祈りを通じて、サウロを聖パウロ -- 世界に平和の福音を説き、教えるために神によって特別に選ばれた一人の人間 -- へと回心させられた。同じように、ロシアは、祝せられたおとめマリアの祈りを通じて、カトリシズムへと回心させられるとき、世界に神の平和をもたらすために神の選ばれた道具となるであろう。ロシアにとって神によるそのように重要な使命のために選ばれることは実際、一つの名誉であり、真のロシア人にとって喜びの原因である。

さらに、われわれに神とファチマの聖母に従ってはならないと言う人の誤った論法ははっきりと拒否されなければならない。神がそれを命令なさった。そして神は御自分のなさっていることを御存知である。それはわれわれにとって十分である。それはキリストに従うどの人にとっても十分である。このように、われわれはロシアを奉献してくださるように教皇と司教たちに請願することをやめてはならない。われわれは、この神の命令が遅すぎることになる前に従われることを見るためにわれわれのできることをしなければならない。

神に従うことは偽善的なことではない

欺かれたきたある人々はわれわれにこう言う。「偽善的であるな、西側の人々もまた罪人である」と。彼らは言う。「中絶を見よ。それはヨーロッパと北アメリカにもまた広まっている。われわれの法律や社会制度もまた無辜の血によって汚されている」と。

われわれ自身、西側はロシアと同じように罪があり、そしてわれわれはロシアの奉献のために請願をすべきではない、と言うこれらの誤った議論によって欺かれるべきではない。それに答えて、われわれはまず、中絶が一つの言葉に表せない犯罪であるということに注目すべきである。西側の「法律」や制度が、ロシアのそれと同じように、無辜の血によって汚されているという事実は実際われわれすべての世紀の恐るべき告発状である。われわれの公務員たちのこの公的で自責の念のない犯罪は西側の少数の市民たちの戦闘的無神論であるもっと大きな罪の結果であった。それは、ロシアに対して国家無神論(共産主義)というなおもっと大きな罪を課している根本原因であるこの同じ罪である。神が特にそれに対する公的な償いがあるべきだと要求なさっているのはこの特別の罪である。神がマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を要求なさっているのはこの罪から流れ出るこの公的な罪に対してである。

さらに、どの民族が世界の状態に対してより大きな罪があるかを決定することはわれわれの役目ではない。またわれわれは神とファチマの祝せられたおとめに従わない人々の悪い例に従うべきでもない。反対に、われわれは、神が命令なさったようにすべての司教によるロシアの奉献のために祈り、働きそして請願することによって神に従わなければならない。

神のこの命令がいかに重要であるかを知っているわれわれにとって、神のこの命令の実現を通じて世界に平和をもたらすためにわれわれが多くのことをなすことができるときに何もしないことは罪深いことであろう。

ファチマの聖母は、平和はロシアの奉献を通じて世界にやって来るでしょう、そしてロシアは教皇と司教たちがロシアを適切に奉献した後にはじめて回心するでしょう、とわれわれに告げておられる。ヨーロッパおよび北アメリカのわれわれはロシア人よりももっと大きな罪人であるかも知れない、われわれはそれを知らない。しかしファチマのこのメッセージから、平和は教皇と司教たちがある特別の一日にマリアの汚れなき御心にロシアを荘厳かつ公的に奉献するときに与えられるであろうということを知っている。司教たちがこの命令に従うとき、ロシアはカトリシズムに回心するであろう。北アメリカとヨーロッパの罪人たちがロシア人たちの宣教の努力を通じて回心するということがいつかロシアのこの回心の後に起こるであろう。

事柄がそのようであるとすれば、われわれがあなたたちにこの最も緊急の神の命令について知らせるとき、われわれは偽善的ではないのである。われわれは世界のために与えられたファチマのメッセージを単純に繰り返している。ファチマの聖母のメッセージ全体のメッセンジャーである振りをして、しかも意図的にそのメッセージの一部を与えずにおくこと、それは偽善的なことであろう。それは、特に自分の読者たちや信奉者たちを欺くために意図的になされるならば、偽善である。

マリアがこの偉大な勝利を勝ち取られるときにマリアの側にいなさい

そしてそれゆえ、ロシアが適切に奉献されるようにするためのわれわれの努力を倍加しよう。そして確実にやって来る反対によって妨げられないようにしよう。反対はすでに存在してきたし、なおもっと多くの反対にこれから直面するであろう。聖母の助けとともに前進しよう。われわれは勝利するであろう。あるいはもっと正確に言えば、聖母の汚れなき御心は勝利なさるであろう。聖マキシミリアノ・コルベはこう指摘なさった。「マリアはわれわれの助けを必要となさらないけれども、われわれが彼女の勝利に参加することを望んでおられる」と。それゆえ、サタンとその追従者たちの勢力に対するこの偉大な神のための勝利にマリアが勝利なさるとき、彼女の側にいるためにわれわれの役割を果たそう。

  1. この書物の p.306 以下を見よ。

  2. 北アメリカの戦闘的無神論者たちがどのようにわれわれに対して密かに戦っているか、そしてこの戦闘においていかに共産主義ロシアを助けているかを見るために、"Our Lady's Urgent Appeal"(『聖母の緊急の訴え』)を読みなさい。この小冊子はファチマ・クルーセイダーから入手可能。またこの戦闘の本質を理解するために The Fatima Crusader , Issue No.17, pp.7-10 をも見なさい。

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2004/12/03 三上 茂 試訳

作成日:2004/12/03

最終更新日:2004/12/03

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