ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち

教皇の重い責任

以下のものは1930年5月29日にシスター・ルチアによって書かれた手紙のわれわれによる翻訳である。:

...善き神は、もし教皇が等しくカトリック世界の司教たちにイエズスとマリアの至聖なる御心に対する償いと奉献の荘厳かつ公的な行為をするように命令するならば、すでに指示された償いの信心の実践(5回の初土曜日)を認めそして勧めるためにこの迫害の終結の助けでもって教皇を助けると約束されながら、ロシアにおける迫害を終結させると約束なさいました。

教皇は神によって彼に与えられた一つの極度に重い責任を持っている。世界の平和、数百万の霊魂の救い、そしてさまざまの民族の文字通りの生存は天国と地上の王イエズスと女王マリアの命令に対する教皇の従順に依存している。彼自身の強さによってこの責任を遂行することは彼にとって絶対的に不可能である。それにもかかわらず、彼は神の恵みによってそれをすることができる。彼はそれをしなければならない。そしていつか彼はそれをするであろう。なぜなら聖母はわれわれにこう告げられたからである。「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

われわれもまた一つの重い責任を持っている。われわれは祈りによってロシアを奉献するというその義務を教皇が実現するよう助けなければならない。ファチマの子どもたちはファチマの聖母が彼らに教えられたこの教訓を理解し、そして教皇のために絶えず祈った。われわれも同じことをしなければならない。

すでに遅い -- すでに数千万人の人々は、教皇とカトリック司教たちによるロシアの奉献がまだなされないために死んだ。それは、ファチマの聖母が「時は来ました」と言われた1929年に要求された。それ以来、5千万人以上の人々が第二次世界大戦において死んだ。1億1千500万人の人々がスターリンと毛沢東の下で共産主義諸国で死んだ。そしてより最近のクレムリンの殺し屋たちの下での死の犠牲者は数百万人以上である。殺し屋ゴルバチョフと彼の先行者たちは今日アフガニスタンにおける百万人以上の死者に対して責任がある。ただロシアの奉献だけがロシアを回心させ、そしてわれわれ自身の祖国においてこのことが起こることを防ぐであろう。

実際、教皇はこのすべての死と破壊とを止めるために彼ができるあらゆることをなすとてつもない責任を持っている。なぜなら、カトリック世界のすべての司教たちに荘厳かつ公的な仕方でロシアを奉献するように命ずることによってファチマの聖母に従う時にのみ、彼は神の恵みとわれわれの祈りの助けをもってそうすることができるからである。

それはファチマの聖母によって特定された仕方ではなされてこなかった。世界中の多数の司教たちの側での知られた抵抗がある -- また多数の司教たちが、教皇が命令するや否や喜んで従うということも知られている。

あなたの祈りによって教皇を助けなさい

教皇は司教たちの協力を必要としているがゆえに、自分ではどうすることもできないと感じておられる。教皇は司教たちが今日の状況の下では協力しないであろうということを知っておられるので、それ以上何もすることができないと感じておられる。( The Fatima Crusader , 24号8ページを見よ。)* ファチマの聖母に従ったロシアの奉献のためのあなたたちの祈りと公的な支持がそこには非常に必要である。なぜなら、一般公衆が彼らの生命、この世の幸福と自由が司教たちの従順に依存しているということを知らない限り、彼らは何もしないだろうからである。われわれのうちの非常に多くの者の永遠の救いさえ、もしこのことがもっと長く遅らせられるならば、危険である。公衆は、このことを知りさえすれば、司教たちが彼らの義務を果たすか、それとも彼らの役職を辞めるように、力強く主張するであろう。

* この書物の207ページを見よ。

人は聖母が一般公衆からの支持に対して持っておられる必要性を十分に強調することができない。教会史は聖ヨハネ・グアルベルトにおける一つの例を提供している。彼はある特別の恵みによって動かされて、フィレンツェの大司教がその役職への道を買収したということを公的に、そして一つの奇跡によって、証明した。聖ヨハネは教皇と彼の助言者たちに、フィレンツェの大司教の相応しくないことを確信させようと努めた。彼らは確信させられなかったので、聖人はフィレンツェに戻り、彼の論点を証明するために火による審理を行った。平信徒たちはそれでフィレンツェの司教の辞任を確信した。

世論を結集しなさい

私的な駆け引きによって教皇と彼の助言者たちを確信させるためにした58年後の今日必要とされることは、効力を発揮するであろう唯一の平和計画のために平信徒からの幅広い公的な支持である。イエズスはシスター・ルチアに、私はその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として全教会が認めることを望んでいる、と告げられた。ロシアが回心し、そして平和がやって来るのは、ただこの手段によってのみ、すなわち奉献のこの行為によってのみである。あなたたちの家族、あなたたちの家庭、そしてあなたたちの生命は非常に大きな危険に瀕している。あなたは指定された仕方での教皇と司教たちによるロシアの奉献をもたらすためにあなたの役割を果たす意志があるか? 教皇のために祈りなさい。ロシアを奉献するための教皇の努力において教皇を支持するように司教たちに請願することによって教皇を助けなさい。

最低の線

教皇は、もし彼がもっと多くの世論の支持をもっていたならば、例えば、1988年5月13日に、あるいは1988年8月15日に(教会からの破門の苦痛の下に)自分に加わるようにすべてのカトリック司教たちに命令することができたであろう(彼はそうする権利と権力を持っている)。もしある司教が従わなかったならば、その司教は自動的に破門されたであろうし、そして彼の協力はそれゆえに聖母の要求を果たすために必要とされなかったであろう。こうするための教皇に対する恵みはわれわれが祈り求めるべきものである。

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2004/11/29 三上 茂 試訳

作成日:2004/11/29

最終更新日:2004/11/29

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